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最終話 御徒真知と御徒町

「どうして……しぃちゃんが悪いのよぉ……、悪いのは私でしょう……」

「違うもん……、かっちゃんが……御徒真知になったの……私たちのせい……だもん」

 途切れ途切れの言葉ながらしぃちゃんがとんでもないことを言い出した。私が御徒真知になったのはしぃちゃんのせいだって? しぃちゃんは私に構わず言葉を続ける。

「かっちゃんのお祖父ちゃんを……宗教に勧誘したのは私のお父さん……私のお父さんは……その宗教の元信者なの……」

 私が生まれる前、お祖父ちゃんは怪しい宗教(はるちゃん曰く「なんでも洋風にしよう会」)に騙されかけて和菓子屋をケーキ屋にしようとしたのだ。その騙そうとした人がしぃちゃんのお父さんだと言うのだ。

「でもその騙そうとしていた人って『大和』って言うんでしょ、苗字が違うじゃない」

 はるちゃんがもっともな意見を言う。「大和」と「椎名」では苗字が違う。

「お父さんは……婿養子なんだよ……」

 当時「大和」を名乗っていたしぃちゃんのお父さんは、私のお祖父ちゃんを「なんでも洋風にしよう会」(本当にそんな名前かは知らないが)に入会させようとした。その教義をすっかり信じ込んでしまったお祖父ちゃんは和菓子屋をやめ、ケーキ屋に転進しようとしたのだ。

 しぃちゃんのお父さんは私のお祖父ちゃんの過激さに自分で勧めた側ながら戸惑いを覚えたらしい。

「私の……お父さんは当時寿司職人、『和食』に生きる人だった。かっちゃんのお祖父ちゃんも『和食』に生きる人……。同じ『和食』に生きる者としてはお祖父ちゃんが和菓子屋を廃業することに良心の呵責に苛まれたのよ……」

 やがてしぃちゃんのお父さんが寿司職人であることが発覚する。お祖父ちゃんはそれに激怒してケーキ屋への転進と宗教への入会をやめるのだが、寿司職人であるということはしぃちゃんのお父さん自らばらしたものであるらしい。

「お父さんその時、かっちゃんのお祖父ちゃんに散々怒られたみたい……お前は寿司職人なのになぜ俺をケーキ屋にさせるんだと、そもそも寿司職人がなんでそんな宗教に入っているのかって……」

 以前より自分の職業と所属する宗教の教義のギャップから悩んでいたしぃちゃんのお父さんは「なんでも洋風にしよう会」をやめることを決意する。そして、すぐさま東京の寿司屋をたたみ、付き合っていた彼女(それがしぃちゃんのお母さん)の実家の旅館を継ぐため逃げるように米沢に移り住んだ(しぃちゃんの命が宿るのが、この前後のことらしい)。しぃちゃんのお父さんとしては信者であった過去を清算したかったのだろう。

「お父さんね、私が生まれたときに真智、って名づけたの。『真実の智恵ちえ』という意味で……、俺は今まで間違った智恵がついていたから、生まれてくる子には本当の智恵をつけてほしいって……」

 私はまだ泣きじゃくるしぃちゃんをしっかりと見つめた。――真知と真智――、一つの事件をきっかけに、二人の「まち」がこの世に生まれたのだ。

「お父さんの……昔の宗教の話は時々聞いていたの……、お前はそんなおかしな宗教に引っかかるなって、私の誕生日のとき……かっちゃんのお祖父ちゃんの話を聞いて……お父さんのことかと思った……その夜電話してみたら……やっぱり私のお父さんだった……」

 はるちゃんが「片倉君との電話」と勘違いしたその電話で、しぃちゃんは全てを知ったのだ。どうりで誕生日以来しぃちゃんの様子が(特に私に対して)おかしくなったわけだ。

「かっちゃんの友達の私が……かっちゃんに『御徒真知』を名づけた騒動の張本人の娘だなんて……かっちゃんに本当に申し訳なくて……。かっちゃん、本当にごめんね……」

 涙が乾いた私は、何度も「ごめんね」を繰り返す。しぃちゃんを優しく抱きしめた。

「もういいよ、しぃちゃん……。私はもう大丈夫だよ……」

 そう言いながら私は初めてしぃちゃんに会った時を思い出した。あの時私は「もう一人じゃない」と思った。なぜなら彼女の名前も駅の名前だったからだ。そして今、本当に「もう一人じゃない」と思える。同じ事件をきっかけにしてつけられた名前だから。そう、私たちは生まれたときから知り合いだったのかもしれない。

「謝るのは私のほうだよ、しぃちゃん……。本当にごめんね……」

 誕生日からこの瞬間まで私が「御徒町」と呼ばれるたびにしぃちゃんは罪の意識に苛まれていたんだと思う。「御徒町」と呼ばれて悲しい思いをしたのは、私よりもしぃちゃんだったのだ。

 私はイラケン選手のあの言葉を思い出した。


 「自分の名前を嫌がることは自分自身を否定することにもつながるんだよ」


 私の場合、自分自身を否定するだけではなく、しぃちゃんも否定することになる。大切な友達であるしぃちゃんを否定するわけにはいかない。

「もう、私は大丈夫だから、もう御徒町と言われても悲しまないから、だからしぃちゃんも悲しまないで……」

「かっちゃん……」

 再び目から溢れ出る涙を気にせず、私はしぃちゃんの髪を撫でる。自分の名前に誇りを持つことはまだできない。だけどまずは大切な友達のために私は自分の名前に前向きになろうと思った。

 突然はるちゃんが私としぃちゃんに抱きついてきた。私は驚きの声を上げる。

「うわ! な、なにぃ? はるちゃん!?」

「いや、私だけ一人寂しく置かれているみたいで嫌だった……」

 と、言うとはるちゃんは私としぃちゃんの頭をぽんぽんと叩いた。

「二人ともは自分の親がしたことに拘りすぎだよ。私たちは確かにお父さんとお母さんのおかげで生まれたけど、親は親、私たちは私たちなんだから。もっと自分にポジティブに行こうよ」

 確かにはるちゃんの言うとおりだ、私は「御徒真知」と言う名前と親がそれを名づけたことに拘り、しぃちゃんはお父さんがおかしな宗教の勧誘をしていた過去を、まるで自分がしてきたかのように思っていた。

 「なんか……上手く言えないけど……」とはるちゃんは再び私たちを抱きしめた。親の反対を押し切って自分の好きなダンスをやっているはるちゃんだから言える言葉だ。

「そうだね、はるちゃんの言うとおりだね」

 私としぃちゃんは同時に同じ言葉を口に出した。しぃちゃんがソプラノで私がアルトだ。そのことに気づいた私たちは暫く夕暮れの中を体をくっつけながら笑い合った。

「あ、そうだあと二人に謝らなければいけないことがあるんだ……」

 私とはるちゃんがしぃちゃんから離れたところでしぃちゃんが突然何かを思い出した。

「えっ、何しぃちゃん?」

 今度は私とはるちゃんが声を合わせる。私のほうがちょっと高音。

 しぃちゃんは「えへへ」と可愛く笑うと。

「この前、恋をしているって言ったでしょ。あれ、嘘なの。自分の様子がおかしいことを変に勘ぐられたくなかったから……。恋をしている、って言えば二人ともそれ以上追求しないかなと思って」

 そりゃそうだよね。様子がおかしい理由を探られて、お父さんの昔の宗教のことなんて触れられたくないもんね。

「えーっ、しぃちゃん恋をしてないのー! つまんなーい」

 はるちゃんがそう叫んで口を尖らせた。しぃちゃんは「ごめんね」と可愛く謝る。二人ともいつもの調子を取り戻したようだ。

「さーて、しぃちゃんはるちゃん大学に戻ろう」

「そうだね、図書館で演習の準備をしないと」

 スポーツバッグを肩に掛けるはるちゃんの横で、しぃちゃんがまぶたを抑える。

「その前にトイレに行って顔を洗わないと……。こんな顔じゃ恥ずかしいよぉ……」

「しぃちゃん、本当にごめんね」

 しぃちゃんの顔を涙でくしゃくしゃにした原因は明らかに私にある。

「大丈夫だよ、かっちゃん。私こそ本当にごめんね」

 再びしぃちゃんが泣きそうなる。しまった、雰囲気を元に戻してしまったか。

「はい、互いに謝るのはそれまでー、これからは二人ともポジティブに!」

 はるちゃんがまた私としぃちゃんの頭を叩いた。さっきよりも強い調子で。

「それにしてもびっくりしたわ、かっちゃんの鉄道知識に。かっちゃんってひょっとして鉄道オタクなの!?」

「そうだよねー私も東京に来てから半年経つけどかっちゃんが言った駅名の半分も分からなかったよ。えーと、椎名町、片倉と……あと何だったかな?」

「違うよ! 首都圏に住んでいる人なら分かる範囲の駅名だよ!」

 「鉄道オタク」と言うキャラ付けを激しく否定しながら、私は雰囲気を良い方向へと戻したはるちゃんに心の中で感謝した。

「私は生まれたときからずっと首都圏にいるけど、知らないよー」

「それははるちゃんがたまたま鉄道を知らないだけだよ!」

「私はかっちゃんが他の人より鉄道を知りすぎなんだと思うけどな……」

「もーう! しぃちゃんまでー!!」

 私が「鉄道オタク」か否かを激しく論じながら私たちは大学へと戻った。真っ赤に染まった太陽からの日差しを背に浴びながら――。


 図書館で何気なく『河童』を開いて見る。河童の父親が自分の子供に「自分の子供として生まれたいか」と尋ねるシーンがそこにあった。そうか、河童は選べるんだ……。

 河童は自分の親を選ぶことができる。しかし私たち人間は選べることができない。親には不満はあるかもしれないけど、生まれてきた以上は自分に対しても親に対してもポジティブに生きなきゃ。

 はるちゃんもイラケン選手も親への不満や問題を乗り越えてきたんだ。今度は私としぃちゃんの番だ。今日から私も自分の名前に少しずつポジティブに生きよう、まずはしぃちゃんのために、いずれは自分のために――。まずは手始めとして家に帰ったら家族みんなに「ありがとう」を言おうっと。きっとみんな驚くだろうな――。



 それから三週間後――。私たち三人は上野駅から南へ歩いて数分の有名デパートの前に立っていた。これから米沢にあるしぃちゃんの実家へお泊りに行く、その旅行の待ち合わせ場所がこのデパートなのだ。

「なんで待ち合わせ場所が一番近くの日暮里にっぽり駅じゃなくてここなの……」

 目の前を通る春日かすが通りを走る車を眺めながら私はしぃちゃんに不満をぶつけた。三人の家の位置を考えるに、ここは最適な待ち合わせ場所とは言えないのだ。

「これもかっちゃんのためだよ」

 しぃちゃんが意地悪そうに笑ったところではるちゃんがやってきた。

「ごめんねー、ちょっと準備に手間取っちゃって」

 はるちゃんが息を切らせながら春日通りを渡ってきた。

「大丈夫だよ、私たちも今来たばかりだから」

 しぃちゃんはそう言っているけど、二十分は待ったかな。

「さて、それじゃあこれから上野うえの駅まで行って新幹線に乗りますか」

 私は緑のバッグを背負って二人を促した。私はこれからはるちゃんが渡ってきたばかりの春日通りを渡って、上野駅へと向かうつもりであった。しかし、

「ちょっと、かっちゃん上野駅よりもここから近い駅があるでしょ」

 はるちゃんが私のバッグをがっちりと掴む。

「ここから近い駅って……そうか、地下鉄の上野広小路うえのひろこうじ駅か」

 確かに上野広小路駅はこのデパートのすぐ側にあるもんね。

「そうじゃなくて別の駅だよ」

 そう言ってはるちゃんは私の頭を東側に向ける。

「はるちゃん、違うでしょ。湯島ゆしま駅はここから西の方向でしょ」

 私ははるちゃんの手を振り払って顔を反対側へと向ける。この春日通りを西へ数分歩くと地下鉄の湯島駅にたどり着く。

「もーう、かっちゃんとぼけない! 御徒町おかちまち駅だよー」

 しぃちゃんがずばりとその駅名を口にした

「いやん、そんな駅名聞きたくない」

 私はそういうとしゃがんで目を閉じ、耳を塞いだ。

「なに出っ歯のお笑い芸人さんの真似をしているのよ、かっちゃん。自分の名前にポジティブに生きるんでしょ。ほらしぃちゃん、手を貸して」

 そう言うと、はるちゃんはしぃちゃんとともに私を立たせ、御徒町駅へと引っ張る。普段から運動をしている二人に私は勝てない。

「嫌だー、二人とも鬼だー。いや、二人は人だから鬼軍曹だー!」

 ポジティブに生きると決めてもまだ気持ちの整理がつかない。と言うか何事にも順序と言うものがあるでしょ。

 今しぃちゃんとはるちゃんが私にやろうとしていることは、自転車が乗れない子供にいきなり補助輪無しの自転車に乗せるようなものだ。さらに例えればトマトが大嫌いな人にトマトを丸ごと一個むりやり食わせる行為だ。さらに例えるならば……。

 そんなことを考えているうちに「御徒町」駅に着いてしまった。すでにしぃちゃんが私の切符を買っている。

「かっちゃん、ここに切符を入れるのよ」

 まるで初めてのお使いに出かける子供に教えるように、しぃちゃんは私に切符を渡す。

「しぃちゃん、さすがにそれは教えられなくても分かっているって」

 文句を言いながら私は切符を改札に通す。高く、そして軽い音が響いて改札の扉が開く。私は気合を入れてその扉の向こう側へと一歩踏み出した。生まれて初めて入る「御徒町」駅――。

 「御徒町」駅は構内も、ホームも普通の駅と変わらなかった。そりゃそうだ、ただの駅なんだもん、私は一体何を期待していたのだろう。「御徒町」駅だから私のポスターや銅像でもあると思っていたのか。そんなことあるわけないのにそんな気がしてこの駅に来なかった私が少しおかしくなって私はくすりと笑い出した。

「かっちゃん、何がそんなにおかしいの」

「いやはるちゃん、普通の駅だなーと思ってさ」

 駅のホームから見る風景も他の駅と対して変わりが無い。ビルの隙間を走る道を人が忙しそうに歩いている。

「そうだよ、御徒町駅はただの山手やまのて線の駅の一つでしかないんだから、かっちゃんが気にすることないんだよ」

京浜東北けいひんとうほく線の駅って事も付け足しね、しぃちゃん」

 しぃちゃんは驚いたように私の顔を見ると、明るく微笑んだ。

「やっぱりかっちゃんは鉄道オタクさんだよ」

「かっちゃん鉄道オタクけってーい!」

「違うって! 普通の人なら当たり前の知識だって」

 周囲の迷惑も顧みず楽しく言い争う私たちの横を、薄緑色のラインが入った山手線の車両が泊まる。



 ご乗車ありがとうございましたー。御徒町ー、御徒町です。都営大江戸線はーお乗換えです。

 女子大生「おかち まち」さんの物語はこれにて終了です。

 ここまで読んでくれた皆様に感謝です。

 本当にありがとうございました。

 また次回の作品でお会いしましょう。ではでは!

 

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