20話・メイドさんと夜の会話
医務室にアイリスを連れて行った後、俺たちはジェイクから改めて風車の探索を許可された。
王の命令に背くことになるが、大丈夫なのかと尋ねると、
「ま、うまいこと言っておくから大丈夫さ」
と、どこか興味が失せた様な声音で返事が貰えたので、多分大丈夫なのだろう。
ついでのように風車の件の概要も教えてもらえた。
いわく13番目の風車の悪魔――。本来なら12個しかない筈の風車がある日、13個に増えていた。
不思議に思った農夫が近づこうとすると、影絵のような大男と、ひげをたっぷり蓄えたこれまた黒で塗りつぶされたような騎士に襲われたそうだ。
以来、その二つの影は風車のある地帯に近づこうとするものを襲うようになった。
とりあえず、俺たちのすべきことはこの二つの影の排除だろう。
13番目の風車の存在も気にかかるが、ひとまず目に見える障害を取り除き、後は出たとこ勝負だ。
風車を必要としている住人の事を考えれば早急にも何とかしたいことであるし、さらに天空龍の山の攻略が遅れることになるが、明日早々に悪魔退治に赴くことに決まった。
それにしても夕食は散々だった。
ウィローはにやにやしているわ、セレナは冷たい目で口をきいてくれないわ、アビィはいつまでも騒がしかった。
「いきなり女の人にキスするなんてヤスタカは破廉恥にゃあ! エロエルフにゃあ!」
「だから命がけだったんだよ。ほんと……勘弁してほしい」
俺自身アイリスに酷いことをしたという自覚はある。
確かに行為自体が褒められたものではないが、さらにその結果で相手の内功までも奪ってしまっている。
<内功Lv11>だったのが、<内功Lv39>まで上がっているのだ。
爆上がりにもほどがあるが、その差の28レベルがどこから来たのかと考えれば、アイリスのスキルから持ってきたことに間違いないだろう。
内功の修行は恐ろしく地道で、苦労が多い。一晩中スキルを活用して体と経脈を痛めつけ続けるという、二度とやりたくない抜け道じみた方法を取っても、9から11レベルへ上げるのがやっとだったのだ。
元の世界の俺や、あるいはウィローとそう変わらない年齢で53レベルまで上げるのは相当な苦労が必要だっただろう。
それを思うと心が痛む。
だからと言うわけではないが、みんなが豪勢にコルト村直送だというポークステーキなんぞを食べているというのに、俺だけ固いパンを冷えたスープに浸して食べているというこの現状も甘んじて受け入れている。
調理したのはセレナだが、これは許されざることをした自分への罰なのだ……と文句も言わず、もそもそ食べてすごすごと自室にこもった。
「こんなことで明日の連携は大丈夫なのかなぁ……」
割り当てられたまるでホテルの一室のようなリヴィングストン家の別荘の一室で、そうひとりごちる。
ベッドに書きもの机、さすがにテレビはないが、内線代わりの小型の通信用魔法石が備え付けられている。
トレドの街に来て以来ここを拠点にしているのだが、夜中にこっそりダンジョンに潜ったり、遅くまでラーメンの屋台を出していたりで、未だに馴染めていない感覚があり、俺はシーツを乱さないようにそっとベッドに転がった。
そのままの態勢で、体内の氣を頭のてっぺんからつま先まで意識してゆっくり移動させる。
それを何度も何度も繰り返し、今度は氣を限界まで張り詰めたままの状態を維持する。
毎日これの反復で内功を維持しているが、意識的な氣の移動の連続も、限界を維持し続けるのも容易なことではない。
レベル39になって扱える氣の容量が増えたおかげか、氣の移動はいく分楽になったが、限界の維持が大変になった。
昨日まで到達できた場所をはるかに通り越して、どこまでも――それこそ器が爆発するのではないかと思うほどの氣が経脈に広がり続ける。
それを臨界点に至る一歩手前で止めて、じっと目をつぶる。
この状態で氣が乱れれば経脈に傷――内傷となり、氣の運用に支障が出るため、慎重におこなわなければならないが、しかし手を抜いては意味がなくなる。
回数も時間も決めずに気がすむまで毎晩これを行っているが、はためにはただ横になっているだけなのに、終わったころには汗びっしょりになっている。
そう言った具合に日課の内功の維持を終えて、風呂を借りようと起き上がると――残念ながらシャワーの存在はなく、湯を溜めただけの風呂場で汗を流すのだ――控えめなノックの音が聞こえた。
「セレナです。入ってもよろしいでしょうか?」
淡々とした声が扉の向こうから聞こえてきた。
どうぞ、と促すと、サンドウィッチの皿とティーポットを手にした、いつもと変わらぬメイド服姿のセレナが入って来た。
「夕食では大人げないことをしたと反省致しました。お夜食を持ってまいりましたので、ご寛容ください」
「いや……何か、俺もみっともないところを見せたと言うか……とにかく、ありがたくいただきます」
と、サンドウィッチの皿を受け取り、一口齧る。
残り物を挟むだけで良かったのに、中に挟まっていたのは甘めに調理された鶏肉と野菜だった。
「旨い……! わざわざ改めて作ってくれたのか」
「いえ、ヤスタカ様を想えば何の苦労もありません」
あっという間にサンドウィッチを平らげた俺に、甲斐甲斐しくお茶まで給仕してくれるセレナ。
その所作に無駄な所は一つもなく、思わずリヴィングストン家の有する人材のレベルの高さに感心させられてしまう。
メイドさん一人とっても、パーティメンバーとはいえただの客人相手にここまで尽くしてくれるのだ。
他にもどれだけ優秀な人材がいるのか想像すらできない。昼行燈な次期当主の性格は優秀すぎる人々に囲まれていたからに違いない……本人の剣の技量と鑑識眼も生半可ではないけれど。
俺がリヴィングストン家に思いを馳せていると、不意にセレナが話しかけてきた。
普段の食事や休憩では給仕に徹しているセレナにしては珍しいことだった。
「ヤスタカ様はご自身の事をどうお考えですか?」
普段と変わらない平坦な口調――だが、眼差しは俺の目を強く捉えていた。
「どうって……そこそこ武術が出来るひょろ長いエルフ?」
ベルゼバブによって造られた存在であるとか、異世界からやって来たとか、そう言うことはあまり深く考えずに答えた。
実際、あまり深く考えてはいないのだ。単に第二の人生のチャンスがあって、そこでたまたま最強に至れる道筋を見つけられただけの事だ。
「一度深くお考えになった方がよろしいかと。パイロンの秘術――内功を駆使する異質なエルフであり、失われた『らあめん』を蘇らせた功績を、あなた自身過小評価している節があります」
「と言われても、全部ほとんど偶然みたいなもんだしなぁ」
それを誇らしげに見せびらかすのは趣味が悪い。
それに、奇異の目で見られることはあっても、希少な目で見られることは少ないように思う。
「はっきり申し上げますと、ヤスタカ様は他人からどう思われているか――その視点が少々かけているように思います。もっと誇らしげにご自身の道を歩まれれば、<食い意地>を惜しみなく使い簡単に最強になることも、『らあめん』を用いて大儲けすることもできますのに。あなたは偶然で得た能力を自分の能力として勘定していないのではないですか? 偶然でも、厳然としてそれはあなたの能力なのですよ?」
「そう……なのかもしれないな」
口調はいつも通りだが、目で真剣に訴えかけてくるセレナに、思わず答えが詰まる。
と言うか、ちょっと待ってくれ。セレナはベルゼバブとの会話を断片的にしか覚えていない筈だ。
「ベルゼバブの言っていた、<食い意地>の詳細まで覚えているのか?」
「いいえ。ベルゼバブとの会話ではスキルの事は記憶から消されていましたが、ウィロー様から聞かされました。目的地を天空龍の山と定める際に、ヤスタカ様が強い魔物をたくさん食べられるダンジョンをウィロー様と二人でピックアップしましたので」
「そんなことが……あったのか。でも何で、俺なんかのために……いや、ベルゼバブの言ってた世界滅亡の件でか?」
「それも、いいえです。あなたのためです。あなたが世界最強になりたいというから――私とウィロー様は知恵を絞ったのです。<食い意地>の詳細を聞いたとき、胸が躍りました。初めて『らあめん』を見たとき、心が弾みました。けれど、あなたはそれを活用しようとしないから――おぜん立てをしたのです」
「……それこそ分からない。何で見ず知らずの俺にそこまでしてくれるんだ? たまたま珍しいスキルを持ってたってだけなのに」
「見ていたいと思ったのです。私もウィロー様も。あなたが本当に世界最強になれるのか。どこまで強くなれるのか――天空龍の山に一人で登られたときは心配もしましたが、同時に嬉しくもありました。ようやくこの人はスキルを有効に使い始めたと。それに今日のアイリス様との一戦も――思うところはありますが――あれでまた少しお強くなりましたね。内功の充足がいつもと比べ物になりませんでした」
タイミングよく日課が終わったころにやって来たと思ったら、氣の上がり下がりを察知していたのか。
「あれを気に病むことは無いのです。それも強さに変えなければ――」
そこではたと気づいたように言葉をきって、
「すみません。少々話に熱が入り過ぎてしまいました。ですがもう一つ、ヤスタカ様はディスペアと言う国をどう思いますか?」
セレナは声のトーンではわからなかったが、随分テンションが上がっていたようだ。
ディスペアのことを聞く目は、それまでほどの強い眼差しは感じなかった。
そのためこちらも気張って答えを用意する必要もない気もするが――ディスペアと言う国に思うところはある。
「トレドの街の風車の件だけど――住民が困ってるのに、魔物と癒着して見て見ぬふりを決め込むディスペア王都は何を考えてるんだ、とは思ったな。はっきり言えば――嫌な国だと思ったよ」
「そうですね。ウィロー様も、トレドの街は小麦粉を多く産出する割には収益が少ない。切り捨てて魔物側に贈ってやっても腹は痛まないから切り捨てたのだ――とひどくご立腹の様子でした」
普段ひょうひょうとしているウィローが怒っていた?
「あいつでも怒ることはあるんだな……」
「見せている姿とはお腹で考えていることが違うということは往々にしてあるものです。ウィロー様も、ああ見えますが、随分と苦労されていますから」
貴族リヴィングストン家の次期当主にしてパイロンの女性の妾腹という出自だけでもその苦労は想像できるが、それ以上に俺なんかには想像もつかないものをウィローは背負ってきたのだろう。
「それを俺には悟られずにひょうひょうとしているウィローは凄いな」
「ええ。それにヤスタカ様はウィロー様にとって初めてのご友人でもありますしね」
友人――友人なのだろうか。ウィローのような凄い人物と。
そう思ってくれているのならば、嬉しいのだけれど。
「そっか……友人か」
「ええ、難しい人ですから。友と呼べる人はヤスタカ様以外、私は存じ上げません」
何となく面はゆい感じがして、何か言葉にしようという気にはなれなかった。
セレナも何も話さないので、静かな時間が少しの間続いた。
そして静寂の中で、セレナがふぅと軽く息をする音が聞こえた。
「――それでは、話もひと段落しましたので、少々失礼します」
セレナはそう言ってしずしずと近寄ってきて、両手で抱え込むようにして俺の顔を固定した。
徐々に無表情なセレナの顔が近づいてくる。
「ちょ、セレナ?」
「これでも魔法の国の影で修行した身です。いくらか魔力の足しにはなるかと」
顔を固定していた手が離れ、今度は両腕で頭を抱え込むように――その時にはもう、セレナの唇と俺の唇は重なっていた。
「ぐむむ……!」
唇を閉じてはいるが、そこからじわりと甘い魔力が流れ込んできている。
逃れようにもセレナの両腕の拘束は固く、体全体を押し付けてきているため、胸のあたりの大きく柔らかいものが否応なしに存在感を発揮してくる。
「ぐむっ……!」
俺の唇をこじ開けるようにセレナの舌が俺の口内に割って入る。
急激に増す魔力の流れと、同時に俺の舌に舌を絡めてくる痺れるような感覚に、思わずベッドに倒れこんでしまうが、まるで俺が押し倒されているような形になっても尚セレナは俺の口を吸い続けた。
唇の触れ合う水音が静寂を支配していた。
俺はホールドされたように動けない――実際、抱え込まれている両腕の拘束力が強く、俺が引きはがそうとすればなおさら強く抱きしめてくるし、右に逃れようとも左に逃れようとも、寸分も離れずにセレナの体と唇がついてくる。
永劫のような甘い時間は、セレナの気の済むまで続いた。
どれほど時間が立っただろうか。半分気を失いそうになるほど長い時間口を吸われていたが、ようやく腕の拘束が解け、セレナの唇が糸を引いて離れた。
無表情だが――息が荒く、頬が紅潮していた。
「これで、昼の件は手うちにしましょう」
手うちって……駄目だ。長いキスの気持ちよさもあったが、何より膨大な魔力が流れ込んできていて、頭が痺れたように働かない。
セレナがすっと身を離すと、心に少しだけ寂しさが募った。
「持っていかれたのは――魔力の一部だけのようですね。<ストレージ>も持っていかれましたか。ですが、リヴィングストンの本家にスクロールがありますので、ご安心ください」
唇を押さえながら、セレナは冷静に分析した。
<ストレージ>は荷物を小さな石に変えることのできるレアスキルとのことだったが、貰っても本当に良かったのだろうか。
「アビィ様のこともお任せください。明日の連携に響かないようにフォローしておきますので」
そう言って一礼し、食器類と共に音もなく部屋を出ていった。
後にはベッドで横になる荒い息遣いの俺だけが残った。
「……こんなんじゃ、俺の方で明日に影響が出るっての」
魔力は倍増――Sランクにまで達した上に、<ストレージ>の魔法まで貰ったのに、俺の中にもやもやしたものが残った。
(くけけ、若いのう――)
と、頭の中に女の声が響いた気がしたが、幻聴だと思い、頭を振って追い出した。
そういえば、風呂に入ろうとしていたのだと思い出したが、腰にうまく力が入らない。
俺はしばらく横になったままの姿勢を余儀なくされたのだった。
現在のスキル
<魂食いLV9><内功Lv39><パイロン式武術Lv17><マーシャルアーツLV7><調理Lv12><ストレージLv∞>
<ディアン・ケヒトの加護Lv4><アリアドネーの加護Lv2><ディオ二ソスの種><エウリュアレの種><ヘラクレスの種><???>