11話・酒場に来たので酒を飲む
準備を済ませ、トレドの街に着いた俺たちは、まず街の住人の活気の無さに驚かされた。
道行く人々は皆うつむき、ぼそぼそと何かつぶやいている。
「――のせいだ……」
恨み言だろうか。枯れた表情の男とすれ違った際、そんな言葉を耳にした。
「おい、なんだ? この街はいつもこんな調子なのか?」
俺が聞くと、ウィローもまた首をかしげた。
「いや、以前来たときはそうでもなかったが……なあ、セレナ」
「はい、以前ウィロー様の視察に御供した際は、収穫祭という事もあり、活気に満ち溢れていました。確かに収穫祭とは時期がずれていますが、ここまでの落差は何かあったと推察するに十分でしょうね」
どこか他人事のように言うセレナ。私の知ったことではありませんが、とでも最後に付きそうな勢いだ。
ここ来るための転移の魔術石を起動したのも彼女なら、旅の荷造りにストレージの魔法を施したのもまた彼女なのだから疲れているかのかしれない。
「セレナ、大丈夫か? その、疲れてたりとか」
「いいえ、大丈夫ではありません。少々魔力を使いすぎました。ヤスタカ様の腕の中で休憩したいのですが、宜しいでしょうか?」
冗談なのだろうが、クスリともしない無表情なので分かりにくい。
本気だったらそれはそれで大いに問題があるし、非常に返答に困るので、この手の冗談は分かりやすく言ってほしいものだ。
「疲れたのならどこかお店に入って休憩するにゃあ」
アビィの発言にウィローも同意した。
「情報収集も兼ねてどっか酒場にでも行くか。ヤスタカ、酒は行ける口か?」
「いや、そもそも飲んだことないな……」
「そりゃ人生損してるなぁ。身体も心も疲労には酒が一番。セレナなんてウワバミってレベルじゃないからな」
「主が主ですので。それよりあのさきほどの」
「それじゃあ酒場に行くにゃあ!」
元気よく手を振って、暗い顔の住人の闊歩する大通りを歩きだすアビィ。
何か言いかけたセレナだったが、アビィ様は場所を知らないでしょう、と先を歩くアビィにいつの間にか追いついて、その手を引いた。
面倒見のいい人だな……ウィローのメイドをやってるだけはある。
そういや、二人はどれくらいの付き合いなのだろう。今度聞いてみよう。
着いた酒場は昼間だというのにバーカウンターが埋まっており、奥まったテーブル席がいくつか空いてるだけだった。
その中から、ウィローは黒髪の女性が一人でテーブル席を占領している隣のテーブルを選んで座ったので、俺たちもそれにならって席に着いた。
しかし、大の大人が広間っから油を売っているのも問題だが、それよりもこれだけ酒場に人が集まっているというのに、笑い声一つ聞こえてこない陰気な様子はもっと問題がある。
注文伺いに来た若い女性に、ウィローが代表してオーダーを伝える。
「とりあえず麦酒3つと、アビィは何飲むんだ?」
「アビィもみんなといっしょのやつが良いにゃあ」
「飲めるのかねえ。まあ、じゃあ麦酒四つ」
「一つは巨杯でお願いします」
セレナが付け加えるように注文した巨杯とは……大ジョッキとかそういうのでもなく、ピッチャーのようなものか?
注文を受けてすぐさま持ってきた陶器のカップは、3つが限りなくビールジョッキに近い容量と形状だったのに対し、巨杯というものは殆ど盥のようなものに並々と麦酒が注がれていた。
「ひとまず、天空龍の山の決起の杯と行こうか」
泡立つ液体に満ちたカップを気持ち程度カチンと合わせて――ほとんど盥にぶつけに行ったようなものだったが、それを口にしてみた。
ほろ苦いが気持ち甘く、何よりさわやかなのど越し。初めて飲むので、元の世界のビールとは比べようがないが、美味しいじゃないか。
「苦いにゃあ……」
アビィが舌を出してカップを置いた。
「アビィにゃ早かったか。やっぱりリンゴ酒にしとけ。残ったこいつは――」
「私が戴きます」
ウィローが通りがかった店員にリンゴ酒を頼み、アビィの置いたカップは、盥を両手で抱え中身をんぐんぐとすぐさま飲み干してしまったセレナが引き取った。
「小麦はいまいちですが、トレドの大麦麦芽は良いものですね」
俺からすればアルコール分が結構きついが、セレナの表情は少しも変わらない。
セレナはアビィの分もまたすぐさま飲み干してしまい、リンゴ酒を置きに来た店員に巨杯をもう一度頼んでいた。
「にゃあ、りんごのお酒は美味しいにゃあ」
嬉しそうに陶器のカップに口をつけるアビィ。
外見的に考えれば日本じゃ未成年飲酒で咎められそうなものだが、元の世界でも海外に行けば幼少時からワインをたしなむ国もあるというし、多分、セーフだろう。
実際、アビィのような少女がアルコールを口にしていても誰も咎める気配がないし。
「口に合ったようで何よりだ。ところで、この街の現状はどうなってるんだ、アイリス卿」
耳慣れぬ名前は俺の肩越しに向けられたようで、後ろの席でテーブルを占拠していた女性が返事をする。
「騎士団を抜けたあなたには関係のない話です。リヴィングストン男爵」
「わーお、昼間っから独り酒かましてる女傑は厳しいねえ」
卿というのは臣下に対して用いることもあるが、この場合は同輩に向けた尊称みたいなものだろう。
という事は、背後の女性はディスペアの騎士なのだろうか。
振り向いて確認してみると、白磁のような肌をした美しい女性が、しかし黒く鋭いまなざしで、こちらを睨みつけていた。
今はオフなのだろうか、装備は胸当てだけで、他はリラックスできるような簡素な装いだった。
それにしても黒髪黒目はこちらの世界では珍しい――シュエメイ師匠以来ではなかろうか。
とすればパイロン出身であろうが、アイリスと言う名前がパイロン国に馴染まない。
「今作戦を練っていたところです! 風車の……」
最後に聞こえた風車と言う単語を出した瞬間、しまった、と言う顔をしてアイリスは口をつぐんだ。
しかし喋るべきではなかったという不覚の顔が、カギを握っているのが風車であることを物語っていた。
「風車、風車ねえ……俺たち、ちょうど風車を見学しようと思ってたんだけど?」
ウィローがここぞとばかりに掘り下げた。
実際には天空龍の山に向かうかの二択なのだが。
アイリスはそれに対して髪をかき上げ、毅然と答えた。
「それは現在不可能です。ディスペア騎士団の権限で、現在風車はふうしゃ中です」
……はて、今この女性は何と言ったのだろうか。
多分、流れ的には風車は封鎖中だと言いたいのだと思うが。
「風車はふうしゃちゅうって洒落かにゃあ?」
「いえ、大分お酒を召しておられる様子。恐らく噛んだのかと」
こちらの女性人二人がひそひそとアイリスを見ながら言う。
冗談をいうタイプには見えないが、今このタイミングでそれは無いぞという噛み方だった。
「ええいうるさい! 封鎖中と言ったら封鎖中なのです! 関係のない冒険者は速やかに他所に移っていただきたい!」
逆上したアイリスは拳を振り上げ、今にも殴り掛からんとしてくる。
――その拳に、≪内功≫の力の奔流を感じた。
「アイリスさん、≪内功≫使えるんですか?」
と、俺が聞くと、アイリスは怒りの表情のまま答えた。
「それがどうしたというのです。ああ、魔力を第一とするエルフにはさぞや奇異に映るでしょうね――あ、いえ、差別はいけません。取り消します」
急にアイリスはトーンを下げて、手で十字を切り、神か何かへの謝罪を口にした。
やっぱり酔っぱらってるのか?
「いや、俺も≪内功≫使うもんで……エルフですけど」
「いえ、エルフでも武への門は公平に開かれています……珍しくはありますが。ちなみに師はどなたでしょうか?」
「フィンの森で会った、シュエメイさんという女性です」
その名前を出した途端、アイリスの顔がより厳しいものに変わる。
「シュエメイと言うのは――『酒毒聖女』のシュエメイでしょうか?」
「いや……」
ただならぬ気配に、言葉を濁す。実際に渾名は聞いてないし、同一人物かはわからない。
「右足を失くしパイロンを離れたと聞いていましたが……フィンの森にいたのですか」
アイリスは考え込むように、口元に手をやった。
右足を失くし――という事は、シュエメイ師匠で間違いない。
「有名人だったんでしょうか?」
と、俺は聞いてみた。
「ええ――何せ、パイロン三区の筆頭拳士……元、が付きますが。リヴィングストン家の者の連れと言うのがひっかかりますが、高名な拳士の弟子――それもエルフの方と会えて光栄ですよ」
と言って席を立ち、握手のための手を差し出してくる。
それに応じようと同じく立って手を伸ばし、俺は提案してみた。
「これも何かの縁ですし、風車に何かあったのなら教えてもらえませんか? 力を貸しますよ」
そしてアイリスの手を握る瞬間、ウィローが「おいバカやめとけ」と言った。
しかし遅かった。アイリスの手に触れた瞬間、相手の頸力がこちらに流れ込んできて、神経を蝕むような苦痛がやってくる。
何とか抵抗しようにも、相手の内功が深い。為すすべなく、俺は両膝を付かされた。
「この程度ですか。<内功>レベル二ケタにも達していないのでしょうね。ちなみに私の<内功>はLv53です。もちろん本気は出していませんが……風車の件はこの程度の方に力を借りてどうにかなるわけではありませんので、悪しからず」
手を離され、倒れそうになる俺をすかさずセレナとアビィが支えてくれた。
ウィローもまた、アイリスを非難するような声で言う。
「お前、四聖騎士のトリスタン派だったよな。奴がこの事を知ったらどう思うかな?」
「こんな辺境の戯れ事、トリスタン殿の耳に入ることもないでしょうが――騎士団所属時は四聖騎士アグニス派だったリヴィングストン男爵が、アグニス殿に告発でもなさるのでしょうか。まあ、トリスタン殿も『同郷』の者の弱さにいさどおるくらいではないでしょうか?」
嘲るような口調で言って、そのままアイリスは銅貨を何枚かテーブルに置いて立ち去った。
「すまん、ヤスタカ。言っとけば良かったな。奴は出自がパイロンで、俺の様な後ろ盾がないから辺境に回されちゃいるが、騎士団でも上位の実力者なんだ。魔力放出で身体能力を上げる……」
俺はウィローの言葉を遮り、勘違いを正した。
「魔力放出じゃなくて、あれは内功――頸力だ。はた目には同じに見えるのかもしれないけど、魔力放出より内功の方が身体能力向上、維持の効果が高いから……要は、俺が弱かったんだよ。皆に申し訳ない。この街の現状の手がかりだったのに」
「そんなのいいにゃあ! あの女腹立つにゃ、街中じゃなきゃワ―キャット化して大暴れするところにゃ!」
アビィが歯ぎしりしながら言う――街中でいきなりモンスター出現とならなくてよかった。分別がきちんとついていることに安心感を覚えた。
セレナもまた怒りを感じている――と思いきや、改めて酒を注文していた。
「この程度の理不尽、生きていれば幾らでもあります。立ち向かうかどうかはヤスタカ様がお決めになればよろしいですが」
「立ち向かう――に決まってるだろう。……皆には迷惑かもしれないけど、俺にもう一度あの女に挑戦させてくれ。今度はお互い素面の時に。そして風車の事、あっちからお願いさせてやる」
「ヤスタカ様ならそう仰ると思いました――では、今日の無念さ、後悔、濁りを、お酒で洗い流しましょう。いくらでも……ええ、深夜になろうと朝日が昇ろうとお付き合いしますので」
どん、と麦酒に満ちた盥を、座りなおした俺の前に置いた。
「天空龍の山の決起集会が、へんなことになっちまったな」
ウィローがため息をつき、確認するように俺に聞いてきた。
「で、風車の件と、天空龍の山、どっちから手を付けるんだ?」
「まず天空龍の山に行く――完全に攻略とまではいかなくても、力をつけなきゃ、今はまだあの女に勝てないから」
盥に四苦八苦して飲みながら、俺はそう答えた。
ところで――と俺は聞いてみた。
「あの女、最後に『いさどおる』って言ってたけど、『いきどおる』が正しいよな? 酔っぱらってるのか、それともあの女天然なのか?」
あまりのどうでも良さにウィローもアビィも笑ってくれた。
無表情のセレナもまた、安堵するように息をついた。
一度力比べで負けた程度でくよくよしてはいられない。
それよりも空気を悪くしてしまったのが申し訳なく思う。
それでも俺の指摘とも冗談ともつかない話で場がほぐれたようで、少し気分が軽くなった。
こうしてトレド一日目は酒宴で終わり、俺に一つのスキルが増えた。
<バッカスの種> アルコール摂取時にステータス微増。適量を超えた飲酒時は、アルコールが抜けても微増効果が持続する。なおこのスキルのレベルは≪神の舌≫のレベルに依存する。
ラ・マンチャ→トレドに街の名前を変更しました。
前回分も訂正済みです。