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第6話 「とんだ厄日だわ」

 午前10時を過ぎた頃。応接室を出た凛音は、1人高見原女学院の廊下を歩いていた。


 肩から垂れるのは、受け取ったジャージや新しい教科書でパンパンになったカバン。背中を丸め、覚束ない足取りで玄関へと向かう。

 上体が時折フラついて転びそうなるのは、何もカバンが重いからでは無い。


 瞳は虚ろ、蒼白になった顔でゆっくり歩く彼女の姿は徘徊するゾンビのようだ。


「もうおしまいだぁ、私は死ぬんだぁ」


 応接室での威勢は何処へやら。呻きにも似た声を漏らしながら、凛音ゾンビは陽光の照り返す廊下の中を進んでいく。落ち込んでいてもお日様の暖かさは感じれるもので、窓から景色をボウと眺めた。


 血の気の引いた手には、先ほど面談室で貰った白い(・)カードが握られている。


 なぜ小箱にあったカードに触れなかったのか、その理由は分からない。

 本当ならカードを手にした瞬間、黒から銅に色を変えたらしい。手元にある白いカードは、それこそただの学生証だ。管理者側が用意したハリボテ、なんの力も秘めてはいない。


 ただの学生証にも一応の意味はある。

 身分証の他にも、これ一枚で島全体のあらゆる施設の利用、物品の購入、サービスが受けられる。いわば無制限に使えるクレジットカードだ。

 しかしそれも生贄に与えられたささやかな贅沢だと思うと、なんの喜びも感じられない。危険は常に隣り合わせなのだ。

 引きずるような足取りで凛音は再び玄関を目指した。


「ダメだぁ。なんか頭痛くなってきた」


 靴に履き替え屋外に出る。そのまま校門へと向かおうとして、凛音は足を止めた。


「っとと……いけない。確かコッチだったね」


 来た方とは逆の道へと歩き出す。来客用玄関のある西棟は学院の端に位置していた。


 校舎と植え込みの隙間に入り込んで、日陰の中を足早に進んでいく。5月とはいえ日差しが思いのほか強かったようだ。陰の中は涼しくて頭を冷やすには適していた。

 狭くて段差もあるものだから、凛音はスカートを手で押さえ汚れないよう注意を払う。


 目的は校舎裏にある裏門らしきもの。意気消沈しながらも、凛音は窓の外から目ざとく見つけていた。


 正門から出るのを避けるのは、何も人の目からだけではない。帰宅の途中、最短の道を通ろうとするとどうしても今朝の現場に出くわすのだ。死体がそのままの状態で放置されているとは考えにくいが、決して気分の良いものではない。


 多分今は授業中、とはいえ生徒が通らないとは言い切れない。時折立ち止まっては、植え込みの陰に隠れて様子を伺う。

 万全を期すために、凛音は中腰の姿勢のまま植木に沿ってのカニ歩き。時折左右、つまり進行方向と来た道とを交互に見やる。背には校舎の外壁、これで全方位をカバー出来る。


「我ながら呆れるくらいに良くやるわ。これで後は裏門のところまで行くのみ」


 もしこの姿を見られたら通報、あるいは戦闘間違いなしだろう。だが自分は常に警戒を怠らずに物陰の中にいる、安全でないはずがない。


 凛音は慢心しきっていた。


 故に、彼女は足下に迫る黒い影にも、背から立ち上る白煙にも、全く気がつくことは無かった。


 ニャーン。


「ヒッ」


 足首に、もそっとした生暖かい感触。凛音は驚きのあまり尻餅をついてしまった。転んだことにより、凛音は犯人と同じ目線になる。


 ニャーン。


 犯人である黒猫は、今しがたそうしたように凛音の足に自分の体を擦り付ける。


 黒猫が横切ると不吉を招く。よく聞くありふれた迷信だ。

 しかし今朝からケガをして、命を狙われて、自衛手段を断たれた凛音にとっては、今ほど恐れを抱いたことはなかった。


 向けられる金色の瞳を前にして、背筋が凍る。

 やがて猫は気持ちよさそうに耳の後ろを脚で掻くと、植え込みの奥へと消えていった。

 凛音はハーッと息をつくと、スカートの砂を払いながら立ち上がる。


「あービックリした」

「あぁ、ホントにビックリだよ」


 今度は背中から声をかけられる。驚いた凛音は急いで振り向くが、突然の出来事だったため大きくバランスを崩した。無様にも背中から植え込みにダイブしてしまう。


「ったたた〜。最悪、とんだ厄日だわ」


 はやくも黒猫の効果を体験してしまった。チクチクとした痛みの中で凛音の目頭が熱を帯びる。

 小枝をパキパキ鳴らして植え込みから体を起こした。


 キッ、と脅かした相手に一瞥をくれてやる。しかし次の瞬間凛音の顔は青ざめた。


「ア?」

「あっ……アワワワッ」


 相手は不良だった。


 ストレートの腰まで伸びた黒髪を、こめかみの部分だけクルクルに巻いている。スッと伸びた鼻筋にナイフのようなキレのある瞳。ただでさえキツい印象を与える目元には、紫のアイシャドウがさらに威圧感を与えている。

 長身で脚が細くて、モデルとしてすぐにでもやって行けそうだ。というか、背が高いというだけで凛音は恐怖で脚が竦んでしまう。


 人を見た目で判断してはいけない。よく聞く子供の躾け文句だが、凛音の中にもその教えは生きている。

 それでも凛音が瞬時に不良と判断したのは、彼女の手にした嗜好品にある。即ちタバコだった。


 不良は校舎の壁に背中を預け、一服していた。細心の注意を払っていた凛音だが、少し大きめに作られた排水パイプが死角となり、発見が遅れたという訳だ。


「なんだぁオマエ?」


 凛音は涙を堪えながら女性を見上げた。


「はっはへっ、わたし、今日来たばかりで……ゴッゴフゥ」


 煙を吹きかけられて咳き込むも、凛音は決して女性の瞳から目を逸らさない。隙を見せた瞬間に()られる。それ程の本気さを感じた。


 へへへ、と愛想笑いをしながら、ジリジリと距離を取る。決して目を逸らさないように気をつけながら、裏門を背に後ろ歩きを敢行する。

 冷や汗をかく凛音であったが、不意に女性の方から視線を逸らした。睨む表情を止めると視線を上、つまり凛音の後ろへと向ける。


 ケンカ腰の不良にしては不可解な行動。凛音も戸惑いを隠せない。


「えっ?」


 トンッと背中に何かがぶつかった。またもバランスを崩しかけたが、今度はなんとか踏みとどまれた。それなりに質量のあるものらしく、首のあたりが柔らかなものに包まれてる感触がある。

 ホッとしたのも束の間、凛音は強烈な匂いに目が眩んだ。袋を開封したばかりの海外産マシュマロのような、酷く不快な甘い香り。


 それが香水の香りと気がつくよりも早く、浅黒い腕がヌッと凛音の肩を回してきた。


「アレアレアレ〜。今朝ぶりじゃーん?」


 耳元で囁かれて、凛音はギョッとした。背後に立っているのは、今朝自分を殺そうとしてきたギャルだった。


 あぁ、今日は何という厄日なんだ。凛音は心底そう思った。

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