17話・屋台の一幕
そしてその夜。
再び一人で天空龍の山へ乗り込む――などと言うことは無く、俺はラーメンの屋台を出した。
パイロンの秘伝のラーメン屋トレド支店である。セレナのストレージの魔法のおかげで、店を出すのも簡単なのだ。
しかし、ディスぺアほど評判は芳しくない。
エルフと亜人と愛想の悪い女が何か妙なことをやっている――と、白い目で見られていた。
ちなみにウィローはいない。「俺は金出す人。君らは働く人」と爽やかに酒場に消えて行ったのだ。
まあ、働くの嫌いだからなあいつ……しょうがない。
「おう、エルフがドワーフだけじゃなく、亜人まで奴隷にしてんのか?」
通りすがりに酔客――ラーメンを食べに来たわけではないので、うちの客ではもちろんないが――が笑いながら軽口をたたいてくることもあった。
ドワーフだけじゃなく? この世界に来て奴隷という者を見たことは無いが、エルフはドワーフを奴隷にしているのか?
「お気になさらず。イズーの常識はディスペアの常識とは異なりますので」
淡々とセレナは言った。
イズー。度々話には出てくるエルフの国。
世界を知るために一度行かねばならないとは思っているが、やりたいことが多くて後回しになっているのが現状だ。
「にゃあ! アビィは奴隷なんかじゃないにゃあ!」
怒ったようにアビィが言ったので、同意するように頭を撫でてやった。
アビィは懐いてくれてはいるが、そこに上下関係は無いと思っている。俺たちは対等な仲間なのだ。
「ラーメンを二つ」
女の声がして、カウンターの席に男女が二人座った。
都合のいいことに――女の方はアイリスだった。
もう片方の男は知らない顔だったが、左目を大きな傷で失っているのが特徴的な壮年の男性だ。
その姿を見とめて、セレナは息をのんだ。
「……失礼ながら、ジェイク・ウェイスト様でしょうか?」
無事な右目で、ジェイクと呼ばれた男性はゆっくりとセレナの姿を見て、答える。
「ああ――君はウィロー君のところの……。いや、以前ディスペア王都でエルフの彼が店を開いていた時に食べ損ねてね。一度ラーメンというものを食べてみたくて、アイリス君に無理を言って一緒に食べに入ったというわけだ」
セレナの態度と、ジェイクの物腰で、彼がディスペアの重鎮であるという事は分かる。
アイリスも並んで座ってはいるが、ジェイクから一歩引いたような面持ちで座っていた。
「あの、エルフのヤスタカです」
ラーメンを二人の前に並べながら自己紹介する。
小麦粉も材料も何もかもディスペアの時と変わっていない。
風車に異常があるというせいで、この地の小麦粉を試せなかったのは残念だった。
「うん。ラーメン屋の噂は聞いてたよ。騎士団を辞めたウィロー君と旅に出たというのも聞いている。私はジェイク・ウェイストだ。まあ、なんだ。四聖騎士じゃ出来ない汚れ仕事をやってるしがない男だ。ラーメン、頂くよ」
何げなくいって、ラーメンをすすって食べ始める。
ラーメンをすするという行為はこの世界になじみがなかったが、ディスペア王都でこの食べ方を披露した途端、食べやすくまた味わいが増すという事で、客の一部で定着しつつあったが、ジェイクは自然とラーメンをすすって食べていた。
アイリスも同様に――こちらはパイロン出身と言う話だから、箸の扱いにも慣れていて、黒髪をかき上げながら麺に息を吹きかける様子は、初めてラーメンを食べるようには見えなかった。
「うーん……」
ほかに客は無く、二人は黙ってラーメンを食べ続ける。
店を開いて、パイロン出身のアイリスが釣れたらいいなと思っていたが、予想外の大物がついてきてしまったようだ。
『風車の件は貪欲の悪魔の暴走なので、出来ればお前たちの手で解決してほしいそうだ』
ミノタウロスの言葉通り風車の件を解決すべく、そもそもどういう異常が起こっているのか聞きたかったのだが、どうも切り出しにくい。
「トリスタン卿は――」
ラーメンを食べる手を止めて、ジェイクが言う。
「風車の件に疑問を持っているらしいな――手を出してはならないという王の命令は、私も違和感を覚えている」
「はい。そこで諸国を回っていた私が派遣されたのですが、結局トレドの街での待機を余儀なくされています」
アイリスがちらりと俺を見ながら答える。聞かれたくないのだろうけれど、重要な情報を得ることができた。
風車に何らかの異常があり、現在稼働状態には無いが、その異常を排することは王の命令により禁じられている。
ディスペアの上層部とベルゼバブ、そして貪欲の悪魔とやらは繋がっている。
そして風車の件とやらがマモンのしたことなのだから、半分同盟関係――言ってみれば癒着状態にある四聖騎士以上の人間は手を出すように命じることができないのだろう。
『トリスタン氏は頭が固い』
かつてベルゼバブは俺が未だ目にしたことも無い四聖騎士の一人をそう評したが、派閥のアイリスをここに派遣したのも、その頭の固さゆえなのだろうか。
何にせよ、ベルゼバブとマモンの間で行き違いがあったようだ。
それにディスペアが翻弄されている――というのが、風車の件の概要なのだろう。
「風車の件なんですが」
二人がその話題を口にしてるのをいいことに、俺は割って入った。
「俺たちが解決するのではだめでしょうか?」
「くそ雑魚ナメクジのあなたが?」
アイリスが揶揄するように言った――にしても口が悪すぎるぞこの女。
「冒険者が通りすがりに解決するのは自然ではあるが……危険だぞ?」
ジェイクも疑わしい目で俺を見る。
ウィローが一緒にいると知っていてなお疑問に思うのだから、相当手ごわいのは想像がついた。
ジェイクの言葉にアイリスが首を振った。
「駄目です。一応風車の件は私の管轄になっています。勝手をされては困る」
「そうは言っても、王の命ではそもそもトレドの風車は見過ごすという事になっている――すなわちアイリス君がここにいること自体、命令違反なのだがね」
「ぐぬぬ……」
アイリスが悔しそうに歯噛みする。
なんだ、アイリスは偉そうにしていた割には実権が無いのか。
恐らく二人は上層部が癒着していることを知らないであろうからうかつには言えないが、風車の件はベルゼバブ側からは解決してもいいという話になっている。
だから俺たちが行く分には問題は無いのだが――細密に説明できないのがもどかしい。
「危険は承知の上です。是非俺たちにやらせてください」
「まあ、我々は見て見ぬふりと言う形になるが、お願いできると助かる」
ジェイクがホッとしたような口調で言った。
まさか、これが目的で来た……? とすれば、相当な策士だな。
近隣の冒険者でもっとも強いのは、ウィローがいるうちのパーティーであることは間違いないだろう。
エルフのラーメン屋の店主はそのパーティーの一人だ。話を向ければ、風車の件を片付けてくれるかもしれない――と考えたのだろう。
ディスペアの重鎮なのは分かるが、どのくらいやり手なんだこのジェイクと言う男は。
しかし、ジェイクの態度とは反対に、アイリスは全く納得いかないようだった。
「非公認と言えど、風車の件は私が騎士として解決せねばならないことです」
そう言って、ポケットから手袋をわざわざ取り出して、カウンターの上に放り投げた。
中世の騎士道物語や何かでよく見る奴だ。生憎返す手袋は持ち合わせていないが。
「ヤスタカ殿、あなたに決闘を申し込みます――明日の昼、トレドの訓練場にてお待ちします。そこで私が負ければ見過ごしましょう。何なら、あと一つや二つ条件を付けてもらっても構いません。私が勝てば、そうですね――」
アイリスはちらりと調理台を見て、
「その万能包丁をいただきます。もちろん、風車に立ち入ることも禁じます。いかがですか?」
挑戦的な口調だった。異存がない――どころではない。
望むところだった。今日この話がなくとも、アイリスとは必ず戦わねばならないと思っていたのだ。
「吐いた唾は呑み込めないぞ。明日の昼、トレドの訓練場だな」
「ええ――今度は握手程度では済ませません。こちらも本気でいきます」
アイリスは余裕ぶった顔で言った。それが命取りにならなければいいけどな。
そしてジェイクは困ったような顔をしていたが、見届け人に立候補し、ラーメンの代金を置いてアイリスとともに帰っていった。
「ヤスタカ様」
口を挟まないでいてくれたセレナが、二人が去った後に心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫。絶対勝つから。……あ、天空龍の山の攻略が遅れるのはごめん、ウィローにも後で謝っとくよ」
アイリスのステ―タスは凡庸。ただし<内功>のレベルは50を超え、恐らく物に内功の氣――頸力を込める畜頸も会得しているに違いない。
絶対に勝てるとは言えない。けれど、絶対に勝たねばいけないのだ。
負けをそのままにしておくなんて、絶対にできない。
それにしても、何でまた万能包丁なんか欲しがるんだろうか。
便利なものであるが、騎士に必要なものとも思えないのだが。
ウェイスト・ジェイク→ジェイク・ウェイストに変更