1. 転機の名は神隠し
初投稿です。
拙い文章ではありますが、よろしくお願いします。
「やはり異世界ハーレムは男の夢だな!」
隣を歩く佳吾がいきなり高らかに宣言した。
いくらか声は抑えられてはいるものの、静かな道路にはよく通る。知らない人の振りをしようかと、頭の片隅で本気で考慮する。周囲には俺たちの他に人影がなかったため、距離を少しだけ離すに留めた。
今はバス停でバスを待っている最中でもあるため、結局逃れられはしないのだが。
せめてもの仕返しに、お前は何を言っているんだと胡乱な眼差しを向けるが、全く意に介した様子がない。佳吾の反応はいつものことなので溜息を一緒に顔の力を抜いた。
普段のように今日学校であったことについて取り留めもなく話していたはずだった。クラスが同じであるため、共感できる情報の共有だ。日課とさえ呼べるやりとりは、もう少し生産性のある話題を口にする。今日も今日とてそうなるはずだった。
だが右隣に立つこの男は不定期に、突発的に意味の分からないことを宣い出す。今日はその日のようだ。尤も会話は一旦幕を下ろし次の話題を模索していた最中だったため、佳吾からすれば丁度良い機会だったのだろう。小学生のようなわくわく感を顔中に張り付けた様子から、昼間も胸中で温めていたに違いない。授業を真面目に聞けと言ってやりたい気分だ。
「新しいのを読んだのか?」
こうなっては満足いくまで話をさせた方が結果的に早く終わるのは過去の経験から分かっている。なのでスムーズに話が進むように合の手を入れる。
それに、俺も別に嫌いだとか苦手だとは思っていないのだ。この手の話題を語る時の佳吾がただちょっとかなり面倒だなぁなんて感想が出たり出なかったりする程度だ。
佳吾も俺の対応には慣れたもので、小憎たらしい程爽やかな笑顔で「おう」と頷く。
佳吾はアニメや漫画、小説を好んでおり、中でもファンタジーもの、最近では特に異世界転生や転移ものを好んでいる。その手の本を読んでは感想やら妄想をよく語ってくる。俺もたびたび本を借りたりオススメの作品に目を通したりはしているので全く付いていけない話ではない。佳吾ほど積極的に探していないだけで、そういった話は嫌いではない。
佳吾は最近読んだ作品の中に琴線に触れるものがあったようで、嬉々とした表情を浮かべている。
早く語りたいと、餌を前に「待て」をされた犬のような顔だ。誰も待てなんて言っていないのに、律儀にこちらの反応を伺っている。そんな顔を見ると、文句を言う気も失せるというものだ。
感想を語りたい、共有したいという気持ちは理解できるので好きに語らせる。時には俺の意見や感想も求められるが、そういった場合に俺は素直な感想を返している。佳吾の意見に同意できるかどうかは別なのだ。それはそれ、これはこれ、である。
佳吾が語り始める直前に、通学に用いている中型バスがバス停に止まる。元々利用率が低く、今も乗客は3人だけ。俺たち2人を飲み込んだバスは、エンジン音を響かせて走りだした。
いつものように最後部座席に並んで腰を落とし、待ってましたとばかりに佳吾が語り出す。
「エルフのお姉さんとかケモミミっ娘とかメイドさんとか王女さまとか、見目麗しい美少女たちに囲まれる生活とか憧れる」
世迷言を喚いても周囲に気を配って声量は抑えている。
盲目的でありながら周囲への配慮も欠かさない佳吾の態度は関心すらする。
などと一瞬現実逃避したが、現実を直視して、それでも勝手に溜息が漏れる。
「節操ないな」
昔から恐れを知らない奴だと思っているが、しれっと王女さまとか妄想でもよくそんなことが言えたものだと関心する。もっと物申したい気持ちもあるが、佳吾の感想であり妄想なので野暮な指摘はしない。
「だって折角の異世界だぜ? 日本みたいに一夫一妻とは限らない。だったら沢山の女の子に好かれたいと思うのは自然じゃないか! 男なら一度は憧れるだろ?」
「多夫一妻だったらどうする?」
「そんな夢のない話をするな! 野郎が多くて何が楽しいんだ!」
「ふむ」
佳吾が時々使う言葉を借りれば、全員嫁。一夫多妻である。
佳吾が言ったように女の子に囲まれるという状況に憧れが全くないかと問われれば、少し間をおいてから否定するだろう。周りの、例えば同じクラスの男子生徒がどう考えているのかは知らないが、アンケートを取れば佳吾派が過半数を超えるだろうとは何となく思う。
双子の妹がいる身としては、羨ましさよりも想定される気苦労との天秤が後者に傾く。
家族だから嫌ではないが、それでも疲れを感じる時はある。血の繋がった兄妹ですらそう思うのだから、血の繋がりのない他人ではどう思うのだろうか。それともそんな苦労は、恋愛感情の前では脆く崩れ去るものなのだろうか。経験がないため、これ以上は想像の域を出ない。
佳吾の場合は上にも下にも兄妹がいないためか、兄妹がいなかったからこそか、周りに人がいる環境を望んでいるのかもしれない。単純にちやほやされたいと思っているだけかもしれないが。
それはさて置き、佳吾の話す異世界の話では一夫多妻が認められている、もしくは特に明示されていなくても事実上の一夫多妻になっている話のなんと多いことか。多夫一妻なんて話は殆ど見た記憶がない。
それは男なら複数の美女美少女にちやほやされたいという願望があって、欲求を満たすために自然と形作られたのだろう。そのことに文句やいちゃもんを唱える気はない。結構なことだ。女性側の意見はどうなんだろうな、と考え出すと長くなりそうなのでそれ以上は考えるのを止めた。
俺が気になっているのは、星の数だけ異世界があるのなら一夫多妻だけでなく多夫一妻の世界も同数程度にはあってもおかしくないのではなかろうか、ということに尽きる。
多夫であれば最悪自分が働く必要はないのでは? なんて下衆な思考が浮かぶ。
だがその場合働かない自分の存在意義はなくなり捨てられるかもしれない。というか俺なら捨てる。まあ世の中には養われることになんの躊躇いもない男がいるという。そしてそんな男を養うことを好む女もいるとかいないとか。
そもそも多夫一妻の世界観なら、男女の考え方が現代社会で支配的な思想に合うとも思えないので、これもある意味自然な結果なのだろうか。
これもさて置き、佳吾の言った野郎が多くて何が楽しいのか、という疑問に対して俺は思い浮かんだ考えをそのまま口にした。
「男が多くても楽しくないとは限らないんじゃ? 修学旅行の夜とかよくバカ話してただろ?」
「いやお前煩いって言って早々に寝てたじゃん」
「俺はそうだが、他の連中はそうだっただろ」
「それは確かにそうだけど俺が言ってるのはそういう意味じゃなくて、一人の女性を数人の男で囲んでるいる状況のことだ」
「言い方が犯罪チックだな?」
「自立した女性を数人の男で支えているのです」
「このヒモ野郎」
「ぐはっ」
佳吾が刃物で刺されて吐血でもしたように腹を抑えて身を屈めた。
精神的ダメージが肉体にフィードバックしたのだろう。どんな原理か知らないが、佳吾に借りて読んだ異世界ものでは主人公が何かと吐血、その中にはヒロインキャラに罵詈雑言を浴びせられた時にも吐血していた。恐らくその行動を再現しているのであろう。
痛い所を突かれて吐血するということは負い目を感じているということで、つまり働いていれば解決する。労働はやはり義務なのだなあ。
佳吾が復帰するまでの間に、改めて先ほどの話を考えてみる。
俺個人の話ではなく一般論的な話として、男が多くて「楽しいか」という問いに対しては、楽しいだろうと思う。
自分で言ったように修学旅行の旅館で夜通しバカ話で盛り上がったり、徹夜でゲームに興じたりと楽しめることは間違いない。馬が合うとか波長が合うとか、とにかく仲が良いという前提はある訳だが。
対して佳吾が意図した「楽しいか」というのは、楽しいかというよりも面白いか、と表現した方が適切だろう。許容できるか、と直接的な言い方をしてよい。
一般論的な視点ではなく、本人がどう感じるかと言う個人的な視点の話である。
女性に対して男性が多ければ、誰がどれだけ、とか、どういう立ち位置か、とかいう闘争というか競争というか、そんな状況が発生すると考えているのだろう。
一人の女性を共有という感覚に対して、佳吾としては反発したくなるのだ。その意見には全面的に賛同できる。因みに女性をまるでモノのように扱うという意味ではない。
大前提として、恋愛感情を伴っている。そう考えれば、確かに面白くないし楽しくないだろう。
佳吾の指摘通りだ。全面的に認めよう。そんな状況に身を置くのは精神衛生的によろしくないであろうことも充分に理解できる。
これはおそらく男女を入れ替えても同じことが言えるのではないだろうか。自分と同性が一人の異性の周り複数存在するという状況は好まれにくい。
この立場を逆転させると話は一変する。自分の周りに異性が多い状況と言うのは、高揚感や多幸感に結び付くだろうこともまた理解できる。
大多数の人が、自分に好意的な異性に囲まれて嫌な気持ちにはならないだろう。
男の夢かどうかはさておき、憧れを抱く気持ちは理解できる。
佳吾がそれを望むなら、その願望を否定しようとは思わない。だからこれ以上茶々を入れるのは無粋だろう。丁度佳吾も状態を起こしたので、何事もなかったように続きを促した。
「それで、お前がハーレム王だとしてどうやって養うんだ?」
途端、佳吾が拳を握り魂む。
「異世界と言ったら冒険者。そこで俺TUEEEして稼ぐ」
「曖昧すぎる上に皮算用すぎる」
「いいんだよ。異世界に転移転生する場合、何かしら強い能力を得るのが相場ってもんだ。だからそれでなんとかする!」
「そしてないものねだりするんだな?」
「現実的な路線を見せるのはやめて!」
これも何度か聞いた話だ。異世界に転生したら冒険者として成り上がったり、転移すれば魔王を倒したりとか色々。
ところでなんで魔王さんサイドはいつも悪者にされてしまうのだろうか。明確に悪事を働いているならまだしも、魔王という肩書だけでイコール悪者に仕立てられている気がしないでもない。
警察官の全員が善人であるとは限らないように、きっと探せば平和主義者の温厚な魔王さんがいるに違いない。そんな世界があってもいいと思います。
さておき、共通点として主人公は特別な力を得ており、並いる敵を、誇示するかのように圧倒的な力で倒していく。一見弱いけど実は強い、なんて系統もある。どんなに足掻いても使い道のない力を持った主人公はまずいない。強い力を持っているから主人公に選ばれるとも言えるが、それはそれ。
こういった冒険譚英雄譚が好きな佳吾だから、自分もそんな生活を送りたいと考えるのは自然と言えよう。ハーレム王を目指している奴がチート能力を持っていたところで今更である。持っているからハーレムになるんだろう。
確率的に考えてそんな人間がほいほい生まれるとは思えないので、俺としては冒険者とかいう危険が付きまとう職業はごめん被る。収入が高いとしてもリスクに対するリターンとしては微妙だと考えている。それを告げれば「現実主義者」と言われることは目に見えているので口をつぐむ。
きっと佳吾の頭の中で怪我を負うという状況も殆ど想定していないのだろう。骨の二、三本折れても平気だとか本気で考えてそうである。小さい頃に骨折したことのある俺としては、そんな訳あるかと声を大にして主張したい。罅が入っただけでも激痛で暫く動けないのだ。
益体もないことばかり考えていると、進行方向先にトンネルが見えてきた。
山一つを越えるトンネルを通り抜けることで俺たちの住む御代町に入る。
バスがトンネル内に侵入すると、現実に戻されたように佳吾が押し黙る。心なしか車内の温度も下がったように感じられる。
どうしたのかと顔を伺うと、柄にもなく神妙な表情を浮かべている。その顔を見れば、何を考えているのかの推測できた。
佳吾の表情が暗くなってしまうのも無理もない。俺も考えれば同じような心境になる。だから普段は考えないようにしているし、佳吾とふざけたことばっかり言い合っているのだ。
「知ってるか? また一人居なくなったらしいぜ」
取り繕ってはいるようだが、その声には言いようのない不安の色が滲んでいる。若干後悔の色も浮かんでいるのは、話題に出すべきではなかったと思っているのだろう。それでも口に出したのは、俺の意見を聞きたかったのか。そうせずにはいられなかっただけなのか。
ここで惚けて話題を逸らす選択も考えたが、どうも佳吾はそれを望んでいないように見える。もしかして俺の知らない話題だろうかと薄い可能性を考慮して、情報を小出しして探りを入れる。
「西校の生徒のアレか?」
「そうそれ」
しかし残念ながら、というほど期待はしていなかったが、やはり最初に思い浮かんだ話題で間違いがないようだった。
ローカル紙の隅の方でこっそりと載っていたニュース。テレビ報道は一切されていない、御代町の人間のみが知り得る話題。ローカル紙を見る数日前から両親が話しているのを聞いていたので、事件の内容を読んでも驚きはなかった。驚きよりも失望や恐れの感情が支配的だった。それは隣の佳吾、そして御代町に住む中高生共通の感情だろう。
内容は、俺たちと同じ御代町に暮らしている女子高生が行方不明になり、連絡も取れないというものだ。西高というのは、俺たちの通う高校に比較的近い女子高だ。
自分たちと同年代の少女が行方不明と言われれば誘拐を連想しそうなものだが、ニュースでの扱いは事件と言うよりも事故というものだ。
ローカル紙には女子高生が御代町に暮らしていると明記されていた。それ故に大きく取り上げられることもなかった。
「同じ町だったんだな」
「ああ。堀部理沙さん、だっけか」
「昔から住んでた訳じゃないんだろうな」
御代町は閉じた町ともっぱらの評判。その評判に否なを唱える人も殆どいないだろう。町内皆知り合い、とまではいかないが、田舎ネットワークとでもいうべきか、横の繋がりが強い。
同年代の顔と名前を全員把握しているということはないが、佳吾は俺よりも顔と名前を把握している。件の女子高生に覚えがないので引っ越してきたのだろう推測するのも頷ける。
今回に関しては、俺はその推測が事実であると知っている。大人のネットワークは子供のそれとはまた別で、両親は引っ越してきたという話を聞いていた。
当該生徒の学年は俺たちの一つ上の高校3年生。こちらに越して来てまだ2年と少し。この町についてどこまで知っていたかは知りようがないが、この年代で引っ越してくるということはあの話については知らなかったのではなかろうか。卒業までの期間を考えると、我が事のように悔やまれる。知らず拳を握りしめ、やり場のない怒りを堪えた。
「運が悪かったって言っちまえばそれまでなんだろうけど」
佳吾の声音には悲哀、怒り、そして同時に助かったという思いも微量ながら含まれていた。俺が抱いていないかというと、嘘になる。一瞬であろうとも、抱いてしまった正直な気持ちだ。だが、それで不安が払拭されるかというとそんなことはない。むしろ、益々強くなる。なぜなら、
「今年に入って二人目か。早いな」
「そうだな。今年はあと何人出るんだろうな」
唐突に姿を消す中高生の人数に、上限など決まっていない。
いわゆる神隠し。
俺たちの住んでいる御代町には、いつ頃からか語り継がれるようになった御伽噺のような現実の話が存在し、当然のものとして受け入れられている。
まだ町が村と呼ばれていた頃。数年に一人、今でいう中高生が唐突に姿を消し行方不明になった。
それが現在でも続いている。記録が付けられ始めた頃に比べれば、徐々に間隔が短くなっているという。去年は2人だったというのに、今年は既に2人。今後も出る可能性は充分にあった。
行方不明が神隠しと変化し、発生する間隔が短くなるにつれ、対応も変化していった。
昔は警察にも届け出がなされ、捜索されていた。しかし誰一人として見つかることはなかった。誰かに攫われたのでは、という方向でも調べられていたが、手掛かりらしいものは何一つとして見つけられなかった。生きているのか死んでいるのかさえ不明。
やがて捜索は形骸化し、今となっては捜索はおろか届け出さえ受理されていない可能性が高い。
今回被害者のご両親は捜索願を出しただろう。だが、それは受理されず却下されてしまったはずだ。警察はそいうものとして扱ってしまい、説得してまうのだ。どれだけ縋りついたところで、神隠しによる生け贄だと認識されてしまう。
過去にも同じ出来事があったので、今回も同じ結末を辿ることだろう。
なぜ神隠しと認識されるようになったのか。それは御代町の成り立ちに端を発する。御代町の子供が小さい頃に必ず聞かされる町の成り立ち。
御代町は今も昔も周囲を山に囲まれている。
その昔、町を発展させるために山を切り開こうとした。しかしその度に事故が発生し、工事に関わった人が還らぬ人に。何度か工事は実施されたようだが、悉く同じ結末を辿った。
さらにその年は凶悪とも呼べるほどに不作となったそうだ。外部とのやり取りは存在したが、充分な量は得られない。故に決して豊富ではない蓄えを消費してやり過ごすしかなかった。
今でこそトンネルが開通しているため町の外に出るのに苦労はしないが、当時は山を越えなければならなかった。ある程度整備されているとはいえ、多くの荷物を抱えて山を越えるのは困難。しかもその役目を担った若者が山の中で事故に遭うことも少なくなかった。
その年さえ乗り切れば翌年には改善されるだろうという楽観もあった。
しかし凶作は翌年も続いた。結果、町全体で食料不足が発生する。
そんな状況でありながら、子供が一人消えた。これが最初の神隠しだと言われている。
この子供に気づいたのは家族だけであり、捜索などできようはずもなかった。
しかしその翌年、突然凶作は解消された。それどころか豊作となり、徐々に村は危機を脱する。
その後も不定期に子供がいなくなってしまうことはあったが、その年は決まって豊作となり、少しずつ栄えていった。
数度ならば偶然で片付けることもできたかもしれないが、何度も発生したためそれは偶然ではないのだと考えられるようになった。
やがて神隠しと呼ばれるようになり、住民は土地神への供物と称し神隠しを受け入れた。
そんな悪しき風習とも言える現実が、御代町には存在している。時が経った現代でさえ、消えずに残っている。余計な詮索を良しとせず、外部からの干渉も退けていた。
この町から出ていけば、そう考える人は当然おり、実際この町から引っ越した家族が何組かあった。
しかしその全ての家族が引っ越した先で事故や事件に巻き込まれ不幸な結末を辿った。そんな話が届くようになってから、この町から出ていこうとする者はいなくなった。
神隠しが起こるのは数年に一度。対象は決まって中高生。大人たちは自分たちには降りかからないものだと安堵し、神隠しに遭った場合は運が悪かったと嘆くだけで何かをしようとはしなかった。
だが当事者たる俺たち中高生はそんな呑気なことを言っていられない。次は自分かもしれないという恐怖が常に付きまとっているからだ。
数年に一度。間隔は四年周期だと思われていた。中高生の六年間で遭遇するのは一度か多くて二度。その間だけ逃れられれば怯えずに済む。
生まれた年と神隠しが発生した年度から計算し、2回経験しなければならないと悟り絶望する子も少なからず存在した。逃げ出したくとも子供の立場で逃げることなどできるはずもなく、逃げてもその先でどうなるのかを想像し絶望する。そのため中学校への進学を前に精神が不安定になる子どもは毎年のように存在した。
だというのに、さらに絶望に突き落とすがごとき事態が起こる。それが間隔の短縮。
三年周期、二年周期と短くなり、俺たちが中学生になって以降は毎年神隠しが発生していた。
その頃の町全体の雰囲気は今でも思い出したくない程酷いものだった。
不登校になる中学生や高校生を持つ家族の険悪な空気が町全体に漂っていた。町全体が沼に沈んでしまったかのような重く苦しい空気に満たされていた。
俺も例外ではなかった。不登校とまではいかないまでも、毎日のように怯えていた。それでも正気を失わずに落ち着きを取り戻せたのは、当時の神隠しの犠牲は年に一人だったからだ。
それなりに発展した御代町には、同年代の子供は五百人程度はいる。自分が選ばれる可能性は低いと、そう思い込むことで精神を持ち直せた。
毎年神隠しが起こっても壊れずにいられたのは、確率と言う望みを信じられたからだ。
そうして高校に入学した昨年。とうとう年に二度、神隠しが発生してしまった。
明確に早まっている間隔は、抑えていた焦燥感を駆り立てるには充分過ぎるほどの恐怖を伴って俺たちに牙を剥いた。
今年になって既に二人が姿を消した。昨年と同じ二人だろうと高をくくれるほど楽観できる状況ではなかった。次は自分かもしれない。そんな不安が胡麻化せない。
おどけた調子で好きな話を出してみても、一時凌ぎでしかない。惚けたことばかり考えてみても、ふとした瞬間に思い出してしまう。それでも、少しでも気を紛らわせたいと願うのは間違っているだろうか。俺と佳吾はそんな精神状態だった。
会話が途切れる。
トンネルを抜けると窓に差し込む夕日に目が眩む。
流れゆく街並みをぼんやりと眺めていると、バスが止まった。
気分が重く意識が散漫であっても、身体は自然と行動する。
乗客全員を降ろし運転手以外無人となったバスが走り去るのを見送ったあと、俺と佳吾はゆっくりと足を動かし始めた。
辛気臭い空気だ。
どうにかしなければと鈍い思考を巡らせた時、先に巡らせていた佳吾は無理やり浮かべた笑みを貼り付け、いつものように陽気に語り出す。
「これが異世界召喚だったりしたら俺も喜んで行くんだけどなぁ」
「トラックに轢かれなくて大丈夫か?」
「転生ものならそういうお約束だが、転移ものなら形式の自由度は高い。いきなり魔法陣が現れたり、ネトゲの世界に吸い込まれたり」
「トラック以外にも幾らでも方法あると思うけどな。一体何人の罪のないドライバーが生まれたことやら」
「様式美というやつだ。この世界には守るべきお約束があるのだ」
「ドライバーの生活を守ってやれよ」
軽口を言い合って調子が戻ってきたのか、佳吾は異世界に転移したらやりたいことランキングを一人で語り出した。
その話に茶々を入れつつ、佳吾が言った異世界転移について考えてみた。
可能性としては否定できない。そんなバカなと言いたくもなるが、神隠しと言う超常の現象が身近にある以上、否定する材料が足りな過ぎた。
その神隠しでさえ、消えた人がその先でどうなったのかが不明なのだ。本当に生け贄となってしまったのか。辿り着いた場所で普通に生活できているのか。
戻ってきた人がいないために、どうなってしまうのか分からないという不安や恐怖が前面に出ているが、前向きに考えれば神隠しの先の方が恵まれている、なんてこともあり得る。
そう考えれば、佳吾の語るランキングには一考の価値がある。余計な考えを振り捨て、佳吾の話に集中しようとした瞬間に、それは起こった。
突然だった。
いつも通りの道をいつも通り歩いていただけで、不自然な点など一つも見つからなかった。
だから気づいたときには遅かった。
異変に気付いた佳吾も歩みを止め、足元に視線を移す。
表情が固まる。次いで多大な驚愕と、少しの恐怖と、圧倒的絶望が彩った。
再び顔を上げたとき、佳吾は今にも泣き出しそうな顔だった。
引き攣った表情を歪ませ、懸命に笑みを浮かべようと頑張っている。
「異世界転移は魔法陣がお約束だったか?」
どうにか絞り出した自分の声は、やはり情けない程に震えている。鏡を見なくとも、自分も佳吾と同じ表情をしていることだろう。
「お約束って、怖いんだな」
返す佳吾は泣き笑いを浮かべている。
足元に浮かぶ白く丸い円。幾何学模様も文字も記号も何もないただの円。その周りが薄く白い光を発している。
佳吾の言葉に頷きを返そうとした時、白光が強くなり視界が塗り潰される。
声を出すよりも、何かを考えるよりも先に、意識が途絶えた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。