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第二十七話 スケベニンゲン、来日

 大学生は夏休みが長い。高校生とか中学生ならば夏休みは七月の後半から八月いっぱいまでだけど、私たちの夏休みは九月の後半まである。

 しぃちゃんやはるちゃんと遊んだり、短期のアルバイトをしたり、レポートを書いたりなどしているうちに八月も最後の週になってしまった。

 今日は家でニュースを見ながらゴロゴロしている。小学生の子供たちを中心に夏の終わりを惜しむニュースが流れている。だけど私には夏休みはまだ一月近く残っているのでちょっとした優越感に浸れた。

「ボクシングのミドル級世界チャンピオンであるチャウワ・スケベニンゲンさんが今朝来日しました。スケベニンゲンさんは来月七日、後楽園ホールにて世界ランク一位の町田イラケン選手と対戦する予定です」

 チャウワ・スケベニンゲン。久しぶりに聞いた名前なので、思わず吹き出しそうになってしまった。イラケン選手が対戦する相手がついに来日したのだ。

 テレビはそのスケベニンゲンが成田空港のロビーを歩く様子が映し出されている。海外のボクサーでも日本のファンはいるようで、彼を迎えるファンの様子がテレビに映る。

 そのファンの様子をなんとなく見ていた私は驚いてテレビに顔をくっつけんばかりに近づけた。ファンの中にスケベニンゲンの様子をじっくりと眺めるしぃちゃんの姿があったからだ。

(なんでしぃちゃんが成田空港に?)

 しぃちゃんはイラケン選手のファンのはずである。そのしぃちゃんが対戦者であるスケベニンゲンを成田空港で迎えるなんてスケベニンゲンのファンになってしまったのだろうか。

(しぃちゃんがスケベニンゲンに……)

 明日ははるちゃんとしぃちゃんといつもの後楽園へ買い物に行く約束をしている。その時に空港にいた理由を問いたださなくては。


「しぃちゃん、昨日のテレビのニュース見たよ」

 しぃちゃんの顔を見るなり私は少しとがめる口調で昨日のニュースの事を話した。

「あー、昨日のことね。テレビカメラの人がいたからどこかで放送するのかなと思っていたら、私の姿も映っていたんだ」

 しぃちゃんは反省の色を全く見せない。

「ちょっとかっちゃん、何怒っているのよ」

 よく事情を飲み込めていないはるちゃんが口を挟む。

「聞いてよ、はるちゃん。昨日しぃちゃんは事もあろうにイラケン選手の対戦相手であるスケベニンゲンを成田空港まで迎えに行ったのよ。あれだけイラケン選手のファンだって言っていたのにスケベニンゲンを迎えに行くなんて……イラケン選手に対する裏切り行為よ!」

「うん、事情は分かった。だけどかっちゃん、ちょっと声が大きすぎる」

 はるちゃんの注意を聞いて私は顔が赤くなった。いくら感情が高ぶっていたとはいえ私は人前で「スケベニンゲン」を連呼してしまったのだ。私の声を聞いた町の人たちの中で「スケベニンゲン」をボクシング選手と理解している人は何人いただろう。

「かっちゃーん、誤解だよ。私はスケベニンゲンのファンになったわけじゃないよ」

 しぃちゃんが私を落ち着かせようと私の肩を軽く叩いた。

「じゃあどうして成田空港にいたのよ。空港へお迎えなんてその人のファンの人のすることじゃない」

 私のお祖母ちゃんはペル様が来日するたびに成田空港へ行くんだから。

「イラケン選手の対戦相手であるスケベニンゲンの様子を見てみたかっただけよ。体調とか体つきとか……いわゆる敵情視察ってことよ」

 しぃちゃんがちょっと口調を強めて呟く。

「そのためにわざわざ成田空港へ……」

 しぃちゃんはちょっと口をへの字に結んで私の問いかけに答えない。よほど誤解されたのが嫌だったのだろう。

「しぃちゃん、ごめん。私ちょっと暴走しすぎた」

 しぃちゃんが本気で怒ったら怖いのはもう知っているので、私は何度もしぃちゃんに頭を下げた。その甲斐あってしぃちゃんの口元がだんだん緩やかになっていった。

「お昼ご飯をかっちゃんがおごってくれるなら許してあげる」

 しぃちゃんの機嫌がよくなったので私はほっとした。

「うん、おごる何でも好きなものを食べていいよ」

「やったー! 今日はかっちゃんのおごりだー」

 なぜかはるちゃんが喜んだので私はすかさず突っ込みを入れた。

「はるちゃんは違う!」

「いいじゃん、かっちゃんがおごってくれる流れになっているんだからー。かっちゃんは流れというものをもう少し大切にしないといけないわ」

 はるちゃんが口を尖らせて文句を言う

「そんな流れは必要ない!」

 私は容赦なくその流れを断ち切った。


 お昼ご飯は後楽園の遊園地が一望できるレストランでとることにした。しぃちゃんの分は私が払い、はるちゃんは自費である。

 席に着いてからすくに話題は成田空港でのスケベニンゲンの話になった。

「それがね、すごいんだよスケベニンゲンは、日本語がある程度理解できるの」

 しぃちゃんは成田空港でのスケベニンゲンのインタビューを聞いていたのだ。最初の質問はありきたりなものだった。


「今回の世界戦、自信のほどはいかに」

 スケベニンゲンは通訳を通じて質問の内容を聞くと、自信たっぷりにカタコトの日本語で答えた。

「ワタシ、勝つ。絶対ワタシ負けることない」

「スケベニンゲンはすごい自信屋なのね……」

 はるちゃんが呟く。

「ただの自信屋ではないよ、スケベニンゲンは。最近の三試合を見てきたけど、すべてKO(ケー・オー)勝ちだよ」 

 成田に降りたときのスケベニンゲンは、試合の日まで待てない、という様子だったらしい。しぃちゃんが言うに、それほど絶好調なのだということだ。


 次の質問は町田イラケン選手についてのことだった。

「イラケンは強いパンチ持つと聞く。そしてスタミナ、ガッツ、あると聞く。だけどワタシ負けることない」

 イラケン選手を一応認めながらも、自分がイラケン選手に負ける姿を想像していないようだ。(もっともボクシングの世界に生きる人はみんなそうなのかもしれないが)


 そのあと幾つかの質問のやり取りがあった後、記者の一人がついにあの質問をぶつけた。

「日本ではあなたの名前はあまり良い意味を持たない名前なのですが……どう思いますか」

 インタビューの中盤とはいえ、この質問はいくらなんでもスケベニンゲンに失礼である。きっとこの質問をした記者はよほど神経が図太いのだろう。

 スケベニンゲンは腹を立てることなく笑いながら答えた。

「あなたたちの国、ワタシの名前、スケベ人間、つまり悪い人。だけどタイはワタシの名前、スケベな人間じゃない。あなたたちの国、何を言おうと、関係ないね」

 分かりやすく訳すると、「日本では『すけべ人間』と言われているけど、タイではそういう意味ではないので、日本で何を言われようが気にしない」ということだ。

「スケベニンゲン……ただ者じゃないわね」

 はるちゃんがなんだか楽しそうに身を乗り出す。

「ほんとね、すけべ人間の意味も知っているのだから……日本語をよく勉強している証拠ね」

 今さらながらスケベニンゲンの日本語の上手さ(外国に住んでいる外国人としてはという意味で)に感心しながら私は右手で頬をついてため息をついた。「御徒町」と言われてムキになってしまう私とは大違いである。


「お待たせいたしましたカルボナーラ大盛りのお客様……」

「はい、私です」

 しぃちゃんが元気よく答える。しぃちゃんはその小さな体に似合わずよく食べる。たくさん食べるにもかかわらず、体重に悩みを持たないのは、毎日トレーニングをしているせいだろうか。

 店員がカルボナーラをしぃちゃんの目の前に置くと私たちに対して小声で注意した。

「お客様、ここは他のお客様もいらっしゃいますので、卑猥な言葉は慎んでいただきますようお願いします」

「はい? 誰も卑猥な言葉なんて……」

 しぃちゃんが店員に疑問をぶつけるのを私は慌てて止めた。

「あっ、はいそうですね。つい……どうもすみませんでした気をつけます」

 店員は「お願いします」と一礼するとテーブルを離れた。

「もーう、かっちゃんどうして謝るのよ。私たち何もエッチなこと言っていないでしょ」

 しぃちゃんがまた口をへの字に曲げる。「もーう」がついているから、さっきのスケベニンゲンのファンと誤解されたときよりは機嫌は悪くない。

 確かにしぃちゃんの言うことはもっともなのだけど……。

「うん、確かに私たちは何もエッチなことを言っていないよ。でもね……」

「スケベニンゲンが周りの人には『すけべ人間』に聞こえるってことよ」

 私に変わってはるちゃんが答えた。ボクシングの話をしている私たちは「スケベニンゲン」と理解できるけど、それを知らない人が聞いたら「すけべ人間」にしか聞こえない。まさに先ほど私が心配していたことが的中したのである。

「……確かにはるちゃんの言う通りかもね……。でもそれじゃあこれ以上スケベニンゲンの話はできないじゃない」

 しぃちゃん……、別に無理してスケベニンゲンの話をしなくても……。

「呼び方を変えればいいのよ。スケベニンゲンのフルネームは『チャウワ・スケベニンゲン』でしょ? だから『スケベニンゲン』じゃなくて今度から『チャウワ』って呼べばいいのよ」

 はるちゃんが得意そうに人差し指を私たちの目の前に突き出した。

「そうかー、それならスケベニンゲンの話ができるね」

 喜ぶしぃちゃんに私は注意を促した。

「しぃちゃん、『スケベニンゲン』じゃなくて『チャウワ』よ『チャウワ』。それと早く食べないとカルボナーラ冷めちゃうよ」

「そうだね、『チャウワ』だね。それじゃあお先にカルボナーラ頂きます」

 店員が私とはるちゃんのメニューを運んでくる頃には、もう全員が「スケベニンゲン」を「チャウワ」と呼んでいた。「チャウワ」なら文句を言われないので私たちは安心して「チャウワ」を連呼することができた。

 しかし周りの人から見た今日の私たちは「すけべな話をする関西人」に見られただろうな……。(チャウワの前はすけべ人間だからね)

 と言うわけで、しばらくそのお店には恥ずかしくて行けなくなってしまいました。(あ、でもしぃちゃんとはるちゃんは平気かもしれない)

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