第3話 「落ち着け」
司に抱かれた凛音は、そのまま近くの公園へと運ばれた。噴水横のベンチに今度は優しく座らせられる。
司が公衆トイレへ向かったのを見はからい、凛音は自分のお尻に手を当てた。大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。
腰の痛みは落ち着いてきた。脚の出血も止まっている。
「いったい朝から何なのよ、もう」
ため息混じりに俯きながら、凛音は両手で頬を抑える。
死体と爆発から始まった、期待と不安の新生活。ギャルに襲われ、謎の少女に助けられ、凛音の思考回路はショート寸前だ。
そんな彼女を更なる不幸が襲う。
カサつくような、ベトつくような。指に伝わる、乾きかけの絵の具のような感触。
「うわぁ、サイアク」
血とカサブタが着いた手を見て凛音は肩を落とした。そしてヤマンバギャルに返り血を塗りたくられたことを思い出す。顔はこれ以上ないくらい真っ赤なのに、凛音の顔は青ざめていた。
そこへ司が小走りで戻ってくる。
「コレ、ハンカチ濡らしてきたから」
手には、まだ水が滴っているハンカチ。彼女が公園に着くやトイレに行っていた理由はこれだった。
司の瞳や傘と同じの青い色。隅にはカブトムシやバッタのイラストが入っていて、可愛くはあるんだが全体的に男の子っぽい。
この子はどこまでタイミングが良いのだろうか。凛音は急いで受け取ると、力の限り顔を擦り上げる。
「あ痛タタタ〜」
太ももだけでなく、どうやら顔も切れていたようだ。傷口から痛みが込み上げ、変な声が出てしまう。膝頭に握りこぶしを作ると、ギュッと押し付けて痛みが去るのを待った。
「朝からとんだ災難だったね」
凛音の隣に腰をかけて、司は空を見上げた。南の空から日差しが照りつける中、初夏の風が心地良い。
「ねぇ。今日みたいな事件ってよくあることなの?」
「事件? 人死になら毎日の様にある。みんな慣れっこだから逃げ足も早い。ヤマンバなら、私も今日初めて見た」
「……そうなんだ。じゃあもう少ししたら警察も駆けつけてくれたのかな」
「それは無い。神の娘同士の決闘で管理者が動くことはまずない」
神の娘に管理者。襲われてる最中にも思ったが、凛音にとって知らない言葉のオンパレードだ。
管理者というくらいだから、その人がこの酷い街を取り仕切っているのだろう。そして警察よりも強い権限があるらしい。というか、司の口ぶりからしてこの島に警察が存在するのかも怪しいところだ。
「何だかよく分かんないけど、もしかして私とんでもない所に来ちゃった?」
「今気付いたの? 」
「そんなの分かるわけないじゃない……ハァ、こんなことなら無理して転校するんじゃなかったわ」
「転校生なの? 巧女の?」
巧原女学院は現地だと巧女と略されてる。
「そうよ。だいたい士道さんと一緒の制服じゃない」
「よく見たら一緒だ。あと、私のことは司でいい」
「分かった。それじゃあ司ちゃんね、私も同じ1年生だし。私のことは……
って私、名前言ったっけ?」
凛音の問いに、司は一瞬驚いたように口を開けた。何か言いかけた言葉を飲み込むと、静かに首を振る。
「……知らない」
「私は久尾凛音。今週この街に引っ越して来たばかりなの。よろしくね」
「分かった、リンネだな。よろしく」
2人は握手を交わした。手を差し出してきたのは意外にも司の方だった。相変わらず涼しげな顔をしていたが、その小さな手はとても温かかい。
お互いに自己紹介が済んだところで、凛音は司の方へ身体を寄せる。
これから悪巧みをするかのように周りをキョロキョロ見渡すと、声量を落として凛音は語りかける。
「それで司ちゃん。親友として相談があるんだけど」
名前を教えて二言目に親友を名乗るのは如何なものか。凛音も図々しいとは自覚している。しかし今は文字通りの死活問題なのだ。
「怖いから家に帰りたいんだけど、海底バスのターミナルまでついて来てくれない?」
海底バスは、凛音が知る限り巧原と本土を繋ぐ唯一の方法だ。ターミナルに着いてもすぐに帰れる保証はない。しかしこんな恐ろしい街にも1秒たりとも居たくはない。
行動を起こすのが先決だ。
今、目の前にいる士道司は凛音のことを守ってくれた。知り合いが全く居ないこの島で唯一信頼できる人物だ。
瞳を潤ませて頼み込む自称親友の頼み。その目を蒼い瞳で見つめ返しながら、司は素っ気なく断った。
「無理、この後学校だし」
「は?」
「今日は平日。リンネも転校初日からサボるのは良くない」
「何言ってるのよ!」
思わず司の肩を掴む。天然とか関係ない、切羽詰まった自分を茶化されて凛音は顔がカッと熱くなる。
「あのギャルも司ちゃんも、みんなどうかしてる。人が死んでるんだよっ! ここが海の上の離れた島だからってここ日本だよ。そんな人がポンポン死ぬなんて普通じゃないよ。
それが学校だとか、サボりだとか、何なのよ! マジメかっ!」
「あおあおあおあおあうううう」
感情の昂ぶった凛音は思わず肩を激しく揺らしていた。
司は口を開けて首をガクガクさせている。だらしなく出た舌が今にも噛まれそうだ。
凛音はハッとして慌てて手を離す。
「ごっごめん」
疲れと恐怖でかなり情緒不安定になっているようだ。額に手を当てて、虚ろな目で空を仰ぎ見る。
「帰るには駅まで行ってバスに乗らなきゃいけない。けど、今はお金がないから一旦家に帰ってお金と荷物を持って来ないと。でもまた帰る途中で襲われたらどうしよう……」
肩を払い、乱れたタイを気にする司。傍の凛音はなにやらブツブツと呟いて自分の世界に入ってしまった。
「おい、リンネ」
「お願いして司ちゃんについてきてもらおう。でも司ちゃんはこれから学校かぁ。そうか、私も学校だ。なら転校辞めるって連絡しなきゃだし。そうなるとけっ
「落ち着け」
「あべし」
司のチョップが凛音の脳天に炸裂する。痛みで涙がこぼれだした。
「ううぅ。もうダメだ、おしまいだぁ。私は見知らぬ街で死ぬんだぁ。
こんなことならもっとお父さんとお母さんの言うこと聞いてあげれば良かった」
「落ち着けリンネ。生きている限り、いつか必ず死が訪れる」
司にとっては純粋に慰めているつもりだったが、凛音にとっては望んでいた言葉ではなかった。
「そうだけど、今じゃなくて良いって話でしょう! 私は少しでも先延ばしにしたいの」
「なら安心しろ。自衛すれば良い」
「それが出来たら……って」
突然の閃光に目が眩み、凛音は口を閉じた。光は司の差し出したカードのものだった。
凛音はカードを手に取りまじまじと見つめる。陽の光を浴びるとキラキラと輝いた。ファンシーな色合いのホログラム加工がされていて、余計に目が痛い。
色々と表記されている方が、恐らくオモテ面だろう。
1ーDー7 士道 司
武器名 エクリプス
Rank Gold
Next Rank 25 /50
「上の英語は……1年D組出席番号7番って意味かな?」
「うん。エクリプスは武器、私の場合は傘の名前。ランクはカードの色を表してる」
「カードの色? そういえばさっきの人は銀って言ってたっけ」
「最初は銅から始まって、集めて合成するごとに銀、金と色が変わって強くなる」
「なんかゲームみたい。じゃあこっちのイラストは? なんか司ちゃんに似てるけど」
凛音が指差したのは、カード中央に描かれた女の子のイラスト。銀の短髪の少女が青色の傘を手にポーズを取っている。司とそっくりの風貌だが、制服ではなくシックな色合いのドレスを着ていた。
「似てるというか、私だな。一応このカード、学生証だし」
「えっ! そうなの?」
「多分、学校に行けば貰えるはず。私も入学式の時にもらった」
このタイミングでの司の言葉は、凛音の心に希望の火を灯した。司の言う通りこれが学生証なら、なんとしても学校に行くべきだ。
家に帰るのも一人では危険過ぎる。それならこのまま司の側に居れば安全に過ごせるはずだ。その上で武器が手に入るなら、万々歳。
「やっぱり初日からサボるのは良くないよね」
凛音は司にカードを返すと、スッとベンチから立ち上がる。その顔には既に恐れの色はなかった。
「……ところで、なんであんなふざけたデザインしてるの」
「さぁ?」