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第五話 ペルのお気に入り

 ペル様ことペル・チャンデスは、三月に来日した時に、

「日本はとてもいい国ですね。また来ます」

 と言って日本を後にした。これは成田空港でペル様の言葉を直に聞いたお婆ちゃんの言っていることだから、事実だと思う。

 まあこの話を聞いたとき私は体のいいリップサービスだと思っていたのだが,どうやらペル様の気持ちは本気だったようで,前回の来日から二ヶ月しかたっていないのに、またやって来た。

「ペルー、ちょっとひっぱり過ぎだよ。」

 というわけで二ヶ月ぶりにペルの散歩の相手を私がすることになった。

 どうやら二人(正確には一人と一頭だね)は散歩のコースを変えたらしく、谷中の街を一通り歩いた後ペルは三崎坂の通りを渡り谷中霊園のほうへと私を引っ張る。

「ねぇ、ちょっとー。どうしてこんな怖いところへ行こうとするのよー。ナナちゃんにはもう会ったでしょう」

 ひょっとしたらナナちゃん以外のお目当ての猫をこの辺りで発見したのだろうか、と思ったのだが、それは猫ではなかった。


 突然ペルが何かを感じて立ち止まる。彼の視線の先にあるうっすらと朝靄のかかった墓地の中から何か黒い物体がこっちへ向かってきている。私はそれを見た途端、この世の人ではないと思い怖くなった。

「ねぇペル。お願いだからもう帰ろうよ。ねぇ」

 ところがペルは頑として動かず、その黒いもの対して尻尾を振っている。猫好きの犬はいるかもしれないけど、お化け好きの犬なんて聞いたことが無い。というかいつも散歩をしているお婆ちゃんもお化け好きになってしまうではないか。

 黒いものが確実に私達の方へと近づいている。よく見ると全身黒尽くめで背の高い人の形をしている。しかし顔は黒の帽子のつばで隠されていてよく見えない。

「よーし、よし、今日も来たのか」

 ペルは頭を撫でられていてものすごく喜んでいるけど、私はこの正体不明の人物(人なのかすら不明だ)から離れたくてペルの紐を引き付ける。

「あれ、君は……」

 ふとその人物が私に声をかけた。ごめんなさい。私はあなたの事なんて知らないです。

「確か御徒町さん……」

「御徒真知です」

 反射的に、そして腹立たしげに私は答える。さっきまでの怯えていた私はすっかりどこかへ行ってしまったようだ。

「ああ、そうだったごめん。ごめん。君の家の犬だったのか」

 そう行ってその人はペルを撫でながら帽子を取った。

「町平健さん!」

「町田イラケン、ね」

 イラケン選手も反射的に答えた。私ほどじゃないが言葉に多少の棘がある。

「あ、ごめんなさい……」

「いや、いいんだ。自分も名前間違えられるのが嫌なくせに人の名前を間違えているのだからお互い様だよ」

 お互い様か、確かにそうだ。私はおかしくなって吹き出してしまった。そうだよね、私も自分の名前にはうるさいのに人の名前には鈍感って。朝の墓場に私は大きな笑い声を上げた。周囲の人にとっては私こそ化け物に思えただろう。


「イラケン選手はいつから自分の名前を気になったのはいつからですか?」

 落ち着いたところで私はずっと彼に対してずっと気になっていたことを尋ねた。しぃちゃんには肩透かしを食らう形になってしまったが、イラケン選手は私と同じ悩みを持つ人だ。

 イラケン選手はペルを撫でながら答える。

「日本に来てからだから……。六歳か、小学校入学に合わせてタイから引っ越してきてね。みんな俺の名前を聞くたびに「将軍だ」「将軍だ」と言うんだ。最初はなんのことかさっぱり分からなくてね」

 イラケン選手が「将軍様」をテレビで始めて見たのはそれから間もなくの事。以降彼は何かにつけてスターの「将軍様」と比べられてしまっている。

「そろそろいかなきゃ」

 イラケン選手が立ち上がる。気がつけばさっきまで私たちを包んでいた朝靄は見えず、墓石や木々の葉を濡らす水滴としてその後を留めるのみとなっていた。その水滴が朝日を浴びてキラキラと光り、墓地なのに爽やかで涼しい雰囲気を醸しだしている。

「イラケン選手は毎朝この時間にジョギングをしているんですか?」

「まあね、家のある東十条からここまで。ジョギングというより、通勤といったほうがいいかもしれない」

 ペルをもう一撫でして「じゃ、また」と私に声をかけると、イラケン選手は時々軽いステップを踏みつつ朝の商店街へと走り出した。

(通勤か……東十条と言うと……ええっ!!)

 東十条はここから京浜東北線で五駅。電車に乗れば十分だけど、走ってみたら何分になるんだろう!!

 たまにしかやらないペルの散歩でも疲れてしまう自分を少々情けなく思いながら、私は朝露の残る墓地を後にした。

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