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第四話 期待はずれ

 大学に入って一ヶ月が過ぎた。ゴールデンウィークも終わり、本格的に授業が始まる。私は連休中に帰省していたしぃちゃんと久々に昼食を共にしていた。

「いや〜、強かった。強かったよ〜。かっちゃん」

「誰が強かったの?」

「スケベニンゲンだよ」

 味噌汁を噴出すのを耐えたら気管に入ってしまったようで私は涙を流しながら激しくむせた。

「スケベ人間!?」

「かっちゃん、覚えてないの?ボクシング世界ミドル級の現チャンピオンだよ。地元の友達がハンペンを倒した試合を録画していたから見せてもらったんだ」

 話を聞いて少しずつだが思い出してきた。「くどい」師匠を持つ、「はんぺん」という世界チャンピオンが挑戦者の「スケベ人間」に負けてしまったのだ。でも先月の試合を録画している人がいてそれを貸し借りする関係があるなんて、しぃちゃんに限らず米沢の人は格闘技が好きなのだろうか。

「はんぺんってイラケン選手の次の試合の相手だった人でしょ。その人がスケベ人間に倒されたってことになるとイラケン選手は次の試合、スケベ人間と戦うの?」

「はっきりと決まったわけではないけど、そうなるわね」

 対戦相手が変更になったことで、イラケン選手のジムは対策の建て直しが大変だろうという内容を、しぃちゃんは昼休みの残り時間を目いっぱい使って語った。

「ハンペンは右のアッパーが強いけど、今度のスケベニンゲンは肝臓を狙ったボディブローを得意とするのよ」


 チャイムがなったので、私たちは教室に向かった。この時間の教授はロスタイムが長いため、今からでも十分間に合う。

「あー、出席取られるのは嫌だなぁ……」

 教室のある棟へ続く中庭の道を歩きながら私は愚痴を言った。

「かっちゃん、前から聞こうと思っていたのだけど、自分の名前ってそんなに気になるものなの?」

 しぃちゃんの質問に私は驚いて彼女の顔を見た。何を言っているの?だって、あなたは……。

「……。しぃちゃんはどうなの?自分の名前気にならない」

 しぃちゃんは当然のように首を横に振った。

「全然。私は名前のことでからかわれたことはないから」

 ああ、そうなのか……。同士だと思っていたのに、彼女は名前に対して何一つ苦労を受けずに育ったのだ。校舎の中を教室へと歩きながら私の中に苦労知らずのしぃちゃんに対してある恐ろしい仮説が浮かんだ。

「ごめん、かっちゃん。ちょっときつく言い過ぎた」

 落ち込んだ様子の私をしぃちゃんが気遣う。私はその仮説が証明されないことを祈りながら彼女に尋ねた。

「しぃちゃん……。しぃちゃんや家族や友達は、「椎名町」って駅があるのを知ってる?」

「えっ、「椎名町」!?どこよ、それどこにあるの」

 自分と同じ名前の駅があることに喜んでいるしぃちゃんを見て私は彼女に見えないようにため息をついた。この様子では知っているはずがない。

「しぃちゃん、しいなま……」

「かっちゃん、先生がもう上がってきた」

 予想より早い教授の出現に私たちは急いで教室へと入る。

 その後の展開は私の予想通りだった。私の名前が呼ばれると、どこかでクスクスと私を笑う声が聞こえ、しいちゃんの名前には誰も反応しなかった。


 授業の後、私は大学内にあるコーヒーショップでしぃちゃんに「椎名町」駅について説明した。

「……かっちゃんて、ひょっとして鉄道オタク?」

「いや、この程度のことなら誰でも知っていると思うけど……。生徒手帳にも載っているじゃない」

 生徒手帳の最後のページをしぃちゃんに見せる。東京とその周辺の鉄道の路線図が載っていた。私は彼女から見て池袋駅の左側を指差す。

「ほら、ここが「椎名町」」

「あっ、本当だ。たしかに「椎名町」と書いてある」

 なんか嬉しそうな目をしているな……。

「私もそのうち名前でからかわれるかもしれないってことだ」

「そういうこと、それにしても「椎名町」の知名度が私の思っていたものより低いなんて……」

 折角同じ悩みを持つ友達が出来ると思っていたのに。

「えっ、でもかっちゃんの御徒町もそれほど有名ではないと思うけど」

「そうなの?」

 氷が溶けたせいか、私のアイスココアが「カラン」と音を立てた。

 "「御徒町」の知名度はそれほど高くない"この指摘に私は多少の嬉しさと苛立ちを覚えた。

「私は東京に来て、かっちゃんに会うことで初めて「御徒町」って言う駅名を知ったもの」

 いやいや、そんなはずはないだろうと手と頭を同時に横に振る。

「だって、私は幼稚園のころからずっと同じクラスの子は「御徒町」ってからかうし、近所の人も私の名前を知るとほとんど「ああ、あの御徒町ね。」って言っていたよ」

 しぃちゃんの指摘は自分にとっては嬉しいはずなのだが、なんだか今までの私の世界を覆されそうな気がして素直に受け入れられなかった。

「かっちゃんはたまたま「御徒町」の近所に生まれ育ったからだと思うけど、日本全国の規模で言えばそれほど「御徒町」を知っている人はいないと思うよ」

 その証拠の一つとして、しぃちゃんは前に見たバラエティ番組で、出演した芸能人の大半が山手線の駅名を答える問題で「御徒町」が分からなかった。という話をした。

「逆に私の地元、米沢だったら、上杉さんとか直江さん、色部さんあたりがいろいろ言われるだろうね……」

 その時私の頭の中に浮かんだのは、寝静まった米沢の町にあるお宝を狙う上杉さん率いる盗賊団だった。

「なになに、その人たち昔何か悪いことをしたの」

 今度はしいちゃんのアイスカフェが「カラン」と音を立てる。

 しぃちゃんは私の質問を聞くと、一瞬その大きな目をさらに大きく見開かせたが、その目を閉ざしやさしく微笑んだ。私はなぜ彼女が笑ったのかを気にするよりもその彼女の可愛さに思わず見とれてしまった。

 やがてしぃちゃんの口元がもごもごと動き出し、こらえ切れなくなったのか、その口が大きく開かれるとそこから笑い声が飛び出した。

「ねー、やっぱり「なぜ!?」なるでしょう。地元の人以外はよっぽど地理や歴史に詳しくない限りわからないものなのだって」

 アイスカフェのストローを口へと運び、しぃちゃんは落ち着きを取り戻そうとしている。

「そういうものなのかな……」

「この大学は東京の中だけど、通っている学生は私のように他から来て東京のことは詳しくない人もいるから。あまり気にする必要ないと思うよ。かえって気にするから周りの人に気づかれるし、周りの人が笑っていると思ってしまうだろうし」

 しぃちゃんの話ではさっきの授業での私の名前に対する周囲の反応は無かったようだ。

 しかし昔から「御徒町」と言われ続けてきた私にとってはしぃちゃんのような気持ちになれるわけが無い。

「まあいきなりとは言わないけど徐々に気にしなくなっていけばいいと思うよ」

 そう言うとしぃちゃんは一つため息をついた。

「『下には下がいる』ってわけじゃないけど、かっちゃんよりもあの人のほうが知名度は高いと思うな……」

「あの人って町田イラケン選手」

 私の頭のでは将軍様がサンバを踊っている。

「そう、相手は大物時代劇俳優だから、全国のお年寄りから子供までみんな知っているし」

 「御徒町」はメディアにその名前を出すことは少ないだろうけど、イラケン選手の場合はほぼ毎日全国にその名前を出される。

 私はまだ恵まれているほうなのかもしれない。私の心がしぃちゃんの言っていることに興味を持ち始めた。

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