第三十五話 しぃちゃんの誕生日
「えーっ、誕生日パーティー?」
行儀良く正座しておせんべいを右手に持ちながらしぃちゃんは驚きの声を上げた。
「そう、私の家でしぃちゃんの誕生日パーティーを開くのよ」
私は体育座りの格好でおせんべいを食べる。
「しぃちゃん、誰か呼んでほしい人いる?」
テーブルの下へ足を思いっきり伸ばしているはるちゃんが、何かを期待するかのようにしぃちゃんに尋ねる。しぃちゃんは頬を少し染めて答えた。
「イラケン選手が来てくれたら嬉しいなぁ」
「なるほど……イラケン選手ね。後は誰かいる?」
頬を赤くしたまましぃちゃんはその「誰か」を考えている。はるちゃんはそんなしぃちゃんの姿を期待の目で見つめる。
「そうね……。明石先輩や浅野先輩もいてくれたら嬉しいかな。それで充分だよ」
台所の方からやかんがお湯の沸騰を知らせる音が激しく鳴った。しぃちゃんは慌てながら台所へと向かう。その後姿を見てはるちゃんは、がっくりと肩を落とした。
「どうしたの? はるちゃん。何か嫌なことでもあった?」
顔を上げたはるちゃんは口を尖らせている。どうも何かの企みに失敗したようだ。
「いや……、ここで片倉君を指名したら楽しい展開になりそうだなぁって思ったんだけど」
はるちゃんが台所のしぃちゃんに気遣いながら小声で話す。
私は、イラケン選手の試合があった日のしぃちゃんと片倉君のことを思い出していた。しぃちゃんが試合を見に来ていることを知った片倉君は、
「えっ、椎名さんも来ているの? やっぱりイラケン選手のファンだからそうだよねー」
と、喜色満面の笑みであった。
一方のしぃちゃんは、片倉君が試合を見に来ているということを、私から聞いても
「へー、片倉君も来ているんだー」
と、そっけない返事。片倉君の思いはしぃちゃんに何の影響も与えていないようだ。
「はるちゃんが思っているほどしぃちゃんと片倉君は仲良くないよ。片倉君はともかくとして、しぃちゃんは彼をただの友達と思っているよ」
台所の様子を伺いながら、私も小声で話す。
「もーう、つまんないの……」
はるちゃんはしぃちゃんの口癖をまねてだらしなく仰向けに倒れた。
「何がつまんないのー?」
しぃちゃんがお盆にマグカップを載せて現れた。慌てたはるちゃんは体を起こしてごまかす。
「いや……最近のお笑い芸人はつまらないなぁ。ってねえ、かっちゃん」
すがるような目ではるちゃんは私を見る。しょうがない、久々にはったりかましますか。
「そうなのよー、十年先も芸能界で生き残っていることを考えているのだろうか? ってはるちゃんと話していたところなのよ」
しぃちゃんが話に乗って来た時のことを考え、私は脳を激しく動かして次に出るべき言葉を考えている。
「ふーん、そうだったんだー。はい、お茶」
よかった。しぃちゃんは話に乗ってこなかった。と私は心の中で胸をなで下ろした。
そんなこんなでしぃちゃんの誕生日だ。
しぃちゃんが家に来る前にはるちゃんが浅野先輩と明石先輩を連れて私の家にやってきた。
「お邪魔しまーす」
玄関に入った三人は初めて来る人の家でもたじろくことはなく、いつもの調子である。
「ここがかっちゃんの家かー」
と、明石先輩が靴を脱いで廊下へ上がり、私の目の前を通り過ぎる。
「ちょっと、真奈美。勝手に上がるんじゃないの」
浅野先輩が慌てて後を追い、私の目の前を通り過ぎる。
「せんぱーい、かっちゃんの家に来るのは初めてなんですよねー。家の中分かっているんですか?」
はるちゃんが二人の先輩に突っ込みを入れながら私の目の前を通り過ぎる。
「分からないから遙が案内してよー」
明石先輩がいつもの笑顔ではるちゃんの腕を掴む。するとはるちゃんは自信満々に腰に手を当てるときっぱりと言った。
「私も分かりません」
「……えー、三名様ごあんなーい」
これ以上コントを続けられると家族の邪魔になるので、私はさっさと三人を誕生日パーティーの会場となる居間へと案内した。
居間では私の妹である真耶が一人でパーティーの準備をしていた。
「うわー、目が細ーい、かわいいー!」
「キャーッ、お姉ちゃん助けてー!」
明石先輩は真耶が少し気にしていること(目が細いこと)を思いっきり叫んで彼女に抱きつく。
「はい、明石先輩セクハラしない」
はるちゃんが冷静に明石先輩と真耶を引き離す。真耶は顔を赤くさせて二階へと逃げてしまった。
「明石先輩って……ああいうキャラでしたっけ?」
真耶の逃げた先を目で追いながら、浅野先輩に小声で尋ねる。
「妹さんセーラー服着ていたでしょ? 真奈美は女子高生が好きなのよ」
女子高生好きか……。そのうち私たちにセーラー服を着せるんじゃないのか。
普段着に着替えてきた真耶とみんなでパーティーの準備をしていたので、予定より早く用意は整った。
「よーし、これで準備OKね。みなさん、お手伝いありがとうございました」
私はそれぞれの顔を見回しながら、ぺこりと頭を下げた。
「ちょっとかっちゃん、一番大切なものがないじゃない」
「大丈夫だよ、はるちゃん。ケーキならちゃんと用意しているから」
「そう、それならいいんだけど……。ってあともう一つ足りないものがあるじゃない」
私はもう一つの「足りないもの」を思い出して慌てて携帯電話を手に取った。その時玄関からチャイムの音が聞こえてきた。
「もうしぃちゃんが来ちゃったかー。みんな座ってて私が迎えに行くから」
お客様を迎えるのは家の主として当然の仕事と、私は玄関へ向かおうとしたが、
「私が迎えに行く!」
「私も混ぜてー」
はるちゃんと明石先輩が私の後を追いかけてさらに私の腕を掴む。
「かっちゃんはホストなんだからどっしりと構えていなさい」
「私が迎えるのー。そして抱きつくのー」
明石先輩、しぃちゃんは女子高生ではないですよ。
私も負けまいと二人を抑えながら玄関に一番乗りしようと足を伸ばす。私も含めて一体どういう情熱でこんな争いをしているのだろう。
「はーい、どちらさまー」
訳のわからない争いを演じている私たちの目の前で、店のほうからやってきたお母さんが玄関を開けた。
「あ、どうもお邪魔します……」
「ケーキの他にもう一つ大切なもの」である町田イラケン選手の顔が見えた。右まぶたの傷が線としてくっきりと残っている。これで主役を除いて全てのメンバーが揃ったと私は安心した。
「……どうしたんだ? 一体……」
「どうしたの、真知ちゃん、喧嘩でもしているの?」
廊下でもみ合っている私たちをイラケン選手とお母さんは不思議そうに眺めた。
「あ……いや、大丈夫お母さん喧嘩していないから」
「なんだ、しぃちゃんじゃないのか……」
明石先輩が残念そうに小声で呟きながら居間へ戻る。これで少しは楽になった。と思った途端。
「おじゃましまーす……、ってイラケン選手!?」
としぃちゃんが開けたままの玄関から入ってきた。
「わーっ! しぃちゃんだ。誕生日おめでとー!」
しぃちゃんの声を聞くや否や明石先輩が廊下へ飛び出して来た。
「ち、ちよっと明石先輩、あぶな……」
明石先輩がいきおいよく私とはるちゃんにぶつかる形となり、私たち三人は大きな音を上げながら廊下に倒れた。
「あらあら、廊下での飛び出しは危ないって学校で言ってあるでしょう?」
お母さんの柔らかい声が私の耳に入った。
「えーと、それでは改めましてしぃちゃんお誕生日おめでとうございます!」
「おめでとー!」
私の乾杯の合図とともにしぃちゃんの誕生日パーティーが始まった。
「みんなありがとー」
ジュースの入ったコップを片手に照れたしぃちゃんが頭を下げる。
「お酒があればもっとよかったのにね」
いやいやはるちゃん、お酒が入ったらとんでもないことになるでしょう。
「イラケン選手が来てくれて私すごく嬉しいです」
しぃちゃんは隣に座っているイラケン選手の手を握ろうとしては引っ込めるのを繰り返している。
「そうだよー、私がお願いしたんだから」
私は誇らしげにジュースを飲む。
「隣に座っているのが世界チャンピオンだなんてしぃちゃんにとっては最高の誕生日プレゼントだよねー」
明石先輩……、まだ私たちが用意したプレゼント渡していないのに……。ちょっと空気が読めないところ(天然なのかな?)はあるが、それが憎めないのが明石先輩である。
「ところで真耶ちゃん、セーラー服はもう着ないの?」
「明石先輩、私のかわいい妹に手を出さないで下さい!」
姉の友達の誕生日パーティーで自分の貞操の危機になるとは真耶は思ってもいなかっただろう。
「あれは最初から狙っていたんだ、スケベニンゲンは頭にパンチを受けてもなかなか倒れないって情報が入っていたからね……」
我が主役のしぃちゃんと、イラケン選手は先週の試合の話に華が咲いている。
用意された料理を食べ、プレゼントを渡すなどして三十分が過ぎた。そろそろパーティーのメインイベントの時間だ。
「えーとそれでは皆様、宴もたけなわなところで誕生日ケーキの登場です。ただし、普通の誕生日ケーキとは違います。それでは誕生日ケーキ登場!」
私が思いっきり居間の扉を開けると、お祖父ちゃんが誕生日ケーキを持ってきて登場した。正確に言えばケーキではない。大きなお饅頭に十九本の蝋燭が刺さっているのだ。お饅頭はもちろん、私の家で作られたものだ。
「わー、お饅頭だー」
ケーキを想像していたであろう参加者からは驚きの声が上がる。それもそうだろう、我が家で誕生日ケーキといえばこのお饅頭なのだから。
定番のお誕生日ソングに囲まれてしぃちゃんは十九本の蝋燭の火を一生懸命吹き消した。
「おめでとー」
「みんな、どうもありがとー」
ひと段落着いたところではるちゃんがまだ居間にいたお祖父ちゃんに尋ねた。
「やっぱり和菓子屋だから、誕生日ケーキも和菓子なんですか?」
はるちゃんの言葉を聞くや、お祖父ちゃんは「よくぞ聞いてくれた」と目じりに皺を寄せた。ああ、また長い話を聞かねばならないのか。
私が適度に省略すると、誕生日ケーキがお饅頭なのは和菓子屋だからという理由の他にもう一つ大きな理由があるのだ。それはお祖父ちゃんの洋菓子嫌いだ。
職業が和菓子屋だから洋菓子が嫌いなのではない、私が生まれる直前、お祖父ちゃんはある宗教団体に危うく騙されそうになった。
その教義が和菓子屋で生活している者のとってはとんでもないもので、「古い和式を捨てて、全て洋式で暮らそう」というものだった。教義と言うより、生活習慣の改革と言うべきか。
それにすっかり心酔してしまったお祖父ちゃんは、一時期本気で和菓子屋から洋菓子屋に転進しようと東京中の洋菓子屋を歩き回ったらしい。
結局お祖父ちゃんはその宗教に入ることはなく、和菓子屋を続けることになったのだが、お祖父ちゃんの洋菓子嫌い(だから私は家の外でケーキを食べているのだ)と、反省の意味を込めて「真実を知る」と名づけられた私、「御徒 真知」がその騒動の副産物として残った。
「どうして洋菓子屋になることをやめたんですか?」
みんなお祖父ちゃんの話に興味を持っているらしい。浅野先輩がお饅頭を切り分けながらお祖父ちゃんに質問した。
「それがとんでもない馬鹿な話でな。私にその宗教を勧めた男の職業が寿司職人だったのだよ。それでわしの目は覚めたのだ」
寿司職人が和菓子職人に「全ての生活を洋式にしろ」なんて落語のような話である。明石先輩とはるちゃんは、その話を聞くや涙を流しながら笑い出した。(と言っても明石先輩はいつも笑顔なのだが)浅野先輩も顔が笑みで緩んでいる。
「本当に馬鹿な奴だよ、その寿司職人は。自分は『和』に生きているくせに人には洋式で暮らせ、と言うんだからな。名前は何と言ったっけ……? 確か苗字は大和とか言っていたな」
「名前も和風なくせに人に洋風を勧めていたんだ」
私もここまで聞くのは初めてである。本当におかしな話だ。いや待てよ、私にとってはそうではない。私はついおかしくて緩んでいた顔を引き締める。
「みんなにとっては面白い話かもしれないけど、私にとっては迷惑な話よ。そのおかげで私はこの名前になったんだから」
「ああ、御徒ま……」
私をからかおうとしたはるちゃんの口を、浅野先輩が塞いだ。
お祖父ちゃんの長話のおかげで「御徒真知誕生秘話」が皆の知るところになってしまったが、「しぃちゃんの誕生日パーティー」は無事にお開きとなった。
その証拠にしぃちゃんは
「うん……楽しかったよ」
と言ってくれたしね。