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「エルンスト!魔女を殺して!殺して...」
コクピット内にてアデーレが絶叫する。
言われずともエルンストはレバーを握り、腕部の銃口を異形の機体へと向ける。
既にあの機体に乗っているのが、無垢な市民の訳はないとエルンストは確信した。
黒い液体に包まれ、4本しか無かったはずの装甲脚が、新たに4本増えているのが確認できる。
「アデーレ...奴を知っているのか?」
「知らないわけ、ないじゃない...アムブは皆奴を恐れるのよ」
「恐れる?君が?」
「そうよ!エルンストにはわからないわっ...速く撃って!撃ち殺して!」
そうアデーレに促されるままに、エルンストは異形の機体へ、射撃を加えた。
だが、腕部から放たれる銃弾は機体に命中はするのだが、まるで闇に飲み込まれるかのように、音も立てず液体に飲み込まれていく。
エルンストはその光景を見て、まるで生きた心地がしない。
こんな相手は初めてだ。
テロリスト相手でも軍用機を使ってくる奴と、渡り合ったことは何度かあるが、それらの次元とは全く違う不気味さがある。
「...ナンシー。今、何発喰らった?」
「えーとですねぇ...コクピット前部に4発とぉ...脚部に狙いがそれて2発ぅ...。」
「あと、俺の足に1発だ」
「痛いですかぁ?」
どす黒い液体にウロバエは全身包まれ、その搭乗席において、バルドゥルは溢れ続ける液体の隙間からアンゲロイを見ていた。
この機体を覆っている、どす黒い液体こそがナンシーであった。
アムブが一定段階まで成長すると、個体によって様々な能力が出てくる。
どのようなものが発生するのかは、企業でも把握しきれていない。
ただ一つ無知なバルドゥルでもわかることは、この様な事ができるアムブ乗りはそう滅多にいないという話である。
「いや、痛覚は全部、お前に流れているはずだろ?」
「えぇ...お陰さまで凄く痛いですよぉ」
そう言って彼女は少しだけ長い髪に隠された表情を引きつらせたが、それが果たして本当に痛みを感じているからなのかはわからない。
ナンシーの場合はアムブ本体から、液体を放出し、それを簡易的な装甲として扱うのだが、一体液体がどのように増量されているのかはバルドゥルにもわからない。
この能力が発動できるようになってから大分経つのだが、未だに、わからないことだらけだ。
「あと何秒持つ?」
「4・5分ですかねぇ...」
「そろそろ動くか」
「さっきの蹴り落とした人は大丈夫ですかねぇ?」
「ほっとけ」
バルドゥルの足は痛覚を感じないものの、食い込んだ弾丸のせいで動かなくなったので、被弾した脚を退かして、片足でアクセルペダルを踏んだ。
どす黒い液体の中から排気筒が生えだし、そこから煙と液体が混じったものが、勢いよく噴出され、アンゲロイに向けゆっくりと進みだした。
正面の敵が必死になって腕部から射撃を加えているが、弾丸は液体にのめり込んで消えていく。
棺桶は戦車に様変わりしていた。
エーリヒはバルドゥルに蹴り落とされてから、何か文句の一つでも言ってやろうと、頭を上に向けたのだが、その瞬間どす黒い液体が上から落下してきたので、慌てて路地裏へ逃げ込んで、目の前で動いている異形の機体をじっと見ていた。
「化物...」
エーリヒにはそう呟くことしかできなかった。
若者たちを一瞬で血祭りにあげた天使もよっぽど恐ろしかったが、今目の前で動いている、というよりは蠢いていると形容するのが正しい機体は、足の生えた軟体生物のようで、天使よりも遥かに恐ろしい外観をしている。
つい先程まで、あれは工事現場でよく見かける、平凡な量産機であったと言っても誰も信じないだろう。
「...あのアンゲロイはアムブ付きか?」
「えぇ・・アデーレって娘がいますねぇ...軍学校では優秀だったようですがぁ、訓練中の事故で死んじゃってぇ...ドナー登録していたのが運の尽きで、私たちの仲間入りですよぉ」
「死んじまってから、運が尽きたって言うのも変わっているな」
「そう言えるのは戦前の人達だけですよぉ...」
ナンシーは楽しそうに髪を手でかき上げ、不気味に笑っている。
髪が少し離れてナンシーの顔が見えるが、彼女の顔の肌は病的なまでに青白く、そして猫科の様な大きな瞳の下には大きいクマが出来ていた。
4年も寄生させていないから、肌も酷く荒れているのがわかる。
これが終わったら、少し手入れをさせたほうがいいかもしれない。
そう呑気なことを頭の片隅で考えながら、バルドゥルは横で佇む彼女に話しかける。
「じゃぁパイロットは?」
「エルンスト...ハイマン...でしたっけねぇ。若い新参天使ですよぉ。アデーレちゃんとは同じ軍学校の同期だそうでぇ...2年前にアムブ乗りとしてこの地区の担当になってるんですねぇ」
「どっから盗んできた情報だ?」
「そう言われると心外ですねぇ...直接聞いてきたんですよぉ」
ナンシーは少し不満な顔をして、バルドゥルを見つめるが、彼は前進のレバーを只管に前に倒して、液体の隙間から正面を食い入るように見つめている。
液体装甲に身を包むと、機動性がとことん酷くなることは、何度も経験している。
必要最低限の動きしかこの状態ではできない。
その為、前進することしか今はできないのだが、有難いことは正面のアンゲロイは無駄な射撃を加えるだけで、一歩も動かないのだ。
新参者によくある行動だ。
とりあえず射撃しておけば、なんとかなると思っているのだろう。
それはもう祈りにも近い行動であると、バルドゥルは静かに確信した。
機体は既にアンゲロイの20m手前まで接近している。
「くそっ!くそぉ...なんだよ!何なんだよ、こいつ!?」
エルンストは既に冷静さを失っていた。
アデーレは自分の座るシートの奥で体を小さくして怯えている。
もう五月蝿い事を喚かないが、今はむしろ何か喚いていて欲しいぐらいだ。
そうでもしないとエルンスト自身、正気を保てそうになかった。
必死になって射撃を敵に食らわすが、相手はまったく銃撃を意に返さず、ゆっくりと前進してくる。
重装甲な機体にはとても思えないのだが、弾丸は音も立てずに次々と液体の中へ飲み込まれていく。
相手の機体の上部には、先ほど生えだした排気筒を囲うように、どす黒い液体に覆われた触手の様なものが4本蠢いている。
それ等が2本、こちらへゆっくりと伸びて来ていることに気づくと、エルンストはその触手を必死で振り払う。
だが、振りはらえば振り払うほど、触手は腕に絡みつく。
アンゲロイの背部に搭載された翼を開き、飛翔しようとしても、相手はそれを読んでいたらしく、正面の触手に意識を向けさせ、その隙にもう2本の触手が翼を捉えていた。
それに気付いた時、若きパイロットは相棒と同じように絶叫した。
「あぁ~...確かに若いな。何歳だ?」
「22...あなたより幾つ年下ですかねぇ...」
「言うなよ。気にしてるんだ」
バルドゥルはエルンストの絶叫を聞いていた。
ナンシーが触手を伸ばして、アンゲロイの通信回路に液体を忍び込ませた。
液体は装甲であり、また回路の役割すら果たす。
相手の通信回線に割り込んで、彼の悲鳴をこちらのスピーカーから垂れ流す事など、アムブの情報すらも手に取るように理解しているナンシーには、その程度、赤子の手をひねるようなものだった。
バルドゥルに言わせれば彼女のこの様な行為は、一種の趣味だと理解している。
彼女は苦しむ搭乗者を聞くことを何よりも好む。
狂っているとつくづく思うが、その相棒を長年勤めている自分も十二分に狂っているとバルドゥルは自嘲し、その笑い声をエルンストの絶叫と混ぜ合わせた。