2話・一日目の終わり
シュエメイの庵はすぐ近くにあった。
こんなに近くにあったのなら、先ほど木の枝を集めていた時に見つけていてもおかしくないのだが、
「魔除けをしてあるのよ。エルフはカテゴリが魔族になるから、私と一緒じゃなきゃ入れないから気を付けなさい」
との事だった。そうか、俺は魔族に類される存在なのか。
うーん……人間ではないとすれば、この先人里に降りても敬遠される恐れがあるのか?
いやでも、シュエメイは別に気にしている様子はないし、フレンドリーにいけば問題ないのかもしれないな。
そんなことよりも、シュエメイの歩き方がぎこちないのが気になった。
右足に体重をかけないようにそっと歩いているような。
「へえ、目敏いわね」
僕の視線が右足に向いていることに気づいたシュエメイは白装束の裾を上げる――そこには木の棒の義足があった。
「パイロン――東の国の名前だけど、記憶喪失なら覚えていないでしょうね。まあ、地元で色々あって。茶飲み話にその辺の話も聞いてもらおうかしら」
通された庵には玄関は無く、入ってすぐが土間になっていて、中央の囲炉裏でやかんが湯気を立てていた。
「ちょうどお茶を入れていたの。あなたも飲むでしょう?」
「あ、はい。いただきます」
「エルフの口に合えばいいけど」
そうか、種族が変わったのだから味覚も変わっていてもおかしくはない。
何せあの毒々しい色のゴブリンの肉を美味しく食べてしまったのだ。
しかしエルフと言われても背格好は人間とほぼ変わっていないので、そこまでの変化があるとも思えないが。
「人間とエルフってそんなに違うんですか?」
気になったので聞いてみると、シュエメイは木の椅子を二つ取り出しながら苦い顔をした。
「正直、私にもよく分からないのだけれど。とにかくエルフの奴らは秘密主義だから。ここに来るときも南のイズーって言うエルフの国を経由してきたんだけど、とにかくどこに行っても厄介払いだった。素直にディスペア王都を突っ切ってくればよかったと思うくらい」
椅子を一つ僕に勧め、ついでに暖かい琥珀色のお茶も差し出してくれた。
「ありがとう」
受け取って一口すする。少し甘いがまったりとした口当たりの美味しいお茶だった。
「美味しいです。味覚はそんな変わらないみたいですね」
「なら良かった。で、記憶喪失だったかしら。どの辺までわからない?」
「名前と種族以外は何にも。さっき出てきた国の名前にも心当たりがないです」
「エルフの代名詞の魔法は? 呪文さえ忘れたの?」
「はい。さっぱりです」
スキルの所にも何も書かれていなかったしな。改めてちょっと確認してみよう。
右の指先でステータス画面を呼び出す。
≪現在のステータス≫
名前:ヤスタカ 種族:エルフ 所持金:0G0S0C 場所:フィンの森
装備:布の服 所持品:なし
ステータス 体力:G(1) 魔力:F(15) 筋力:G(1) 耐久力:G(1) 素早さ:G(3)
スキル <食い意地Lv2>
さっきのゴブリンの肉を食べたときに上がった数値が反映されている。
魔力の伸びがいいのは種族特性なのだろうか。
しかしながら何故倒した時ではなく、食べたときに上がったのだろうか。
「でも何かしら武術はやっていたようだけど? あれは?」
元の世界で覚えてきたキックボクシングの構えです、とは言えない。
なので、すっとぼけることにした。
「身に沁みついたものは忘れないってことですかね」
「エルフにしては珍しいわね。奴ら魔法だルーン文字だと魔術がまず先に来るから」
ルーン文字。ファンタジー小説で読んだことがあるぞ。
ケルト神話だか、北欧神話だかに出てくる魔術の一種だ。
そういえば、この森の名前、フィンとはケルトの英雄の名前ではなかったか?
「あの、シュエメイさん、ケルト神話ってご存知ですか?」
唐突な俺の質問にも、シュエメイは平然とした顔をして答える。
「知ってるも何も、一部のエルフの先祖の話じゃない。この森も、フィンの名前を冠してるからたまに巡礼に現れるエルフがいる。最初あなたを見つけた時、そこからはぐれたエルフだと思ったくらいよ」
この世界にも元の世界と同じ神話が伝わっている?
しかしよく覚えているわけではないが、英雄フィン・マックールはエルフではなく人間だったような気がする。
微妙に細部が異なっているのか……? その辺も含めて異世界なのだろうか。
「ま、ともかく簡単にさっき出た国の名前の説明をしましょうか」
俺の思考はその言葉で遮られた。しかし、考えても答えは出なそうだし、それで良かったのかもしれない。
「この世界、『ダーンセイニ』には大きく4つの国がある。中央と西の大部分を領土とする『ディスペア王国』そして東に治安の悪い『パイロン』南にエルフが統治する中立国の『イズー』。北にあるのは名前はついていないけど、簡単に言えば魔王領ね」
「魔王領?」
「そう、モンスターを人間界に放ち、世界を滅ぼさんとする魔王の統治する大地。今はディスペア王国と拮抗しているけど、人間同士も色々あるから。攻め込むまでは出来ていないようね。エルフの中立と言うのは、人間とモンスターの争いには関与しないって事ね」
「エルフは、仮に人間が滅んだらどうするんでしょうか?」
「さて。講和条約でも結ぶんじゃない? と言っても、中立とは言いながら鎖国してるみたいなものだから、人間が滅んでから重い腰を上げるんじゃないかしら」
エルフ、魔王、モンスター。やっぱりここはファンタジーな世界だな。
「で、私の右足がこうなった原因のパイロンにも治安が悪いだけあって問題があって。第一区から第十区まである区画内で争いが絶えなくて、私の右足はその争いで失ったという事。あんたはイズーに帰るのだろうけど、間違っても東の方には近寄らないという事だけは肝に銘じておきなさい」
イズー、エルフの国に帰る……? 自分がエルフだとしても、そんな閉鎖的な国で、全くこの世界のしきたりなどを知らない自分が上手くやっていけるだろうか。
「全く、せっかく世界最強の武術家になれる道筋を見つけたのに、ついてないったら」
――世界最強?
今、シュエメイは世界最強になれるといったのか?
「――ッッ!」
中学生から俺を突き動かしてきたその言葉に、心が震えた。
「世界最強って、世界最強?」
「世界最強と言ったら世界最強よ。まあ、理屈の上だけど」
「その理屈を知ったら、俺も世界最強になれるのか?」
急に身を乗り出して聞き出す俺を、面白いものを見る目つきでシュエメイは見ていた。
「正直、あなたはこの理屈にぴったりの存在よ。しかし、それを教えて私に何のメリットがあるのかしらね。私だってここに隠居しに来たわけじゃない。また別のやり方――降魔四十八神掌を完成させ、パイロンを統治するために来てるんだから」
「俺が最強になって、そのパイロンを統治するってのは?」
「駄目ね。これはパイロンに生まれたものの問題。部外者は及びじゃない」
そう言われると、何も差し出すものがなくて答えに窮してしまった。
「俺にできるのは……キックとラーメン作りくらいだしな……」
ぼそりとひとりごちたのを、シュエメイは耳ざとく聞きつけた。
「ラーメン?」
今度は逆にシュエメイが身を乗り出す番だった。
「あの太古に失われたという伝説の? あなたに作れるの?」
「材料――小麦粉や鶏ガラ何かあれば作れるけど……凝ろうと思ったら、この世界にどんな食材があるのか知らなくちゃいけないし……。ああ、後寸胴とか調理器具も一式あったら」
「……嘘じゃないのね?」
「嘘じゃない。そりゃ何十年も修行した職人じゃないけど、それなりのものは作れるぞ」
「あなた、記憶喪失じゃなかったの?」
「ラーメンについては、話がややこしくなると思ってたから黙ってた」
と言うか、こっちの世界にもラーメンという存在があるという事自体軽い驚きがある。
しかも伝説的な扱いを受けていて、シュエメイが涎をたらさんばかりに食いついてくるとは。
「あんたは、世界最強になりたいの?」
居住まいを正して、シュエメイが聞いてきた。
俺は大きく頷いた。
「なりたい――理屈はないけど、そうなりたいという気持ちだけは持ち続けてきた」
「理屈を教えたところで、挫折するかもしれないわよ」
そう言われると――一度折れた身としては言葉に詰まる。
しかし、シュエメイはそんな俺を見て、ふうとため息をついた。
「まあいいわ。どの道成功するかはわからない。もし成功したら――私にラーメンを食べさせなさい。その、凝ったとかいう奴を」
「それは約束する。とびきりうまいやつを作る」
「それこそ最強に美味しい奴を食べさせて頂戴ね。ちょっと待って、今契約証明書と、丸薬を用意するから」
しばらく奥に引っ込んでから、一枚の髪を持って戻って来た。
「世界最強を自覚したとき、あなたは私にラーメンを食べさせる。一応契約書を書いておきましょう」
そう言って、契約証明書にサインをさせる。
名前だけを書いたが、効果のほどは不明だ。
しかし、シュエメイは満足そうな顔をして、初めて見せる笑顔で言う。
「ラーメンが作れるというのは本当のようね。履行できない契約はサインができないから」
という事は、世界最強になる方法と言うのも嘘ではないという事だ。
俄然、期待が高まる。
「まず、この三つの丸薬を飲んで頂戴。それぞれ魔力の増幅、経脈を開く、そして魔力を内功に変換する丸薬。薬師の一族でもある私の家計の粋を凝らした薬だから効果のほどは期待してくれていいわよ」
黒い小粒にそんな劇的な効果があるのだろうか?
と言うか、内功って何だろう?
飲んでみればわかるか――と、三ついっぺんに飲み下して、消化すらしていないだろうに、すぐにその効果が表れた。
――俺は激しい痛みに座っていることもままならず、土の床を転げまわった。
「かはっ……はっ……」
「内功の修行をしていれば、経脈を開く薬はいらなかったんだけどね。まあ、私の理屈を簡単に言えば、修行によって得られる氣、内功と呼ばれるものを、魔力と混ぜ合わせて増幅させる。まあ、際限のない自己強化能力が得られると思ってちょうだい」
のたうち回る俺を予想通りと言う顔でシュエメイは見下ろしていた。
「さっきも言ったけど、魔力適正の高いエルフはこの条件にぴったりだったのよ。この薬を飲んでも――多分、生き残れる。イズーでも試したかったんだけど、乗ってくれるエルフが一人もいなくてね。ちょうど良かったと言えばちょうど良かったわ。ラーメンも食べられるかもしれないし」
多分生き残れるって、このまま死ぬ可能性があるのか……!
「これから一ヶ月、内功の修行と、降魔四十八神掌の二、三手は教えてあげる。私のことは師匠と呼ぶようにね。あと、今日はもう休んでいいわ。ベッドは用意してあるから」
シュエメイ――師匠は不自由な右足をものともせずに俺を抱え、寝床まで連れて行った。
その寝床は――氷をベッドの形にしただけのものだった。
「内功の修行と言えばこれよね。じゃあ、生きてたら、また明日」
師匠は表情を変えずに冷たい氷の上にどさりと俺を置いていった。
体中の神経を蝕むような痛みと、異常なほどの冷たさの氷で、明日まで生きていられる気がしなかった。
けれど、これは世界最強への準備段階でしかないのだ。
耐えて見せるぞ――と決意して、俺の異世界一日目は終わろうとしていた。
読んでくださりありがとうございます。
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