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たとえその先が地獄でも  作者: 陽陰響
一章:押し付けられた茨の道
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6. 故に彼女は問いかける

すみません、長いです。

 数秒間完全に思考が止まった。


 なぜそのように形容したのか自分でも分からないが、自然とそう思ってしまった。

 油の切れたブリキ人形のようにぎこちなく動き始めた思考は、ゆっくりと現状の把握に努める。

 巨大なベッドは当然縦にも大きいため、その人物が居るであろう枕元は近づくまで見えていなかった。近づいても意識は手元に集中していた。

 人の気配なんて分かる訳もなく、元より廃墟に人が居るという可能性を排除していたため全く警戒していなかった。

 気づけたのは、唐突に膨れ上がった存在感とでも言おうか。得体の知れない感覚によって視線が吸い寄せられたからだった。 


「あなた、何か用?」

 本から目を離さないままに女性がその喉を震わせた。

 一切抑揚の無い口調は、欠片程の興味も持っていないことをありありと伝えてくる。

 困惑した様子はなく、嫌悪や忌避、疑問もなければ警戒もない。いっそ機械音声とでも言われた方がしっくりくるほどの無感情。なぜ質問をしたのかと逆に問いたいほどに淡泊な声だ。

 それでいながら、その声音は何故かいつまでも耳に残り続け、時間を忘れていつまでも聴いていたくなるような美しさを誇っていた。


 鈴を転がすようなとはよく言ったもので、澄み切った湖面のような静謐さと上品さ、そして仄かな愛嬌を感じさせる音色は、どんな楽器にも奏でられない最上級の音楽だった。無感情な口調がひどく勿体ないと思えた。

 そういえば日本語じゃないのに意味が理解できたと気づいたのは、たっぷり十秒以上は呆けた後だった。


「やはり伝わらないのかしら」

 俺が呆けてしまい反応を返せなかったせいでそんな言葉が続いてしまった。言葉だけで捉えるなら何かしら感情が混ざっても良さそうなものだが皆無。機会音声でももう少し感情っぽさを掴めるだろう。

 相変わらず本に向いたままでどんな表情をしているのかは分からないが、声と同じく無感情であろうことは分かる。

 それよりも何か答えた方がいいだろうと声を出そうとして、はてと困った。

(日本語は伝わるのか?)


 目の前の女性は日本語ではない言語で話しかけてきている。それを何故俺が理解できるのかは一旦考えないとして、会話するにしても日本語は通じないものと考えた方が良い。だからと言って英語で言えばよいものでもないだろう。ではどうやって意思疎通を図ればよいのか。

 しかし頭の中であれこれを言葉を思い浮かべていると、天啓を受けたように意識が切り替わる。

 悩んだのは一瞬だった。悩む必要すらなかった。導かれるまま、考えることなくそれを口にする。

「すみません。人が居るとは思いませんでした」

 謝意を伝えるため一緒に頭を下げるが、その裏で俺は自分で自分に驚愕していた。


 今まで聞いたこともない言語を当たり前のように口にした自分が信じられない。習った覚えもない言葉を流暢に発している自分の声が、自分のものではないようにすら思えた。

 その瞬間、前方で布が擦れる音が聞こえた。風で揺れたカーテンが擦れたのだろうか。

 声を掛けてきた主は様子を見るつもりなのか動く気配はない。それは非常に助かる。

 今は深いことを考えず、対話を優先させる。人質を取った犯人を説得する刑事のつもりで言葉を探す。もちろん人質は俺自身である。


 不法侵入だと言われればその通りなので、下手に刺激せず正直に話せる部分は正直に話す。邪な気持ちで訪れたのではないと伝えたかった。

「用があった訳じゃないんです。気が付いたら近くに居て、他に行く当てがなかったので探索していました」

「その割にはまっすぐここに来たようだけど?」

 行動が知られていることに驚く。監視カメラのようなものがあって、俺の行動が全て筒抜けになっていたのだろうか。


「偶然です。自然と足が向いただけです」

「そう」

 追及しておきながらも興味のない頷き。

 嘘ではないが、相手からすれば嘘か本当かは問題ではないのかもしれない。俺の答えがどうであれ、彼女の応えは決まっているから素っ気ないのかもしれない。

 それは不味い。このまま何もせずにいれば、いつどうなるかは想像もできない。


 何かないかと必死に考えを巡らせる。時間稼ぎでもなんでもいいから、兎に角間を繋がなければならない。

 苦肉の策として、もう一度この城を訪れた経緯を話すことにした。

 神隠しによってこの世界に召喚された点は流石に支離滅裂だと思われかねないので、いきなり拉致されて知らない場所に連れて行かされたのだと細部を変えた。

 拉致され連れていかれた場所で何かを鑑定され、不要と判断されてここに捨てられた。他に行く当てもなく、目の前に城があったので入った。城内に入ってから気になる場所に向かいここに辿り着いたのだという部分は、機嫌を伺いながら説明した。


 一度も本から目を離すことなく、されど遮ることもなく、彼女は黙って話を聞いていた。

 話し終えたても「そう」と、やはり関心の薄い反応が返ってくる。その対応に焦りのような気持ちを抱く。弁明を聞いては見たが、聞くだけ無駄だったと判断されてしまっただろうか。

 心情はかなり逼迫(ひっぱく)し、何か言わなければと思うも言葉がまとまらない。


 パタン、と女性が本を閉じた。

 ぴくっと肩を跳ね上げ、視界の先の女性を注視した。一挙手一投足に目を凝らし、何をするのかと警戒する。

 ゆったりとした余裕ある態度で、彼女はベッドの上で立ち上がった。

「あなた、随分としっかり喋れるのね」


 ようやく見せた変化は、どこか困惑したような、少なからず関心を持ったような声音だ。

 俺は質問の意味がよく分からず、答えに詰まる。立ち上がった彼女の姿を注視すれば、右足が前に進み出た。思わず唾を飲み込む。

 彼女は柔らかいベッドの上でもブレることなく着実に歩み寄り、その姿を影から現した。

 その容貌が明らかとなった時、息を飲んだ。


 すごい。そんな感想が真っ先に出てきて、そうじゃないだろうと自分に呆れた。

 下から見上げる形で伺う女性は、直視するのに勇気が必要だった。

 人の顔はここまで均整がとれるものなのかと驚愕した。一瞬作り物めいた、という言葉が思い浮かぶが、そうではないと目の前の存在が主張している。生きた存在なのだ強烈に印象付けられる。

 光を放っているかの如き銀髪は、歩くたびにさらさらと揺らめいている。天蓋の影の中でさえ光を放ち輝いているような煌きを携えている。


 肩に触れる程度の長さは、それでも顔に掛かると煩わしいのか面倒そうに手で払いのける。その仕種に心臓の鼓動が一度跳ねる。咄嗟に顔を背けようとしたが、どこか冷めた瞳が逃げることを許さないかのように俺の瞳を鷲掴み、惹きつけ捉えて離さない。

 長い睫毛に縁どられた金色の瞳に見据えられ、蛇に睨まれた蛙のような錯覚を覚える。

 形の良い鼻梁。その下で引き結ばれた桃色の唇は、艶やかさに溢れている。


 自分と同年代位にも見えるが、どこか浮世離れしたようか雰囲気を纏った少女だった。

 少女がベッドの上を歩くたび、押し出されるように一歩下がった。やがて彼女は音もなく床に降りると、ベッドの縁に腰を下ろした。


「何を呆けているのかしら」

 じっと見つめ続けていたからだろう。一瞬眉をひめそ壁を作るように本で口元を隠した。

「あ、えっと、凄い綺麗だなって」

 言い訳するように口走って、自分は何を言っているんだと気づいて恥ずかしくなった。

 頬が熱くなるのを止められず逃げ出したくなるが、身体は動きそうになかった。そんなことを言うつもりは全くなかったのに、考える前に声に出していた。


 自己嫌悪しつつ彼女を伺うと、これと言って反応らしい反応を示すことなく短く「そう」と答えるだけだった。変らず平坦な声色は、今の自分にとっては返って救いだった。

 不審者に思われても仕方ない発言で、機嫌を損ねられる恐れすらあった。内心どう思っているかは兎も角、表面上は機嫌を損ねられていないのは、彼女の懐の深さ故だろう。


 そこでお互い無言になる。直接目を合わせることなく、けれど様子を見続けている。

 視線を固めず忙しなく泳がせながら、視界に入る情報を纏めていく。

 彼女はノースリーブの白いワンピースに身を包んでいる。見える肌は新雪のように白く、しかし生命を感じさせる潤いに満ちている。

 決して不健康には見えないが腕も足も細くスラっとしており、迂闊に触さってはいけないものように思い込ませる。


 ワンピースは腰周りできゅっと絞られており、くびれたシルエットを見せつけてくる。彼女が()すことによって刻まれたシーツの皺ですら、今は直視できそうにない。

 視線を逃がして上に昇れば自己主張する膨らみを捉え、慌ててさらに目線を上げる。


 彼女と視線が交錯する。

 正面から見ていた彼女は、文字通り全身を観察するような視線に気づいているはず。言及されたら反論の余地なく諸手を上げて全面降伏せざるを得ない。それで許されるなら儲けものと言える。

 結局視線をどこに向ければ良いのか分からず、結ぶ勇気もなく、額の当たりを彷徨わせるのが精一杯だった。


 沈黙が続く。

 お互いの息遣いまで伝わるような静寂。咎められもせずにただ時間だけが経過する。居心地の悪すぎる空気を打破したくて言葉を探すが、熱でうなされた時のように思考が働かない。


 けれどそれは唐突に破られた。

「まぁいいわ。少しお話をしましょう」

「お話、ですか」

「ええ」

 何を考えているのか、何かを企んでいるのか、どちらも読み解けない。けれどその誘いを断る理由はない。少しでも生存の糸口を掴めるのなら、甘言だろうと踏み込まなくてはならない。


 溜めた息を短く吐き出し、心の平穏を意識する。駆け引きとまでは言わないまでも、ここからのやりとりは気の抜けるものではないだろう。考えるべきことがはっきりしたからか、思考がいつものように回り始める。

 俺の準備には特に気にした様子はなく、彼女は口火を切った。

「ここを訪れた人族には二種類居る」


 それは自分のような来訪者が他に居たという事実。彼女は、俺がどちらの人間かを見極めようとしているのだろう。

 以前にも訪れた人が居るというのは、考えれば確かにそうだろうなと納得できることだ。神隠しが人為的なものであり、当たり外れがあることはこの身を以て理解している。先に召喚された人たちの中に、俺と同じくハズレと判断されてしまった人がいることは間違いないだろう。

 もう片方の人種がどういった人たちかは可能性として二つ思い浮かんだ。どちらの可能性が高いか考えてようとした矢先、答え合わせが行われた。


「一つは盗賊」

 浮かんだ可能性の一つで間違いなかった。もう一つの可能性は神隠しに関係なく盗賊でもない、いわば観光客のような存在。この城の立地や、手入れのされていない中庭を思い出せば、こちらの可能性が低いのは当然だろう。


 最初に用があるか問われたのは、俺が盗賊であるかどうかの確認のため。本当に盗賊なら馬鹿正直に答えるとは思えないが、それでも答えの反応を見れば何かしら情報が引き出せると思ったのだろう。

 自分の家に知らない人間が入ってきたら誰だって盗みを疑う。それは非常によく分かるので、今すぐにでも土下座して謝罪したいくらいだった。

 誤解していないことを主張するために頭を下げようとするが、行動に移す前に冷たい視線を受けて身体が硬直した。こちらが動くのを察知したようなタイミングの良さで、俺の行動を制する。俺が盗賊ではないと分かってくれているようではあるが、不用意な行動は許さないという意思を宿した眼差しだ。


「わざわざこんな場所にまで来れるなら、真っ当に仕事をすればそれなりの生活はできるでしょうに」

 冷たい視線を外した彼女は、蔑むような呆れるような調子でそんなことを言う。俺に聞かせるというよりも、自然と口を突いて出た感想のようだった。

 自分が最初に居た場所を思い返す。あのような崖の上にそう簡単に辿り着けないのは考えた通り。

 あの場所以外にもこの場所へと続く道は当然あるだろう。ただそれは、この城に住まう者だけが知り得る道であり、部外者はどうやっても険しい断崖絶壁を登ることを強いられる。

 だとするなら、確かにこの場所に来れる人物というのは限られる。


「二つ目は、ここに送られた人」

 相変わらず感情の読めない目線だが、俺に向ける視線はほんの僅かに憂うような色を含んでいるように見えた。なぜ、と思っている内にその色も消える。

「困ったことに、生け贄として送られてくるの。あなたのように」

 なんでもないような軽々しさは、意味合いに齟齬があるのではないかと疑いたくなる。

 こちらを見つめる眼差しに刺すような冷たさはなくなっていた。


「生け贄、ですか」

「そう」

 しかし確認さえあっさり肯定されてしまえば、取り違えようもなかった。

 神隠しも生け贄という意味があった。まさか一日に二回も生け贄にされるなんて思いもしなかったと、どうでもいい考えが過る。


 厄介払い。姥捨て山かと自分で言った言葉ではあるが、改めて他者に言われると中々に重苦しい気持ちにさせられる。泣きたいとまではいかないまでも、込み上げてくる淀んだ気持ちは誤魔化せない。

 勝手に拉致され、使えないと分かるや邪魔だからと捨てる。我が身のことながら酷い話だ。

 目まぐるしい状況の変化に心が追い付いていなかっただけで傷は知らぬ間に、時間とともに水底の泥のように蓄積されていく。それは毒とも呼べるもので、着実に精神を蝕んでいた。

 自分の存在に露ほどの価値も見出されていない。それは16年の人生の中で初めて受けた扱い。

 全てを否定されたような衝撃に、膝が屈しそうになる。胃の中に鉛を詰めたような重さと気持ち悪さに顔が歪む。


 ぐるぐると同じ場所を回りそうになる思考を遮るためか、気づけば声を出していた。

「なんで、どうして、そんなことを」

 質問の意図すらなかった呟きを、彼女は拾った。

「詳しくは知らないのだけど、王国と契約を交わしたそうよ」

「契約……」

「そう。生け贄を捧げる代わりに王国へは手を出さない、というものよ。昔のバカな人たちが勝手に交わした契約」

 次第にはっきりと迷惑そうな表情を浮かべた。はっきりと、心底から毛嫌いしていること分かる強い拒絶の空気を持っていた。


 視線はどこか遠い場所に向けている。彼女の説明にあった王国の方向でも向いているのだろうか。

(王国、か)

 その王国とやらが、神隠しを実行し俺と佳吾を拉致した連中で間違いないだろう。明確な根拠はないが、確信に近い思いがある。

「ただあなたの話を聞く限りでは、供物という意味合いは既になくなって建前に使われているみたいね」

 彼女の中での認識と事実に乖離があり、それが気に入らないのか膝の上に置いた本を指でこつこつと叩いている。

 実際問題として、呼び寄せた異世界人からのハズレを廃棄するのにこれより適した理由もそうはないだろう。沸々と怒りが沸いてくる。


「契約の解消はできないんですか?」

 可能性は極めて低いだろうが、選択肢さえ存在しないのかと疑問を投げる。王国への憤懣(ふんまん)であり、顔に出るほど嫌悪しているのなら悩みの種を摘んでしまえばと思い口にしたが、自分でもその答えは分かっていた。


「無理ね。理由は色々あるけど、まず相手と接触することができないから」

 案の定あっさり否定が返ってくる。理由まで説明する気はないようで、むすっと不機嫌さを隠さないままに口を閉ざしてしまう。

 王国としても、都合の良い状態を解消しようとは思わないだろう。それも一つの理由だろう。

 だからこそ変えたくともどうしようもない現状に辟易し、鬱憤(うっぷん)だけが膨らんでいく。どこかで発散させないといけないだろうと考えるが、しかし直後に彼女は纏っていた空気を霧散させた。

 信号が赤から青に変わるような切り替わりに、思わず目を見開いく。

 ただこの話題はそれで終わりと告げているようで、俺としても考えたい話題ではなかったので考えを捨てる。それよりももう一つ、より気になっていた事を訊く。


「その人たちは……どうしているんですか?」

 先の嫌悪感剥き出しの姿を思い出せば、文字通り贄となっているとは思えない。そうでないのなら、末路がどうであるのかは気にならないはずがない。

「見つけられる範囲で、きちんと弔っているわ」

「え?」

 予想外の答えに思わず驚嘆の声が漏れる。


 彼女の答えはつまり、この城に辿り着いた者が還らぬ者になっていることを示している。時限爆弾のようなものを知らぬ間に抱えさせられているのだろうかという想像が身体を駆け巡る。

 命の尊さを噛み締め敬意や尊重さえ込められた声を聞けば、質の悪い冗談だとか考える余地すらない。自然、自分の未来を想像してしまう。どう足掻いてもその結末にしかならないのかと、やるせない思いが胸中を支配する。


 彼女は彼女で以前に行った時のことを思い出しているのか俯いている。拳が握られ不愉快な記憶に蓋をしている。

 顔を上げれば、物憂げな顔を覗かせた。今この瞬間この状況も、彼女の表情に繋がっているのだ。

 しかし一つ気づく。彼女の瞳には、砂漠の中から一粒の金を見つけたような希望が垣間見えた。

 理由は分からないので、一先ず先送りして別の疑問を尋ねる。

「どれくらいの頻度で来るんですか? その人たちは」

 せめてここに送られる人が少なくあってほしい。そうでなければ浮かばれない。


「以前は十年に一度くらいね。最近は少し頻度が増えたように思うわ」

 ただ、と続く。

「ここまで来れるのはほんの一握りよ」

 それはどういう意味か。飛ばされた場所から城までは一直線なので、そこで迷うことはないはずだ。であるなら城内で迷うかどうかだが、それほど複雑な構造なのだろうか。少なくとも自分が辿ってきたルートではそのようには思えない。


 俺が選ばなかった場所は建物として機能しておらず階下に落下して動けなくなってしまうとか、先に下まで辿り着けて外に出てしまったとか、そのような理由だろうか。

 そう考えて首を傾げたのだが、予想外の回答が返ってきた。

「殆どは崖から落ちてしまうの」

「――」


 単純な回答だった。聞き間違いかと思いたかったが、何度思い出してもその線は否定されない。同時に自分の思い違いでもあると悟った。

 彼女の口にした「ここまで来れる」という言葉はこの部屋に辿り着ける、という意味ではなくこの城に辿り着ける、という意味だった。


 最初自分が飛ばされた場所を思い出す。周囲に柵なんてない断崖絶壁の上。

 直前に居た部屋でもし場所が悪ければ移動直後に落下していたかもしれないと考えが及ぶ。自分にも起こり得る問題だったのだと今更ながらに気づかされる。


 移動直後に支えがないのはもはや避けようがないが、運良く地を踏めた者が少なかったとも思えない。部屋の壁に寄りかかっていた俺が無事だったのだから、位置がランダムで変化するということでもない限りは少なくとも半数以上は無事だったはず。

 飛ばされた直後に動き回るなんて奇行にでも走らなければ、あそこで落ちることはないのではという疑問が残る。


 俺の疑問を知ってか知らずか、彼女は俺の仮定を裏付けるように説明を続けた。

「運よく落ちずにこの城まで進めても、正常な判断能力は残っていない。だから彷徨い歩き、やがて力尽きるの」

「それは、どういう意味ですか?」

 信じられないという勢いに任せ、遮るように疑問を挟む。

「どういう意味、とは?」

 彼女は遮られたことを気にした様子はなく、ただ不思議そうに問い返す。


「正常な判断能力が残っていないというのは、意識が朦朧としている、という意味ですか?」

 だとするなら、崖の上に移動させられふらふらと動いてしまい、そして崖の下に、なんて事態は想像に難くない。

 俺の確認に、彼女はすぐに答えず考えるように本を口元に寄せた。

「朦朧と……確かにそれもあるわね」

 目を伏せた彼女は、含みのある言い方で肯定した。

 心のどこかで否定を欲していた俺は、二の句が継げずにいた。


「ここに送られる人間は、元々この世界に生きる人間ではない」

「――」

 自分のように神隠しにあった人間、なのだろう。どうやってそれを判断しているかは、おそらく身体的な特徴の違いなどであろう。

「その人たちの共通点は、決まって精神が壊れていた。辛うじて酷い状態ではなくとも、この世界では普通に生きることのできない者たち」


 目が合った。じっと、自分の中を探られるように見つめられる。

「この世界には、別の世界から移ってきた人たちが極僅かに存在する。私たちはそれを《世界渡り》と呼んでいる」

 彼女が言うには、自然現象として発生することはほぼないという。彼女自身が確認できたこともなく、残された記録からそういう現象が発生しているらしいと知られているだけなのだそうだ。ただ、明らかにこの世界にない知識を持った人物が現れたという記録が残っており、その知識を元に作られたであろう物も存在する。


 記録は古く限られた者にしか閲覧できないものであるそうで、知る者は決して多くないという。頻度を考えても、天文学的な確率でしか発生しないのだろう。

 そんな前置きを語り、「だけど」と続いた。

「あの国は意図的に世界渡りを起こしている。あなたのように」

 神隠しによって召喚されたことは告げていないはずだが、目の前の彼女の瞳が確信を持って俺を見据えている。心当たりがあったのだろう。


「どうして別の世界から来たって分かったんですか?」

「別にあなたの考えを読めるわけではないわ」

 狙っているのか天然なのか、見透かした台詞で否定する。思わず乾いた笑いが出そうになるのを我慢し、彼女の説明を聴く。


 彼女は俺が異世界人であることを確信してはいなかった。十中八九そうだろうとは思っていても確信できるほどではなかったらしい。では何を根拠に判断したか。

 もちろん身体的な特徴が大きな要素ではあったそうだが、それよりも重要視している事項があった。


 彼女は世界渡りを経験した人がどのような影響を受けるのかを知っていた。その結果、人がどのような状態になるのかも。これまでここに供物として飛ばされてきた人たちはその状態になっていたので、これが有力な判断基準になっていた。

 ところが俺の状態はこれまでの人とは違っていたためこの判断基準が適用できなかった。それでもほぼ確信しているのは、俺の乖離した状態が返って別の可能性を高めたからという。


「その世界渡りで、どんな影響が発生するんですか?」

 彼女が確信している通り、俺はその世界渡りを体験している。その影響は既に受けている。

 今は自覚がないだけで、何かしら変化が起こっているかもしれない。

 目に見えない、自分でさえ感じ取れない変化が生じているかもしれないと思うと身体が震える。

 知りたくない気もするが知りたい気持ちが上回り、覚悟を持って耳を傾ける。


 彼女は一瞬何かを考え、俺と彼女の手元に交互に視線を送る。

「世界渡りを経験した人間は、この世界で殆どの人が持つ特殊な力を得て、そうでない場合は――精神が壊れる」

 一瞬言葉の意味が分からなかった。そして意味が浸透した頃には衝撃だった。

 体験したからこそ背筋が凍る。同時に納得もした。

 神隠しの際に頭の中に直接書き込まれるような感覚があったのは、力の獲得が行われていたからなのだろう。そうであれば、世界渡りの影響で悪い結果が出た訳ではないだろう。少なくとも精神が破綻しているという自覚はないし、精神に異常をきたしていれば今のような思考を行うことすらできないだろう。そして彼女がなぜ俺が異世界人であると確信を得られなかったのかの理由を理解した。


「供物に捧げられるのは力の獲得に失敗したと判断された人、ということですか?」

 促すように首肯する。

「力の獲得に失敗した場合は精神が壊れてしまうが、壊れなかった者がいた、ということですか」

「そう」

 最初のような無関心ではない視線が向けられる。

 絵を描いて意図した箇所と違う部分が注目されたような、なぜだかそんな気分だった。


「ここに訪れたのに正常な意識を持っているのは、力の獲得に成功している証だと思うわ」

 それが彼女が俺が世界渡りを経験した異世界人だと判断した理由だという。だというのに、やはりどこか自信がないように見えるのは、何かが引っかかっているからなのだろう。


 自分の左手を見る。特に変わった様子はない。握ったり開いたりを繰り返してみるが、当然特殊なことは何も起こらない。

 自分に特殊な力が、という感覚は全くない。佳吾から借りた本や本人の話の中でしか見ないようなものなど、簡単に飲み込めるものではない。


 不意に、神隠し直後の光景と言葉が蘇る。ローブ姿の三人の内一人が「――ハズレだ」と言った。その後俺と佳吾は扱いが分かれた。

 何を判断基準に当たり外れを決めていたのかずっと気にはなっていた。

 その答えが、力の獲得の有無で間違いないだろう。自分は捨てられた人間だ。それは能力の獲得に失敗したと判断されたから。それを判断したのが、黒いローブを来た老人だったのだろう。


 つまり世界渡りの際に自分は確かに力を獲得した。だがそれは見抜かれなかった、ということだ。

「なんで気づかれなかったんでしょうか」

 力を獲得できているのであれば、ハズレであると判断されない。だが事実としては俺はハズレであると判断された。まかさ判定に失敗した、とも思えない。佳吾は正しく判定されていたようだから、俺の判定にも間違いはないだろう。


 彼女はすぐには答えず、再び考え込むようにこちらを見てから口を開いた。

「力は獲得できなかったけど異常は現れなかった。という可能性はある」

 それを彼女自身が信じてい居ないのは、確認するまでもない。

「反対に、力を獲得できても精神状態が平穏を保てない場合もあるけどね」

「それは……」

 これまでの話を聞けば、精神状態が正常に保たれる可能性が低いと示唆していた。俺たちを召喚したあの連中は、それほどまでにリスクのある行為を平気な顔で行っていたというのか。


「あなたの中には、確かに力は存在する。けれど、完全に覚醒しているわけでもないみたい。だから気づかれなかったのだと思う」

「あなたは、分かるんですか?」

「感じるだけよ。ここまで曖昧なものは初めてだけど」

 曖昧だが確実に存在する。それだけは疑う余地のない真実なのだと、彼女の目が告げている。ただ感覚的な判断材料であるため、確信の根拠にはできなかったのだろう。


 なぜ曖昧なのかについては、想像と言うか推測はできた。尤もそれはこのような能力であれば、という前提条件が必要だが。自分で考えてもそんなことがあるだろうかと疑いたくなる。

 どれくらい苦労するかは知りたいとは思わないが、異世界から人間を召喚するのが簡単な訳がない。


 大それたことをしておきながら、それでも使えないと判断するや躊躇いなく切り捨てるのは、それだけ判定に絶対の自信を持っているはず。

 あの黒ローブの老人がどんな手段で力の獲得の成功失敗を判断していたのかは不明だが、それも彼女の言う力なのだろう。だとしたら、そんなに簡単に欺けるとは思えない。看破する力さえ欺けるというのであれば可能かもしれないが、イタチごっこが始まるだけだ。


 結果として俺は無事に居られるのだからそれで良いのかもしれないが、どうにもすっきりしない。

 それとは別に気になるのは、やはりその目的だ。

 わざわざ異世界から召喚するくらいだ。この世界の人間には持ち合わせていない何かを求めているのだろう。そのキーワードこそが彼女の話す『力』なのだろう。


 だが彼女は『この世界で殆どの人が持つ特殊な力』と口にした。それは異世界人だけが獲得する力でないことを示し、黒ローブの老人の判断方法であると推測させる根拠であった。

 となると、残る可能性などそう多くない。そこにあるのは、力の多寡だ。


「なんでそこまでして力が欲しいんだ」

 それは意図せず漏れた独り言。

 理解できない思惑は、納得したくない、信じたくない思想だから。

「力の強い者は重宝されるから、どこも欲しがっているようね」

 呟き程度の声でも聞こえていたようで、彼女は答えをくれる。素っ気無いように聞こえるのは、この話題に対する関心が低いからか。それとも。


「力の強い者が多ければ、それだけ戦いは有利になる。数の差を覆す個の力を持つ者がいれば、それだけね」

「そんなに争いがあるんですか」

「どこもかしこも戦いばかりね」

 哀れみさえ感じる声音は、彼女がそれを忌避していることを明白に示していた。

 彼女に何があったのかは分からないが、決して良くないことがあったのだろう。


「生き残るには、勝ち取るしかない。負けた者に選択肢はないのよ」

 自嘲気味に発せられた言葉は、知らない世界の言葉であるように聞こえた。

 地球の、それも日本に居た頃には出てこない意見だろう。競争がない訳ではない、それが致命的な分岐点になるという事態はそうそう起こらない。


 彼女は疑問を抱いていない。つまりそれが、この世界の常識なのだ。

 弱肉強食。勝者が権利を獲得し、敗者は奪われる。分かりやすい構造だ。

 だからこそ強者を抱えることはより多くの権利を獲得するために必要な手段となる。その一つの方法が、異世界人の召喚。なぜなら、異世界の人間は優れた力を持つ可能性が高いから。


 力とは何も戦う力だけとは限らないが、それが一番分かりやすい力であることもまた事実。

 だからこそ、使えない力を抱える余裕などあるわけがなく、不要なものは切り捨てる。

 そこまで考えた瞬間を見計らったのか、彼女は仕切り直すように口を開いた。


「だからこそ、私はあなたに問いたい」

 まっすぐに向けられた視線は、他の何よりも一つの答えを求めているように見えた。


「あなたは、これからどうしたい?」

 唐突とも言えるその問いが、除夜の鐘の如く何度も頭の中で響き渡った。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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