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「アンゲロイの...あれは最新型...いえ...一世代前のですねぇ...」
「機体の種類がわかるのか?」
「えぇ...勿論。バルドゥルと一緒だったとき乗っていたのは、あれのぉ...4世代程前ですかねぇ。形状はそこまで変わってませんしぃ...1年ぐらい使い潰しましたよねぇ、懐かしい。」
「...おい、お前さっきは戦闘用にはろくに乗ったことがないって」
エーリヒがバルドゥルの横でなにか喚いているが、バルドゥルの耳に彼の言葉は全く入らない。唯一入ってくるのはナンシーの間延びした声音だけだ。
『アンゲロイ』天使の中において、最下級の機種ではあるが、我々が最も目にする機体でもある。
大戦の最中にその原型が見出され、熾烈を極める戦闘の中において、必要なものを強化し、不要な物を生き残るために捨ててきた。洗練された機体である。
バルドゥルもナンシーの言うとおり数世代前のアンゲロイに搭乗したことはあったが、その時より遥かに強化されたであろう形状に狼狽える。
「腕部に機関銃...背中には...あれは機関砲か」
「どうだ。勝てるか」
「馬鹿言うない。殺されちまうよ」
エーリヒが縋るようにバルドゥルに泣き言を言うが、それを彼はさらりと返す。
最新型とまではいかないが、今乗っているウロバエと性能を比較すれば、それこそ天と地ほどの差がある。いや、それ以上かもしれない。
だが、圧倒的な性能差を誇っている筈の、アンゲロイは目の前で突っ立ったまま仕掛けてくる気配がない。
「撃ってこないな」
「工事作業機だからな。アンタが乗り込んでこなければ、ただの移動中だと思っただろうよ」
「一応...起動と同時に民間業者が発生させる識別信号がありましてぇ・・それを今、出していますから、相手さんはこちらをただの工事のおっちゃんだと思っているわけですよぉ」
「なるほど」
呑気に話をするナンシーとエーリヒの間で、バルドゥルはアンゲロイを睨みつける。
街頭に仄かに照らされる路上にて、巨大な機影が静かに睨み合っている。
「参ったな...民間機の中に逃げ込んだ」
「構うことはないわ。ゴミもろとも撃ちましょうよ」
「アデーレ。何を言うんだ」
「いいじゃない。調書は私が提出するんだから」
白い機体の搭乗席において、エルンストはアデーレの勝手な言動に少し不満を感じていた。つい先程まで追跡していた容疑者が、無垢なる市民の機体に乗り込んだのだ。
きっと、スモーク加工されたガラス張りのコクピットのせいで、内部がどうなっているかは知る由もないが、目の前の作業機に乗っている搭乗員は、あのテロリストに脅されているに違いない。
それを構わず、アデーレは射殺しろと言う。
彼女は極端すぎる、いつもそうだ。
人命を何とも思ってはいない。
それがエルンストには許せない事だが、まだアムブ乗りとして日も浅い自分には彼女の性能だけが頼りだった。
彼女がアムブになる前はもっと深く色々と親密に話せたはずなのだが、一体いつからこうなったのか。
そう、一瞬エルンストは思ったが、これ以上は考えても仕方がないと雑念を振り払った。
「武装も無い。逃げるにはコイツは遅すぎる。手詰まりだ」
「おい。諦めるなよ、同志」
「ここで生き残るには、アンタだけ降りてくれればいいんだが」
「...それだけはやめてくれ」
エーリヒは必死になって、バルドゥルに懇願するが、バルドゥルとしてはすぐにでもエーリヒをドアから蹴り落としたい気持ちで一杯だった。
手が無いことは無いのだが、いささかソレをするにはブランクが長い。
できれば使いたくないが、四の五の言っていられる余裕も無いのかもしれない。
現に、目の前のアンゲロイは既に戦闘態勢を取ろうとしているではないか。
細くしなやかな2脚をすぐにでも前に踏み出せるよう、片足を引いて、腕部の銃口をしっかりとこちらへ向けている。
民間業者の識別信号すら、奴らには関係ないというのか。
「あぁ~...不味いですねぇ。あれは発砲してきますねぇ」
「なんだ。信号はどうした?」
「アンタがいると信号も無意味ってことだ」
「...あ~・・死にますか?これ?」
ナンシーが口をバルドゥルの耳元まで近づけた。
口調は至って呑気だが、状況は酷く逼迫している。
致し方ないだろう。奥の手であるから、最後までとっておきたいが、あれをするしか生き残る術が無いなら仕方がない。どうせ使うとは思っていたが、幾らなんでも早すぎる。
「...ナンシィー?」
「はぁい」
バルドゥルもナンシーの口調に影響されたのか、呑気な声を出した。
そして、1回深呼吸をして、細目をできる限り強く開いた。
「...繋がるぞ」
「シンクロってぇ...言うんですよぉ」
そう彼女と言葉を交わすと、バルドゥルはシートにしがみついているエーリヒを、ドアから蹴り落とした。
彼の悲鳴が路上に響き、次に筒状の機械から発せられる音が彼の悲鳴をかき消していく。
エルンストの目に二つの異様な出来事が映った。
一つは目の前の作業機から、先ほどのテロリストが悲鳴を上げて、搭乗席から転げ落ちていったこと。
そしてもう一つは、テロリストの悲鳴を掻き消すような、奇妙な音が路上を満たしだしたことだ。
音は耳をつんざくような音ではあるが、それが一種のリズムを刻んでいる物とエルンストが気付くのにそんな時間はかからなかったが、その僅かな間に、もっと異様な光景が目の前にて繰り広げられる。
作業機の搭乗部に何か筒状の物が突き刺さっているのが、モニターから確認できるのだが、音が鳴り響くに連れ、その筒状から液体が溢れ出した。
一体どこから出ているのか、把握できないほどの液体が筒から漏れ出している。
その液体はドス黒く、そして汚らしい色をしていた。
だが、不思議と異臭は漂わない。
「なんだ、あれ...」
エルンストはその奇妙な光景に対し、狼狽えることしかできなかった。
今まであの様な物は生まれてこのかた見たこともない。
ましてや、機械があの様なものを排出するのだろうか。
だが、実際には目の前でその液体が、作業機を覆いつくそうとしていた。
全身をどす黒い液体に包ませ、その姿はまるで黒い大きな蜘蛛だった。
全くもって不気味だった。
エルンストの狼狽は自然と恐怖へと変わってきている。
「アデーレ...あれは...」
エルンストは相棒に声をかけた。
彼女はこんな場合必ず何か喚き立てる筈なのだが、何故だかとても静かだ。
エルンストは慌てて彼女の立体映像を探そうと、コクピット内を見回した。
「アデーレ?」
彼女はエルンストのシートの裏側で震えていた。
身を小さくし、まるで小動物のように怯えていた。
そして何か必死に小声で呟いているのだ。
「魔女よ...魔女が来たわ...」
そう呟いて震えていた。