19話その1・VS八極絶剣(前)
先ほどの男の対応での狼狽が収まり切っていない受付嬢に訓練場の場所を聞いた。
「ヤ、ヤスタカ様ですね。アイリス様から承っております。あいにくなんですが、訓練場ではなく、奥の闘技場をお使いください。あちらは壁に魔法障壁が張られてますので、多少無茶されても大丈夫ですので」
場所が変わったのか。訓練場では他の冒険者の迷惑になるから隔離されたのだろうか。
っていうか、魔法障壁があるから多少無茶されても大丈夫とは何事か。
まあ、気兼ねなく戦える方が好ましい。闘技場なんて気の利いたものがあるのなら、最初からそちらを指定してくれたらよかったのに。
様々な依頼書の張られた壁を、冒険者らしき装備の整った人々が品定めするような目で見ているのをかき分けて、奥まった場所にある扉を開けた。
そこは円形の闘技場――小規模なローマのコロッセオを思わせる風景だった。
テニスコートほどの広さで、足元は砂になっている。
魔法障壁が張られているという円形の壁の向こう側はスタンド席になっていて、アビィ、セレナ、ウィロー、そして離れたところにジェイクが座っていた。
そして闘技場のほぼ真ん中には、
「遅いっ!」
アイリスが立っていた。時間通りに来たつもりが怒っている様子。
時間通りに来たつもりだが、相手は早くからきていたようだ。
――せいぜい怒って剣を鈍らせればいいさ。
何も言わずにゆっくりとアイリスに歩み寄る。
それと同時に、相手の装備も確認する。
上半身は白金の胸当て、肩当て、ガンドレット、という騎士然とした格好で、下半身はこれまた白銀の長い具足を履き、青いミニスカートを身に着けている。
頭部には何もつけておらず、名前に馴染まない長い黒髪が、アイリスが動くたびにさらりと流れる。
動きやすいのか動きにくいのかいまいちよくわからない装いだが、これがアイリスの戦闘服なのだろう。
そして手にしているのは――丸太を思わせる巨大な木でできた大剣だった。
「ああ、本身ではお互い要らない気づかいが生じるかと思って」
俺の目が木剣――というにはあまりに大きな木の塊――に止まったのに気づいたアイリスが言った。
「どちらでも同じだろう?」
と俺は言った。アイリスの内功は俺をはるかに上回っている。畜頸されたあの剣の一撃は、うかつに受ければ俺を粉々にするだろう。
それに臆するわけではないが、アイリスから発される氣の圧力は生半可なものではなかった。
「それを理解しているのなら重畳ですね。ええ――決闘と言えど、殺めるのは本意ではありませんから」
俺が歩いている間に、憤りは収まったらしい。
アイリスはすました顔をしているが、俺は彼女がかつて憤りをいさどおりと言っていたことをふと思い出して笑いそうになっていた。
「あいにく、悋気は既に収まりました。いざ尋常に、立ち会いましょう――!」
アイリスがきりりとこちらを見据え、剣を後ろに引くように両手で下段に巨大木剣を構える――。
が、その前に一つ言っておきたいことが出来てしまった。
「たまに誤用してる人がいるけど、悋気って怒ってるって意味じゃなくて、嫉妬とかそう言う意味だぞ」
異世界だが、言語は何故か日本語なので出来るツッコミだった。
瞬間――アイリスの顔が爆発したように赤くなった。
「あ――いえ、吝嗇? これも違いますね! ああ、なんでしょう、もう!」
その場で地団駄でも踏みそうな勢いで混乱し出すアイリス。
普通に怒りは収まったとかでいいのに……。
「あの、そろそろ始めたいんだけど」
俺は左手を引き、半身の構えで言った。
下段に構えるアイリスのちょうど対象になる構えだった。
違いは体の前に右手があるか否か。俺は防御、あるいはジャブにも使えるように右手を前に出し、アイリスは防御の必要なしと言わんばかりの両手持ちだ。
「そうですね……言葉など些細なものです……」
こほんと咳払いをして、アイリスは改めて言う。
「パイロン第五区画筆頭『南槍八極』オウホ・リーが娘、アイリス・リー、参ります!」
「応!」
アイリスの言葉にそう返して、ようやく決闘が始まった。
この戦い、俺が負ければ風車に手出しができず、なおかつ<調理>で重宝している万能包丁を差し出すことになる。
逆に勝てば、風車の件――先ほどの男の言っていた悪魔とやらを退ける探索権が貰える。あと一つや二つ条件を付けてもいいといっていたが、特に何も決めていなかったことをいま思い出した。
それはともかく、アイリスが迫って来る――巨大木剣の先を地面に擦りながらの突進。砂埃が舞い、剣先が見えない。
視認できる程度の速さだから軽身功には重きを置いてはいない。やはり巨大木剣での一撃に内功を込めている――。
事前にウィローから戦闘スタイルは聞いていた。
何でもアイリスの父親はパイロン随一の『八極拳』の使い手らしい。
八極拳と言えば一撃必殺を信条とする中国武術として有名だ。この世界にもそのままの物があるというのは今更驚きもしないが、厄介であることには違いない。
父から教わった八極拳を剣術に流用した『八極絶剣』アイリスはそう自称するらしい。
一撃に渾身を込める剣術と言えば示現流があるが、八極拳の体術も会得している分、八極絶剣なるものの方が対応力が高そうではある。いや、剣道の足さばきを下に見るわけではないけれど。
何にせよ一撃――これを見極める。
剣先を砂埃に紛れさせているのは出所を見せないようにしているのだろう。
巨大木剣――長さは凡そ180センチほど。人一人分くらいだ。
その分だけ、こっちは必死の軽身功で後退しながら間合いを取る。
うかつに飛び込めば一閃で粉々にされるであろうし、後の先を取り巨大木剣の振られる間に拳を叩き込めるような隙は見せてくれないだろう。
巨大木剣が振られた後――その一撃を躱し、降魔四十八神掌を繰り出すしか、総合的な実力で劣る俺には勝機がない。
軽身功で体はどこまでも軽く――そして剣先ではなく剣を振る腕を注視する。元より剣先を見てから避けるのでは遅い。相手の挙動から攻撃を見極めなければ避けることなど不可能だ。
攻撃の一瞬を待つうちに、背中にとん、とぶつかるものがあった。
壁だ。テニスコートほどの広さしかない闘技場で、軽身功を用いて後退すればすぐにこうなるのは自明ではあったが。
追い詰められた――わけではない。
アイリスがあと一歩踏み込めば剣の間合いに入る。
ここで剣閃を誘うのも手だが――俺は壁を蹴り、アイリスの向こう側に大きく跳躍した。
そして反転するアイリスに牽制の一撃を――と考えていたが、アイリスは反転するどころか、そのまま肩から壁にぶつかり、多少無茶しても壊れないという魔法障壁ごと粉砕した。