1.ジル 少年期(リーデルライゾン レガント一族前地主)
ジル・D・レガント Jill Dizel Legant 連盟理事長
リカー・M・レガント ジルの姪っ子 フランス映画女優
ライ・ローガル・レガント ジルの養子
アルグレッド・ラジンスキン 王子
グラデルシ・ヴァッサーラ 若い実業家
ダイマ・ルジク 連盟壮年層メンバー
シェディエンヌ・フェリテクシ 古城の女幽霊
水天露雅 闇組織ボス
12歳の少年ジル・D・レガントは、階段を駆け降りていき、書籍を持つ手を伸ばしては、石積まれた壁を指に降りて行った。
「母。」
「ジル。そんなに急いで。」
彼は多少煩わしそうに首もとのスカーフを緩めてから、書籍を渡した。
「とても素晴らしい詩集です。どうぞ旅の友に持って行って下さい。」
「まあ、この子は。」
彼女は微笑みそれを見ては受け取った。
「水が変りますので、くれぐれも気を付けて。」
「ええ。どうもありがとう。」
ジルは微笑み、彼女の横に来た白馬の首を撫でた。
「この子の面倒は2年間、俺に任せてください。」
「任せたわね。」
エメラルド色の瞳が煌き、美しい馬の瞳を見つめ撫でてから、ベルトをしっかり確認し手綱を引いた。
「しばらくはお別れですが、最後の走りにはもう?」
「ええ。充分走って来たわ。」
母親は一度間口から覗く空を見てから、ジルの肩に手を置いた。
「お父様が回復したら、家族4人で再び湖畔の屋敷へ行きましょうね。」
ジルは頷き、母の目から空を見た。水源の様な空だ。
「森林を移動させても良かったんでしょうか。」
「ジル。」
「生命を護る森の神というのは、空気を清浄化し保つ森特有の酸素です。確かに樹木の移動であって、森は場所を変えるだけだけれど、そこにあったあらゆる病気を浄化する場が移動することで一次失われたんだ。」
森林移動のそれを先代から受け継いだのは父だった。
父は輸送船に乗って大量にやって来た外国人たちに、大まかな機械を導入させ一気に土を掘り根っこを包んでと移動に移させ始めた。
それまでは、樹木移動士が行なっていた事だった。
父は、現在感染病に苦しんでいた。現場によく赴いていた彼も感染してしまったのだ。
「先祖代代から受け継ぐ森の移動、俺なら止めていたのに。俺なら新しく苗を植えて森を育てるのに。」
「それは充分分かっているわ。けど、お願いよジル。お父様に反発しないで。」
「分かっています。」
今森のある場所に街ができ、そして一気に樹木が横の平原や他の同種樹木の生える森周辺や、樹木が必要な場所に移動されるのだ。緑化は大いに賛成だ。だがそれも他に方法があると思う。
「ジル。お父様が、もしもの事になったら……、兄弟2人で協力し合ってレガント一族を背負う事になるわ。」
ジルは顔を向けずに、柱横を睨んでいた。彼の流れるショートの金髪の前髪を耳に掛け、ジルはその母の細く白い指を見ては頷いた。
「最善を尽くさせます。伝わる話では、生姜が万能薬だと。」
ジルは理解する事を分かってはいても、どうしても父のこれからの運命を信じ様とはしなかった。
「あなたはまだ12になったばかりで、いきなり任されても、不安なのは分かるわ。でも、直に副社長とお父様の秘書はあなたに仕事を任せ始めるから、分かっておいてもらいたいの。」
「はい。それには全力を投資します。でも、俺は隣街作りを留めたい。」
そんな権限など自分には無い事は分かっている。
「あなたがお父様や市民達を襲ったペストを憎んでいることは分かっているわ。でも、それと時代を作って行く事は別なの。」
「そんな事でそこにあった自然の形を変えるなんて、愚かですよね。悲しくも、自己が被害にあうなんて、父は思っても見なかった筈です。」
そういう物が天罰なのだろうと、口には出せなかった。
ジルは溜息をつき、木々や青空がうるつ石床を見てから顔を上げた。
「心配しすぎて、ついカリカリしちゃってごめんなさい。」
「よく考えてくれている証拠よ。でも、あまりカリカリしすぎないで。普段は全く怒らない子だもの。」
母は一瞬泣きそうになりジルの頭を抱き寄せ、そして離すと微笑んだ。
「あなたが2年で更に立派になっていてくれる事を、見守っているわ。」
ジルは頷き、ともに扉まで歩いた。
「おい。」
弟の部屋の扉を開け、歩いて行った。
見回し、彼は見当たらなかった。向こうの扉から音楽が流れ、そちらに行く。
また、楽団に演奏させているようだ。
扉をあけ、奏者がジルに気付き微笑んだ。
「ジルおぼっちゃま。」
「ああ。弟はまた寝ているのか。おい弟。」
太い柱向こうに顔を覗かせると、彼は羽ペンで何かを書き付けていた。
「先祖の事か?」
「ああ。」
弟は顔を上げ返答し、ペンを置いた。
「兄がこの前言っていた宗教の事、自分も調べ初めたら止まらなくなった。」
それだけ言い、また計算を続けていた。ジルは大きな瞼で半開きに顔を覗かせ、片眉を上げた。
「違う。カラス座の横を通すから周期が狂うんだ。」
正確な計算方法を万年筆で書き加え、弟はそれを見てしばらく止まってしまった。
ジルはしまったと思って背を伸ばし、横に座った。
「気にするな。」
そう軽く肩を叩き、傷つき易い性格で無口な弟に軽くそう言い、止まったままなので目を泳がせ、肩を竦めおどけた。
「兄。宗教が人を救うって、誰が始めたんだろうな。」
「……。」
弟の横顔を見て、ジルは口を閉ざした。きっと父の事を救いたいのだろう。
「人を救うのは、耳を傾けようとするその教えの内容だ。誰もが人徳の教科書を書いておいてやってるんだよ。」
「じゃあ神なんかいないじゃないか。」
「今更気付くなよ。いいか?父は病気だ。それを治す方法は宗教の教えにはどこにもかかれてなんかいない。星の導きも、どんなに宇宙上で秩序立っていようが、秩序を失った病は正せない。繋がりを乱したからだ。医者に任せるほか無いんだ。分かるだろ。」
「兄は悔しく無いのか。いつも兄は余裕ぶってるもんな。何も悩みなんか無いんだろう。」
「進むからだよ。悩んだ瞬間打開していかなきゃ、どうするって言うんだ?俺だって心配に決まってるだろ!!」
ジルが怒鳴った為に彼は驚き見上げ、瞬きした。
演奏も止まり、ジルは溜息を着いてソファーの背を叩いた。
「怒鳴って悪かった。」
「俺も悪かったんだ。兄が心配してないわけ無いもんな。」
「今はきっと互いに切羽詰ってる時だ。お前が何かを信じたい気持ちも分かるよ。」
弟は頷き、遠くを見た。
「乱す物では無いものを乱すのが人間なんだな。」
「正せるものは自然だけだ。戻す事は人間には出来ない。」
「兄。森の移動、進めるのか?」
「正直、進めたく無い。そのままの場所で木もいたがるだろうからな。」
その言葉で、最終的には跡目を継ぐことを受け入れるだろう事が飲み込めた。
「兄。ペストには生姜が効くって定評だ。万能薬だから。」
「そうだな。肉も健康的だし。」
「生姜と肉で健康を保っていれば、かかりにくいと思う。」
「鼠は生姜が嫌いかもしれない。」
ジルは、そこで何かを思いついて、横上のシャンデリアを見た。
「そうか……。宗教で健康的な肉を集めさせるぞ。」
「え?」
「先代がそうさせた狼を滋養強壮などにさせたなんて、酷い話だ。せめて、安全な家畜の鶏や卵を確保させて予防させよう。」
「無謀だよ。兄の考えはいつも無謀だ。鼠が齧って無いなんて保証できないんだ。」
「これ以上市民が掛かったらどうするんだよ。今に街が全滅するだけだ。それに、他国から樹木移動の出稼ぎに来ている人間達も。牛肉はコストが掛かるし、豚は常の衛生管理が馬鹿にならない。鶏がベストだ。」
「でも、どうやって?」
「貴族達から寄付させて、巨大な鶏工場造る。」
弟はぽかーんとして、首を横に振った。
「話にならないよ。もしも感染した鼠一匹入れば一気に全滅じゃないか。現実的に難しいよ。っていうか、鶏肉ってペストに効くのか?」
「分からない。だが、大量に育ててコストを下げて市民が食べ易くするだけだ。工場は拷問島に作れる。」
「荒波が酷い一帯じゃないか。」
「ケーブル立てるんだよ。」
「鼠が線を伝って行ったら?」
「距離は5キロも離れてるんだぜ?」
「その資金を宗教で集める?」
弟は呆れ返って目を回し、首を横に振った。
「協力しないからね。兄のそんな慈善活動。」
「いいから。やってみよう。」
「本気でこんなに集めたのか?」
ジルの横からこそこそとそう言い、本堂には500人の貴族主が集まっていた。
「ああ。」
ジルは横に顔を向けそう言い、微笑んで前に向き直った。
「宴だと言った。」
弟は口を引きつらせ彼等を見て、目を回した。
「本日はお集まりいただいて、恐縮しています。」
ジルはそう言い、手をパンパン叩いてこちらに向かせた。
みな、若いジルぼっちゃんを見た。
「本日、父は病床に伏しているために、長男であるわたくしが、進行全般を務めさせて頂きますので、どうぞよろしく。」
慇懃に礼をした。
ジルが体を上げてパチンと指を鳴らすと、何かが広がった。
『Bird Festa』
「???」
誰もが首を傾げ、ジルを見た。
「今回お集まりいただいた特別な方々を優待し、特別に崇拝の特待信者のあなた方に、あ。そこ。逃げない。」
ジルはボディーガードに首をしゃくって訳の分からない毎度のジルぼっちゃんの発案に無音で逃げようとした貴族を止めさせた。
「我々が開祖する宗教に参加できるという、喜ばし、はい。そこ。」
彼は毎回、なにかと思いついては貴族達を集めるのだから、今回ときたら宗教だと言う。
「街には元来、宗教が進行しています。」
「そうだな。発祥自体は同じなので、崇拝の内容が増えるだけだと思って頂いて結構ですよ。鳥を崇拝するので、大切に扱ってください。それに、週に4度、美味しい美味しい生姜焼き鶏肉と新鮮生卵を頂くという習慣をつけましょう。」
貴族諸君だけ元気でも困るので、ジルは貴族達からいずれは金を出させ、二流家庭も健康を保ち続けられるために鶏工場とは別の金を毎月一定金額寄付させる事を始めるつもりだった。安価な鶏肉料理分で食費が浮く事でも充分渡せる。全く無関係の家庭に飲み込まれて行く事を貴族達は反対するだろうが、二流家庭の人間にペストが蔓延したら一気に崩れる。
今、父によって職人達の街に、移民者達が住み始めていた。彼等も危険だ。
「では、わたくしの開祖する宗教に名乗りを挙げ、信者になるという賛同者は、この後の宴をお楽しみください。賛同なされない方は、一度話し合う為に、別室に集まって頂きたい。」
不賛同者が名乗りを挙げようとしたのだが、手を上げかけた瞬間、ざっとボディーガードの顔を見た。彼、というか弟は前を向き直り、諦めた。
意外にも兄に騙されて鳥崇拝信者になる貴族ばかりだった。
「崇拝時刻は、夕日賛美と同時刻に始まります。その後の従来の一番星後までを通常通り行なって頂いて結構です。寄付金に当たりましては、一口からお願いします。」
「え?」
「ミュージックスタート!」
楽団の演奏が始まり流れた。みんなも踊り始めていた。鳥を大事にしろとの事だし、鶏肉を食えとの命令だ。特に反対する理由も無かった。
「兄。なんだか、きな臭い気がする。」
「やっている内容は慈善事業だから、そこは気にするな。」
「普通に基金の募集を掛けたほうが納得していただけます。」
「ペストが蔓延している事を言うのか?一気に混乱する。そして街を離れて行きたがって過疎化する。ということは開拓と200人の死が無駄になる。宗教に気を向かせておいて、裏で健康維持出来たら万歳だ。」
弟は半開きの目で見て、大丈夫かなこれで……と思った。
「赤の悪魔?」
「ああ。古来、先祖が冬の時期に崇拝していたのは青の悪魔だ。秋に赤の悪魔を崇拝した。全体的に光を崇拝していた先祖達は、今この街で行なわれている崇拝同様に光からの安静を精神に投げかけた。」
■露雅
「それでは、俺が各国国王や投資家達に話を持ちかけよう。」
「ミスタージル。有り難い。」
ミスターは微笑み、快く受けてくれた。
「ローガの頼みだ。」
「助かるよ。工事まで全面的に引き受けてくれるとは。」
「全て任せてくれ。大船に乗ったつもりでいてくれて結構だ。」
その必須条件として彼が出した話が、≪ 医療開発部 ≫の部門設置だった。
■リカー
「ふざけてるわ!!信じられない!!!」
叫んでも気が晴れなかった。まさか、パパがメイドなんかに子供を?!
あたしは歩き回って指を弾き、シャンデリアを見上げた。
あのメイド、パパに色気なんか使ったって事よ。許せない。なんて女? 絶対に破滅させてやる。
でもどうすれば……。今あの女は出産を済ませて離れている。即刻帰らせるべきよ。
でも、あの女って確か、ドライバーの男と一瞬親密そうな視線を交わしたことがあったのよね。微かに。
あーあ、そういうこと。
そうだ。あの2人、絶対関係持ってるに決まってる。使用人が主に内緒で?
分かったわ。じゃあ、一生を共にしてもらおうじゃない。
ブルーミングブルービューティーの魔力でね。
「信じられないわ!!!」
何故よ!!ジルがあのサルを引き取っただなんて!!!
しかも養子ですって?! 妾の血が入ってるのよ?!
しかも、何?! ライ・ローガルなんて名前をジルからつけられてなんて生意気なガキなの?!!
許せない……、でも、ジルが守っている以上、何も出来ない。
あたしのジルを独占するつもりなんだわ! 腹違いの分際で、あたしよりジルの優位になろう何て許さない!!
■ライ・ローガル
気球の模型を完成させて、僕はそれを掲げて笑った。
パパにあげるんだ。
僕は糸や、薄い布、細い木の棒や鋏とかボンドを箱の中に入れて、気球をもって走って行った。
「……。」
僕は影が出来たから見上げた。
「……。」
リカーが僕を冷たい目で見下ろして来ていた。その横を通り抜けてドアから出て行こうとしたら、首根っこをつかまれた。
「離してよ。」
「ハームちゃん。なんなの?これ。」
関係無いよ。
僕は落とされて、気球を抱えて見回した。
リカーを睨み見上げ、僕は走って行った。
■アルグレッド王子
「ご機嫌麗しく。僕の名前はライ・ローガルです。」
「お初にお目にかかります。僕はアルグレッドです。」
連盟理事長のミスタージルは、父上や各国国王達とも親交が深かった。連盟には国王は当然の事加盟できないので、実質的に世界トップの
座を大富豪として手にしているミスタージルは、あらゆる全てに関してNo,1という事にある。彼の息子だというライ・ローガルも、その彼等のジュニアである王子達と仲が良い。
僕はライ・ローガルにニコッと微笑み、ライ・ローガルは笑顔を知らない様に作り笑いをした。
「同じ年齢なんだよね。父上から聞いたんだ。一緒に遊ぼう。」
「うん。」
ライ・ローガルを連れて行って、ソファーに座った。
「ミスタージルって、どんな父上?」
オレンジジュースを渡しながら僕は聞いた。
「パパは優しいんだ。立派な人で、僕も尊敬してる。僕も将来、パパの会社を共に発展させて、共に働くんだ。アルグレッドの父上も素晴らしい方だね。」
「僕も尊敬してるんだ。ライ・ローガルは偉いね。まだ6歳なのに将来の道を決めてるんだね。」
ライ・ローガルは頷き、オレンジジュースを飲んだ。
■グラデルシ
俺は目を上げ、彼が会場に入って来たさまから、目が離せなくなっていた。
知っている。
有名な男だ。
彼は、ジル。
優雅な微笑みで会場の者達に挨拶し、驚くほど長身だ。
「ミスタールジク。」
俺は進んでいこうとしたダイマ・ルジクの背の高い横顔を見上げては、話を始めた。
「彼に俺の事を紹介して頂けないか。」
ルジクはジルを一度見てから頷き、首をしゃくった。俺は咳払いしては歩いて行った。
ジルは友人を振り返り、微笑んだ。
「やあ。ミスタールジク。」
そして、俺を見て来た。テープ越しでは無い声を初めて聞いた。なんて淀みない声だ。
「お初にお目にかかります。ミスター。」
「君はミスターグラデルシ。」
「俺の事を?」
「ああ。新しい事業を栄えさせる能力は目を見張るものがある。」
「光栄です。」
俺は感極まって眩暈がし、そして気をしっかり持った。
彼は俺の憧れる人物だ。憧れだなんて、一般の誰もが口を滑らせるような言葉では表しきれ無い程の崇高な存在への崇拝観念があった。
ジルの大きな手を俺は見た。優雅な仕草を流れるようにして、俺の前に差し出された。
俺は、その手を取り感極まって彼のエメラルド色の瞳を見上げた。白黒の写真を俺は一度だけ窺ったが、深い彼の黄金の艶髪も、まさに黄金の似合うエメラルドの双眼も、張りがある引き締まる肌の色の具合も、唇の色味も、何もかもがまるで目の前にオーラがあり押し迫るかのような気迫がある。不敵に微笑む優雅な顔立ちは、実に品があり独特の整った風がある。
温かな手の感触が、意外に柔らかいのだが実にしっかりとしていて、俺は離したくは無かった。ずっと動かさずにいてもジルに対して失礼にあたるのだが……。
ジルは笑顔のまま、握手の交わされる手と、俺の顔を見ては俺は慌ててその手を離していた。
「失敬」
乱暴に離してしまった事に今気付き、それでもジルは包容力ある微笑みで、白く綺麗な歯を見せて微笑んだ。俺は倒れそうになり、まだ感触の残る手指に汗が滲んだ。
しっかりと着込んだ紳士服の立ち姿は素晴らしく、見惚れてしまっていた俺は、ダイマ・ルジクに横から囁かれた事にもしばらくは気付かなかった。
「彼女がジルの寵愛するリカーMだ」
その言葉に、ジルの背後を見た。美しい女が、水の様な真っ白の手腕にゆったりとグラスを受け、やって来る。
プラチナ金髪の髪は立ち上げ背後に流していて、滑らかな肩が鎖骨と共に覗き、そして黒のビロードか何かの衣装をその上腕の上部に掛け、滑らかな腹部までを引き締め、そして腰から優雅にしっとりと広げている裾は上品だ。その彼女がサイドのボウイから受け取るグラスを見つめる横顔が、魅惑のミステリアスさを誇っていた。
細長い首から、プラチナと六角エメラルドの連なるネックレスを填めている。耳に更紗のようなプラチナが光り、頭部サイドを装飾していた。
彼は、まるで黒かプラチナの白鳥の様に、白の柱を黒ビロードが装飾する間口から上目で強く微笑しこちらを見た。
一瞬で、何らかの内に秘めた妖しさが氷やクリスタルのように確固としたものとなった。
「ジル」
彼女はそう、黒の鋭い唇で微笑み、澄み切ったソプラノ声で言うと、「ふふ」と微笑み意外に颯爽と歩き進めて来た。
ジルは微笑みリカーMの背に一度手を当てると、その広い瞼の下に揃うくるんとなった短いブロンドの睫が、美しくジルの整う目元を装飾し、綺麗な鼻筋の下の品のある口元が「リカー」と微笑み象った。
ジルの寵愛するリカーM。
俺は彼女の視線を受け止め、彼女は勝気に微笑んだ。
握手を交わす。どこまでも柔らかなその小さな手を取り、俺は彼女に微笑んだ。
銀幕の中の彼女をよく知っている。貴族だが、彼女は好き好んで女優業をパリで行なっていた。どこまでも艶のある女だ。初めて間近で見たが、銀幕の中の繊細さも、透明さも、全てが強い光の中に消えうせていた。一言で言えば、気の強そうなレディーだ。
女にしては背が高い。その為に、長身のジルとよく似合っていた。
「ルジクさん。あたしが先日、是非とも譲り受けさせていただきたいと申し上げた絵画は、もう飾らせていただく場所を作ったの。黒のペガサスが星の瞬く夜空を駆けて行く物よ。覚えてらっしゃるでしょう? その絵画にあわせて、素敵な(クリーム色をした)ビロードの垂れ幕を柱にあつらえさせたわ」
そういったリカーMの言葉がダイマ・ルジクに向け発され、俺はジルと会話をしたくて言葉を選んでいた。貴方に是非とも装飾品を贈らせて頂きたいという言葉は、まだ早いだろう。ぶしつけに思われたくなどない。頭がくらついてきた。気絶してしまいそうだ。
俺がそうこうしているうちに、話は終了していたようだ。
ジルは華やかに俺達に微笑み、挨拶をしてからリカーMと共に他の客達の場所へと歩いていった。
俺はいつまでも、ただただ茫然としてしまっていた。その背を見ては、輝く笑顔の横顔を見つめ続けてしまっていた。あの彼の雰囲気は、万人を優しく受け入れ易くしてくれる物が備わっていた。近寄り難さのオーラと共に、極めて近寄り易い雰囲気が同時に彼の体を取り囲んでいる。
煌びやかな彼の周りの全ては、人々の発する光と綺麗に混ざり合っていた。
「圧倒されていたようだな」
ダイマ・ルジクがそう言い、俺は顔を彼の鋭い横顔に向けた。何度か頷き、グラスを傾ける。
緊張がまだ体を侵食し、足が固まったかのようだ。無償にシガーをすいたくなり、肩から力を抜くと歩いていった。
シガールームへ来ると、経済の話を進める連中が紫煙を立てていた。女達は殿の背後などに腕を組み立てたり、アームに腰を降ろしたりしている。
コーヒーをオーダーすると、軽く挨拶を交わしては他のスペースへ腰を降ろし、シガーを取り出した。
こめかみに指を当て、目を閉じる。重力に従って背が背もたれに沈んでいき、ダイマ・ルジクが可笑しそうに笑う声に目を開き天井の幾つ物装飾金枠の中の天使たちの絵画を見つめた。その横の丸い装飾とその下に伸びる柱横、硝子越しの空間は赤のビロードに囲まれ、煌びやかな通路を広げている。
恋をした。
そう、親友であるダイマ・ルジクに危うく言ってしまいそうになったがそれはゆるゆると口の中に留まり、溜息となって紫煙の中に紛れ、天井へと昇って行く。
男性的なあの頼りあるオーラは、黄金だった。
■ジル
瞬きし、通路の中央にうずくまる動物を見た。
それが動き、腹部を上に寝そべる。
動物だと一瞬思った事が間違いだった。ライ・ローガルだった。
また何かをしているのか、それは不明なのだが、森から現れた獣だと思った。
そちらへ歩いて行き、気を確かに持たせる為に肩を抱き上げ起し、頬を叩く。
「パパ」
その淡い黄緑色の瞳が開かれ、彼に安心して微笑んだ。
「どうした。何の練習を?」
「リカーの前で気絶した振り……」
え?
ライ・ローガルはゆっくりと立ち上がり、ニッカポッカのポケットから何かを出した。
「気球の絵、描いたんだ」
それを小さな手の中に見ては、ライ・ローガルの顔を見た。無垢な表情でにっこりと微笑み、やはり彼を愛しいと思う。大切な存在だ。
「俺にくれるのか?」
「うん」
そう小さな頭で頷き、その頭を撫でた。
「ありがとう。よく描けている。将来は、立派で精巧な設計図を描けるようになるだろう」
ライ・ローガルは嬉しそうに声に出して笑った。
ライ・ローガルは姉のリカーを避けているが、今に姉弟仲良くさせたい。だが、気絶真似をする程に彼は彼女を避けているとなると
「狐ちゃんが一匹。狐ちゃんが六匹。嫌だわ。いよいよ幻覚かしら」
ライ・ローガルはふらりと、気絶の準備に入ろうと目を回し始めたが、その肩を支えては気をしっかり持たせ、リカーを見つめた。
「あんたは、そうやってあたしを見ないようにしているつもりね」
そう、鴉の仮面を付けた彼女が腰に手を当て、指をライ・ローガルに向け言っては、その長いくちばしが艶に光った。
「脅迫は良く無い」
「ジル。あたしは普通の事を言ってるだけ」
そう、鴉の仮面を向けては両腰に拳を当て、顎でライ・ローガルを示した。
「狐ちゃんがあんまりにも可愛らしくってね。憎たらしすぎてこのくちばしでつつきまわしたくなるほどよ」
そう長く優雅な裾のついた羽根のような腕を広げ、黄緑色のその麗しい目を見開き威嚇してくるものだから、ライ・ローガルは上目でリカーを見上げていた。
それを闇の森に流れるせせらぎのように腰に戻し、黒鳥の羽の扇子でプラチナ粒子の煌く首元をあおり、艶やかに目元は肩越しに微笑むと、歩いて行く。
「ジルはあたしのものよ。覚えておく事ね?」
そう背は歌いながら口ずさんでは、歩いていった。
「パパ。出張で出かけるんでしょう? 連れてってもいいよ。あんなに鋭い真っ黒の爪に引っ掛けられたら、酷だよ。地獄の縁まで抓まれて落とされるかも」
「狐ちゃん」
彼女は通路の先で口元を扇子で隠し振り返っては、ドレスの裾が繊細に踊る。
「縁ではなくて、心底かもよ?」
そう低く笑い、角を曲がっていった。
全く、困ったものだ。
夕暮に行なう崇拝の準備には余念は無い。
ホールへ向かい、いつもの様に行なわれている行程を確認する。
しばらく街を開けるにあたる報告は、既に信者達には済んでいるのだが……
「クシュン!」
厨房長、バライゾンがくしゃみをし、黒胡椒の瓶を台の上に置いた。
「失礼」
「お大事に」
彼は皮製の黒のマスクで口元を覆うと、バライゾン一族の者二人に再び指示を出しはじめる。鶏肉が串に刺されていく。これは崇拝時に炎で焼かれた後に異国から来ている緑の隣街作り達の夕食時に毎晩の事、食される。
崇拝時、弾き鳴らすパイプオルガンの伴奏を受け持つ演奏一族、バラミスの長と妻が現れた。黒の長い髪を今日も黒のヴェールに包ませ、目元以外は黒のレースで窺え無いものの、赤のルージュが美しい。バイオリンとコントラバスを弾き鳴らす彼等は、それらをセッティングし始めた。
「主様。本日のブルーミングブルービューティーをお持ちいたしました」
「ありがとう。あちらへ持っていくように」
「かしこまりました」
上部が闇に霞むパイプオルガンのパイプは、堂々たる威厳がある。
それを見上げていると、観音扉が開かれた。
ゆるゆると、風が押し迫って来る背後を、微笑し振り返った。
「ブラディス」
「ジル」
ブラディスは颯爽と歩いてきては、微笑んだ。
「珍しく、一番乗りを決め込んできたんだが、鶏肉の宝庫だな」
「ああ」
ブラディスが丸焼きにする鳥を見回すと、男らしく上目で微笑んだ。何かを考えているな。この殊勝な目元は。
「どうした?」
この年上の友人がこの笑みを寄越すときは、リカーについて、俺に勝る事を言いたくて仕方が無いときだと分かっていた。
「リカーと結婚する」
「………」
炎がサイドで松明により付けられ、ブラディスの鋭い鷲の様な微笑の横顔を照らし付けた。挑んでくるようなその水色の瞳はメラメラと光を集めている。
「そうか。聞き違いか」
身を返し、パイプオルガンの椅子に座り
「ジル。聞分けの無い子供のような態度は止めてくれ」
「あわわわわー」
「全く」
腰を降ろした横にブラディスが来ては、横顔を見て来る為に横目で見上げた。
「そうやっていじけた顔をしようが駄目だ。結婚を認めてもらおうか」
「駄目だ。俺の耳は今、洪水の幻聴にさらされていてその余地が無い。一向に」
バラミスの妻がくすりと可笑しそうに微笑み、バイオリンを台に掛けては言った。
「ミスターデスタント。主様はやきもきすると、演奏をいきなり途中から変更させるの。我々は恥じを掻くわけにはいかないわ」
「バラミス夫人を味方付けようが駄目だ」
「精神をたがえそうになる」
「ジルはこれだから」
救いのバラミスの妻は可笑しそうに笑うばかりで、ブラディスはあきれ返っていた。
「いけません。ぼっちゃん」
閉ざされた観音扉を振り返り、その巨大な闇に揺れる扉から、あどけない天使の声が微かに転がるように聞こえる。
「パパに見てもらいたいんだ」
ブラディスはライ・ローガルの声にこちらを見て来ては、扉を見た。
「ローガンはこの頃、あの手この手を使ってお前に夕方に会いたがって来るらしいな」
頷き、立ち上がっては歩いて行く。その時にリカーがサイドの間口からやって来ては、微笑しながらブラディスにウインクし、俺は向き直って彼女の腰を引き寄せた。
そして解放し、歩いて行く。
彼女は背後のブラディスのいる方向へ歩いていった。その彼女の影が、炎に照らされ、石のホールに闇色にサイドに伸び移動して行く。その影を見つめると、いつでも回転する彼女を思い出す。その裾を広げ踊る姿が、今は炎を背景に琥珀と闇に楽器を鳴らしダンスする流浪の様に。ブラディスと俺の間を悪戯に……。
扉の前まで来ると、細くその扉を開けた。清い明りが白く差す。
「ローガン」
「パパ」
何の曇りも無い涙に暮れる頬を上げ、ライ・ローガルが見上げてくる。青白い中を立っていて、その背を包括した。
「これ、作ったんだ」
そうぽろぽろと泣きながら言い、俺は彼の涙を拭ってあげながらその小さな手の中の模型を見つめた。どんどん、精巧になっていく。
「素晴らしいな。ローガン」
そう頭を撫で、ライ・ローガルはにっこり笑って頷き、そして小さな手を振り、走って行った。
赤闇の夕暮が来る前に。
この所は、中に入りたがらなくなっては来た物の、やはり寂しいのだろう。これから留守にする為に、どこか今夜中に連れて行ってあげることにする。夜の飛行でもいい。クルージングでもいい。共にいる時間を作る。
「なるほど。これがいわゆる聞き違いというもののわけね」
「出張の話は既にしたはずだ」
「折角あたしはパリからリーデルライゾン五日間の旅という触れ込みで戻って来たというのに」
「申し訳無い」
「いいの……。狐を丸焼きにするのに、この残りの二日間はゆうに掛かるでしょうから」
「いや駄目だ」
そんなスカーフ越しの殺気をゆるゆると感じたらしいライ・ローガルは、一人掛けの中に収まりチェスをしていた。頬杖の横目でリカーを見ると、顔をそらす。
「とにかく、俺は早々に出なければならない。本当に悪いな。二人とも」
リカーとライ・ローガルの父親としては大して機能していない弟に、崇拝のほうは一時任せることになる。ライ・ローガルは弟には近寄らない。本当の父親が俺ではなく、あの弟である事も気づく事は無いだろう。
今から自室塔に戻らなければ。
■ライ・ローガル
僕は目を丸め、その薔薇色の少女を見た。
僕の視野の全てに薔薇が咲き誇って埋め尽くして、一杯になって僕は手足を固まらせガタガタ震え、パパの足に当たってしまった。
「おっと。大丈夫か」
僕は熱くなって首の骨が緩んでしまった様に頷き続け、まるで勝ち誇ったかの様にアルグレッドが僕の耳に言った。
「可愛いだろう。僕、話した事あるよ」
「………」
僕は目を口を開け直立不動で横目でアルグレッドを見て、また戻して、薔薇色の少女を見た。でも僕より背が高い。
あの艶掛かる高級チョコレートの様な髪。あの薔薇色の頬。白くて滑らかな頬。柔らかな唇。大きくてキラキラと輝く瞳はまるで僕だけの為に造られたクリスタル。
「ライ・ローガル?」
僕は肩をとんとんとパパに叩かれ、ギギギギギと首を上げて一瞬後に叫んだ。
ズイッとリカーが腰を折って顔を伏せ目で充分眺め見て来たからだ。
「狐ちゃん。あんた、何さっきから毛皮矧がされる順番待ちの動物みたいに固まってるのよ」
アルグレッドが目と口を丸く横目で真っ青になってリカーを見て、リカーは僕の横のアルグレッドを見ると、ニッコリ微笑み、魔女の様に高揚し低く言った。
「あの薔薇の姫にねえ」
またリカーに泣かされたアルグレッドが、父親の国王の所に泣きつきに行くかと思ったら行かずにいた。あの薔薇の少女がいるからだ。
僕は金髪も黄緑の瞳も淡い。普通、人種は同じ人種の方が恋仲としては確実に優勢だ。僕は瞼を伏せさせアルグレッドを横目で見た。
アルグレッドは一国の第一皇子で、黒髪で、目も鳶色で、格好良くて、お洒落なスタイリストがクールな色を着せていて、将来の国王だ。
しかも、さっき、話したことがあると憎たらしい事を僕に聞かせてきた。いつでもアルグレッドはそういう事が得意だ。
「ローザ」
僕はバッと彼女を見た。
ローザ。
ローザ。
ローザ。
ローザ。
何度もその名が頭の中に巡った。このまま自分が本当に狐になれたなら、その大きな耳から声が出て行ってしまっただろう。それに尻尾が生えていたら隠す暇も無くふるふると歓喜のあまり震えていた筈だ。リカーにつかまれ振り回されて抜かれて地べたに落とされておしまいだ。
僕はそんな余計な事を考えている暇もすべて捨てて、彼女を見た。
「Grazie dell'invito Jill」 ※お招きいただいてありがとう。ジル
………。
?
僕は瞬きを繰り返して、薔薇の少女、ローザを見た。
何語なのか分からない。スパニッシュでもなければ、フレンチでもなくて、ジャーマニーでもない言葉で、麗しのローザが話している。
パパは僕の頭を一度撫でながら僕の名前を出して彼女に紹介していた。しかも、その言語で。
彼女が僕の方をニッコリ笑って見た。
僕は肩を縮めて目を固まらせ、真赤になって差し出された手を、そろそろと見た。
「Buonasera!」 ※こんばんは!
「ああ、あ、あああああ、あ、あ、ああ、あ、」
「お、おい。ローガン? どうしたんだ」
パパが驚いて僕の両腕を持って、アルグレッドがローザの差し出されたままの手を咄嗟に取った。
「ciao, rosa! Come stai?」 ※やあローザ! 元気?
「Bene, grazie」 ※おかげ様で元気よ
僕はグルッとアルグレッドを見た。アルグレッドは薔薇色のローザと同じ言葉を喋っていて、ローザを見るとニッコリ微笑んで返している。
ローザが僕の手も取って、柔らかな手で握ってきた……僕は全身の骨がサワークリームになったように、緊張のあまり倒れそうになった。
ローザがマシンガンのように何かを言い続けている。早口で何かを言っている。僕の手を握りながら。僕はずっとそのキラキラ輝く目と薔薇色の頬と満面の笑顔を見つづけていて、頭が回ってパパに支えられた。
「?」
ローザが心配そうに僕の顔を覗き込んできて、パパが微笑んでそれに答えていた。またローザがニッコリ笑って、彼女の母親に彼女は連れて行かれた。
僕はずっとローザの方をぼうっと見つめ続けていた。
これが、もしかして「好き」だという気持ちなのかな。凄く可愛くて、笑顔も顔立ちも姿も可愛くて、薔薇の女神様が産んだ美麗な精のようだ。
僕はパパの手を引いて揺らした。
「どうした?」
「あの子ともっと話したい」
「レディーローザと?」
僕は頷いていた。
この会場には、ヨーロッパ中の社交のジュニアとドーター達が集まっていた。
「イタリア語を今度習うようにしよう」
「イタリア?」
僕は頬を熱くしてローザが他のみんなに挨拶をしている姿を見た。
パパから一つ二つ、イタリア語を教えてもらった。ちょっといいですか? 一緒に休もう。ありがとう。その三つ……。
「Mi scusi?」ちょっといいですか?
僕は緊張しながら繰り返しそう言いつづけて絨毯の上を歩いていき、ローザの横に来た。同じ言葉が、まるでぬかるんだ声みたいにそう言っていた。
「Si, posso aiutarLa?」 ※はい。なんでしょうか?
ローザが満面の笑顔で僕を見て、僕は歯を噛み締めてしっかりと背を伸ばして言った。
「Facciamo una pausa?」一休みしませんか?
「Certo. dimmi」 ※もちろん。何?
ローザが何かを言って、僕は彼女の柔らかな手を取って、緊張しながらギコギコ歩いて行った。
ドレープに囲われた窓際のセトルに腰掛けて、僕の方が背が低くて手間取ったから、泣きそうになったけど耐えた。普通に座ったローザが僕を見た時には座った。
「Di che cosa si tratta?」 ※何の話?
微笑んで顔を覗き込んできて、優しく言ってきた。
どうしよう。彼女が何か言っている。
「Arriva subito al nocciolo」 ※早く用事を言ってよ
「………」
「Che cosa c'e?」 ※どうしたの?
「………」
「Mi stai chiedendo di uscire con te?」 ※あたしをデートに誘ってるの?
「………」
ローザが言葉を切って僕の手を握ってくれた。それで、前を見て足を揺らした。
僕はずっとローザの綺麗な横顔を見つづけていた。ずっとずっと見ていた。
「Prendiamo qualcosa?」 ※何か飲む?
「?」
「Aspettami qui」 ※ここで待ってて
僕はローザが行ってしまったから、俯いて膝を見た。
「………」
「Sorpresa! Questo e per te」 ※ジャジャーン! これ、あげる
僕は顔を上げて、顔を真赤にしてローザを見た。赤いジュースに、真っ白い綺麗な薔薇が咲いていた。
「Stiamo ancora un po' insieme?」 ※もう少し一緒にいない?
僕はジュースを両手で受け取って、真赤になって二人でジュースを飲んだ。
ずっと沈黙ばかりで、絶対にイタリア語を上手に全部話せる様になると心に決めた。
僕は俯きながら横目でローザを見て、緊張してまた見た。
ローザがニッコリ微笑んで僕を見て来た。
僕は目が反らせなくて、ローザの手に手を当てた。
「ローザ綺麗だね。僕……」
イタリア語で言いたい。でも分からない。彼女の毎日話す言葉で言いたい。
「その……」
ローザの指を撫でながらうつむいて、また顔を上げてローザを見つめた。
目をつむって、柔らかい唇に口付けした。
「No!!」
パアンッ
「………」
………。
………。
僕は頬を抑えて、真赤になったローザを見て、ローザが凄く恐い顔になって真赤に歩いて行ってしまった。
「………」
………、
「うう、うわあああん! うわああああん!」
僕は大泣きしていた。生まれて初めて大泣きしていた。
パパがすぐ駆けつけて来て、僕の髪を撫でて抱き上げた。
「僕もう大人だもん! もう大人だもん!」
「分かった。ほら。涙を拭こう」
涙を拭われて腕で拭いて、悔しかった。
「失敗しちゃた、嫌われちゃった、ううう、ひひっく、」
「ごめんなローガン。ほら泣くな。あとで謝りに行こう」
「うああああん、うああああん、」
僕は一日中泣いていた。
■ジョス三十三歳
この街にバーを開くに当たる権利書を携え、市役所にやって来た。
「ジョス・マルセスさん」
異国からの移民書を発行した折りに既に訪れてはいるものの、毎回正体を知られはし無いかの危惧が脳裏を掠める。
窓口へ進み、背を折っては書類を役員へと手渡す。
「お伺いします」
女性の役員が封筒の中を確認していく。
「しばらくお待ちいただくうちに、サインをお願い致します」
万年筆を持たされ、名を書かなければならない。幾度も筆跡は変える訓練はしているのだが。手の中に、人工骨を支障の無い程に挟ませた上から筆跡変えを行なった。
「承ります」
サインの書類を受け取ると、彼女は中ほどへと引いていく。
再びソファーに腰を降ろし、待機する。
「ジョス・マルセスさん。エクゼーラにバーを構えたいとの事ですが、我々側街の情景としては、歴代に無い事ですので、お時間を頂く形になります」
街は情景を第三に重んずる。第一には内包の自然の緑と心の豊かさであり、そして第二には情愛を持つ様に。それが街を創設した先祖の格言であり、地主が守らなければならない一か条だ。
貴族で成り立ってきた街の内情は変化を来しつづけている。今までの街を続ければ、格式だけがのこり、この街は世界から死んだ状態になるだけだ。街貴族達は徐々にその力さえ失って行き、波に指で押されれば流されて行くと、祖父は言いもう一つ街を作ると森を隣の平原へ移動させた。父が引き継ぎ、そして俺はそれを反対した。森はそのままにすべきだと。
だが、もう既に父は森林移動に寄る浄化の秩序を失った先のペストに倒れ、先祖達の元へ向かっていた。
俺が計画したせめてもの緑の街作りが部下達により進められる中、海外からの労働者達へ補給される鶏肉宗教が、俺の行方不明による不在という形で二年もの間を中断されていた。
その為に、貴族達もリカーも別段彼等に気を配る事がなくなり、現場監督達は支給の際に支障をきたし始めている。
これから出来る事は、その彼等の休養の場を提供する事、今までは事業の忙しさで出来なかったソルマンデアナトリウムのペスト患者達の看護、そして俺を暗殺し地主とロガスター権力の一糸を手にしたリカーの様子を見ること。どんどんと緑の街作りは進み、平原に移った大量の樹木も定着し季節を巡らせ、一時山へ逃げていた動物や生物も移動した森へと戻ってきていた。
「マルセスさん。バートスク地区への店舗建設は念頭へは入れてらっしゃらないでしょうか。まだ我が国に来て二日目と言う事ですし、街の情景を分かってらっしゃらないとお見受けしますが、そのバートスク地区の方が勝手が良く商売にもなると思われますよ。あんなに他国労働者ばかりの言語もばらばらの地区では、問題も伴いますでしょうし、それだと我々も対処が遅れます。それだとこちらも困りますので」
役所の人間には、他国からの労働者達に対する最善の対処をいち早くも受ける事を言ってある為に、その条項をいきなりリカーが激変させない限りは、他国民としては言った俺にも適応される為に、無下に役人も却下できずにいるようだった。役人達の負担になっても困る。
その為に言った。
「こっちは言語も多くを理解出来るので、そっちに心配ない。私船に乗ってあっちから来たものですから、配管も知識あります。いくつかエクゼルの」
「えっと……、失礼。とても良く配管が出来るということでしょうか。それともエクゼーラのことでしょうか」
「そうです。街の名です」
「おつづけ下さい」
「ありがとう。そこにもガス水道残るとこあるので、不動産で探していた」
「ええ。確かにそうですね。ございますね。元は職人の街だったので。地主様が現在街にいらっしゃれば快く判をおさせたのでしょうが、彼は現在他の街へお回りになってるので……少々お待ちください。確か何かいい条約があるんですよ」
役人が本をめくって行き、その間、先ほどの窓口の女性役員がこちらを見た。
そちらを見ると、役員の女性が微笑んで、顔を下げてペンをくるくる回した。耳が紅く染まる横顔が美しい。女性は誰もが紅潮すると尚の事美しかった。
「マルセスさん。そうですね。こちらに、そう簡単にいれば、労働者同士での助力の樫合が出来ます。その部分もパスしましたが、職人地が住宅部へと変わった後での店舗を構えるとなると、条約に無いですね」
「それは絶対的なもので?」
「条約は条約です。年に一度変わりますが、地主様がいらっしゃれば楽なんですがね……はたして副理事様は首を縦に振るか」
副理事とはデスクワークばかりの弟の事だが、頑固だ。変化球を投げる事が出来ない性質だった。
「街自体の決定権には彼等兄弟方への申請が必要なので、それも出来るだけ省きたいのでしょうし、どうにかやってみましょう!」
そう彼は言い、微笑んだ。移民者にここまでしてくれるとは……。
「感動しました。本当にありがとう。不動産回ってきます。それと、役所さんが困ってもこっちも困るので、そのお上さんにお伝えください」
「ええ。良いですよ。なんでしょうか」
「ここに書いてある、本地主不在の折りは下の条項にひんした時に助け合うにあたり全てを尽くさせる、っていう」
「あ! そうですね……。えっと。その場合必然的にあなたがたがの間で商売が絶対的に成立するべきかを問う事になるのですが。彼等はそこまで裕福でもなく、酒や料理で金は取れませんよ」
「そっちは大丈夫です」
「よく分からないのですが、どうやって食品や酒を出すつもりですか?」
「農場あります。酒造ってます。その人頼ってこっちにきました」
「ああ、本当ですか。それじゃあ安く提供できますね。良かったですね。あなた、海外からいらっしゃったので住民税歯免除されますが、商売だけは所得税を入れてもらいます。今まで他国労働者が商売を下した事は無いので、そこは我が街と同様に扱わせてもらいますが、大丈夫ですか? 利益に関していただく事になります」
「売上でてからでいいですか」
「それはもちろん。よければ、隣街開発事業の支給係の部門に話し合ってみますよ。あなたも誠意もありますし、彼等が一人二人来てお店での給士を手伝ってくれると思います。そこは力強い形成が出来ているので」
「本当助かります。わがままを言って申し訳無い」
「いいんですよ。こちらの役目なので。それがただ本当に実行できるかわかりませんが、それだけは分かってくださいね」