21話・影絵の悪魔
あくる日の正午近く、俺たちは風車の近くまで来ていた。
懸念していたアビィの機嫌も悪くなく、穏やかな道のりだった。
「天空龍の山からの吹きおろしの強い風が風車を動かすんだ。結構見ものだぞ」
などとウィローが豆知識を言ったりして、アビィはその度に猫耳を動かしながら頷いている。
逆に俺はと言うと――しずしずと殿を勤めるセレナに何となく気が行ってしまっている。
魔力の譲渡だったとは言え、昨夜あんなことがあったのだ。意識しない方がどうかしてる。
けれどセレナはどこ吹く風といった様子で、全く涼しい顔をしていた。
「うーむ……」
女心は分からない。パーティ内で好いた惚れたがあるのは感情のある生き物同士仕方がないが、昨日のあれはそう言った類の事なのだろうか。
それとも本当に単に魔力を分けてくれただけなのか――セレナの顔からは一切判別が不能だった。
「ヤスタカ、見えてきたにゃあ!」
アビィが大きな声を出して、ゆっくりと回り続ける13の風車を指さした。
広大な草原で等間隔で並び立つ13の風車はなかなかに壮観な景色だったが、そのどれかは怠惰の悪魔、マモンの仕込んだ魔界の代物なのだ。
うっとりと眺めている場合では無いし、余計なことに思考を割いている時でもない、と判断して改めて身を引き締めた。
「よし――で、どれが悪魔の出る風車何だろうな?」
遠目にはただ13の風車が回り続けているというのどかな風景にしか見えない。
「どれってわけじゃないな。空間自体がねじ曲がってる。この見えてる風景全部がマモンに塗りつぶされてるってところか?」
ウィローが目を細めて言い、セレナもそれに頷いて同意した。
「魔王直下の七柱ともなればこれくらいの力はあるのでしょう。一帯そのものを胃袋に変えてるようなものですね」
「胃袋に変えている?」
抽象的な言い方に、俺は思わず聞き返した。
「ええ。風車の回るエネルギーを魔力に変換し、魔王領に送り続けているようです。怠惰の化身マモンらしいと言えばらしい仕掛けではありますが。何といっても放っておいても風車が回り続ける限り力を蓄え続けられる――効率は良いですが、迷惑この上ない」
「分かるような分からないような……それで塗りつぶされているって事は、今見えているものは虚像だってことか?」
アビィと一緒に首をかしげる俺に、セレナが頷いて、それを補足するように今度はウィローが答える。
「虚像だけど、実像もある。ほとんど異界化してるんだが……はっきり言ってこのクラスの魔術になると専門家じゃないと意味不明だからなあ……」
「……私の説明では足りなかったでしょうか?」
僅かに顔を曇らせてセレナが言った。
何が起こっているかは何となく理解できたものの、結局目の前にあるものが何なのかがよく分からない。
異界化ということは、元にあった土地とは別物になっているという事なのか?
じゃあ元々の土地はどうなっているのだ――と頭をぐるぐる働かせていると、
「にゃー! もうアビィは理解を諦めたにゃ! ヤスタカも観念するにゃあ!」
アビィが元気よく潔いことを言いだしたので、俺もそれに倣うことにした。
「とにかく、目の前の風景はマモンの魔術で作りかえられているということは分かった。敵地の真ん前でどうのこうの考えててもしょうがないしな。言ってる間に敵も出て来たようだし――」
風車の麓から蹄の音が聞こえてくる。
音だけだったその存在は徐々に世界を塗りつぶすような黒色の人型に変わっていく。
馬に乗った髭を蓄えた騎士風の人型と、その従者のような大男の人型。
「大した相手でもなさそうだな」
ウィローが近づいてくる影絵の悪魔と呼ばれる人型を一瞥して言った。
俺もそれには大いに同感だった。近づいてくる二つの人型からは『八極絶剣』アイリスどころか、天空龍の山第一層の魔物ほどの脅威も感じられない。
「確か冒険者ギルドで脅威度60を超えてるって話を聞いたような気もするけど」
天空龍の山の脅威度が85だった筈だ。
それを考えれば格が落ちる相手だという事なのかと納得した時、
「じゃあ、俺が騎士の方をやるから、ヤスタカは大男の方な」
と、ウィローが勝手に割り振りを決める。
まあ異存はないのだけど。アビィとセレナがでばるほどの相手でもない。
「了解。で、あれを倒せばその異界化は解けるのか?」
「さてな。そこは出たとこ勝負――ついでに、どっちが速く仕留めるかも勝負しようぜ」
子どものようなその提案に応える暇もなく、ウィローの姿が霞のように消え、瞬きする間に影絵の騎士に肉薄している。
馬上から繰り出されるランスのようなものの刺突をかいくぐりながら、目にもとまらぬ速さで馬の形をした影の前足を、いつ抜いたとも判別できない刀で斬り裂いていた。
全くの早業に、目に映るよりも先に結果が出ているような、そんな感覚すら覚える。
――が、感心している場合では無かった。
「ウィローお前、きたないぞ!」
返答する間もなく始まった勝負に思わず乗ってしまい、俺もまた軽身功で大男に近づく。
近づくと改めて大きく感じる。2メートルは優に越しており、横幅も大分太い。それが黒塗りで現出しているのだから、モンスターさながらである。
近づいてきた俺に対して、相手の反応は素早い。まるで自重を無視した――あるいは影だから感じていないのか、そんな軽い動きから、ハンマーのような拳が横薙ぎに繰り出される。
それを躱すこともできたが――避ける暇を惜しんだ。硬功夫で受けて、そのまま右手を掌底のように付き出し、
「降魔四十八神掌・南天」
頸力を打ち出して、影の上半身は内側から爆発した。
内功、魔力ともに一昨日までとはケタ外れに上がっているのだ。
この程度の衝撃では体軸が揺れることも無く、また技の威力ももはや頸力を当てた一部を破壊するのに留まらず、繰り出した俺自身が少し驚くほどのものだった。
後に残った下半身は上半身が消えるとともに徐々に消えて行った。
「本当に大したことなかったな……」
向こうではウィローが頭部を失った影絵の騎士の消滅を見届けていた。
――結局どっちが速かったのだろうな。
その答えをアビィたちに尋ねる前に――世界が胎動を始めた。
あまりにも唐突に何かが切り替わった。
それは小さな揺れから始まり、有無を言わさず世界が一変するような、濃厚な魔力のうねりに巻き込まれるような感覚。
アビィとセレナの姿が消え、俺とウィローだけが取り残される――いや、転移させられているのか。
そして再び目の前の光景を見て、明らかに世界が切り替わったのだと実感させられる。
「これが全部虚像であり実像で、異界化してるってことか?」
「改めて聞くとほんと意味不明だな。しかしここまでは予想してなかった……まあ、考えとくべきだったかもな」
俺が誰ともなしにひとりごちると、面倒くさそうにウィローが答えた。
遠くに見えていた風車の姿もない。代わりに―― 一跨ぎで俺たちを囲む13体の黒色で塗りつぶされたような巨人。
13個見えていた風車は、その全てが影絵の巨人と化していた。
どういう理屈かは分からないが、俺とウィローはアビィやセレナのいる現実世界から切り離されてしまったようだった。
完全に異界と化した草原。闇夜に包まれたと錯覚するほど大きな影絵の巨人の群れ。
「こいつらを倒せば解決でいいのか?」
「まあ倒さないことには話にならんけど――影絵の巨人なんて不安定なもの、遠隔操作で現実世界に現出させられるとも思えないし、ヤスタカは異界から出られるようだったら出た方がいい。転移の魔術石、使えないか? ちょっと俺でもこれは手に余る」
いつの間にかじりじりと追い詰められ、俺とウィローは背中合わせになっていた。
転移の魔術石に頼らずとも、転移のスキル『アリアドネーの加護』の印をトレドの別荘の自室に残してきている。
それを使えばここから脱出できるかもしれないが、この加護による転移はそれこそ俺一人にしか適用されないので、はなから使う気にはなれなかった。
「ウィロー」
「ん?」
「俺がいると足手纏いか?」
「近頃はそうでもないな」
世間話のようなとぼけた返事に、思わず笑いそうになる。
喜んでいる場合では無いが、ウィローのような達人にそのように言われて嬉しくないわけがなかった。
「じゃあ俺だけ脱出は無しだ。この13体をどうにかして、二人でここを出よう」
どう言われたところで俺だけが脱出するわけはなかったが、気合の入り方が違う。
俺はまず、ウィローもろとも踏みつぶさんとする巨人の足を最大頸力で受け止めた。