第二話:魔術師エレンと使用人
翌朝。
豪奢な一室で目を覚ましたエレンは、顔を洗って歯を磨き――手早く朝支度を済ませた。
(ヘルメスさんの部屋は、確か三階だったよな……?)
昨晩、大聖堂から屋敷へ帰った後、「今日はもう遅いし、今後のことは明日に話そうか。朝起きたら、三階にあるボクの部屋へ来ておくれ」、ヘルメスはそう言って、エレンと別れたのだった。
(よし、行ってみよう)
エレンが部屋から出るとそこには、お世話係のリンが立っていた。
「――エレン様、おはようございます」
「お、おはようございます」
「ヘルメス様がお呼びです。どうぞこちらへ」
そのまましばらく歩くと、ヘルメスの私室に到着。
リンはコホンと咳払いをし、大きな木製の扉をコンコンとノックする。
「――ヘルメス様、エレン様をお連れしました」
「あぁ、ありがとう。入っておくれ」
「失礼します」
リンがゆっくり扉を開けるとそこには、座椅子に腰掛けるヘルメスがいた。
彼はコーヒーカップを片手に揺らしながら、机に広げられた朝刊に目を通している。
「おはよう、エレン。昨夜はよく眠れたかい?」
「はい、ありがとうございます」
「そっか、それはよかった」
柔らかく微笑んだヘルメスは、空になったカップをソーサーの上に置く。
「さて、それじゃ早速だけど、例の話の続きをしようか」
彼は新聞を折り畳み、机の引き出しに直した。
「昨晩、ボクはベッドの中でじっくりと考えたんだ。『最も効率的に魔術を学ぶには、どうすればいいだろうか』ってね。そうして熟考に熟考を重ねた結果、一つの答えに辿り着いた。――ねぇエレン、学校に行ってみるのはどうかな?」
「学校、ですか……?」
「うん。魔術師として成長するには、やっぱり学校に通うのが一番いい。それに何より、君のような若人には、同年代の友達が必要だと思うんだ。時に笑い、時に泣き、時に怒り――お互いに切磋琢磨しながら過ごす、甘くて酸っぱい青い春。嗚呼、懐かしいなぁ……。ボクにもそういう時代があったんだよ? 今頃みんな、どうしているんだろう」
ヘルメスは遠い目をしながら、かつての青春に想いを馳せる。
「っと、少し話が逸れてしまったね。それでどうかな? ボク的には、王立第三魔術学園とかおススメなんだけど」
「お、王立第三魔術学園!?」
グランレイ王国には、五つの王立魔術学園がある。
王立というだけあって、その五学園はいずれも超がつくほどの名門校。
無事に卒業できれば、歴史と伝統ある魔術教会・終身雇用の宮廷術師・金払いのいい大手魔具商店などなど……その進路は無限に広がり、福利厚生の充実した好待遇が約束される。
「『第一』は戦闘に尖り過ぎだし、『第五』はあまりにも研究一辺倒。王立魔術学園の中で、最もバランスの取れているのが『第三』なんだ」
「でも俺、魔術のことは本当に何も知らなくて……」
エレンは五歳まで貴族としての礼儀作法を厳しく躾けられ、その後の十年間は物置小屋に押し込まれていた。
そのため、魔術的な教養はほとんど全くと言っていいほどない。
そんな自分が、王立魔術学園の入学試験を突破できるとは、とても思えなかったのだ。
「それについては大丈夫。王立魔術学園の入学試験は、実技偏重の傾斜配点になっているからね。確か……『実技九割・筆記一割』だったかな? 筆記での足切りもないから、実力のある魔術師は結構簡単に入れるんだよ」
「いえ、その……俺には魔術師としての実力が、全くないんですが……」
「大丈夫大丈夫。エレンには魔術の才能があるし、ボクもできる限りの協力はする。だから、ちょっとだけ頑張ってみないかい?」
ヘルメスの優しくて真っ直ぐな言葉を受け、エレンは前向きな決意を固める。
「……わかりました。あまり自信はありませんが、自分なりに精一杯頑張ってみようと思います」
「よし、決まりだね! それじゃ、入ってきてもらえるかな?」
ヘルメスが手を打ち鳴らすと同時、部屋の扉がキィと開き、新たに二人の使用人が入ってきた。
赤髪と青髪の美少女は、エレンのお世話係であるリンの両隣にスッと立ち並ぶ。
「紹介するね。向かって左からティッタ、リン、シャル。彼女たちがエレンの先生になって、体術・剣術・魔術の指導をしてくれる。第三の入学試験まで後一か月……あんまり時間の余裕もないから、駆け足で行くよ」
「「「エレン様、よろしくお願いします」」」
「え、えっと……よろしくお願いします」
こうしてエレンの魔術師としての修業が始まるのだった。
■
その後、動きやすい服に着替えたエレンは、ティッタという赤髪の使用人に連れられ、屋敷の中庭へ移動する。
「――ごっほん。それでは改めまして……あたしはティッタ・ルールー。エレン様、よろしくお願いするっす!」
「は、はい、よろしくお願いします」
体術の講師を担当するのは、ティッタ・ルールー。
その身に狼の血を宿す『獣人』だ。
肩に掛かる長さの燃えるような赤い髪、身長は百六十五センチ、年齢は十七歳。
頭にぴょこんと生えた犬耳・人懐っこい温かな笑顔・大きくて豊かな胸が特徴の美少女だ。
白と黒の純正メイド服を着用し、深いスリットの入ったロングスカートを穿いている。
「さぁエレン様、『健全な魔力は健全な肉体に』っす! あの太陽に向かって走れー!」
「は、はぃ……っ」
そうして小一時間ほど中庭を走らされた後は、腕立て伏せ・腹筋・スクワットをそれぞれ百回ずつこなしていく。
「――九十八、九十九、ひゃーく! エレン様、お疲れ様っす! ナイスファイトでした!」
「はぁはぁ……っ。や、やっと終わった……」
基礎的な鍛錬が終了したところで、ようやく体術の指導へ移行する。
今回は修業初日ということもあり、白打・蹴撃・受け身――基本技能三種の習得に重点が置かれた。
「いいっすか、エレン様。白打は、右腕をこうやって……こうっす!」
「な、なるほど……?」
「蹴撃で大切なのは、ギューンと腰を捻って、シュバッと足を振ることっすね!」
「『ギューン』とやって『シュバッ』……?」
「受け身のやり方は……んー、そうっすねぇ……。口で説明するのは難しいので、実際に体験してもらいましょう。それじゃいきますよ? そーれっ!」
「え、ちょ……待っ……ぅ、うわぁああああ……!?」
ティッタの指導法は、あまりにも感覚的過ぎた。
それからしばらくして、エレンの体にいくつもの擦り傷と打撲痕が見え始めた頃――。
「いやぁ、お疲れ様でした! ここまでよく頑張ったっすね!」
「は、はぃ……ありがとうございまし――」
「――それじゃ最後に摸擬戦をやりましょう!」
「摸擬戦!?」
まさか初日から実戦形式の修業をするとは予想だにしておらず、思わず聞き返してしまった。
「大丈夫っす。ちゃんと手加減しますから、エレン様が怪我をすることはありませんよ! ……多分」
「た、多分って……っ」
「心配無用っす! この屋敷には優秀な回復術師もいますので、万が一ポッキリとかポロリがあっても、すぐに治してもらえるっす!」
自分の体から、いったい何がポロリすると言うのだろうか……。
あまり余計なことを聞くと、却って怖くなりそうだったので、敢えて聞くような真似はしなかった。
「さぁエレン様、いつでも掛かって来いっす!」
「はぁ……わかりました(ティッタさんは人の話を聞くタイプじゃなさそうだし、やるしかない、よなぁ……)」
そう結論付けたエレンは、静かに呼吸を整え――真っ直ぐ最短距離を駆け抜ける。
「フッ!」
先ほど習った白打と蹴撃を主体に攻めるが……。
「なんのなんの!」
ティッタはそれを容易くいなしつつ、ときたま軽いカウンターを挟んだ。
そうして実戦的な摸擬戦が行われる中、この日初となる、まともなアドバイスが飛び出す。
「エレン様、戦闘中に目をつぶっちゃ駄目っすよ? しっかりと相手の動きを見て、常に次善の手を考えるんす!」
「な、なるほど……」
真面目で素直なエレンは、早速言われたことを実行。
(目を凝らして、相手の動きをよく見る……!)
すると――彼の漆黒の瞳に煌々と紅が宿った。
(……視える)
次の瞬間、ティッタの繰り出した鋭い拳を、エレンは完璧に回避した。
(あれ、急に動きがよくなった……?)
彼女が『違和感』を覚えたそのとき、
「そこだ……!」
エレンの鋭い中段蹴りが、ティッタの意識の間隙に滑り込む。
「……っ(速い!? だけど、これぐらいなら……!)」
ティッタは獣人。その反応速度は、人間のそれを遥かに凌駕する。
「甘いっすよ!」
右腕を素早く引き込むことで、一拍以上も遅れた状態から、完璧に防御してみせた。
しかし、
(う、そっ!? 何これ、重過ぎ!?)
エレンの蹴りには、その小柄な体躯からは、考えられないほどの凄まじい重みが載っていた。
「~~ッ」
骨の軋む音が響き、鈍い痛みが腕を走る。
「こ、の……!」
強烈な痛みに耐えかねたティッタは、反射的に掌底を繰り出してしまい……。
「か、は……っ」
鋭いカウンターをモロに食らったエレンは、床と平行に吹き飛び――屋敷の外壁に全身を打ち付ける。
(し、しまった……ッ)
獣人である彼女の打ち込みは、分厚い鉄板さえも容易く穿つ。
「エレン様、大丈夫っすか!?」
顔を真っ青にしたティッタが、大慌てで駆け寄ると、
「痛っつつつ……」
彼は後頭部をさすりながら、まるで何事もなかったかのように、スッと起き上がった。
「すみません、吹っ飛んじゃいました」
「ふ、吹っ飛んじゃいましたって……」
先の掌底は、確実に病院コース。
最低でも数日は目を覚ますことのないレベルの一撃だった。
(あ、あり得ないっす……)
ティッタは己が失態を恥じると共に、エレンの異常なタフさに絶句する。
「エレン様、その頑丈さは人間の域を――」
そこまで口を開いたところで、彼女はすぐに口を閉ざした。
(っと、危ない危ない。またみんなに怒られるところっした……っ)
いつも細かいミスが多く、同僚からは『駄犬』と揶揄されることの多いティッタだが……。
今回は寸でのところで主人の言い付けを思い出し、喉元まで出掛かっていた禁句を呑み込んだ。
「あ、あんな軽い一撃で飛ぶようじゃ、全然駄目駄目っすね! 一流の魔術師への道のりは、果てしなく遠いっす!」
「はい。まだまだ未熟ですが、毎日コツコツ頑張っていこうと思います。ティッタさん、これからもよろしくお願いしますね」
エレンの純粋さに救われたティッタは、ホッと胸を撫で下ろし――パシンと手を打った。
「それじゃ、今日はここまでにしておきましょう。お疲れさまっした!」
「――ありがとうございました」
体術の修業が終わった後は、軽い昼食を挟み、剣術の修業に移行する。
「僭越ながら、剣術はこの私――リン・ヒメミヤが担当させていただきます」
「よろしくお願いします」
礼儀正しくお辞儀をするリンへ、エレンも同じように頭を下げる。
剣術の講師は、エレンのお世話係でもあるリン・ヒメミヤ。
ポニーテールにした艶やかな長い黒髪、身長は百六十八センチ、年齢は十八歳。
大きな漆黒の瞳・雪のように白い肌・大きくて豊かな胸・スラッと伸びた肢体、可愛いというよりは、美しいという言葉がよく似合う美少女だ。
きっちりとした性格をしており、白と黒の超正統派メイド服を完璧に着こなしている。
「早速ですが、エレン様は剣を握られたことがありますか?」
「いえ、一度もないです」
「かしこまりました。それではまず、剣の持ち方から始めましょう」
リンはそう言って、二本の木刀を床に並べた。
「利き手を前に突き出し、こうして握手をするように柄を迎え、その下に自然な形でもう一方の手を添えます」
「えっと、こう……ですか?」
「はい、とてもお上手です。可能ならば、もう少し右手を上へ、鍔の方へ滑らせて――そう、その位置です」
リンはエレンの背後に立ち、彼を抱きしめるような形で指導する。
「……っ」
背中に柔らかいものが――リンの豊かな胸が押し当てられ、自然と鼓動が速くなった。
「それでは次に、剣術において最も基本的な型である、『正眼の構え』を練習しましょう」
彼女はそう言って、自身のおへその前に木刀を構えた。
「『学ぶ』という言葉の由来は、『真似ぶ』にあると言われております。さぁエレン様、まずは私の構えをよく見て、それを真似てみてください」
「はい」
エレンはコクリと頷き、目の前のお手本を注意深く観察する。
(えーっと……剣先の角度は四十五度、重心の位置は真下で、呼吸はこんな感じかな……?)
剣の持ち方・重心の位置・呼吸のリズム――まるで鏡写しのように、リンの構えを完璧に模倣した。
それを見た彼女は、思わず言葉を失った。
(……信じられません)
堂に入ったその姿は、今日初めて剣を握った初学者とは思えない。
エレンの正眼は、既に完成していたのだ。
「え、えっと……どうでしょうか?」
「……さすがはエレン様、素晴らしい正眼でございます」
「本当ですか? ありがとうございます」
この十年、碌に褒められたことのなかったエレンは、とても嬉しそうに破顔する。
「さて、お次は剣術の基礎となる動きを学んでいきましょうか」
「はい!」
その後、袈裟・真向・一文字と言った基本的な斬撃に始まり、踏み込み・重心移動・運脚のような体捌きを学んでいく。
(……覚えがいい。それに何より、眼がいい)
(リンさんの教え方、本当にわかりやすいなぁ……)
感覚的に過ぎるティッタとは異なり、きちんとした理論に基づいたリンの指導は理解しやすく、エレンはその教えをスポンジのように吸収していった。
「では最後に、我が流派の技をお教えましょう」
「お願いします」
「私の流派は次元流。長い実戦の中で研ぎ澄まされた、最強・最速の剣です。ただ……かつて栄華を極めた次元流も今や風前の灯、この剣を振るえるのは、もはや私のみとなってしまいました」
「リンさんだけ……?」
「はい。次元流を開いたヒメミヤの一族は、とある事情により滅ぼされてしまいました。私は一族最後の生き残り。……この剣はいずれ消えゆく運命にあるのです」
もの悲しそうに訥々と語るリン。
それを見たエレンは、どうにかして彼女の力になりたいと思った。
「……だったら、俺がリンさんの剣を引き継ぎます。そして次元流をもう一度、」
純粋無垢――あまりにも真っ直ぐな言葉を受けたリンは、一瞬呆けたように固まってしまう。
「あ、いえ、その……す、すみません……っ。俺なんかが、出過ぎたことを言ってしまいました」
「いえ、ありがとうございます。エレン様は本当に優しいお方ですね」
その後およそ一時間、エレンはリンの指導の下、次元流の基礎をしっかりと丁寧に学んだ。
「――今日は初日ですので、このあたりにしておきましょうか」
「ありがとうございました」
「はい、とてもよくできました。さすがはエレン様でございます」
優しくギュッと抱き締め、よしよしと頭を撫ぜた。
女の子特有の甘い香りが鼻腔をくすぐり、温かく柔らかい感触が全身を優しく包み込む。
「り、リンさん、近いですよ……っ」
「ふふっ。家族ですから、これぐらいのスキンシップは普通です」
「そ、そういうものなんですか……?」
「そういうものです」
剣術の指導が終わり、ヘルメスや使用人たちと夕食を食べた後は、いよいよ魔術の修業が始まる。
「ふっふっふっ、ようやくこの時が来ましたね……。魔術の講師はこの私――シャル・エインズワースが担当します!」
「よろしくお願いします」
シャル・エインズワース。
両サイドの肩口あたりで纏められた美しい青髪、身長は百五十センチ、年齢は十五歳。
自信に満ちた琥珀の瞳、張りのある柔らかい肌、少し幼さの残る可愛らしい顔立ちの美少女だ。
背丈こそ小さいものの、大きな胸とくびれた腰付きが特徴の魅力的なプロポーションを備えている。
趣味は裁縫。支給されたメイド服を魔女ルックに大改造し、頭からすっぽりと被った大きな魔女帽子は、彼女が夜なべして編んだ手作りだ。
「いいですか、エレン様? 魔術の基本は『六道』の理解にあります。赤道・青道・黄道・緑道・白道・黒道――自身の魔術適性を知り、その道を真っ直ぐ進むことが、魔術を極める最短経路になります」
「なるほど……。ちなみになんですが、六道の中で優劣とかはあるんですか? 例えば○○道が強かったり、××道が弱かったりとか」
「いい質問ですね。その問いに対する答えはずばり――我が『青道』こそが最強であり、他の系統は『糞雑魚ゴミ道』です」
「え、えー……っ」
明らかな偏見を押し付けられたエレンは、曖昧な苦笑いを浮かべる。
「さて、それでは早速、エレン様の魔術適性を調べましょうか」
シャルはそう言うと、戸棚の奥から透明な水晶を取り出し、机の上にそっと置いた。
「この水晶は『魔晶石』と呼ばれる、特殊な魔石から削り出されたもの。魔晶石は周囲の魔力に反応し、様々な変化を示します。この性質を利用することで、魔術師は自身の魔術適性を知ることができるのです」
「なるほど……」
「術師の適性が赤道ならば、魔水晶の内部にちんけな小火が起こり、青道ならばまるで神の零した涙と見紛うばかりの神秘的な雫が生まれ、黄道ならばみすぼらしい静電気が流れ……まぁ『百聞は一見に如かず』ですね。さぁエレン様、魔水晶に両手をかざし、魔力を流してみてください」
「はい、わかりました」
エレンは言われた通り、魔晶石に両手を添え、静かに魔力を込める。
すると次の瞬間、魔晶石の内部に灼熱の業火が渦巻き、
「ほぅほぅ、エレン様の適性は『赤道』のよう――」
しかしその直後、眩い迅雷が駆け抜け、
「あ、あれ……? この反応は『黄道』の――」
そうかと思えば、邪悪な闇が湧きあがる。
「なんと禍々しい……っ。これは間違いなく、『黒道』の――」
それからしばしの間、魔晶石内部の『異常』は留まる試しを知らず、まるで嵐のように目まぐるしく変わり続けた。
「えっと、これは……?」
エレンはコテンと小首を傾げ、シャルの意見を仰ぐ。
「え、エレン様は……白道に適性があるようですね!」
「白道ですか」
「はい、この優柔不断かつ不細工な反応は間違いありません。ちなみに白道は、糞雑魚ゴミ道の一つ。調和を司る、生温くて半端な力となります。……残念でしたね」
「生温くて半端な力……。なるほど、優しくて応用力のある力ということですね!」
ここまでのやり取りから、シャルの取り扱いを理解したエレンは、とても嬉しそうに微笑んだ。
「まぁ、そのような解釈もできなくはないですね。――とにもかくにも、エレン様の魔術適性は、糞雑魚ゴミ道の一つである『白道』。まぁこれは生まれつきのものなので、文句を言っても仕方がありません。そうがっかりしないでください」
シャルはそう言いながら、魔水晶を戸棚の奥へ収納し、コホンと咳払いをする。
「さっ、それでは気を取り直して、青道の授業を始めましょう!」
「はい、お願いしま……えっ?」
「……? どうかしましたか?」
不思議そうにキョトンと小首を傾げるシャルへ、エレンはゆっくりと問い掛ける。
「えっと……俺の適性は白道なんですよね?」
「えぇ、それがどうかしましたか?」
「だとしたら普通、白道から習うのでは……?」
至極真っ当な質問に対し、シャルはやれやれと肩を竦める。
「まったく、これだから素人は……。いいですか、エレン様? 遥か古より、『全ての道は青道に通ず』と言われています。この言葉からもわかるように、魔術師は青道さえ学んでおけばいいんですよ」
「……ちなみにその言葉は、どなたが仰られたんですか?」
「無論、私です」
「あ、あはは……やっぱり……」
予想通りの回答に、エレンは苦笑いを浮かべる。
「とにかく、六道の中で最強の青道を学べば、自ずと他の道の理解も進みます! ぶっちゃけた話、青道以外の魔術を学ぶ価値はないのですよ!」
「わ、わかりました……っ(シャルさんは青道に御執心だし、ここで反発しても、話が進まなさそうだな……)」
そう判断したエレンは、青道を習うことに決めたのだった。
それからおよそ一時間、術式構成・魔力循環・詠唱理論といった、座学を中心とした指導が行われ――いよいよ実践の時を迎える。
「これより、青道における最も初歩的な魔術『青道の一・蒼球』の実技練習を行います。これから私が完璧なお手本を見せるので、エレン様はそれを真似てください」
「わかりました」
エレンがコクリと頷いた後、シャルは静かに目を閉じる。
「白日の冬、悲愁の喜像、篝の秘空を藍で満たせ――青道の一・蒼球」
詠唱が結ばれると同時、彼女の周囲にたくさんの水球が浮かび上がった。
「お、おぉ……!」
「ふっふっふっ。どうですか、美しいでしょう? 綺麗でしょう? これが青道魔術なのです!」
エレンの反応に気をよくしたシャルは、得意気な顔で胸を張る。
「ではエレン様、青道の一・蒼球を発動してみてください」
「はい!」
座学で習った蒼球の術式を構築し、そこへ自身の魔力を流し込む。
そうして発動準備を完了させたエレンは、いよいよ詠唱を開始する。
「白日の冬、悲愁の喜像、篝の秘空を藍で満たせ――青道の一・蒼球」
次の瞬間、彼の周囲に蒼い水の球がふわふわと浮かび上がる。
「うわぁ、凄い……!」
自分の意思で、初めて行使した魔術。
エレンの心の内は、純粋な感動と喜びとでいっぱいになった。
「ほ、ほぉ……。一発で成功させるとは、中々やりますね。……実はどこかで、コソ練していたんじゃないですか?」
「いえ、今回が初めてです」
「ふーん、そうですか……。でも、あまり調子に乗ってはいけませんよ? 青道の真髄は、変幻自在の展開力! すなわち『属性変化』と『形態変化』にあります! これをマスターせずに青道を語るなど、片腹痛いとしか言えません!」
「属性変化と形態変化……こういうのですか?」
エレンは人差し指をサッと走らせ、展開中の術式に軽微な修正を加えた。
すると次の瞬間、周囲に浮かぶ水の球は朱を帯び、赤道属性に変化する。
「こ、これは……属性変化!? しかも、一番難易度の高い対極の属性に……っ」
「なるほど、やっぱりここをいじれば属性が変わるみたいですね。それなら、こっちをいじれば……?」
エレンがさらに別の場所へ手を加えると同時、水の球は四角錐に変形した。
「け、形態変化まで……っ」
魔術師の上級技能、属性変化と形態変化。
エレンはそのやり方を誰に教わるまでもなく、自身の直感だけで容易くやってのけたのだ。
(ずば抜けた魔術センス、常識に囚われない自由な発想……ヘルメス様の言う通り、エレン様には天賦の才能があるようですね。……ちょっと癪ですが、認めるべきところは認めましょう)
シャルは大きく深呼吸をし、コホンと咳払いをする。
「ま、まぁまぁですね! 世紀の大魔術師であるこの私から見れば、ミジンコレベルの青道魔術ですが……。『初学者にしてはよくできた』、と言ってあげてもよいでしょう!」
「本当ですか? ありがとうございます!」
既にシャルの人となりを理解しているエレンは、彼女らしい誉め言葉を素直に受け取った。
「さて、と……今日はこのあたりでお開きにしましょうか。明日は青道魔術の奥深さとその神秘性について、ばっちりみっちりお話しするつもりなので、楽しみにしておいてください」
「はい、わかりました」
こうしてエレンの魔術師修行、その一日目が終わったのだった。
■
深夜遅く――エレンがすやすやと寝静まった頃、ティッタ・リン・シャルの三人は、ヘルメスの執務室を訪れた。
「「「――失礼します」」」
「みんな、今日は御苦労だったね」
ヘルメスは書類仕事の手を止め、使用人たちへ労いの言葉を掛ける。
「早速なんだけど、エレンはどうだった?」
「さすがは史上最悪の魔眼というべきでしょうか。恐るべき才能の持ち主でした」
エレンのお世話係を務めるリンが、全員を代表してそう返事すると、ヘルメスは満足そうに微笑む。
「そうかそうか、それは何よりだ。さて、もう夜も遅いし、サクッと本題に入ろうか。みんな、今日一日修業をやってみて、エレンの異常性には気付いただろう?」
ティッタ・リン・シャルの三人は顔を見合わせ、同時にコクリと頷いた。
「それじゃ、ティッタから聞かせてもらおうかな。体術はどうだった?」
「率直に言えば、『超絶素人』っす。体力・筋力は平均的な人間以下、体捌きに関してもてんでからっきしでした」
「まぁ、彼はずっと物置小屋に閉じ込められていたそうだからね。無理のない話かな」
ティッタの歯に絹を着せぬ物言いに、ヘルメスは苦笑いを浮かべる。
「ただ……」
「ただ?」
「身体能力の『振れ幅』は……異常っす。小さいときは本当に子どもレベルの力なんですが、大きいときは私を超えています」
「へぇ、それは凄いね」
獣人から下された『獣人以上』という評価に、ヘルメスは感嘆の吐息を漏らす。
「ところでティッタ、さっきからずっと気になっていたんだけど……右手、大丈夫?」
「あ、あー……バレちゃいました? 一応、完璧に防御はしていたんすけど、思っていたよりもかなり重く……一撃で砕かれちゃいました」
「ボクが治そうか?」
「いえいえ、こんな些事でヘルメス様の貴重な魔力を無駄にはできません! 骨自体はほとんど再生していますので、心配ご無用っす!」
獣人の回復力は凄まじく、四肢の粉砕骨折程度であれば、一晩ぐっすりと寝れば完治してしまう。
「そっか。もしあれだったら、我慢せずにいつでも声を掛けてね?」
「お気遣い、ありがとうございます」
ティッタの報告が完了したところで、ヘルメスは次へ移る。
「それじゃリン、剣術はどうだった?」
「今日初めて剣を握ったらしく、まだ評価を下す段階にはありません。――しかし、恐るべき洞察力と吸収力を兼ね揃えておられました。私の構えを瞬時に見取り、次元流の型も信じられない速度で習得しております。このまま順調に育てば、いずれは素晴らしい魔剣士になるかと」
「手厳しい君がそんなに褒めるなんて……これはとても期待できそうだね」
ヘルメスは眼を丸くし、満足そうに頷いた。
「最後にシャル、魔術はどうだった?」
「赤道・青道・黄道・緑道・白道・黒道――六道全てに対し、非常に高い適性を持っていました。特に『黒道』適性の高さは……もはや『異常』です」
「なるほどなるほど。ちなみになんだけど……エレンにはちゃんと『白道適性』だって伝えてくれた?」
「はい、全て仰せのままに」
「ありがとう」
それぞれの『エレン評』を聞いたヘルメスは、ゆっくりと立ち上がり、部屋の窓から真紅の月を眺める。
「――眼よりも先に手が肥えることはない。エレンはこの世界で一番、学ぶことの上手な魔術師と言えるだろう」
ヘルメスの喜色に満ちた声が、執務室に響きわたる。
「とにかく、彼を伸び伸びと成長させるんだ! 『常識』・『普通』・『一般』――そんな馬鹿馬鹿しい固定観念を間引き、くだらない柵を断ち切り、つまらない足枷を取り去る! ティッタ・リン・シャル、あの子が自由な学びをできるよう、明日からもよろしく頼むよ!」
「「「はい、かしこまりました」」」
三人は深く頭を下げ、静かに執務室を後にした。
「……嗚呼、楽しみだなぁ……。エレン、君はいったいどんな世界を魅せてくれるんだぃ?」
※とても大事なお願い!
この話を読んで少しでも
『面白いかも!』
『続きを読みたい!』
と思われた方は、下のポイント評価から評価をお願いします!
今後も『毎日更新』を続ける『大きな励み』になりますので、どうか何卒お願いします……っ。
↓広告の下あたりにポイント評価欄があります!