8.ケリーナ 少女期(FBI長官妻)
実は生きていたあとのリサです。記憶喪失に陥っていて、FBI長官の養女として引き取られました。その後長官の妻(養母)が宴の席で亡くなり、CIA隊員になったケリーナが表では妻名義となり長官のボディーガードを真横ですることになります。
少女は真っ白な羽毛シルク布団の中で目覚めた。
柔らかい枕の上、彼女は豊かな金髪ウェーブの髪を揺らし、首を微かに傾げさせると、眩しい窓を見た。その光の源を見つめる瞳は、綺麗に澄み切った緑色である。彼女の年齢は十三歳の少女である。
眩い光が充ちる室内は、柔らかく純白なエレガントさを置き、そして銀装飾が光っている。黒のわずかな装飾も見られた。
ここは、一体どこなのだろう?
少女は再び視線を戻し、豪華な天蓋を見つめた。
彼女の細長い手足は、まるで宙を浮くかの様に軽かった。
体毎、まるで空に浮いているかのように軽くて、綿に包まれているかのように温かい。居心地が良いので、少女はしばらくは薄い瞼を閉じ、揺らめく夢現の中へと意識は流れ込んで行った。
まるで、純白の光の中を、クリーム色をしたメリーゴーラウンドが駆けているような夢が、彼女の閉じる瞳の前に回転している。
メロディーも流れ、どこまでも甘い夢と、そして眩い現実の世界。
その現実と想像世界の狭間を行き来していた彼女の感覚は、なにかに寄って遮断された。
少女は瞳を開き、音のした方向を見つめた。
「………」
彼女のおぼろげな視線の先には、立派な紳士が佇んでいた。
紳士服を着て、髭をたくわえ、柔和な微笑みを広げた初老の紳士は、それでも鋭いつくりの目元をそていて、どこかしら人間味を全て微笑む口元に集中させているかのようだった。
ああ、彼を笑わせなければ……。少女は、何故かふいに心の中でそう思っていた。刹那的なものだった。まるで、それが自分の宿命だとか、役目かの様に。それらの理由は、今の彼女には不明の心だった。
「やあ。目覚めたかい」
その紳士は、寝台の横につけられたアームチェアに腰を降ろし、少女の顔を覗き見て来た。
少女が頷き、きちっとした目元の紳士を見ると、その目が恐くて目をそらした。それに気付いた紳士は目元を和らげ、少女の艶やかな金髪を優しく撫でた。
「今、他の者を呼んでこよう。待っていなさい」
紳士は立ち上がり、寝室から出て行った。
随所に純白のシルクが見受けられる室内は、やはり、少女を天使の存在のようにさせていた。
当屋敷の持ち主である初老の紳士、バダンデルは、上品な廊下を進んでいった。
もの厳しいつくりをした目元を持つバダンデルは、しっかりとした紳士であり、それでも元来からの軽快な性格も相まって、彼の雰囲気を創り上げていた。彼に少女が一種の畏怖を覚えたのは、仕方が無い事だったのかもしれない。
バダンデルはアメリカ連邦捜査局長官であり、規律ある人物だからだ。多くの犯罪者を見て来たその目は、意識せずとも小さな少女が受け止めるには畏怖の対象に置かれることにもなる。
バダンデルは屋敷の老メイド、ナオミを来させた。
彼女は小さな背で長身の旦那様を見上げ、少女の眠る寝室の方向を窺った。
「彼女が目覚めた。用意をしてやってくれ」
ナオミは嬉しそうに手を合わせ、大きく首を頷かせると、その目を輝かせた。
「ああ、これでひとまずは安心致しましたわねおぼっちゃん」
バダンデルが青年時代からいるこの老女は、未だにご主人をおぼっちゃまと呼ぶ癖が抜けなかった。
「ああ。これで一先ずはね」
バダンデルは頷き、ナオミをそちらへ行かせる。
いそいそとナオミはそちらへ歩いていった。
少女がこの屋敷へと連れてこられたのは、今から一週間も前の事だ。
彼女はその当時、昏睡状態が続いていた。病院内で五日間目を覚まさずに、その五日目にバダンデルが彼女の身柄を預かる事に決まったのである。
元々、バダンデルとその妻の間には、長年子宝に恵まれてこなかった寂しさがあり、その夫婦の元に彼女を来させたのだった。
様々な不安は、彼女が目覚めた後にも色々とあるだろうことは覚悟できている。それでも今は、目覚めた少女えの喜びを心に充たさせておきたかった。彼女はバダンデル家の養子となる少女なのだから。
ナオミが、新しいバダンデル家の一員となった少女の世話をする様になると、異変に気付いたのはすぐの事だった。
「あたしって、どうやってここに来たの?」
『不思議の国のアリス』の本を読む彼女は、花を花瓶にさしているナオミに問い掛けた。
「え? それは、旦那様が病院から」
「あたし、それまでずっと病気だったの?」
ナオミは美しい花から、純白シルクのベッドの上の、可憐な少女を見た。細長い首の上の小さな顔は、まるで利口なヒヨコのような顔つきをしている。
「あたし、パパとママに、なんて名前をつけられたの?」
透明な程の緑色の瞳が、真っ直ぐにナオミの瞳を見つめている。
「あたし、パパのこと、覚えて無いの。あたしのパパなのに」
ナオミは花の束を卓上に置き、エプロンで手を拭いてから少女の元へ来た。
彼女は大きな瞳で、ナオミを見上げた。その表情はとても不安げなものだった。まるで、一切何も分からない世界へ迷い込んでしまい、途方にくれてしまった森の中のアリスのように。
「お嬢様」
ナオミは居たたまれなくなって来て、ベッドに腰をおろし彼女の柔らかい金髪の頭を抱き、そして不安がる少女に頬を寄せた。
「大丈夫。大丈夫ですよお嬢様。ここは何も恐いところじゃありません。奥様もとてもおやさしくて良い方で、旦那様だってとても立派なお方です」
少女はナオミの細い腰に両腕を巻き、頬を寄せた。
自分がなぜ、ここに居るのか。なぜ、パパやママを思い出せないのか。自分の名前を知らないのか。それまでのことがなぜ真っ暗なのか、あまりにも漠然としすぎていて不安だった。
ただただ、この寝室で自分は始まって、自分は横になっていて、温かな中でこうやって大切にされている。
彼女は、自分の事を一切、何も知らなかった。
「記憶喪失」
その言葉が、専属医師からバダンデルの前に出された。
彼はダイニングテーブルの白いクロスに視線を落とし、そしてフォークをそっと置いた。
「しかし、この事は予想していた事でもあります」
医師はそう言い、硬い表情で一度床を見ると、それでも務めて顔を明るく上げた。
「その分、彼女自身の身に起きた辛い過去は、今は忘れられている事は不幸中の幸いと取るべきです」
バダンデルは何度か頷いてみせ、目覚めた時の少女の愛らしい顔を思い出した。まるで、天使の様だった。彼女の辛い顔などみたくは無い。その為に、この自己の屋敷へ連れて来たのだから。
彼女が目覚めない姿を見る事は辛かった。目覚めてくれたのだから、やはり彼女には意思があるのだ。生きたいと言う純真無垢な意思が。
少女が昏睡状態に陥ってしまった精神的な理由を思うと、これから彼女にどう接して行くべきかが問われる事だった。
「嫌よ! あたし、ここが良いわ!」
少女、ケリー=エルナは小さな頭をぶんぶん振り、ボンッとバダンデルに純白のクッションを投げつけた。
バダンデルは困ってクッションを床から拾い、辺りを見回した。
「ここは部屋じゃないんだよケリー」
「嫌嫌嫌! 階段の下で眠るの!」
融通の利かない事を突如言い始めたのだ。
妻が彼女のために用意した素敵な子供部屋を、ケリーは嫌がった。そればかりか、彼女が自己の部屋としたがった場所は、なんと階段の下に設けられたドアの先の、なんとも狭い収納スペースだったのである。
まだまだ包帯の取れない彼女の手首の白い布が、見た目にも痛々しく思え、バダンデルはその包帯の理由さえも知らずに聞き返して来ないケリーの顔をみた。共に、今の言葉の強さが、あまりにも健気に思えた。何も、過去をやはり知らないほうがいいのだと。
だが、実際に彼女が将来、いずれは直面すべき事実でもあるのだと思っていた。それを、バダンデル自身は墓まで持って行く覚悟でいた。
ケリー=エルナと名付けられた少女はドアを締め、その暗い中で細長い膝を抱え、純白の白の縫いぐるみを抱えて闇を睨んだ。
幾らパパと呼ぶ人がドアを叩き、優しく声を掛けて出てこさせようとしても聞かなかった。
柔らかいベッドの中で目を閉じる夜、いつでも自分がまるで不確かな宙に浮かんだ気になる。不安になった。その温かみも、柔らかさも、まるで自分では無い様で。
与えられる全ての物が、自分ではないようで、不安だった。
それでも不安は彼女にクマの縫いぐるみを抱えさせた。
暗闇だけの中、硬い壁に背を付けてケリーは目を綴じた。
この暗闇の中は、なぜか安心を覚える。何も無いから。今までの何も無く、思い出せない自分と繋がれるようで……。
ケリーはそのまま、クマに顔をうずめて眠りに就いていた。
「まあ、なんてこと……」
バダンデルの妻は、旦那から聞かされた言葉に驚き、例のドアの前にやって来た。
「こんなに狭い中にいるの?」
バダンデルの妻は、信じられずにそっとドアをノックした。物置のドアなどをノックする事など、生まれて初めての人間は多いはずであり、彼女もそのなかの一人であった。
その小さなドアが内側から少し開き、そうして、少女が顔を覗かせ、初老の女性を見上げたのだった。上品なその美しい女性を。
バダンデルの妻は愛らしいケリーを見ると、口元に手を当てては息を吸い込んだ。
「ああ、何と言う事かしら……」
少女の身を引き寄せ、抱きしめていた。
驚いたケリーは急いでその女性から離れ、そして唯一懐いているナオミの顔をみた。
「お嬢様。奥様ですよ」
ナオミのいつもの優しげな声がそう言い、口元に手を当て、膝をつく女性をケリーは見た。
一度突き放してしまった事が、ケリーの中で整理がつかなく、そして再び小さなドアを締めてしまった。
「奥様。今はお嬢様をそっとしておいてあげてくださいな」
バダンデルの妻はドアを見つめながら頷き、そして背を伸ばし立ち上がった。
「そうね……。あたしもいきなり気が急いてしまったのよ」
多少寂しそうに微笑み、そんな奥様にナオミはその彼女の手を柔らかな両手で包み込んだ。
「ケリー様は、心の透明なお方です」
ナオミの瞳を見つめ、バダンデルの妻も微笑み、深く頷いた。
ケリーはドアを背に、心臓がドクドクと鼓動を発していた。
やはり、見知らぬ人だ。自分を抱きしめてくれた人を突き返してしまった罪悪もあった。
しばらくは、ここから出たくは無かった。
中へ引き返していき、そして暗闇の中だが、見回した。
奥行きは四メートル。幅は二メートル。高さは、一番高くて二メートル弱なのだが、天井は階段が上にあるので斜めである。
「これぐらいで充分よ……」
彼女はそう小さく言い、再び膝を抱える様に据わった。
彼女の横には、純白のクマの縫いぐるみが座っていた。
「ねえ。あたし、これからこのお部屋を素敵なところにしようって思うの」
暗闇の中でケリーは白い縫いぐるみを両手にそう言い、話し掛けていた。
「それには、電気がまずは必要だわ」
ケリーはドアを開け、そして眩しいホールを上目で見渡した。この屋敷中心に陣取る空間には、他の場所へ行く廊下が幾つも交差する場所だ。天井からはシャンデリアが下がっていて、クリスタルの透明さと、そして下方やキャンドル台が黒クリスタルの品のあるリボン型だった。
誰もいない。パパも、ママも。
ケリーは背後の光が細く入る空間を振り返り、その灰色の光の中の縫いぐるみをみた。
「行って来るわね」
彼女はそう言い、走って行った。
屋敷の中を見回して、迷ってしまわないように道を覚えながら歩いて行く。大きなお屋敷の中に、自分の面影が無い。
それでも、ケリーはこれから自分のやる事へ対する意気込みが勝っていた。電気をつけて、それに棚もおいて、鏡もおいて、クッションや、ベッドも。
それらのことで頭が一杯だった。
ケリーは懐中電灯を探した。
「お嬢様」
ケリーはナオミの声で飛び驚き、悪戯が見つかった少女のように上目でゆっくり振り返った。
「おなかがすいておられるでしょう。さあ、こちらにいらっしゃって」
ケリーは小さく頷き、そしてついていった。
「パパとママはいる?」
「いいえ。お嬢様」
食堂へ入って行きながらナオミは言い、その背を見ながらケリーは頷いて入って行った。
「さあ。どうぞ」
「はい」
ケリーは引かれた椅子に座り、浮く足をふらつかせた。
「あたし、懐中電灯が欲しいの。それに、コードも」
「?」
バダンデルの妻は首を傾げ、コードを見下ろし、そしてハンドバッグを脇に抱えたまま、そのコードの先を視線で追った。
壁際に沿うように、コードが不自然に続いている。今まであっただろうか? 無い。
彼女は歩いていき、そして広いホールに出ると、そのコードが吸い込まれていった小さなドアを見た。
なるほど。愛らしいケリーの隠れ家と言う事ね。
バダンデルの妻は、視線の先にナオミを見つけるとそちらへ行った。
「奥様。ケリー様がお外へ出られていますよ」
「あらまあ、ようやく顔を見せてくれるのね」
バダンデルの妻はナオミの横まで来て、階段の上を見上げた。
ケリーがなにかを両手に運んでいるではないか。
「まあまあ。何を一生懸命運んでいるの?」
「ベッドよ」
ケリーはそう言い、布団を持って階段を降りて来ていた。
「まだ、見せないわ。完成してないんだもの」
そう言うと布団を両手に持ちながら歩いていった。そして、ドアの中へ入って行った。
バダンデルの妻とナオミは顔を見合わせ、ドアを再び見た。
ケリーは電気がぶらさがる中、木の箱を重ねた上に布団を敷いて、その上に今持って来た掛け布団を掛けた。
白の縫いぐるみがその上に座っている。赤だとか、綺麗な色の布を、画鋲で天井から吊るしていて天蓋のようにしてあった。
横にされた台の木の箱には、服が既に入っている。
「まだまだ完成してないわ。ケリーナ」
ケリーは白い縫いぐるみのことを、自分と同じ名前の『ケリーナ』と呼ぶ事にした。ケリー=エルナ・バダンデルの愛称として、自分で考えたのだった。
ケリーはベッドの上に腹ばいになり、ぬいぐるみのケリーナを両手に持った。
「ケリーナ。ラジオを今度、持って来てあげるね。音楽、聴きたいもんね」
そう言う内にも、今日はもううとうとと眠くなり始めていた。
彼女は、そのままケリーナを抱きしめ、眠り始めた。
赤とオレンジ色の布の先、小さな天使は純白の中、眠りに就いた。
「ジュニアハイスクールへの編入が決まったよケリーナ」
ケリーは顔を上げ、ダイニングテーブルの上からバダンデルを見た。
朝食にはいつも、ミルクを飲む。
この屋敷は、森を背後においた辺鄙な場所にあった。車両で延々と何も無い道を走らなければならなく、毎朝街中へと車を走らせる。大体、十五分は車を走らせなければならなかった。
ケリーは、パパからケリーナと最近呼ばれ始めている事で、自己の親友、ぬいぐるみのケリーナのことを思った。
彼女は頷き、そして早々に朝食を終らせると走って行った。
バダンデルは、まだ中学校へ転校させることは早かったのだろかと心配になり、その小さな背を追った。
この屋敷に来て半月が立っているし、彼女自身の気持ちも落ち着いてきている。TVなども運び込み、世間に興味を示し始めていた。
ケリーは、早速ケリーナに報告をする為にドアを締め、ベッドに飛び転がって白い親友を両手に持った。
「あたし、ドラマで見たジュニアハイスクールに行くのよ! ケリーナ! そこは同じ年齢の女の子とか、可愛い男の子とかがいたりしたのをケリーナも見たでしょう? 好きな子のことを話したり、一緒にお買い物をしたり、デートをしたり、お友達の家に遊びに行ったり……」
この所、ずっと見ているジュニアハイスクールを舞台にした恋愛ドラマの中の世界に、ケリーは思いを馳せていた。
可愛くてお洒落な子達がたくさんいる所なのだと。同じ年齢で、同じ言葉を話す子達。
ケリーは嬉しくて心がはしゃいでいた。
「でも、大丈夫よケリーナ。あたし、あんたを大切にするわ」
そう言ってケリーナにキッスをして、壁につけた鏡を覗いた。
「ケリー。ケリー。あんたは何者かは知らないけど、楽しいことがこれから一杯のはずよ。目覚められて、おめでとう」