癒しモノの本懐
先は長いようです。
『癒す』モノ。それは何も『巫女』だけの事を言うのではない。
私の様な存在・・・そう。『玩具』もまた
『癒す』モノの一つの『表れ』であると言えるじゃろう。
卵が先か鶏が先か等というある意味不毛な例えと同じ位
『玩具』と『巫女』の関係は古く、奥深いものなのじゃ。
例えばある動物が居たりして、それが『食料』であったり
あるいは敵対する『敵』や逆に良き『隣人』であったりするとする。
するとヒトはそれらの姿を身近なモノに刻んだり
似た物で見立てたりして身の周りに置いたりしだす。
『お守り』とか『偶像』なんかがそれに当たるかの?
『巫女』はそうやって生まれた『偶像』を仕える神やらの器となる『依り代』とし
何かと忙しい人々に代わって奉り、人々から収集した過去の記録等から
次に何をすべしなのかを奉った存在と相談したり指示を仰いだりもする役目も持つ。
早い話が人々の相談役やらの『調整役』をやってるって事じゃな。
まぁ『巫女』に関するこ難しい話は横に置いておいてじゃ。
そうやって生まれた『偶像』をただ飾っておくのは勿体無いじゃろ?
何しろ身近にいるナマモノを手本にしているんじゃし。
そうこうしている内に生まれたのが『玩具』って訳じゃ。
『崇拝』するだけでは飽き足らずより身近に感じていたい・・・
かくして『玩具』はどんどんリアルになっていく訳じゃな。
より正確に、より細かく『本物』らしく再現していくという風にの。
で、ぶっちゃけ私が何を言いたいかと言うと、
私はある意味『やり過ぎ』てしまっていたという事なんじゃよ。
私はこの世界に来てから『可動箇所』を増やして来たんじゃがな。
それは詰まる所『玩具』の本質でもある『偶像』としての命題
をも実行するという事でもあったという訳なんじゃよ。
より『リアル』になる。それは所謂『頂点』を目指すというお題を
意識する事無く消化していたのと同じ事だったて訳じゃな。
私がその命題をいつ消化し終えれるかは知らんが兎にも角にも
私は今度の件で次なるステップへの力を手に入れたのと同じ状態になったという訳じゃ。
『玩具』でありながらも『巫女』としての力を持つ。
この事が吉となるか凶となるか。総ては当事者たる私次第って事は『癒しの文』の文も
教えてくれてはいるが、とりあえず私のメイン職は『召喚獣』じゃし。
ここは一つ、気長にやれば良いかな。
ちょっとした『玩具』論でした。ある意味無限機関を手に入れたソラですが『召喚獣』としても頑張る心算の様です。




