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第七話 はるちゃん

「おーい、はるちゃーん。一緒にお昼食べようよ」

 文句の付けようのない青々とした五月晴れの日。暑ささえ感じてしまうほどの強い日の光が降り注ぐテラスにて午前の授業を終えた私としぃちゃんは、屋上へと続く階段を上ろうとするはるちゃんを発見した。彼女に会ってまだ三日目だが、いつも重いスポーツバッグと肩にかけ、動きやすい格好をしている。

「いいけど、私は食べ終わったらすぐに屋上へ行くよ」

「うん、大丈夫だよ」

 はるちゃんを連れて私たちは階段を降りて地下の食堂へと向かう。地上部分が吹き抜けとなっているため、この食堂は地下とはいえ日当たりは良い。

 いつもどおりの混雑の中三人分の席をやっと確保し、食券を買いに行く。昼休みが始まってまだ十五分しか経っていないのに「とんかつ定食」がもう売り切れていた。いつも私たちが買いに来る時間は売り切れている「とんかつ定食」。本当にやっているのだろうか。

「久しぶりに来たなー、ここ」

 はるちゃんはお弁当の包みを広げながらキョロキョロと辺りを見回す。

「はるちゃんはいつもお弁当なの?」

「うん、お母さんに作ってもらっているんだ。時々教えてもらいながら自分で作ることもあるけど」

 私は料理をやらなければ教えてもらってもいないな……。お母さんが店の手伝いをしているからというのを言い訳にしているけど。やはり料理の能力を基本でもいいから学ばなければいけないかな。

「お弁当かー。私も生活落ち着いてきたからそろそろ自分で作ろうかと思っているけど」

「ええっ!?しぃちゃん」

「あれ、かっちゃん?言ってなかったっけ」

 私はしぃちゃんの意外な才能に驚いた。格闘技好きの彼女のことだから、材料を切るときは「一文字切り!」とか大根をおろすときは「六甲おろし!」みたいな自分でつけた必殺技の名前をつけて料理しているのだろうか。

 そんなことを考えているうちにしぃちゃんにスィッチが入ってしまい、彼女は料理の話を熱く語り始め、お昼休みの半分をそれに使ってしまった。

「さて、私はそろそろ屋上へいかなくちゃ」

 しぃちゃんのトークショーが終わったところではるちゃんがお弁当を片付け始めた。

「屋上ってあの屋上?」

「そう、大学にいる日の昼休みは毎日あそこなの。あまり人が来ないから集中できるんだ。」

 集中……。何のために集中をするのだろう。知りたい気持ちはあるが、私たちが屋上にいることは、はるちゃんの邪魔になってしまう。

「よかったら屋上に一緒に行く?」

「えっ、いいの!?」

「別に私だけの屋上じゃないし、人に見られながらやるのも練習になるしね」


 五分後――。私たち三人は屋上に到着した。屋上の様子は三日前と変わりないが、ただ一つの違いは自治会が音楽を流していないことだ。

「さて、始めますか」

 はるちゃんはスポーツバッグを開けると、小型のMDプレイヤーを取り出した。

 電源を入れてMDを入れると三日前に私たちがここで聞いたあの軽いポップな曲が控えめに流れる。

「あ、この曲ってはるちゃんが……」

 と、しぃちゃんが呟いたときには彼女はすでに曲に合わせて激しく踊りだしていた。

 リズミカルな腿上げやステップ、手の動きに私としぃちゃんはつい見とれてしまった。

「……そんなに見とれなくても……」

 踊りが終わってもいつまでも私たちが見とれているので、はるちゃんは照れながらタオルで汗を拭う。

「すごい、すごいよ、はるちゃん!すごいとしか言えないけど、とにかくすごいよ!!」

 「すごい」を元気に連発するしぃちゃん。

「なんか……。すごくて激しかった……」

 はるちゃんの踊りは、彼女自身から飛び出そうとしている何かを一生懸命抑えているように見えた。

 その何かは私には分からない。あまり飛び出して良くないものの様な気がする。

 しかしその考えは、しぃちゃんの反応を見るに私の気のせいなのかもしれない。

「うん……、どうもありがとう。人前で踊ることあんまり無いから、少し緊張しちゃったよ……」

 激しく動いたせいか、それとも照れのせいか赤くなった顔にバタバタとタオルで風を送る。

「それより、もうすぐ次の授業始まるけど、教室行かなくていいの?」

「あっ、十分前だ。かっちゃん、そろそろ行こう。はるちゃんは次の授業はないの?」

「二人の次の授業は何?」

「鎌倉先生の「日本の歴史」だよ」

「鎌倉か……。私と同じだ」

 一瞬、はるちゃんの顔がムッとしたように見えた。

「本当!?じゃあはるちゃん、今から着替えないと間に合わないよ」

 はるちゃんは手にしたスポーツタオルを思い切り引っ張りながら「うーん」と考えていたが、タオルの右端を思い切り離すと。

「いや、今日は行かない。しぃちゃん出席票に私の名前書いて提出してくれない?」

 出席票とは授業の最初に教授が配る出席の証明となる用紙だ。学生はこれに自分の学科と学年と名前を書き授業の最後に提出する。

 これを提出しないと授業に出席したと認められないので、学生たちはたとえつまらない授業でも最後までいなければならない。

 しかしこの出席票は教授が一人ひとりに配らず、列単位で一固まりの出席票を配っている。

 このことを利用して自分と欠席している友達の分の票を取り、名前を書いたら何食わぬ顔で二人分の票を提出すれば「欠席している人も出席」という真面目な学生が聞いたら阿呆らしくなる裏技ができるのだ。

 歴史の授業は受ける学生が多いためその裏技は簡単にできる。

「うん、分かった。はるちゃんの名前、何て書くか教えてくれない」

 はるちゃんはバッグから紙とペンを取り出してさらさらと自分の名前を書くとしぃちゃんに渡した。

 その紙を見たしぃちゃんは、一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに笑顔を取り戻した。

「なるべく筆跡合わせるように書いておくよ」

「ごめんね、ありがとう」


 はるちゃんと別れて教室に向かう途中、私はしぃちゃんの驚きの理由を尋ねた。しぃちゃんは「これ」とはるちゃんが渡した紙を見せた。そこには「伊井国 遥」と書かれたはるちゃんの名前があった。

「鎌倉先生と同じ苗字よ。伊井国なんてそんなにあるものじゃないわ。ひょっとしたらはるちゃんと鎌倉先生は、親戚かもしれない。だから、私たちが「鎌倉先生」って言ったときちょっと機嫌悪かったのよ」

 しぃちゃんの言うことが正しかったとしたら、私たちははるちゃんにとんでもない失礼をしてしまったことになる。

 自分の名前を気にしている私が人の名前に無頓着なんて図々しい話だ。

 「鎌倉先生」、本名は伊井国造郎いいくにつくろう。文京大学日本史学の教授であるとともに日本史学の全国的権威である。

 そのまま読めば、日本史早覚え言葉の「いい国(一一九二)作ろう、鎌倉幕府」になることから「鎌倉先生」と呼ばれている。

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