8話・この世界に来た理由を知ったところで何が変わるわけではないけれど
そして結論から言うと、状況を打破する冴えたやり方なんて考えても思いつかなかった。
代わりに、どうにもならないこの状況に、俺は優先順位をつけることにした。
やりたいことから、処理していくことにする。
「ワ―キャット――名前はアビィでいいのか?」
俺は押し倒している形になっているワ―キャットに、改めて名前を聞いた。
「アビィはアビィにゃ」
涙はもう止まっていた。先ほどのは堪えていたものが溢れ出ただけ。
だから、またこの子は堪えているのだろうと、勝手に思いながら。
「アビィ、ちょっとこのまま待っててくれ」
そう言って、アビィから離れる。
まさか後ろから襲ってはこないだろうかと少し思ったけれど、そうはならなかった。
アビィは素直に待っているようだった。いい子じゃないか。
優先順位を決めかねていたが、この子の問題から解決しようと思った甲斐がある。
俺はベルゼバブと言う名の正体不明の女の前に立った。
ウィローたちが緊張しながら俺の挙動を見ているのが分かるが、それはもう気にせず、やりたいようにやるしかできない。
「さっき、このままじゃ無理と言ったが、どうすればいい?」
「何の話かしら」
わざとらしく小首をかしげるベルゼバブ。
「アビィが外に出るためには、宝箱を壊すだけじゃダメなんだろう?」
「あら、自分の、もしくは私の正体よりもそれが先?」
「知ってるんだろ――聞いてりゃ、俺もアビィもあんたに造られたらしいからな」
「それを追求せずにアビィの事を気にかけるなんて、お姉ちゃん思いねえ」
「はぐらかすなよ――何なら、殴ってでも聞き出してもいいんだぞ」
ウィローが警戒するレベルの魔王軍の女。
俺が勝てるはずもないが、ハッタリでもない。
身体に内功を巡らせる――俺は本気だった。
「おお、怖い怖い」
ベルゼバブは癇癪を起こした子供をからかうようにおどけて笑った。
「簡単な話よ。あの宝箱はディアン・ケヒトの加護の産物。あなたがその加護を『食べて』しまえばいいのよ。そうすれば宝箱は再来しない。あの子がここに縛られる理由もなくなる。ま、紐づけしたのは私なのだけれど」
「加護を食べる?」
「あなた<食い意地>のレベルは?」
「<味見係Lv1>だ」
この緊迫した空気の中で味見係などと言うのは少し勇気がいるな。
後ろの方でウィローが何だそりゃと笑うのをパンサーがたしなめる声が聞こえたが、無視する。
「低いわねえ……もっと色んなものをむしゃむしゃ食べなさいよ。せっかくのスキルなんだから」
「悪かったな。で、それは出来るのか?」
「食べるだけならできるけど、物質化がねえ。いいわ。手伝ってあげる」
そう言って、ベルゼバブは宝箱のある区画へと歩いていく。
俺が加護を食べるという事は、この洞窟の意味がなくなるという事だ。
今更ながら、それは許されることなのだろうか。
「ウィロー」
俺はこの場にいる中で最も人間の国の中心に近い人物の名前を呼んだ。
ウィローは察してくれたのか、ひらひらと手を振って目をそらす。
「好きにしろよ。俺は何にも見ちゃいないし、見ていてもディスペアの騎士としてディアン・ケヒトの威光を汚す逆賊としてお前を成敗する気もない。働くの嫌いだからな」
「ありがとう」
本気で礼を言い、俺もまた宝箱に近づこうとすると、ウィローは改めて真面目な声で言う。
「だが――洞窟一つなくなるくらいは良いが、お前が魔王軍の手先だと分かった時は話は別だ。個人的にお前は嫌いじゃない。国から指名手配くらう前に、プライベートで俺自ら斬ってやる。その女との会話は十分に気を付けるんだな」
仮に俺が魔王軍の者だったとしても、あからさまに悟られるようなことがなければ、この場は見逃す――言外に、ウィローはそう言ってくれたのだった。
俺自身、自分が何者かは分かっていない。もしかすると、本当に魔王軍の手先かもしれない。
しかし、もちろん人間を滅ぼすような意思は持っていない。
それを分かっているからこそ、ウィローはこうした態度をとってくれているのだ。
本当に短い付き合いだけど、ウィローの洞察力には頭が下がる。
宝箱の前に着くと、ベルゼバブが丸い小粒の様なものを手のひらに持って立っていた。
「これがここのディアン・ケヒトの加護よ。ディアン・ケヒトの大迷宮からの余波みたいなものだから、ささやかなものだけど」
言いながらきらきら光る丸い粒を渡してくる。
俺はそれを受け取り、一息に飲み下そうとして、――ふと、以前にもこんな丸い粒を飲んだ気がした。
シュエメイ師匠からもらった丸薬が、ちょうどこんな小粒ではなかったか?
……考えても仕方のない話だ。
ここにいない本人には聞きようがないし、そもそも気のせいかもしれないし。
改めて丸い粒を飲み込む。
やはり消化の前に効果が表れる。
スキル<味見係Lv1>が変化し<神の舌Lv3>までUP! 以降<調理>に一時的なステータスボーナスが付きます
スキル<ディアン・ケヒトの加護Lv4>習得 以降一度だけ『銀のリンゴ』を用いて<調理>した際、一人に<ヒーリング>相当のスキルを付与することができます
<神の舌>に変化したからどうという事もないだろうが、他は中々有用なスキルを得ることができた。
<ディアン・ケヒトの加護>は発動すれば自分の体の傷を癒すことができるようだ。
ただし、他のスキルと同時には使えないため、戦闘中は使えなさそうではある。
調理ボーナスももちろんありがたいが、それよりも――
「これで、アビィは自由になったんだな」
「ええ。でも外に出るには、あの半獣人の姿じゃ困るわよね。魔王領に来るならそれでいいんだけど――まあ、どちらにせよ、あなたたちが決めればいいわ」
ベルゼバブがパチンと指を鳴らすと、倒れていたアビィの体が発光し、体毛がと爪が消えて、白いワンピースの少女の姿に変わった。
猫耳はそのままだったけれど。他は間違いなく人間の少女の姿そのものだった。
「変化魔術は苦手なんだけどね。戦闘で爪が必要になったらアビィの意思でワ―キャット化できるし、猫耳は亜人ってことで誤魔化しなさい。魔物よりはましでしょう」
確かに、外に出ると言っても、ワ―キャットの姿では人間に討伐される恐れがある。
人間の敵である魔王領に送り出す気もないし、姿を変えてくれたのは感謝するが――至れり尽くせりで不気味なほどだった。
「……何でそこまでしてくれるんだ?」
「二つお願いしたいことが有るの。こちらから誠意を見せるのは当然じゃない?」
妖艶に笑う姿に思わずくらりとしかけたが、お願いって、何なんだ。
「人間の敵になるようなことは出来ないぞ」
体はエルフでも、心は人間だ。
世話になった人もいるし、彼らを裏切るような真似は出来ない。
「多分、ウィロー・リヴィングストン君に聞かれても問題ない話だと思うわ。――まず一つ目、現魔王の討伐と、二つ目、エルフの国イズーの統一……出来れば、エルフの王になってほしいの」
ベルゼバブはさらりとした口調でそう言った。
「……本気で言ってるのか?」
「本気よ。もちろん」
唖然とするより他の態度が取れなかった。
一度に、とんでもない難題を二つも押し付けられた。
魔王の討伐とエルフの国の統一だと?
当然このことはウィローにも聞こえていて、疑問の声が上がった。
「ベルゼバブ、お前は魔王直属の悪魔だろう、何故そんな事を? それにエルフの王なんて……出自不明のヤスタカになれるわけがないだろう?」
「それでも今の魔王を倒してもらわなくちゃいけないから、貪欲の悪魔と私の能力を混ぜ合わせたスキルを付与したのだし、エルフの王になってもらわなければならないから、エルフに強い意志を持った魂を込めたのよ」
すらすらと言ってのけるが、唐突にそんなことを言われても絶句するばかりだった。
不明だとばかり思っていたエルフの姿もスキルも、意味があったのだ。
そんな俺とは裏腹に、ウィローは話をつづけた。
「魔王直属の七柱の悪魔のうちの二柱が関わっているのか……?」
「いいえ、三柱よ。嫉妬の預言者、レヴィアタンも関わっている――と言うか、彼が発端なのだけど」
「……話についていけない」
俺は二人のやり取りに割って入った。
「何でそんな話になるんだ。まずお前、ベルゼバブは何者なんだ」
「当事者が置いてけぼりだったわね。魔王領で強い影響力を持つ七柱の悪魔がいるのだと思ってちょうだい。ま、単純に強い魔物だと思ってくれていいわ。で、私はそのうちの一柱、暴食女王ベルゼバブ。あなたをこの世界に取り込んで、エルフの木偶人形と合成したのも私。ちなみに、アビィを合成したのも私だから、姉弟と言うのはそういう意味ね」
「それで、何で魔王を倒すだのエルフの国の統一だのの話になってるんだ」
「そうしなければ世界が滅びるからよ――近い将来、空から神話が降って来る。レヴィヤタンの終末の予言は外れない。その時、人間も魔物もエルフも一丸となって戦わなければ、確実に世界から生き物と言う生き物が死滅する」
「空から神話が降って来る――曖昧な話だな。それを信じろと?」
刀を構え直してウィローが言った。
妄言ならば聞く気はないといった姿勢だ。
「信じてもらうほかないわね。もう人間の国ディスペアと下交渉もしてるわ。もし今のまま魔物と敵対するようならば王を挿げ替えることも辞さない――現王国に嫌気がさしているリヴィングストン家の貴族ウィロー君も、こちらが考えている王候補なのだけど」
「何を……いや、そもそもそんなこと魔物が勝手にできるかよ」
「四聖騎士お抱えの預言者も同じことを言っていたそうよ。世界の終末が訪れる、と。国民が混乱するから、末端の騎士団には話が行ってないかもしれないけど、帰ったら確認するといいわ。ああ、トリスタン氏以外にね。彼は――知っての通り頭が固いから。何にせよ、それを知ってなお魔王領と争いを続けようとする現王族は何を考えてるのかしらね」
「……元から、戦争が好きなだけだよ。儲かるからな。くそ!」
納得はいっていないが、この場で争うことは不合理だとウィローは刀を収めた。
「それで、ヤスタカに何故魔王を倒させるんだ? 自分たちでやればいいじゃないか」
「無理よ。現魔王は強すぎる。三柱がクーデターを起こしたところで、勝算はゼロ。もちろん、時期が来たら、少なくとも私とマモンの二柱は協力するけど」
「――結局、俺は何をしたらいいんだ?」
話が巨大になり過ぎている。
展開に頭が追い付いていかない。
「とりあえずこの世界を旅して、強くなって頂戴。あなたの強さの上限は取っ払ってあるから、倒した相手を血肉に変えれば際限なく強くなれる。元≪食い意地≫のスキルはそのために付与したのだから。そして魔王を討伐してくれれば、魔王領の魔物は人間と共同戦線を張れる」
「シンプルに考えれば――今まで通り世界最強を目指せばいいんだな?」
俺がそう言うと、ベルゼバブは驚き半分に笑った。
「ああ――そういう魂だったわね、あなたは。ええ、魔王は現世界最強だと言って過言じゃない。そしてあなたはそれに挑戦する存在。今まで通り、世界最強を目指してちょうだい。期待してるわ」
ベルゼバブは再度パチリと指を鳴らすと、姿が徐々に消えていく。
「今日は顔見せだけのつもりだったけど、アビィの件もあったし、それにウィロー君もいたから話が弾んでしまったわね。イズーの件もあるし、話足りないことはお互いあるかもしれないけれど、近いうちに、また会いましょう」
そう言って、ベルゼバブの姿は完全に消えてしまった。
後に残った俺たちは、お互い顔を見合わせ、何となくため息をついた。
「とりあえず帰ったら上に確認してみる。ヤスタカ、お前も一度ディペア王都に来てくれ」
ウィローが疲れたような表情で言った。
実際、敵方の幹部を目の前にしていたのだ。対峙しているだけで疲れても仕方がない。
「分かった。俺も王都に行く。で、パンサーさんこの事は……」
と、パンサーに言いかけたところ、眠っていたところを起こされたようにきょろきょろとし始めた。
「おや、ええと、ヤスタカ殿がワ―キャットを捕縛したところまでは覚えておるのですが」
「ヤスタカ様とウィロー様以外には忘却魔術を使われましたね。多少レジストしましたが、私も細部が曖昧です」
セレナが珍しく不快そうな表情で言った。
「ともかく、いったん帰ろう。情報詰め込み過ぎて頭が痛い」
俺は倒れたままの猫耳の少女に手を差し伸べた。
「アビィ、一緒に行こう。もうここに籠ってる必要はなくなったから」
アビィは目を丸くして、かつては赤で、今では青と琥珀色のオッドアイになった瞳から涙を流した。
「一緒に行っていいにゃ?」
「もちろん。お互い身元不明の存在だけど、まあ何とかなるだろ」
アビィは俺の手を取り、起き上がった。
俺の臍のあたりまでしかない小さな女の子。そうとしか見えなかった。
猫耳があるのは、まあ、ご愛嬌という事で。
アビィはワ―キャットの物ではない人間の手足を確認して、そのまましがみ付くように抱き着いてきた。
顔を俺の腹に埋めながら言う。
「嬉しいにゃあ……ヤスタカは恩人にゃ、ずっと、ずーっと、付いていくにゃ!」
俺はその頭を撫でてやった。
ベルゼバブはここまで気を使ってくれたのか、元からなのかは分からないが、さらさらとした綺麗な髪だった。
「おうい、宝物の回収を忘れてますぞ!」
パンサーが何となく空気の読めない発言をして、ようやく最初の小さな旅が終わろうとしていた。
今回の話をまとめると異世界に来て王様に魔王討伐依頼されるあれですね。
次回もよろしくお願いします。