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第二十五話 なめろうバースデー

 私は目を閉じて女王様はるちゃんの命令と、しぃちゃんの唇が私の唇に触れるのを待っている。しかし一向に女王様の命令は来ない。

 私の頬に触れているしぃちゃんの両手を通じて彼女の鼓動が聞こえる。恥ずかしいのか酔っているのかその鼓動は早い。

 次の瞬間、私は唇をというか顔全体をさっと何かで撫でられた。そしてしぃちゃんの両手が私の頬から離れる。

「伊井国さん、大丈夫!?」

 片倉君の声を聞いて私は目を開ける。なんとはるちゃんがうつ伏せになって倒れていたのだ。

「女王様ー、キスの命令はまだですかー」

 しぃちゃんが、はるちゃんの頭を軽く叩くが、はるちゃんの反応は無い。

「だからペースが早すぎるといったのに……。伊井国さん、伊井国さん」

 片倉君がはるちゃんを抱き起こす。赤ら顔のはるちゃんはすやすやと安らかな寝息を立てていた。

「よかった……。ただ寝ているだけだ。これで顔が青ざめていたらやばいところだった……」

 ほっとしたのか片倉君の力が抜ける。そのためにはるちゃんの頭が私のあんまり無い胸に当たった。私ははるちゃんの無事と、人前でキスが回避できたこととで二重に安心した。

「女王様ー、私かっちゃんとキスがしたいよー」

 状況がよく飲み込めていないしぃちゃんが、はるちゃんの頬を軽く叩く。しぃちゃんのこの発言は酔っているからなのか、それとも本気なのか……。酔っているせいだろう。

 はるちゃんは小さく唸ったあと、しぃちゃんの手を払いまた安らかな寝息を立てる。

 

 女王様ことはるちゃんが、眠り姫になってしまったので、王様ゲームと二次会はお開きとなった。しかしお開きとなったのはいいけれど、私は酔っ払っている二人を連れてどうやって帰ればいいのだろう……。ひょっとしてここで泊まることになるのかな?

「御徒さん、親父が車で家まで送ってくれるって」

 酔っている人を無事に家まで送り届けてくれるなんてさすが酒屋さんだなぁ、と私はまた感心してしまう。

「おい長瀞、君ヶ浜。二人を車に乗せるのを手伝ってくれ」

 はるちゃんは長瀞、君ヶ浜君に抱えられて車の後部座席へと乗せられた。しぃちゃんは自分の力で歩けるようだが、念のため片倉君が支えている。

「あらあら、まだまだ料理を用意していたのに、もう帰っちゃうの」

 片倉君のお母さんはいかにも残念そうな声を上げたので、私は

「友達が酔って寝てしまったので……、これで失礼します。ほんとにご馳走様でした」

 と、女性陣を代表してお礼を言う。

「それじゃあこれを持っていきなさい。朝ご飯の上に乗っけてお茶漬けにしたら最高よ」

 片倉君のお母さんはそう言って小さいクーラーボックスを渡した。

「どうもありがとうございます」

 クーラーボックスを脇に抱えて私は頭を下げた。

「生ものだから家に着いたら冷蔵庫に入れてね」


 私達は片倉君のお父さんが運転する車に乗りしぃちゃんの家へと着いた。はるちゃんは片倉君のお父さんの背中で眠りながらしぃちゃんの家に入る。しぃちゃんは片倉君に支えられ、よろけながらも自室へと向かった。

「さらいえつ(再来月か?)にスケベニンゲンとイラケン選手が闘うんだよー」

「そうだね、九月だね。それよりも椎名さん、この前のテストのことなんだけど……」

 酔いながらボクシングの話をし始めるしぃちゃんに対して片倉君は別の話にすり替えようとしている。この状況で彼女にボクシングの話をさせるのは危険だからだ。

 片倉君のお母さんからもらったクーラーボックスの中身を冷蔵庫に入れて、空になったクーラーボックスを片倉君のお父さんに返した。

「よかったらまた家へ飲みに来なさい。いつでもただだから、……だけど、飲み過ぎない程度にね」

「本当にどうもありがとうございました」

 眠っているはるちゃんや、酔ってまともな発言のできないしぃちゃんの分も含めて私は片倉君のお父さんにお礼を言った。

 ただでお酒を飲ませてくれて、おつまみや料理をただで食べさせてくれて、帰りには朝ご飯をお土産代わりにくれて家まで無料で送ってくれるって……私達はなんて贅沢な時を過ごしたんだろう。

「御徒さん、二人をよろしくね」

「うん、わかった。ごめんね片倉君、心配かけて」

「伊井国さんは眠っているから大丈夫だとして……。心配なのは椎名さんのほうだから」

 確かに起きている分しぃちゃんの方が危険度は高い。ボクシングの話になったらしぃちゃんの寸止めパンチの相手は私一人だけだ。でも片倉君が心配しているのはそれだけの理由なのだろうか?

 ……と突っ込みを入れたかったけど、片倉君のお父さんの前でしかもこういう状況で片倉君をからかうわけにはいかないので、私は普通に彼に挨拶するのみにとどめた。


 車を見送った後で、私も寝ようかと思いしぃちゃんの部屋に入ったが、まだやることが残っていた。まずははるちゃんの家にはるちゃんが泊まることを連絡しなくてはならない。

 はるちゃんの携帯電話を使って彼女の家へ電話をすると、出てきたのはお父さんの伊井国造郎教授だった。

「もしもし……、遙か?どうしたこんな遅くに」

「あ、いえ……私は遙さんのお友達の御徒真知です」

 伊井国教授は「おかちまち……」と呟きしばらく沈黙した後で、「ああ」と声を上げた。

「ああ、御徒さんか。娘がいつもお世話になっています」

「いえいえ、こちらこそ……」

 電話での会話なので、姿は見えないのに互いにお辞儀をする(伊井国教授の方は私の勝手な想像)

「それで……、遙に何かあったのですか?」

「あ、いえ……たいしたことはないのです。今日はお友達の椎名さんの家でゼミの発表の合宿をやることになったので、本人に変わって私が連絡をすることになったのです……。あ、なぜ私が電話をしているかというと、今は遥さんは疲れて眠ってしまっているのですよ……」

 「お酒を飲んで酔って眠ってしまいました」と言うわけに行かないので、私は精一杯の嘘をつく。今の時間は午後十時。帰るには遅い時間だけど、眠るにはまだ早すぎる時間帯だ。だからと言ってこの嘘を突き通さないわけには行かない。

「そうですか、遙は疲れて眠っているのですか」

「は、はい…そうです」

 伊井国教授は信じ込んでいるようなので、そろそろ電話を切らなくてはならない。その時

「かっちゃーん、女王様のキスの命令はどうしたのー」

 と、しぃちゃんが私の首に絡みついてきた。

「……なにか、変な声が聞こえてきたのですが……まるで酔っ払いのような……」

 伊井国教授がしぃちゃんの声に対して不審を抱いている。

「いいえ、酔っ払いじゃないですよ、寝言です、寝言。椎名さんもすっかり疲れて眠ってしまっているのです。今起きているのは私一人って感じで」

 伊井国教授に嘘をついている間にも、しぃちゃんは私の耳元に甘い息を吹きかける。ぞくぞくっとした感じが全身を駆け巡るが、私は声を上げるのを必死にこらえた。

「……そうですか、ずいぶん大きな声だったので……」

「ええ、そうなんです、ものすごく大きな寝言なんです、はい……。私もこれから寝ようと思うので、これで失礼させていただきます……」

「そうですか、おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい……」

 電話を切る音を確認した私は

「うわああああっ、しぃちゃんやめてよ、くすぐったいじゃない」

 と、しぃちゃんの甘い息に初めて反応を示した。

「うふふ、かっちゃんの反応って面白い……」

 ひょっとしたら私はこのまましぃちゃんに襲われてしまうのだろうか?体格では私が勝っているけど(背は私のほうが高いからね)、体力勝負では確実に私は負けてしまう。……ああ、でもしぃちゃんはかわいいからそれはそれでいいかも……。

 なんて厭らしい想像をしている私だったが、しぃちゃんは私から離れて一人ではるちゃんが眠っている布団に入ってしまった。

「かっちゃんも入るー?小さい布団だけど」

「うん……、入る。でもその前に家に電話しないといけないから待ってて」

 ちょっと安心して、ちょっとがっかりしながら私は自分の家へと電話をかけた。出てきたのはお父さんだった。

 私は正直にこれまでの経緯と現在の状況を話した。

「誰も吐かないでよかったじゃないか。酒と言うものはこうして強くなるものだ」

 お父さんは怒らないどころかむしろ喜んでいる感じだ。これが伊井国教授だったらきっと激怒するほどの重大事だろう。ほんとに家族の環境と言うのは人によってさまざまなんだなぁ……。

 電話を切って私はしぃちゃんとはるちゃんの眠る布団へと入った。すでに二人が入っているので、私は横向きに寝てなんとか布団の中へと全身を入れる。まあ七月だから、布団からはみ出しても風邪をひくことはないんだろうけど。

 なんとか全身を布団の中に納まったところで、しぃちゃんが再び私に抱きついてきた。今度は両手が私の胸に触れている。

「わーい、かっちゃんの背中はあったかいなぁ……」

 私は再びしぃちゃんに襲われる覚悟を決めた。しかし、彼女はそれ以降なにもせずに、すやすやと寝息を立て始めた。どうやら私をぬいぐるみの一種と思っているようだ。

 私はいつまたしぃちゃんに襲われるかという緊張と興奮のために三時間もこの状態のまま眠ることはできなかった。しぃちゃんの家にかけられている時計が午前一時を過ぎた辺りで私の記憶は途切れた。


「おーい、かっちゃん。起きてー。朝だよー」

 誰かが私の頬を何度も叩いている。私が目を覚ますと、はるちゃんとしぃちゃんがいつも通りの顔で私を覗き込んでいた。昨日のお酒はすっかり抜けてしまったようだ。

「かっちゃんよく眠っていたねー。お酒でも飲みすぎたの?」

 一番お酒を飲んでいたはるちゃんが私をからかう。いやいや、私は一番お酒を飲んでいない人だよ。はるちゃん。

「……二人は昨日のこと覚えているの?」

 私はゆっくりと体を起こしながら二人に尋ねた。はるちゃんは右手を腰に当てて

「覚えているわけ無いじゃない」

 と、自信たっぷりに言った。そりゃあ覚えていないよね。

「私は……ところどころ覚えているよ。確かはるちゃんが寝ちゃって……片倉君のお父さんに送ってもらって……家について……それからどうしたんだろう?」

 しぃちゃんは都合よく私に対して行った行為の数々を忘れてしまっているらしい。

「えーっ、私寝ちゃったの?」

 はるちゃんが驚きの声を上げる。

「そう、しぃちゃんお酒飲みすぎて寝ちゃったんだよ。でもかっちゃんが一番遅くまで寝ているってことは……かっちゃんが一番お酒を多く飲んだんだろうね」

 はるちゃんとしぃちゃんの間に事実とは全く異なる記憶が出来上がりつつある。突っ込みどころが多すぎるので、私は突っ込まないことにした。(朝の寝起きで面倒くさいってこともあるけどね)

「あ、そうだ思い出した」

 突然、しぃちゃんが両手をならして大きな声を上げる。

「どうした、しぃちゃん。何か昨日のこと思い出したの?」

 昨日の自らの行いの少しでも思い出して自省していただきたいものだ。

「はるちゃん、今日誕生日でしょう?十九歳おめでとう」

「えっ……そうだ、今日は私の誕生日だ。ありがとう」

 そう言えば、今日ははるちゃんの誕生日だった。二人がお酒に酔ってしまったので、全く気がつかなかったけど、はるちゃんはしぃちゃんの家で酔って寝ている間に誕生日を迎えてしまったのだ。

「はるちゃん、お誕生日おめでとう」

「ありがとう……かっちゃん。友達の家で誕生日を迎えるなんて初めてだよ」

 今までは自分の家で家族と一緒にその瞬間を迎えていたらしい。あの家ならそうだろう、それにしても伊井国教授はかわいい娘の大切な日の前夜によく外泊を許可したものだ。

「そう言えば、片倉君のお母さんからお土産をもらったんだ。朝ご飯にお茶漬けにして食べるといいって。冷蔵庫に入っているよ」

「うわー、片倉君のお母さん、私達の朝ご飯まで用意してくれたんだー」

 しいちゃんが感激の声を上げて冷蔵庫を開ける。そのものを取り出し、包んでいるラップをめくると、ピンク色のものが細切れになっているものが出てきた。

「……これはきっとなめろうね」

「なめろう?なんか面白い名前ね。妖怪退治をしそう」

 はるちゃんが「おい、なめろう」と言いながらしぃちゃんの肩越しに「なめろう」と呼ばれた物体を覗き込む。確かに妖怪退治をしそうな名前ではあるが、私は昔人気だったお笑い三人トリオの一人を思い出していた。

 しぃちゃんが言うには、「なめろう」とは鯵の刺身を葱などと混ぜてそれを粘り気が出るまで包丁で細かく刻んで(というか叩いて)出来るものらしい。漁師の人が船の上の昼食として食べたものが始まりで、あまりの美味しさに皿まで舐めて味わおうというところから、「なめろう」という名前がついたらしい。

「ケーキじゃないけど、これではるちゃんの誕生日をお祝いしよう。お茶漬けにするとこれ本当に美味しいんだから」

 しぃちゃんはそう言ってやかんに水を入れる。「なめろう」なんて名前を聞くのも実物を見るのも食べるのも初めてだけど、しぃちゃんが言うのだからきっと美味しいに決まっている。

「こういう和風のもので誕生日を祝うのも悪くは無いわね」

 はるちゃんはお茶碗と箸を用意している。さすが一週間しぃちゃんの家で暮らしただけあって、どこになにがあるかすっかり分かっているようだ。

 こうして私達ははるちゃんの誕生日を「なめろうのお茶漬け」で祝うことになった。

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