7話・VSワ―キャット
今更ながら、このワ―キャットの洞窟にはたいまつが必要ない。
壁全体からうすぼんやりとした光は発せられ、洞窟内はそれなりに明るい。
この洞窟の最奥――ワ―キャットの待つ広間では、その光がさらに強く、まるで昼間の日差しのようだった。
俺たち四人は、さして苦労もしなかったが、ワ―キャットの洞窟の最奥にたどり着いた。
広間のさらに奥には一区画盛り上がった場所があり、その上に赤色を基本に金の装飾が施された豪奢な宝箱が鎮座している。
あれが、ワ―キャットの洞窟の宝箱なのだろう。
そして俺にとって最も肝心なワ―キャットなのだが――。
俺はこのモンスターの名前を聞いたとき、単なる猫を模した獣人を想像していたのだが、広間の中心に立っていたのは、獣人と言うよりは、猫耳をつけた少女と言う印象が強かった。
だがもちろん、人間ではないのだろう。
灰色の体毛が僅かに隆起した胸元と腰から下を覆ってるが、そうでない場所は白い肌が露出している。
手足もまた猫のもので、大きな肉球と指が三本。そして鋭い爪が生えていた。
身の丈は150センチ前後。髪は肩まで長く、少女のような外見をしているのだから、銀色の猫耳の他に人間の耳はついているのか否かと言う好奇心は、髪に隠れて満たせなかった。
「……また盗人が来たにゃあ」
赤くぼんやりとした目でこちらを見てきたワ―キャットは、俺たちを見てそんなことを言った。
「アビィは守るにゃ……宝箱を守るにゃ……!」
その言葉と同時に唐突に突進してくる。足にバネでも仕込んでいるのかと疑うほどの速さ。
俺も前に出てそれに応じるが、事前に一対一と言う話になっていなければ、あっという間にパーティーの懐まで攻め込まれて、乱戦になっていただろう。
そうなれば素早さが高く、間合いを気にせず戦える方――ワ―キャットの有利で戦闘が始まっていたわけだが、相手はそれを計算していたのだろうか。
一人で前に出てきたので、ワ―キャットは右手の爪を突き立てたまま俺に肉薄する。
相手が少女の外見では戦いにくい。しかし、相手は魔物であることには違いないのだ。
自分に言い聞かせて、左手を硬功夫で強化する。
爪自体には触れず、肉球にあたる部分を手の甲で押し出すように弾いた。
そして追撃に右手で降魔四十八神掌・鶏頭を突き出さんとしたとき、すでにワ―キャットの姿はそこに無かった。
「上空!?」
バネの様な脚力を活かした跳躍で、俺の遥か上にワ―キャットはいた。
しかし、俺を飛び越して後ろの仲間を攻撃する意思はなく、目はこちらを向いたまま、両手を中空で振った。
「風刃魔法、にゃ!」
腕に遅れて、数えきれない数の風の刃が俺に降り注ぐ。
全身を硬功夫で固めたが、それでもなお相手の攻撃力が優り、俺の体は一瞬でズタズタになった。
「ま……ほうまで……使うのか」
幸い風の刃は内臓までは達していない。皮膚が切れた程度――と、安心する間もなく、着地したワ―キャットは爪の連撃を加えてくる。
内功を整えるための調息をする間もない。ただ反射神経だけで俺はそれを腕で去なし、強引に躱し、あっという間にじり貧になっていた。
考えてみれば、強敵との戦いはこれが初めてなのかもしれない。
倒してきたのは雑魚ばかりだし、森のイノシシだって、勝てると算段をつけての戦いだった。
初めて苦戦してるな、俺。
ああ――けれど、なんでだろう。
――楽しくて仕方がない……!
「おおおおおおおおおおおっ!」
シャウトで自分を奮い立たせ、反撃に転じる。
大振りになった右手の下をくぐるように躱し、白い肌が露わになっている臍のあたりに右手を置いての降魔四十八神掌・南天。――掌から頸力を打ち出し、相手の内部を破壊する技だが、内功が十分に右手にいきわたっておらず、威力が浅い。
だが、これで相手もいったん攻撃を止めざるを得ないだろう、いったん引いて調息を――と思ったが、体が後ろに動かない。
俺の腰のあたりに、ワ―キャットのしっぽが巻き付いていた。
幸いそのまま圧殺するほどの力は無いようだが、締め付けられてその間を離れることができなくなってしまった。
「にゃああああああああっ!」
内臓にダメージを与えたはずなのに、今度はワ―キャットの方がシャウトした。
それと共に両手の爪での引っ掻きを連続してきた。
守ればまたじり貧――しかし、鋭い爪は体に当たれば硬功夫を貫いて内臓を抉るだろう。
いや、待てよ。忘れていたが、今の俺は耐久力を上げるタリスマンを身に着けている。
風刃魔法でミンチにならなかったのはそのおかげか。
何にせよ、並程度の耐久力は保証されている。
俺は体中に分散させていた頸力を右手に集中させた。
「にゃにゃっ!」
急に柔らかくなった皮膚に容赦なく爪を薙いで来る。
連撃に集中しているせいか、タリスマンのおかげか、ダメージは重いが、致命傷は無い。
そして連撃の隙間を狙って、降魔四十八神掌・鶏口――硬化した四指をワ―キャットの左の肩口に突き立てる。
しかしそれは失敗だった。ワ―キャットの体毛は相当な防御力があるらしく、貫くことができなかった。
が、相手の左肩の骨が外れる感触があり、同時に技の勢いで後ろに倒れこむ――と、しっぽで繋がれている俺も一緒になって前に倒れた。
結果として押し倒すような形になり、期せずして絶好のマウントポジションになった。
とっさに左手でワ―キャットの無事な右手を押さえる。
――間合いが遠のくのを尻尾を使ってまで嫌がったのは、遠距離攻撃――風刃魔法を使う力が一回分しかなかったからだろう。
これで相手に攻撃手段は無い。
「にゃあ……」
ワ―キャットは戦意喪失し、諦めたような目で俺を見ていた。
「しまったにゃあ……また、アビィは宝物を守れなかった」
また、とはどういうことだろうか。
一人が囮になって、他の人間が宝物を盗んでいったことを言っているのだろうか。
何となく、それとは意味合いが異なるような気がした。
「どうした、ヤスタカ。速く止めをさせ」
ウィローが後ろから声をかけてくる。
「お前、もしかして人語を話すモンスターは初めてか? 同情ならやめとけよ。そいつはどうせ宝箱と一緒に再来するんだから」
「ちょっと、待ってくれ」
俺は下にいる少女のような魔物に話しかけた。
とても残酷なことを、想像してしまったのだ。
「お前、もしかして再来しても記憶を引き継ぐんじゃないのか?」
「……だからなんにゃ? 早くアビィを殺すにゃ。お前の勝ちにゃ、エルフ」
悟ったような表情のワ―キャットに腹が立った。
ワ―キャットの目はすでにどこも見ていない。ただ、自分の死を受け入れている。
俺は中学のころから世界最強になるために生まれてきたのだと確信し、高校卒業のころにそうではなかったと知った。
それはとても辛いことだったし、じゃあ何をしようかと考えてラーメンの屋台を引こうと考えた。
その矢先に死んで、こうして異世界にやってきてしまったわけだが。
異世界に来る前の俺の人生の意味とは何だったのだろう。
幸運にも意思だけはこちらの世界で持ち続けることができ、そして世界最強への道が再び開けて、本当に良かったとは思っている。
だが、この異世界での世界最強への道もなかなか険しそうだ。
先ほどウィローのステータスを見た時、あまりの遠さに言葉を失いかけたほどだ。
また前の世界の時のように諦めるようなことは無かったが。
目の前のワ―キャットの事を考える。
この子は何のために生まれて、何のために生きてるのかを知っている。
そして諦めて受け入れている。その姿に、改めて怒りがこみあげてくる
「お前は何回こんなことを繰り返してきた。宝箱を守るなんて言って――冒険者に殺されるために生まれてきてるようなものじゃないか!」
「それがアビィの存在理由にゃ。宝箱があって、アビィがそれを守る。もう数えることもできないくらい繰り返したにゃ」
もはや左手でワ―キャットの右腕を押さえつけている意味もない。
彼女からは完全に力が抜けていた。
「存在理由なら何で最後まで抵抗しないんだ? 何でそんな――諦めきった顔してるんだよ。お前、本当はもうこんなことしたくないんじゃないのか?」
そう言って――この態勢になって、初めてワ―キャットと目が合った。
赤い瞳に、堪えきれない涙が溢れていた。
「アビィだって嫌にゃ。外に出たい――こんな洞窟の魔法光じゃなくて、おひさまの光を浴びてみたい! ……けど無理にゃあ。アビィの存在はあの宝箱と結び付けられてるから、この広間から出ることは出来ないのにゃあ」
「……あの宝箱が無くなれば、お前は外に出られるのか?」
答えはなかった。そして静寂が辺りを支配した。
誰も何も言わない。ウィローやセレナは魔物相手にこんなことを言っている俺にあきれているのかもしれない。
けれど、こんな理不尽なシステムに組み込まれている子をこのままにしていたくない。
その時間が続き――空気を変えるような妖艶な声が辺りに響いた。
「このままじゃ無理ね」
声の主はいつの間にか広間の片隅にいた。
漆黒の退廃的なドレスを身にまとった美女だった。
――その姿を見た瞬間、ウィローとセレナが戦闘態勢に入った。
それにつられてパンサーも槍を構えたが、俺と同く状況に戸惑っているようだった。
「魔王直下の暴食女王ベルゼバブが何の用かなぁ、大した用じゃなかったら早々にお引き取り願いたいんだけど」
ウィローの剣先が油断なく女――ベルゼバブに向いている。
「嫌ねえ。せっかく息子の顔を見に来たのに……探知完了してから一日もかかっちゃったけど。あなた相当な魔術障壁地帯にいたんでしょう。一ヶ月何やってたのかしら」
ふう、とため息をついてベルゼバブは言った。
この中で身元不明なのは俺だけだ。
一ヶ月何をやっていた――シュエメイ師匠の庵周辺は魔除けの符がしてある、魔術障壁地帯と言ってもいいだろう。
ということは、彼女の言う息子とは、俺の事か?
「しかも私の娘まで組み伏して……ダメよ、兄妹でそんなことしちゃ。――いえ、造った順番で言ったら姉弟になるのかしらね」
場の緊張感がこの上なく高まる。
ウィローの反応からして、このベルゼバブと言う女は敵であることは間違いないだろう。
ベルゼバブ――暴食を意味する悪魔と同じ名前。
魔王領の魔物だという事は直感的に分かる。
しかし、造った……?
あの女が何を言っているのか、分からない。
エルフの体に宿った俺の魂。その秘密をあの女が握っているのか?
「相変わらずのやせぽっちのエルフだけど、ちゃんと食べてるの? お母さん心配――なんちゃって。<食い意地>は<魂食い>くらいには育ったのかしら」
<食い意地>まで知っているとなると、俺がこの世界に転移した原因がこの女にあることは疑いようがない。
ワ―キャットの事、突然現れたベルゼバブの事、そして俺自身の事。
状況は完全に混沌とし、どうしていいのか分からない。
ただ、状況の手綱を握っているのはベルゼバブだろう。
誤まればウィローをも敵に回しかねないこの状況を、何とか打破できないか――俺は必死に考えた。