第八話:盲目の少女
エレンとゼノの激闘が中断された後は、特にこれといった問題も起こらず、平穏無事に三限の自習時間が終わった。
今日は入学式+登校初日ということもあり、授業があるのは午前中のみ。
一年A組の生徒たちは教室に戻り、帰りのホームルームを受けていた。
「――皆の衆、今日は大変申し訳なかった。学園長の話が思いの他に長く……いやしかし、まさか三限の授業内に戻れないとは、思ってもいなかったのである。そのお詫びと言っては難であるが、自習課題に付した『ペナルティ』――放課後の外周十周はなかったものとする」
その発表を受けて、敗北していた生徒たちは喜び、勝利していた者は不満気に口を尖らせる。
「さて……特に連絡事項もないようなので、帰りのホームルームはこれにておしまい。みな、気を付けて帰るのであるぞ」
ダールが解散を告げると、教室に和やかな空気が流れ出す。
「よーよー、売店覗いていかね?」
「おっ、いいね! ここの焼きそばパン、激ウマらしいぞ!」
「ねぇねぇ。せっかくの午前授業だし、ちょっと街に遊びに行かない?」
「オッケー。私もちょうど行ってみたかったところがあるんだー」
クラスメイトたちが楽しそうにお喋りをして、食事や買い物の予定を立てる中――エレンはササッと手荷物を纏めて、自身の寮に直帰する。
(えーっと、待ち合わせは十五時だから……うん、まだ時間はあるな)
彼にはこの後、シャルと一緒に『魔具屋アーノルド』の本店へ行き、本日発売予定の『青道魔具』を見に行く約束があるのだ。
本当のことを言えば、入学式の日にあまり予定を入れたくなかったのだが……。
今より遡ること一週間ほど前――。
「――見てください、エレン様! この素晴らしい青道魔具の数々を……!」
キラキラと目を輝かせたシャルが、とあるお店のチラシをエレンに手渡した。
「魔具屋アーノルド……? ここって確か、有名な魔具屋さんだっけか?」
「はい、老舗中の老舗です! このお店は、季節ごとに各属性の新商品を発表していましてね! 今回はなんとそれが『青道魔具』なんですよ! ほらほらぁ、この剣とか見てくださいよ! うわぁ、いいなぁ~。かっこいいなぁ~っ」
彼女はそう言って、まるで小さな子どものようにぴょんぴょんと跳びはねた。
「へぇ、どれどれ……。なるほど、『聖水秘剣』か……。結構な値段がするみたいだけど、どんな魔術的機能が備わっているんだ?」
「ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれました! この剣の柄には、小さなボタンがありまして、それを押せばなんと……!」
「なんと……?」
「剣の切っ先から、冷や水が飛び出します!」
「……は?」
「目潰しですよ、目潰し! いやぁ、さすがは魔具作りの大家アーノルド……。『まさかそう来たか!?』という、素晴らしい発想の商品ですね!」
「……そ、そうかなぁ……?」
なんとも言えない微妙な機能に、エレンは苦笑いを浮かべる。
「ねぇねぇエレン様、来週のこの日、一緒にアーノルドの本店へ行きませんか!? 青道を知り、青道魔具を知れば、向かうところ敵なし! これも修業の一環ですよ!」
シャルはそう言って、エレンの服の袖をグイグイと引っ張った。
(うーん……。その日は入学式と初授業があるから、できれば空けておきたかったんだけど……まぁいいか)
彼女が本当に嬉しそうな顔をしていたため、エレンは一緒に買い物へ行くことを決めたのだった。
そんな昔のやり取りを思い返していると、気付けば目の前に魔具アーノルドの本店があった。
(シャルは……さすがにまだ来てないか)
周囲を軽く見回してみたが、彼女の姿は見当たらない。
それもそのはず、現在の時刻は十三時半。
待ち合わせの十五時には、まだ後一時間以上も時間があった。
(ちょっと早く着き過ぎちゃったみたいだな。……せっかくだし、軽く街をぶらついてみるか)
それからしばらくの間、特に行く当てもなく、街中をぼんやりと歩いた。
人間、何かするべきことや考えることがある間は、存外クリアな思考を保てるのだが……。
それが何かの拍子でふっとなくなり、手持無沙汰になった時、過去の過ちや失敗といったネガティブな経験を思い起こしてしまう。
当然それは、エレンにも当てはまった。
(……はぁ、やっちゃったな……)
脳裏をよぎるのは、三限に起きたゼノとの決闘。
お互いがヒートアップした結果、副学長のリーザス・マクレガーに減点処分+反省文の提出を言い渡された。
(……反省文って、何を書いたらいいんだろう……)
意気消沈したエレンが、大通りをトボトボと歩いていると――両目をつぶった十歳ぐらいの少女が、前方からゆっくりとこちらへ歩いてくるのが目に入った。
(……あの子、眼が悪いのかな……?)
彼女は左手でプレゼントらしきものを大事そうに抱えながら、右に持った白杖で地面をカンカンと突きながら歩いている。
(ぶつかったら危ないし、ちょっと端の方を歩くか)
エレンがそんなことを考えていると――タイミングの悪いことに、街道沿いの居酒屋から、四人組の男たちが出てきた。
その直後、少女の突いた白杖が、酔っ払いの足に当たってしまう。
「痛ってぇな、お゛い……っ。てめぇ、どこ見て歩いてんだ!?」
「きゃぁ!?」
突然、大きな罵声を浴びせられた彼女は、たたらを踏み――その場で尻餅をつく。
「す、すみません……。私、眼が視えなくて……それで、その……本当にすみません……っ」
うっかり手放しそうになった白杖と大切なプレゼントを抱き締めながら、少女はひたすらに謝罪の言葉を繰り返した。
一方、彼女が盲目であることを知った男たちは、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる。
「あーあ、こりゃ酷ぇや。脚の骨が折れてやがる!」
「こいつは損害賠償ものだなぁ」
「治療費、どんぐらいだ?」
「へへっ、ざっと見積もって三千万はいくんじゃねぇか?」
「さ、三千万って……そんな……っ」
男たちが下卑た笑い声をあげ、少女が絶望に暮れる中――周囲の通行人たちは、それを見て見ぬふり、むしろ足早に過ぎ去っていく。
真っ昼間から酒を貪った挙句、小さな女の子にたかるような性質の悪い連中とは、誰も関わり合いになりたくないのだ。
(……お兄ちゃん……助けて……っ)
少女の目元にじわりと涙が浮かんだそのとき、
「――女の子一人に寄ってたかって、ちょっと悪趣味じゃないですか?」
魔術師エレンが、彼女のもとへ駆け付けた。
「なんだぁ、てめぇ……? このガキの連れか?」
「いえ、別にそういうわけじゃありませんが……。ただ、ちょっとやり過ぎですよ。彼女、ちゃんと謝っているじゃないですか」
「あ゛ーあ゛ー、はいはい……たまにいるんだよなぁ。こういう正義のヒーローぶった『勘違い野郎』が、よッ!」
嘲笑を浮かべた男は、突然、右ストレートを放った。
それは卑怯な不意打ちだったが……。
(……ティッタさんより、遥かに遅いな)
日々の修業で『獣人の速度』に慣れたエレンからすれば、まるで止まっているかのように見えた。
彼は半歩だけ左に身を寄せ、鈍重な一撃を避ける。
「ほぉ。俺の拳を躱すとは、見かけによらず、中々やるじゃねぇか……。でも、これならどうだ?」
次の瞬間、男は「シュシュシュッ」と軽やかに口ずさみながら、右・左・右と交互に白打を繰り出し――エレンはそれを必要最小限の動きで回避した。
「おいおい、ちゃんとよく狙えや!」
「どこ見て拳を振ってんだぁ? なんなら代わってやろうか?」
「うぃー、ひっく……ん゛ー? あの制服、どっかで見たことがあるような……?」
仲間から冷やかしを受けたことで、男のボルテージはどんどん上がっていく。
「このもやし野郎が、ちょこまか避けてんじゃねぇぞ……!」
顔を真っ赤にした彼は、素人めいた大ぶりの上段蹴りを放つ。
エレンは深くしゃがむことで、その一撃を簡単に回避――続けざまに、隙だらけの軸足を軽く払った。
その結果、男はものの見事にひっくり返り、後頭部を地面で強打する。
「あっ、が……ッ。このクソガキ、大人を舐めくさりやがってェ……!」
彼はまさに怒髪天を突く勢いで叫び、懐からダガーナイフを取り出した。
するとその直後――仲間の一人が、泡を食って止めに入った。
「お、おいやめとけ! よく見りゃあの制服、『第三』のものだぞ……っ」
「『だいさん』……? なんだそりゃ!?」
「王立第三魔術学園! 鬼強ぇ魔術師たちの巣窟だよ……ッ。こっちが先に刃物なんか出した日にゃ、正当防衛を口実にして、ぶち殺されちまうぞ!?」
その瞬間、男の顔から一気に血の気が引いた。
「ぇ、あ……マジ、か……?」
「……手帳でも確認しますか?」
エレンはそう言って、懐のポケットから、生徒手帳を取り出す。
そこにはもちろん、王立第三魔術学園の校章が刻まれている。
「へ、へへへ……っ。なんだよ、あんたも人が悪ぃな……。そんなに凄ぇ魔術師なら、先に言ってくれてもいいじゃねぇか……なぁ?」
さっきまでの勢いはどこへやら……。
男はニヘラと微笑みながら、媚びるように手を擦り合わせた。
「と、とにかくあれだ……すまなかったな……っ。ちょっとばかし、悪酔いしちまってたみたいだ。この通り――すまんかった、許してくれ……っ」
彼は地べたに這いつくばり、エレンと少女に深々と頭を下げる。
「はぁ……わかりました。さっきのような悪趣味な真似は、金輪際しないでくださいね? 後それから、誰彼構わず喧嘩を吹っ掛けていたら、いつか本当に危ない目に遭いますよ? このあたりには、血の気の多い魔術師もいるんですから……」
エレンは『とある黒道使い』を頭に浮かべながら、親切な忠告をしてあげた。
「わ、わかった、ちゃんと肝に銘じておく。それじゃ、俺たちは失敬するぜ……っ」
男はそう言うと、逃げるようにして、街の雑踏に消えていった。
無事に酔っ払いを撃退したエレンは、道の端で怯える少女に優しく声を掛ける。
「もう大丈夫だよ。怪我はない?」
「は、はい……危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました」
「偶然通り掛かっただけだから、気にしないでくれ。それよりも、今は一人なの?」
「実は、そうなんです……。普段は一人で出歩かないのですが、今日は『特別な日』なので、こっそりと外出を……」
彼女はそう言いながら、大事そうにプレゼントを抱き締めた。
「なるほど、そうだったのか……。もしあれだったら、家族や知り合いのいるところまで送り届けるよ?」
「えっ? いやでも、さすがにそこまでしていただくわけには……っ」
「こっちのことは気にしないで、ちょうど時間を持て余していたところなんだ。それより……もしかしたらさっきの奴等が、まだどこかで息を潜めているかもしれない。君さえ迷惑じゃなかったら、安全なところまで送らせてくれないか?」
エレンの優しい提案を受け、少女は小さくコクリと頷いた。
「何から何まで、本当にありがとうございます。それじゃお言葉に甘えて、私の家までお願いしてもいいですか?」
「あぁ、もちろん」
その後、二人はお互いに自己紹介を交わした。
少女の名前はシルフィ、十歳。
絹のように艶やかな黒いロングヘア。
身長は百三十センチ、年齢相応の可愛らしい顔をしている。
「へぇ、シルフィにはお兄さんがいるのか」
「はい。私のお兄ちゃん、とっても凄いんですよ? お勉強が得意で、運動神経も抜群で、お料理が上手で、お裁縫やお絵描きも凄くて……それに何より、本当に優しい。寝る前なんかは、いつも本を読んでくれるんです」
「へぇ、いいお兄さんなんだね」
「えへへ。エレンさんとお兄ちゃんは、どことなく雰囲気が似ているので、きっといいお友達になれると思います」
「あはは、それは楽しみだな」
話が一段落したところで、エレンはさっきから気になっていたことを聞いてみることにした。
「ところで、その左手に抱えているの……もしかして、お兄さんへのプレゼント?」
「……お兄ちゃん、いつも私のために頑張ってくれているから、少しでもそのお返しがしたくて……。それで今日は、こっそりとお家を抜け出して来ちゃいました」
「なるほど、そういうことだったのか……。それじゃ早く帰って、お兄さんを安心させてあげないとね」
「はい」
エレンとシルフィがそんな会話をしていると――前方から荒々しい息を吐く男が駆け付け、二人の前でピタリと足を止めた。
「はぁはぁ……っ。シルフィ……お前、一人で勝手に家を出るなって言っただ……ッ!?」
次の瞬間、彼の顔は憎悪に染まっていく。
「ぜ、ゼノさん……!? もしかして……あなたがシルフィのお兄さんなんですか!?」
「エレン……そうか。てめぇが、妹を連れ出したのか……ッ」
大きな勘違いしたゼノが、凄まじい怒気を放つ中、シルフィが「待った」を掛けた。
「お兄ちゃん、違うの! エレンさんはとても優しい人よ! さっきだって、私のことを助けてくれ……た……っ」
直後、彼女は突然その場にうずくまり、苦しそうに胸元を抑えた。
「し、シルフィ!?」
「くそっ、こんなときに発作か……ッ」
ゼノはすぐにシルフィのもとへ駆け寄り、彼女のことを優しくおんぶする。
一方のエレンは、
「――赤道の三・蛍火、白道の二・聖風」
赤道と白道の混合魔術を展開。
温かく柔らかい空気の膜を生み出し、シルフィの全身を優しく包み込んだ。
「てめぇ、何を……!?」
「赤道と白道の形態変化で、保護膜を張りました。この中にいれば、走ったときの衝撃や冷たい風が緩和されます」
「ちっ、相変わらずのやり口だが……よくやった! 薬はこっちだ、付いて来い! そのヘンテコな魔術、死んでも切らすんじゃねぇぞ!?」
「はい!」
ゼノはシルフィをおぶったまま駆け出し、エレンもその後に続いた。
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