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第一話:魔眼


 エレン・フィールは、『魔王の寵愛』と呼ばれる呪いを受け、『史上最悪の魔眼』を持って生まれた。


 エレンが初めてその魔眼を発現させたのは、彼がまだ五歳の頃だ。

 生家(せいか)の近くにある森で、弟と妹と一緒に遊んでいたとき、突如出現した巨大な魔獣に襲われてしまい……。

 長兄であるエレンは、幼い二人を守ろうと必死にもがいた末、魔眼を覚醒。わけもわからずに行使した魔術は、襲い掛かる魔獣だけでなく、森を丸ごと(・・・・・)殺してしまった(・・・・・・・)


 その日の深夜遅く、エレンの両親は屋敷の居間で激しい口論を交わす。


「あんな恐ろしい子ども、今すぐ殺してしまいましょう!」


「まぁ落ち着け。アレ(・・)は、魔王の寵愛を受けているんだぞ? そんなことをすれば、どんな災いがあるかわかったものじゃない……」


「それなら魔術教会に連絡して、引き取ってもらうのはどうかしら!?」


「馬鹿を言うな。史上最悪の魔眼を持った忌子(いみご)が、うちから生まれたなどと世間様に知られれば……これまで築き上げてきたフィール家の栄誉が、地の底に落ちてしまうじゃないか」


「だったら、どうすればいいのよ……ッ」


「それはお前……うちで面倒を見るしかないだろう。幸いにも、魔眼持ちの寿命は短い。死ぬまで物置小屋に閉じ込め、あの子の存在をなかったことにしよう」


 ヒステリックに泣き叫ぶ母とそれを静かに(なだ)める父。


 幼いエレンは、そんな二人を見て理解した。


 自分はいらない人間なのだ、と。


 その後、エレンは魔術から遠ざけられ、魔眼を表に出すことを固く禁じられた。

 そして「弟と妹に悪影響があってはいけないから」と、狭く暗い物置小屋に押し込まれてしまう。

 食事と呼べるものは朝に一度のみ、それも乾いたパンとコップ一杯の水だけだ。


 孤独で退屈な毎日を送る中、


「……あっ、綺麗な鳥だなぁ」


 小屋にある十センチ四方の小さなのぞき窓、そこから見えるほんの僅かな外の世界が、エレンに許された唯一の楽しみだった。


 それから十年、人並みの愛情も注がれず、最低限の教育も受けられず、飼い殺しにされた彼は――只々(ただただ)無気力。

 生きる目的のない、人形のような少年に育った。


「…………」


 かつての綺麗な白髪は見る影もなく、漆黒の瞳は(くら)く淀んでいる。

 このまま緩やかに死んでいくと思われたエレンだが……ある日、彼にとって転機となる出来事が起こる。


 それはシンシンと雪の降る、月の綺麗な夜のこと――。


 とある高名な魔術師が、フィール家の屋敷に招かれた。

 彼の名はヘルメス、超名門魔術家系の十八代目当主であり、五爵の最高位『公爵』の地位をいただく大貴族だ。

 長く(つや)やかな緑色の髪、身長はおよそ百九十センチ、外見年齢は三十代前半であろうか。

 切れ長の眼・高く通った鼻・柔らかい口元。その整った顔立ちは、白塗りのクラウンメイクの上からでも、気品のある凛々しさを感じさせる。

 黒い豪奢(ごうしゃ)なローブを(まと)った彼が、送迎の馬車からゆっくり降りると――エレンの両親が大慌てでそこへ駆け付けた。


「ヘルメス(きょう)、ようこそおいでくださいました!」


「本来ならば、こちらからお伺いすべきところなのに……大変申し訳ございません」


「いえいえ、お気になさらずに。名門フィール家の御子息・御令嬢に、魔術を教えられるまたとない機会。一人の教育者として、とても光栄に思っております」


 ヘルメスはそう言って、柔和な笑みを浮かべる。

 彼は今日、エレンの弟と妹に魔術の講義を施すため、遠路はるばる足を運んで来たのだ。


「ヘルメス卿、ここにいては雪で濡れてしまいます。どうぞ、中へお入りください!」


「ささっ、こちらへ!」


「ありがとうございます」


 感謝の言葉を述べたヘルメスは、屋敷に踏み入る直前――エレンの住む物置小屋に目を向ける。

 のぞき窓越しにぶつかる視線と視線。

 両者の距離は十メートル以上も離れており、窓のサイズは僅か十センチ四方。さらに付け加えるならば、既に陽が落ちて久しく、周囲は夜闇に包まれている。


 常識的に考えれば、互いが互いを認識している可能性はゼロに等しいのだが……。


 ヘルメスは柔らかく微笑み、空中に聖文字(せいもじ)を記した。

 夜闇にポゥッと浮かび上がるそれは、時間にしてコンマ数秒で消えてしまう。


 しかし、


(『一時間後、こっそり屋上においで』……?)


 史上最悪の魔眼は、秘密のメッセージをしっかりと捉えていた。


(……そんなこと言われても、俺はここから出られないんだ)


 エレンの眼前にそびえ立つのは、厳重に施錠された鉄壁の扉。

 外界への道を閉ざす、唯一にして絶対の壁だ。


「…………はぁ」


 彼は深いため息をこぼし、額をゴツンと扉にぶつけた。


 すると次の瞬間、


「……え?」


 扉はゆっくりと奥へ倒れていき、視界一面に外の世界が広がる。


「ど、どうして……?」


 エレンが恐る恐る物置小屋から出ると――いったいどういうわけか、全ての鍵が破壊されていた。


(もしかして、さっきの人が……?)


 どれだけ考えても、これという答えは出ない。


(……行ってみよう)


 一時間後、屋敷の屋上に足を運ぶとそこには、先ほどの男が――ヘルメスが立っていた。


「やぁ、いらっしゃい。やっぱり君、ボクの魔術が見えているんだね」


「魔術って、あの光る文字のことですか?」


「そうそう。さっきのは、隠匿術式を施した聖文字。あの一瞬であれを判読できるのは、聖文字に特化した専門家か、とびきり探知力に優れた術師か、それとも……魔王の寵愛を(・・・・・・)受けた(・・・)魔眼の持ち主(・・・・・・)とか?」


 全てを見透かしたような言葉と視線。

 エレンはコクリと頷き、自身の左目に魔力を集中させた。

 すると――深い漆黒の瞳に、煌々(こうこう)とした緋色が灯る。


「……素晴らしい」


 ヘルメスの口から(こぼ)れたのは、万感の思いの込められた呟き。


「曇りのない漆黒に緋色(ひいろ)輪廻(りんね)……。嗚呼(ああ)、これまでいろいろな魔眼を見てきたけど、こんなに美しい瞳を見たのは初めてだ」


「あ、あの……この魔眼のこと、本当にご存じですか?」


 左の眼窩(がんか)に収まるこの忌物(いぶつ)は、史上最悪の魔眼と呼ばれ、決して褒められるような代物ではない。


「あぁ、もちろん知っているとも。世界で最も忌み嫌われている眼だね」


 男は平然とそう答えた後、スッと右手を差し出す。


「――ねぇ、うちに来ないかい?」


「え?」


「ボクはこう見えて、慈善家というやつでね。ちょっと訳ありの子を育てたり、魔術の素養のある子を導いたり、恵まれない子を集めたり、他にも野生動物の保護・自然環境の保全・魔術教育の普及などなど、いろいろな社会貢献活動をしているんだ。もしも君さえよければ、うちで一緒に暮らさないかい?」


 ヘルメスからの提案は、非常に魅力的なものだった。


「……ありがとうございます。ただ、父さんと母さんが許してくれないと思うので……」


 エレンの両親は、彼を外に出すことを嫌っている。

 ヘルメスのもとで暮らしますと言ったところで、「はい、そうですか」と返ってくるわけがない。


 それに何より、お腹を痛めて生んでくれた恩、ここまで丈夫に育ててくれた恩――両親への大恩を返さぬまま、別の人のもとへ行くのは、とても不義理なことに思えたのだ。

 たとえ今は酷い扱いを受けていたとしても、いつかきっと昔のように、優しかった父と母に戻ってくれるはず。 


 純粋なエレンが、そんなことを考えていると、


「あぁ、それについては問題ないよ。二人の許可は、もう取ってあるからね」


 ヘルメスはそう言って、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。


「これはボクと君の両親が交わした魂の誓約書、ここに記された誓いを破れば、契約神ラクトゥスによって魂を壊されてしまう。まぁ簡単に言えば、絶対に破れない約束だね。内容は……見てもらった方が早いかな」


 エレンは魂の誓約書を受け取り、その内容に目を通していく。

 そこに記されていたのは、フィール家が長子エレン・フィールの親権を、ヘルメスへ無償譲渡するというものだった。


「…………そっか、そうだったんだ」


 両親はもう、エレンのことを子どもだとは思っていなかった。


 もちろん、彼とて馬鹿ではない。


 そんなことは、とっくの昔にわかっていた。

 だけど、理解したくなかった。

 心のどこかで、父と母のことを信じていた。


 しかしそれは、ただの幻想に過ぎなかった。


「っとまぁこういうわけで、エレンを縛るものは何もない。そこでさっきの質問に戻るわけだけど……。もしも君さえよければ、うちで一緒に暮らさないかい?」


「……はい、よろしくお願いします」


 孤独な物置小屋から出られる喜び。

 実の両親に捨てられたという悲しみ。


 その二つがせめぎ合い、幼いエレンの心はぐちゃぐちゃだった。



 豪奢(ごうしゃ)な馬車に揺られることしばし、まるで城のように巨大な屋敷に到着した。


「さっ、こっちだよ。足元に気を付けてね」


 ヘルメスに手を引かれながら、エレンはゆっくりと馬車を降りる。

 手入れの行き届いた庭を抜け、黒塗りの大きな扉を開けると――玄関口に整列した使用人たちが、一斉に腰を折って頭を下げた。


「「「――おかえりなさいませ、ヘルメス様」」」


「うん、ただいま」


 ぱたぱたと手を振り、使用人たちの挨拶に応えるヘルメス。

 とびきり上機嫌な彼は、鼻歌交じりにエレンの手を引いてホールの中央へ移動し――バッと大きく両腕を広げた。


「みんな、聞いておくれ! 今日はとても素晴らしい一日だよ! なんとうちに、新しい家族を迎えることになったんだ! この子の名前は、エレン・ヘルメス! 魔王の寵愛を授かり、史上最悪の魔眼を宿した少年だ!」


「え、えっと……よろしく、お願いします」


 いきなり自身の秘密を暴露されたうえ、大勢の注目を浴びたエレンは、わけもわからないままにペコリと頭を下げる。


 一方、途轍(とてつ)もない自己紹介を受けた使用人たちは、


「「「……っ」」」


 まるで雷に打たれたかのように固まっていた。


(……やっぱり、これ(・・)が普通だよな)


 魔眼は嫌悪の対象であり、決して受容されるものではない。

 使用人のこの反応こそ正しく、ヘルメスが異常なのだ。


 エレンが深く気落ちする中、黒髪の使用人が恐る恐る口を開く。


「あ、あの……ヘルメス様? 私の聞き間違いでなければ、今エレン・ヘルメス(・・・・)(おっしゃ)いませんでしたか?」


「あぁ、何度でも言おう。この子は、エレン・ヘルメス。ボクらの新しい家族だ!」


 刹那の沈黙の後、歓喜の大爆発が巻き起こる。


「ぃやったー! ヘルメス様、ついにお世継ぎを見つけられたんっすね!」


「こうしてはいられません。すぐに歓待(かんたい)の準備を……!」


「ま、まさかこんな日が来るなんて……本当におめでたいですね……!」


 使用人たちが狂喜乱舞する一方、


「……え?」


 事情を知らないエレンは、ただただ呆然としていた。


「ふふっ、驚いたかい? ここにいるみんなは、エレンと同じようにいろいろと訳アリでね。彼女たちにとっては、史上最悪の魔眼も『個性』の一つなんだよ」


 ヘルメスは優しく微笑んだ後、大騒ぎする使用人たちへ目を向ける。


「はいはい、みんなストップストップ。嬉しい気持ちはわかるけど、ちょっと落ち着いておくれ。ここにいるエレンは、魔眼持ちということもあって、これまでいろいろと苦労してきたんだ。今日はとても疲れているだろうから、歓迎会はまた別の日にしよう」


「「「承知しました」」」


 使用人たちの切り替えは素早く、一瞬で仕事モードの顔となる。


「それじゃ、当面のエレンのお世話は……リン、お願いできるかな?」


「もちろんでございます」


 ヘルメスの視線を受けた使用人――リンという名の黒髪の美少女は、(うやうや)しく頭を下げる。


「ボクは残った仕事を終わらせてくるから、その間にエレンの身だしなみを整えてあげてちょうだい」


「かしこまりました」


「ありがとう。――それじゃエレン、また後でね」


 ヘルメスは器用に片目でウインクをし、軽やかな足取りで階段を登っていった。


「エレン様、まずは大浴場へご案内いたします。どうぞこちらへ」


「えっ、あ、はい」


 リンの案内を受けて大浴場へ移動したエレンは、頭と体を綺麗に洗い、温かいお湯で筋肉をほぐす。

 ほどほどに時間が経過したところで脱衣所に戻ると、自分の脱いだボロボロの服がなくなっており、その代わりに男ものの衣服が置かれてあった。


(……これを着ろってことなのかな?)


 湯冷めしてはいけないので、体の水気をサッとタオルで拭き取り、用意された服に袖を通す。


 そうして脱衣所から出るとそこには、エレンを待つリンの姿があった。


「さっぱりとなされましたね。それでは、こちらへどうぞ」


 次に案内されたのは、大きな姿見の置かれた一室だ。


「髪の毛が少々傷んでおられるようなので、散髪をさせていただければと思います。エレン様、お好みのスタイルや長さなどはございますか?」


「いえ、特にありません。だいたいで結構です」


「かしこまりました。それでは、絶対に動かないでくださいね?」


「……? はい、わかりました」


 エレンが頷くと同時、リンはメイド服の下に収めていた剣を抜いた。


 刹那(せつな)


「――フッ!」


 凄まじい剣閃(けんせん)が頭上を吹き荒れ、白い頭髪がハラハラと舞い落ちる。


「……っ」


 あまりにも斬新なカット法に息を呑んでいると、


「後ろはこのようになっております。……いかがでしょうか?」


 バックミラーを持ったリンが、後頭部を写しながら問い掛ける。

 伸び切ってボサボサだった髪は今や昔の話、鏡に映るエレンは清潔感のある今風のミドルヘアになっていた。


「あ、ありがとうございます……っ」


「ふふっ、どういたしまして」


 そんな会話を交わしていると、部屋の外からハンドベルの音が聞こえてきた。


「どうやら、御夕飯の支度が整ったようですね。メインホールへ案内いたします」


「はい、お願いします」


 二人がメインホールへ移動すると、


「――おぉエレン、さっぱりしたじゃないか! ちょっと見ないうちに、とてもかっこよくなったね!」


 既に食卓に着いていたヘルメスはそう言って、自身の右隣の椅子をスッと引いた。


「あ、ありがとうございます」


 エレンはお礼を言いながら、静かにそこへ腰を下ろす。


(……それにしても、凄い部屋だな)


 名画の雰囲気を(かも)す絵画・爛々(らんらん)と輝く豪奢なシャンデリア・意匠の凝った(おごそ)かな燭台(しょくだい)などなど、メインホールに飾られているのは、素人目にわかるほど高級なものばかり。

 大きな食卓にズラリと並ぶのは、霜降りのお肉に艶のいい野菜に新鮮な魚介(ぎょかい)、自然の恵みを前面に押し出した、とても美味しそうな料理の数々。


 しかし、エレンを最も驚かせたのは、高級な調度品でもなければ、豪華な料理でもない。

 眼前に広がる、この異様な光景だ(・・・・・・・・)


(どうして使用人の人たちが、同じ食卓についているんだろう……?)


 彼の生まれ育ったフィール家は、五爵(ごしゃく)の最下位『男爵』の称号をいただく貴族だ。

 自身も五歳までは貴族教育を受けていたため、上流階級の礼儀作法は知っている。


 その知識から言って――貴族とその使用人が、同じ食卓を囲むことは絶対にない。


「あの……ヘルメス様?」


「ヘルメスでいいよ。堅苦しいのは、あまり好きじゃないからね」


「えっと、それじゃ……ヘルメスさん、ここでの食事はいつもこう(・・)なんですか?」


「ん……? あぁ、そういうことか」


 質問の意図を理解したヘルメスは、両手を広げて柔らかく微笑む。


「ボクらはみんな、『家族』だからね。ごはんのときは、こうして一緒に食卓を囲むんだ」


「……家族……」


 その言葉は、傷付いたエレンの心に深く沁み込んだ。


「さて、みんな席に着いたね? それじゃ、手を合わせて――」


 ヘルメスが音頭(おんど)を取り、


「「「――いただきます」」」


 使用人たちがそれに応じる。


「うめぇええええっす! シィちゃんの料理は、やっぱり最高っすね!」


「お野菜……苦手です」


「こーら! 好き嫌いせず、ちゃんと食べなさい!」


「あら、その髪留め可愛いわね。どこで買ったのかしら?」


「ふふっ、お洒落でしょ? 教会近くの雑貨屋さんに売っていたの」


 ヘルメス家の夕食は、とても自由で開放的なものだった。

 そこに形式張った作法や堅苦しい空気はなく、みんなが純粋に食事を楽しんでいる。


「エレン、ちゃんと食べているかい?」


「ぁ、はい、ありがとうございます」


 ヘルメスの心遣いに、エレンがお礼を述べると、


「――ヘルメス様、隙ありぃ!」


 赤髪の使用人が、ヘルメスの皿から大きな海老を奪い取った。


「ちょっとティッタ、それボクの大好物だよ!?」


「しししっ! 早いもの勝ちっす!」


 そんな二人のやり取りに、エレンは思わずクスリと笑ってしまう。


 すると――それを見たヘルメスは、今日一番の優しい笑みを浮かべる。


「あはは、やっと笑ってくれたね」


「えっ、あの……すみません」


「謝る必要はないさ。見ての通り、うちはちょっと賑やかだからね。ゆっくりとエレンのリズムで慣らしていくといい」


「…………はい、ありがとうございます」


 十年ぶりに掛けられた、思いやりのある優しい言葉。

 エレンの枯れた瞳から、一筋の涙が流れた。


「あーっ!? ヘルメス様が、エレン様を泣かせてるっす!」


「ヘルメス様……これはいったいどういうことですか?」


「大変ゆゆしき事態ですね。使用人一同、詳細な説明を求めます」


「い、いやいやいや、ボクは何も悪いことをしてないよ!? ほら、エレンもなんとか言っておくれ!」


 楽しく温かく幸せな時間が流れる中――突然、屋敷の扉が「ドンドンドンッ」と荒々しく叩かれた。


「っと、こんな夜遅くに誰だろう?」


 ヘルメスが首を傾げると同時、リンが音もなくスッと立ち上がる。


「ここは私が――」


「――いや、ボクが出よう。万が一、ということもあるからね」


 ヘルメスはそう言って、スタスタと玄関口へ向かい、その後を大勢の使用人たちが付き従う。所在なく一人ポツンと取り残されたエレンも、そそくさとそれに続く。


「はいはい。どなたですか……っと」


 ヘルメスが玄関の扉を開けるとそこには――黒い外套(がいとう)に身を包んだ少女が立っていた。


「ヘルメス卿、夜分遅くに失礼いたします。私は魔術教会より派遣されました、D級魔術師カーラ・フェルメールです」


 カーラは深々と頭を下げ、教会所属であることを示す銀時計を提示した。

 特別な魔術刻印の打たれたそれは、魔術師が身分を証明する際に用いるものである。


「おやおや、魔術教会の方がこんな時間にどうしたのかな?」


「ヘルメス卿の力をお借りしたく、訪問させていただきました。緊急を要する事態です。どうか大聖堂へいらしてください」


「大聖堂にぃ? どうして?」


「一分一秒を争う状況なので、詳しい事情は現地でお話しさせていただければ幸いです」


「はぁ……。教会には『招集権』があるし、行かざるを得ないねぇ」


「御協力、感謝いたします」


 ヘルメスは魔術教会の一員であり、その招集には可能な限り応じなければならない。


「っと、そうだ。ねぇエレン、いい機会だから、君も一緒に来てくれないかな?」


「えっ……はい、わかりました」


 何が「いい機会」なのかわからなかったけれど、断る理由もなかったので、エレンはコクリと頷くのだった。



 外行きの服に着替えたヘルメスとエレンは、魔術教会のカーラが用意した魔具<異空鏡(いくうきょう)>に入り、街の中央部に位置する大聖堂前へ転移する。


「――どうぞ、こちらです」


 カーラが聖堂の扉を開けるとそこには、大勢の魔術師たちが床に寝かされていた。


「はぁはぁ……っ」


「う、うぅ……」


「ぁ、ぐ……ッ」


 荒々しく肩で息をする者、沈痛な(うめ)き声をあげる者、苦しそうに胸を抑える者――彼らは全員、瀕死の重傷を負っている。


「……っ」


 悲惨な光景を前に、エレンはゴクリと唾を呑んだ。


「おやおや、これはまた随分と酷いねぇ。いったい何があったんだい?」


 ヘルメスの問いに対し、カーラは苦々しい顔で返事をする。


「とある任務中、敵の魔術師から未知の攻撃を受けてしまい……この有様です」


「『とある任務』、ねぇ……。腕利きの術師をこんなにたくさん引き連れて、どこへ行こうとしていたのかなぁ?」


「……極秘作戦につき、詳細は伏せさせてください」


「あはは、君たちは本当に秘密が好きだねぇ」


 ヘルメスは肩を竦めながら、倒れ伏した男性魔術師のもとへ進み、その紺碧(こんぺき)の瞳を鋭く尖らせる。


「この特徴的な術式構成は……『呪い』だね。被呪者の魔力をウイルスに変換し、体細胞を壊死(ころ)させているようだ」


「はい。教会の回復術師では解呪することはできず、このままだと後一時間もしないうちに――」


「――全員死ぬだろうね」


「……仰る通りです」


 重苦しい空気が流れる中、ヘルメスはキラキラと目を輝かせる。


「いやぁしかし、この呪いは本当によくできているね! 対象人数・持続時間・殺傷性、どれを取っても申し分ない!」


「へ、ヘルメス卿! いくらなんでも不謹慎で――」


「――ただ、こんなに強力な呪いを使える術師を、ボクは一人しか知らないなぁ。ねぇこれ、再三にわたる忠告を無視して、『メギドの冥穴(めいけつ)』へ行ったんじゃないの?」


「……っ」


 カーラは下唇を噛み、視線を逸らした。

 教会の上層部から口止めされているため、(つい)ぞ口を割ることはなかったが……。

 その苦々しい表情が、何よりの答えだった。


「ヘルメス卿、伏してお願いいたします。どうか彼らをお助けください」


「うーん、正直いろいろと思うところはあるんだけれど……。まず第一にどうしてボクなのかな? この手のことは、レメの方が向いていると思うよ?」


 追憶の魔女レメ・グリステン。

 回復や解呪の類は、彼女の得意とするところだ。


「実は、現在レメ様と連絡が取れない状況でして……」


「なるほど、それでこっちにお鉢が回ってきたというわけか」


「……申し訳ございません」 


 ヘルメスはため息をついた後、顎に人差し指を添えながら考え込む。


「まぁ教会に貸しを作るのも悪くないし、今回は助けてあげるよ」


「あ、ありがとうございま――」


「――でもまぁ、今から大急ぎで準備を始めたとして、助けられるのは五人ってところかな」


「たったの五人ですか……!?」


 カーラは思わず、聞き返してしまった。

 この場に倒れ伏す魔術師は優に百人を越えており、その中から五人だけというのは、(いささ)か以上に少なく思えたのだ。


「『たったの五人』って言うけど、これでもけっこう大変なんだよ? 正しい手順を踏まない解呪は、本当にただの力業(ちからわざ)だからね」


 正しく解呪を為すには、『呪いの本体である根本術式の特定』→『それに適合した相殺術式の生成』という手順を踏む必要があり、この作業には膨大な時間を要する。

 僅か一時間でこれを実行するのは、たとえヘルメス級の大魔術師と(いえど)も、決して容易なことではなかった。


「そ、それは承知しております。ただ五人というのは、あまりにも……っ」


「せめて後三時間あれば、ちゃんとした解呪をしてみせるんだけど……。そんなにまったりしていたら、みんな死んじゃうだろうからね」


「……っ」


 三時間――その時間を耳にしたカーラは、キュッと下唇を噛み締める。


(最初からヘルメス卿を頼っていれば、みんな救えたじゃない……っ)


 魔術教会の上層部は、ヘルメスに借りを作るのを嫌がり、膝元(ひざもと)の術師で解呪を試みた。

 しかし、結果は大失敗。

 相殺術式の生成はおろか、根本術式の特定にさえ至らず、悪戯(いたずら)に時間を浪費しただけだった。


 このままでは百人もの魔術師を失い、教会の維持運営に支障をきたす。

 これほど追い詰められてようやく、ヘルメスに助力を()おうという運びになったのだ。


 上層部のあまりに遅過ぎる判断に対し、カーラが強い苛立ちを覚えていると、


「それじゃボクは解呪の準備に入るから、その間に『命の選別』をしておいてね」


 ヘルメスは軽い調子でそう言い、クルリと(きびす)を返した。


「――さてエレン、ボクはこれから崩珠(ほうじゅ)という魔術を行使する。君にはそれを、その眼でよく視ていてほしいんだ」


 ヘルメスはそう言いながら、凄まじい速度で術式を構築していく。


 そんな中、エレンは純粋な質問を口にした。


「あの……ヘルメスさん。この呪いって、そんなに恐ろしい魔術なんですか?」


「うん。この術式を組んだのは、メギドという邪悪な魔術師でね。ボクの――いや、今はそんなことどうでもいいか。それよりもエレン、君の眼にはこの呪いがどう映っているんだい? もしよかったら、教えてくれないかな」


「そう、ですね……」


 エレンはジッと目を凝らし、被呪者(ひじゅしゃ)の体を注意深く観察する。


「なんと言うか……蛇のような黒いモヤモヤが、ゆっくりと体を締め上げているように見えます」


「へぇ、蛇ね……(実に興味深い。展開中の術式をそこまではっきりと視覚化できるのか)」


 ヘルメスが目を丸くする中、エレンは言葉を続ける。


「とても強い魔力の籠った魔術なんですけど、一か所だけ変なところがあるような……」


「『変なところ』……? それはどこかな?」


「えっと、ちょうどこのあたりです」


 エレンは恐る恐る右手を伸ばし、蛇のうなじにそっと触れる。

 すると次の瞬間、蛇の体はビクンと跳ね、光る粒子となって消滅した。


 それと同時、


「う゛……っ。ぁ、あれ……。俺は確か……?」


 さっきまで苦しそうに(うめ)き声をあげていた魔術師が、まるで何事もなかったかのようにスッと上体を起こした。


「これは、『術式破却』……!」


 魔術の根源を為す術式、その原則は等価交換。

 魔術が強力であればあるほど、術式は煩雑化していき、構造的な矛盾を(はら)みやすい。

 術式破却は、術式の矛盾箇所に衝撃を加えることで、術式効果を破却するというものである。


(魔術の教養がない十五歳の少年が、無意識のうちにあの(・・)メギドの術式を破却した……っ。嗚呼、やっぱり君は凄いよ。ボクの眼に狂いはなかった……!)


 ヘルメスが至極の感動に打ち震えていると、


「き、君……今、何をやったの!?」


 目の色を変えたカーラが、大慌てでやってきた。


「えっ、あの……すみません……っ」


 これまでずっと酷い扱いを受けていたエレンは、咄嗟に謝る癖がついていた。


「大丈夫だよ、エレン。この人は怒っているわけじゃない。君が今何をしたのか、知りたがっているんだ。もしよかったら、わかりやすく教えてあげてくれないかな?」


「は、はい、わかりました」


 エレンはコクリと頷き、ゆっくりと説明を始める。


「えっと……。この黒い蛇のうなじのあたりが――」


「……『黒い蛇』?」


「エレン、君の視覚イメージを伝えるよりも、術式の第何節に矛盾があるのか、それを教えてあげた方がわかりやすいと思うよ」


「す、すみません。えーっと……第二万三千八百五十一節、ここがちょっとおかしく見えます」


 彼の説明は非常に曖昧なものだったが……。


「……た、確かに……!」


 カーラは厳しい修練を積んできたD級魔術師。

 術式の矛盾箇所さえ教えてもらえれば、(おの)ずから答えを導き出せる。


「へ、ヘルメス卿! この方法ならば……!」


「うん、ここにいる全員を治し切れるだろうねぇ。ただ、もうちょっとばかし人手が欲しいかな?」


「……!」


 ヘルメスから太鼓判と助言をもらったカーラは、大聖堂の中央部へ走り出し、連絡用の魔道具『水晶』を起動する。


「大聖堂より、教会本部へ緊急連絡! 呪いの解呪方法が判明しました! ……えぇ、はい! ヘルメス卿のお弟子さんが、術式の矛盾を発見したんです! とにかく、時間がありません! 大至急、応援を送ってください!」


 応援要請を終えたカーラは、休む間もなく、ヘルメスのもとへ戻った。


「ヘルメス卿、ちょっとこの少年をお借りしてもよろしいですか!?」


「それはボクじゃなくて、エレン本人に聞いておくれ」


 するとカーラは、すぐにエレンへ向き直る。


「エレンくん……いえ、魔術師エレン殿。『魔術の秘匿は術師の基本』――それは百も承知の上で、お願いいたします。どうか貴方の叡智(えいち)をお授けください……!」


「は、はい……っ」


 凄まじい熱意と迫力に押されたエレンは、コクコクと何度も頷いた。


 数分後、魔術教会から派遣された大勢の術師が大聖堂に到着。


 エレンは彼らに、呪いの構造的矛盾を簡単に説明する。


「な、なるほど……っ。確かにここを()けば、術式破却が成立する……!」


「しかし、全五万節で構成される術式のほんのわずかな構成破綻を看破するとは……さすがはヘルメス卿のお弟子さんだ」


 応援に駆け付けた魔術師たちは、感心しきった様子で膝を打つ。


 その後、迅速な治療が施された結果、一人の死者を出すこともなく、無事全員の解呪が完了した。


「はぁはぁ……。た、助かった……っ」


「……ありがとうな、坊主。お前のおかげで、なんとか命拾いできたぜ」


 呪いの苦しみから解放された魔術師たちは、口々に感謝の言葉を述べる。


「い、いえ、俺は当然のことをしただけですから……っ」


 この十年間、(ろく)に感謝されたことのなかったエレンは、どう返答すればいいのかわからず、ただただ謙遜しっぱなしだった。


 それからしばらくして――。


「ふぅ……」


 エレンがようやく一息ついたところへ、温かいココアを手にしたヘルメスがやってきた。


「お疲れ様、大活躍だったね」


「あ、ありがとうございます」


 湯立つカップを受け取り、お礼を言うエレン。


「ほら、見てごらん。ここにいる大勢の人たちはみんな、君が救ったんだよ」


「俺が……」


「エレンには魔術の才能がある。それを活かすも殺すも、全ては君次第だ。史上最悪と呼ばれたその魔眼は、史上最高の天眼(てんがん)になれるかもしれない」


 天眼。それは千年前に大魔王を打ち滅ぼしたとされる、伝説の大魔術師が宿す至高の瞳である。


「その全てを見通す神の如き眼があれば、エレンはきっと誰よりも『魔の深淵』に迫れる。そうすれば、もっとたくさんの人を助けてあげられる、君の周りは幸せでいっぱいになる。――どうだいエレン、ボクと一緒に魔術を極めてみないか?」


 ヘルメスは真剣な表情で、スッと右手を差し出した。


(魔術を……極める……)


 エレンはもう一度、ゆっくりと大聖堂を見回す。


 先ほどまで苦痛に満ちていた大聖堂が、今では幸せで満たされている。

 もしも自分が魔術を極めることで、多くの人たちを助けてあげられるのならば、この世界に幸せを作ることができるのならば――それはとても素晴らしいことに思えた。


「――はい、よろしくお願いします」


 生きる目的を得たエレンは、ヘルメスと固い握手を交わす。


 こうして魔術師エレンの新たな人生が始まるのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 15歳まで魔術から遠ざけられてきたのに「第二万三千八百五十一節」と言う言葉は何処から出てきたんだろうか
[一言] (*ゝω・*)つ★★★★★
[良い点] 伝説の始まり、か [一言] 15歳で幼いんですかね
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