恋路にてすれ違う
こういうオチを試したいが為に書いたようなものです。
もう色々と大丈夫なのだろうか。
諦めかけていた恋路だった。
だがその終着点は、輝く光に照らされていることを知った。
「私、あなたのこと好きよ」
潤んだ瞳でそう彼女は呟いた。その一言は、骨の髄までとろけさせるほどに、甘美な響きだった。彼女の柔らかな声の残り香が、耳元で止むことなく繰り返される。聞く度に、甘く痺れるような感覚が脳内を支配する。
「だからもし、あなたがその気なら、今日の夕方会ってくれる?」
彼女はすれ違いざまに「私の家にいるから」と耳打ちし、ゆったりとした足取りでここを後にした。
空を見上げる。突き抜ける晴天の中を、一羽の鳶が風に乗って、優雅に弧を描いている。
その軌跡がまるで天使の輪っかみたいだと思ったあたり、すっかり浮かれてしまってるのかもしれない。
「おい」
その声で、意識が現実に引き戻された。
呼び止められて振り返ると、こちらにやってくる男がいた。切れ長の目が特徴的で、割と顔立ちもいい。だが、いかにも不機嫌そうな仏頂面を顔面に貼り付けている。
男は無言でずいと顔を近づけ、低い声でこう言った。
「お前では彼女と釣り合わない。彼女にふさわしいのはこの俺だ。なのになんで……」
言葉の最後は聞き取れなかった。
男は口を真一文字に結び、爛々とした目を向けてくる。日常でこんな目をすることがあるのだろうか。瞳の奥にはどす黒い敵意が、さながら炎のように燃え上がっている。隠す気など毛頭ないらしく、たっぷり一分ほどガン飛ばしたのち、「くそっ!」と吐き捨て、去っていった。
入れ替わるように、今度は温和そうな男がやってきた。目が合うと、男は笑顔とも困り顔ともとれる表情を浮かべてこう言った。
「さっき来た人のこと、あんまり悪く思わないであげてね。あの女性に好かれてるのが自分じゃなくて君だったから、嫉妬してるんだよ。やるせない気持ちをどこへ向けたらいいかわかんなくなっちゃって、つい君にあたってしまったんだ。ごめんね。あとでちゃんと謝るように言っておくから」
言い方から察するに、この男はあの仏頂面の友人なのだろう。両手を合わせては、何度も頭を下げている。男の言葉を聞いているうちに、先ほどまで逆立っていた気持ちは平穏を取り戻していた。男が持つ雰囲気のせいだろうか。
別に気にしていないと伝えると、彼は「ホントにごめんね」の一言と共に、深いお辞儀をした。
「でも実のところ、君と彼女がそのうちこうなるとは思ってたんだよ。君は中々格好いいし、彼女もそんな雰囲気を匂わせてたし、ね」
屈託のない笑顔を見せて、男は仏頂面を追いかけていった。
面と向かって言われると、どうにも気恥ずかしかった。
影が立ちふさがった。見上げると、そこには筋骨隆々の文字を体現するかのような男がいた。
男が口を開く。
「彼女に愛の告白をされたそうじゃないか」
首肯で答えると、男は目を閉じ、ひとつ大きな深呼吸をした。そして意を決したのか、真剣な顔つきを作ってこう言った。
「俺は君が好きだ。あの女より、遙かに君を愛しているという自負がある。俺と付き合ってくれ。必ず君を幸せにする」
頭を殴られたような衝撃を受けた。次いで悪寒が全身を駆け巡り、脳が身の危険を叫んだ。
男に告白された。
男に。
まじかよ。
「無理です」
首をこれでもかと左右に振り、胸の前で腕を交差して拒否をした。
それを聞いた男は、「無理なもんか。絶対幸せにする。誓ってもいい」と言う。
そうじゃない。こっちが無理だと言ってるんだ。
悪い夢以外の何物でもない。何が悲しくて男から、ましてこんなゴリラみたいな奴から告白されなければならないのか。全身全霊を以て首を縦に振るわけにはいかない。男と関係を持つぐらいなら死を選ぶ。
「とにかく無理なんです」
逃げようと回れ右をした。
「待ってくれ!」
無視して歩き出す。それでも男はすがるように追いかけてくる。恐い。捕まったら取って食われそうな錯覚を覚える。実際捕まったら、別の意味で食われる可能性が高い。タチが悪い分、こっちの方がよっぽど恐い。
「なぜ無理なんだ! 教えてくれ!」
「教えたところでどうにかなるものじゃない!」
速度をあげようとしたのを見計らったように、男は回り込み行く手を遮った。
「なぜなんだ! なんでよりによって女と!」
目を血走らせた男の巨躯がにじり寄る。
ごつい両手が伸びる。
指先からの熱気が肌を掠める。
「君はあのクソ女に騙されてるんだ! 目を覚ませ!」
――クソ女?
頭の奥で何かが弾けた。
右手で作った握り拳を最短距離で男の鼻っ面に叩き込んだ。腰の入った一撃だった。骨と骨のぶつかる鈍い音が響くと同時に、男の顔が苦痛に歪む。地面に膝をつき、両手で鼻を押さえている。そこから一筋の赤色が垂れた。突然の痛みに虚を突かれたのか、男は呆けた顔をして固まっている。
困惑に揺れる男を見下ろし、できるだけ邪険に、ありったけの敵意を込めて、言い放った。
「男に! 興味は! ないんだよ! おとといきやがれクソ野郎!」
瞬間、男はこの世の終わりを目の当たりにしたような表情をした。両手がだらりと垂れ下がる。鉄錆に似た臭いが鼻をついた。
足早にそのわきをすり抜ける。男はもう追いかけてこなかった。
正面からの風が髪を撫でた。
あの場から離れてもう十分以上は歩いている。もう機械のように歩を進める必要もない。けど、今はこの速さを緩めたくない。今日起こった数々を、向かい風で吹き飛ばしたかった。
ふと思う。
あの男三人は一体なんだったのだろうか。だが考えたところで分かることはないし、万が一分かっても理解はできないかもしれない。
恋路を一瞬横切った通行人、そう思うことにしよう。いくつか言葉を交わし、やがてそれぞれが自分の道に戻っていく。刹那の出会いだから顔を覚える暇もなく、話したことすらあっという間に忘却の彼方だ。
多分、そういう出会いだったのだろう。
大きく息をついた。
振り返るのはおしまい。さあ、前に進もう。
向かう先はもちろん、この道の終着点。彼女に会って、溢れるこの想いをぶつけよう。
少し汗をかいてしまった。一旦自宅に戻って着替えたい。何を着るかはもう考えてある。この前奮発して買った、パステルカラーのワンピースだ。
男っぽいパンツルック姿をしていく度、彼女はいつも「似合ってるよ」と誉めてくれる。だが、こういうのもいいねと思わせたい。これでも一応女なのだから。
あれを着ていったら、一体どんな顔をするのだろう。
彼女の反応を想像しながら、私は帰路を急いだ。
お読みいただきありがとうございました。