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第二十八話 御本人登場

 スケベニンゲンが来日して以来、各新聞・スポーツ紙は間近に控えたイラケン選手対スケベニンゲンの世界ミドル級タイトルマッチの話題で賑わいを見せている。その煽り文句はこうだ。


『日本ボクシング界の将軍、すけべ人間を成敗する、と宣言』

『スケベニンゲン、将軍相手でも負けることはない、と余裕の笑顔』

『世界を制するのは将軍か? すけべ人間か?』


 どの新聞・スポーツ紙もよく考えたものだなぁ、呆れながらも感心してしまう。スケベニンゲンが「すけべ人間」と呼ばれることを気にしない、と発言したため、許可を得たと受け取ったのか、堂々と「すけべ人間」と書いてあるところもある。

 一方のイラケン選手は「将軍」と呼ばれること――あの大物時代劇俳優と同じ名前と見られていること――を快く思っていない。それなのに「将軍」と堂々と乗せるなんて、無神経というか、人の気持ちを知らないと言うか……。

「でも、イラケン選手はデビュー当時から『ボクシング界の将軍』と言われ続けて来たんだよ」

 スポーツ新聞越しにしぃちゃんの顔が見える。今日ははるちゃんとともにしぃちゃんの家に遊びに来たのだ。

「昔から言われているとはいえ……。本人はあまりいい気持ちじゃないと言っているんだから書かないで欲しいなぁ」

 新聞紙をめくりながら私はぼやく。まあしぃちゃんとはるちゃんにぼやいてもしょうがないのだけど。

「みんなが何だ? って思うような煽り文句書いたらみんな面白がって買うからね」

 はるちゃんがおいしそうに麦茶を飲む。確かにはるちゃんの言うとおり、駅でこういう文章が書かれている新聞を見たら私も手にとってしまうだろう。

「実際本人がどう思っているか聞いてみようか」

「え?」

 私としぃちゃんははるちゃんの言っていることが理解できずに目を見合わせた。

「イラケン選手にどう思っているか、試合の応援も兼ねて聞きに行こうと言うのよ、近いんでしょ? イラケン選手のいるボクシングジムって」

「ま、まあ確かに……」

 イラケン選手の所属する「鯉ヶ崎ボクシングジム」は私としぃちゃんの家から歩いて十分もしないところにある。

「じゃあ決まり、早速応援しに行こう」

 空になったコップを持ってはるちゃんが立ち上がる。

「だけどはるちゃん、将軍に関する質問は……」

「大丈夫よしぃちゃん、イラケン選手に失礼な真似はしないから」

 はるちゃんはコップを台所に置くと、楽しそうに微笑んだ。うーん、この笑顔を信用してよいのやら……。

「よーし、それじゃあ行くとしますか」

 意気揚々とするはるちゃんを先頭に、私たちはしぃちゃんのアパートを後にした。しかし、「よみせ通り」の看板を通り過ぎたところではるちゃんが突然立ち止まってしまった。

「どうしたの? はるちゃん、いきなり立ち止まるなんて」

 本当にいきなりだったので、私ははるちゃんにぶつかりそうになってしまった。

「私……そのボクシングジムがどこにあるのか知らない」

 はるちゃんは振り向くと自信たっぷりに宣言した。

「もーう、知らないのなら先頭を歩かない……」

 しぃちゃんが呆れ顔ではるちゃんの前に立った。


 しぃちゃんを先頭にイラケン選手がいる「鯉ヶ崎ボクシングジム」の前に着くと、大勢の野次馬たちがジムの中をのぞいている姿が見えた。中にはフラッシュをたいて中の様子を撮影している人がいる。

「なに、何なの? この騒ぎは」

 はるちゃんが楽しそうに野次馬たちを見回す。私も状況を把握しようと彼らの様子を眺めた。

 その野次馬の中にお祖母ちゃんを発見した。

「お祖母ちゃん一体どうしたのよ!?」

 私はお祖母ちゃんの手を引いてこの野次馬が集まっている理由を聞いてみた。お祖母ちゃんは明るい笑顔で答えた。

「このジムの中に将軍様が来ているんだよ」

 将軍様こと町田イラケン選手がこのジムにいるのは当たり前である。私は呆れながらお祖母ちゃんを諭した。

「あのね、お祖母ちゃん。将軍様じゃなくて町田イラケン選手でしょ。彼がこのボクシングジムに所属している選手だってこと本人から聞いていなかったの?」

 お祖母ちゃんは「そりゃあ知っているさ」と言って首を左右に振る。

「そうじゃなくて本物の将軍様、町平健まちだいら けんさんが、このボクシングジムに来ているんだよ」

「えっ、本物が来ているの?」

 私たちは驚いて人の頭しか見えないジムの入り口を見た。今さらの説明だけど、町平健と言えば、時代劇ドラマ『やんちゃ将軍江戸日記』で主人公の徳川吉宗とくがわ よしむねを演じて世間から「将軍様」と呼ばれている超大物時代劇俳優である。

 町田イラケン選手は、名前の発音が彼と同じゆえに小さい頃から「将軍」とからかわれ続けてきた。本人はそれに対して少しコンプレックスを持っている。

 そのコンプレックスの原因というべき本物の将軍様(そもそも本物、偽者といった区別はないのだが)が町田イラケン選手を尋ねてきているのだ。

 背の小さいしぃちゃんを先頭に(背が小さいと割って入りやすいからね)、人ごみを掻き分けてジムの入り口へと私たちはたどり着いた。町田イラケン選手と、坊主頭でスーツ姿の町平健さんが談笑している姿がそこにあった。思わず私は携帯電話でそのツーショットを撮影してしまった。

 二人の将軍は、そんなことも気にせず明るく何事かを話している。町平健さんが右手左手と順番にパンチを出しているのを見ると、ワンツー・パンチのやり方をイラケン選手が教えているようである。

「すごーい、将軍様二人をこんな近くで見られるなんてー」

 はるちゃんが感激の声を上げながら携帯電話のカメラのシャッターを連射している。

 しぃちゃんは携帯電話で写真をとることはせず、一人のファンとして暖かく二人の様子を見守っていた。むやみに写真を撮らないのはファンたる者の節度というべきものなのだろうか。

「はーい、すいません。道を開けてくださーい」

 町平健さんの所属事務所のスタッフがジムから出て私たち人ごみを掻き分ける。中の様子を見たくて入り口へと向かう人をどかしながら、五分ぐらいたって、ジムの入り口と黒いワゴン車との間に人一人がやっと通れるほどの通路が完成した。

「はーい、大丈夫です。出てくださーい」

 通路を確保したスタッフに呼ばれて町平健さんがジムの中から出てきた。

「健さまー!」

「将軍様ー!」

「町平健様ー!」

「ありがたやー!」

 野次馬の中から様々な声があがる。私たちもその中の一人だ。(「ありがたやー!」は声からして私のお祖母ちゃんのようだ)

 町平健さんは、その声の一つ一つに手を振って挨拶し、距離にして三歩しかないジムと車の間を通るのに三分もかかった。


 本物の将軍様――町平健さんを載せたワゴン車がジムを離れると、野次馬たちはそれぞれの方向へと去っていった。数分後にはジムの前に残っていたのは私たち三人だけだった。お祖母ちゃんも家に帰ってしまったようだ。

 ジムの中をのぞいてみると、イラケン選手は明るい表情を浮かべたまま立っている。本物の将軍様と話していたのがよほど楽しかったのだろう。

「イラケン選手、町平健さんと何を話していたんですか?」

 私がジムの外から声をかけると、イラケン選手は我に返って私たちのほうを見て

「君達か……」

 と顔を赤くした。嬉しそうな表情をしているのを見られて照れているのだろう。

「本物の将軍様に会えた感想はどうですか」

「もーう、はるちゃん!」

 調子に乗って失礼な質問をしたはるちゃんをしぃちゃんが怒る。

 いつもは「将軍様」と呼ばれてムッとした表情をするイラケン選手だったが、今日は反応が違っていた。さっきまで町平健さんが立っていたところを見つめ尊敬の眼差しで

「やっぱり……本物はすごいな……」

 とまるでそこに町平健さんが立っていているような顔をして呟いたのだ。

「そんなにすごかったのですか……、本物は」

 つい、私もイラケン選手のペースに合わせて町平健さんを「本物の将軍様」呼ばわりしている。

「ああ、すごいや、大人で暖かくて優しい人だ。俺の生まれた頃から将軍様やっているだけのことはあるわ。あの人こそ本物の将軍様だ……」

 今までのコンプレックスが嘘であるかのように、イラケン選手は自ら『将軍様』と言っている。

「何か嬉しいことでも言われたんですか? 『将軍様』と呼ばれてもムッとしなくなるほど……」

 喜びに浸っているイラケン選手に対し申し分けなさそうにしぃちゃんの質問が入る。

「あの人はこう言ったんだ。私と同じ名前の人が世界で活躍してくれるのは嬉しい事だ、って。俺だったら到底そんなこと言えないぜ。せいぜい、同じ名前の俺に恥をかかせない程度に頑張ってくれ、としか言えないだろう」

 コンプレックスの対象から嬉しいといわれたイラケン選手の気持ちはどんなものなのだろう、私には想像がつかない。だって私のコンプレックスの対象である「御徒町駅」は、「嬉しい」なんて絶対に言わないからだ。

「それと、あともう一つお願いというか……許可をもらったんだ」

 いつもはクールな感じのイラケン選手は今日まるで大好きなおもちゃをもらった子供のようである。

「何ですか、その許可と言うのは」

 そう尋ねるしぃちゅあんは、いつの間にかジムの中に入ってしまっている。イラケン選手は気にせずに答えようとする。

「それは……」

 と、言おうとしたところで、

「やっぱり言うのやめた」

 とまるでいたずら小僧な表情を浮かべて微笑んだ。

「どうして途中で言うのをやめるんですかー」

 はるちゃんが口を尖らせて文句を言う。

「試合の日になったら分かることだから、それまでのお楽しみということでー」

 イラケン選手はそう言うと、手を振ってジムの奥――シャワールームと書かれた部屋――へと姿を消した。

「試合の日には絶対応援に行きますんで、教えてくださいねー」

「おーう、分かったー」

 シャワールームの中からイラケン選手が答える。やがてその部屋からお湯が流れ出る音が響いてきた。

 イラケン選手ことボクシング界の将軍様が、チャウワ・スケベニンゲンと対戦する日まで、あと一週間をきっている。

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