19話その2・VS八極絶剣(後)
巨大木剣はブラフで、最初から肩からぶつかる鉄山靠が本命――しかも、八極拳の要諦である震脚を使っている様子もなく、軽身功の足さばきそのままの突進で壁を破壊して見せた。
つまり内功の氣の力だけであの破壊力と言うことだ。その場にとどまる選択をしていたら、無事では済まなかっただろう。
しかし冷や汗をかいている暇はない。瓦礫と砂煙の立ち込める中、とんでもない速さの軽身功でアイリスがこちらに向かってきている――!
「一瞬虚を突けたなら、それで十分」
アイリスの声が聞こえて、気が付くと既に相手は180センチの間合いに居た。
既に巨大木剣を振る動作に入っている――そしてアイリスの足は、最大力の頸で大地を踏みしめ一撃の勢いを増す震脚を伴い、頸力で砂地を抉りながらさらにこちらに迫って来る。
もう相手に捉えられている。もう後は剣を振り上げるだけ。
――この一撃は躱せない。
俺が後ろに転がるよりも相手の剣閃の方が速いだろう。もはや後退に意味はない、相打ち覚悟でも前にしか活路は無い。
「はああああああああああっ!」
それはどちらの気合の声だったのだろう。
あるいは俺とアイリス二人の声が重なっていたのかもしれない。
降魔四十八神掌・鶏頭は硬功夫で強化した四指で相手をつく技だが、この間合いでは届かない。
相手により近づいて放つ南天も同様に使えない。
もう一つの技は十分に地を蹴らねば使えないため、震脚で抉れた砂地では使用不可能だ。
キックボクシングの足技も不安定な足場では威力半減。
打つ手なし――なので、前に転がることにした。
密着状態ならば南天が使える。相手が掌に内功を込める時間をくれたらの話だが。
軽身功を解き、体を硬功夫で固くして、ガタガタになった砂地に躓くように転がろうとする――瞬間、腹部にトラックがぶつかるような衝撃が走る。
硬功夫を使っているにもかかわらず、内臓まで潰されたような激痛が走る。
八極絶剣――その一撃をくらってしまった。
後ろに出るのも前に出るのも、どちらにせよもう遅かったのだ。
しかし、前に出る、という意識だけが残って、いつの間にか俺右手は相手の肩を掴んでいた。
体に力は入っていないが、巨大木剣をくらった勢いがそのまま右手に乗り、ガタガタになった砂地のせいで、アイリスは体勢を崩し、後ろに倒れたようだった。
――以前、アビィと戦った際に相手のしっぽによって前倒しになったことが頭にあったのだろうか。
どちらにせよ、似たような結果になってしまった。
どう縺れたのかは分からないが、一撃を食った瞬間に飛んだ意識が、いつの間にか戻っていた。
唇に柔らかな感触があった。
俺はアイリスの上に押し倒すような形で乗り、そのアイリスの唇に自分の唇を重ねていた。
「―――――っ!?」
また意識が飛びそうになったが、要は俺はアイリスにキスしていた。
唇を通じて、無意識に相手の内功を吸い取っていた。アイリスは逃れようともがくが、俺の生存本能がそれを許さない。
内臓がぐちゃぐちゃになり、自身の内功の治癒力では到底追い付かずに、このままでは死ぬ。
――ならば、相手の内功も使えばいい、と考えたのだろうか。自分でもはっきりとしない。
無意識に俺はアイリスの唇にむしゃぶりついていた。生き残ろうと必死に。
本来ならばこのような内功の運用法は恐らく存在しないだろう。けれど俺の<魂食い>がそれを可能にした。
アイリスの柔らかな唇から俺に入って来る内功はとろけそうなほど甘く、俺の内臓も高速で修復されているようだった。
アビィがにゃあにゃあ言う声がどこかから聞こえたが、頭の中にまでは響いてこなかった。
今はただただ、アイリスの唇を貪ることにしか意識が向けられていない。
曖昧な自我がはっきり戻ってくるころには、俺の内臓はすっかり修復されていた。
慌てて唇を離し、飛びのいたが、涙目で目をそらすアイリスが横になったまま動こうとしなかった。
「ご、ごめん……!」
謝ってももう遅いだろう。とんでもないことをしてしまったという自己嫌悪が波のように押し寄せてくる。
決闘で女性の顔面を殴ることには何の躊躇の必要もないが、キスしてしまうのは犯罪だ。
「にゃあにゃあにゃあ! ヤスタカのバカ! にゃー!」「やったぜ」「あの女許せませんね……」
客席からさまざまな声が聞こえてくる。何とでも罵ってくれ。俺は最低の男だ。
っていうかウィローやったぜって何だよ、やっちまったよほんと……。
まだ決闘が終わったわけではない。しかしこの決闘に関わる全てが俺の頭中から吹き飛んでいた。
このまま斬首されたいような気持ちでその場にうなだれていたが、アイリスはそのままこちらを攻撃しようとせず、口だけを動かした。
「……私の内功を吸ったのですね」
「ごめん……俺の内功だけじゃあのまま死にかねなかったから無我夢中で……」
「いえ、最初に言った通り、殺めるのは本意ではありません。まさか木剣で死にかけるほど弱いと判断できなかった私が悪かったのです」
相変わらず口が悪いが、何も言い返すことができない。
ただただ頭を下げる俺に、アイリスはふっと力の抜けたような微笑みをもらした。
「内功を殆ど持っていかれたようです。……少々、いえかなり興ざめな展開でしたが……仕方がありません。私の負けです。ただ――責任は取ってもらいますよ?」
「それはもちろん――風車の悪魔は俺たちがどうにかするし、ああそうだ、早く医務室まで運ばないと!」
俺は大慌てでアイリスを抱えると――異常なほどに内功が充実していて鎧の重さすら感じなかった――客席のみんなの元へ行き、医務室の場所を聞くのだった。
アビィたちはわいわい言っていてらちが明かないので、ジェイクに話を振ると、
「医務室はギルド会館入り口すぐにあるよ。いやしかし……これから忙しくなるな」
無事な右目を細めて、そうつぶやいたのだった。