第二十三話 酒屋の二階から
「私の名前は御徒真知です! みんなからはかっちゃんと呼ばれています。好きなことは散歩をすることです!」
私は名前の部分を早口で通し後半を長く言うことで、なるべく皆の注意を名前以外のところへひきつけようとした。言い切って辺りを見ると周りの男性たちはぽかんと口を開けて私のほうを見ている。
長瀞君の視線が私の視線とぶつかる。その瞬間彼は私にスイッチを入れられたかのように話し出した。
「そ、そうかー。かっちゃんと言うんだ。よろしく」
「御徒真知さんでかっちゃんか、よろしく」
長瀞君に釣られて君ヶ浜君も私に挨拶をする。「御徒」と「真知」の間をしっかりと開けて。
片倉君はしぃちゃんからあらかじめ私のことは聞いていたのだろう。普通に「よろしく」と返した。みんな「御徒真知」という名前が「御徒町」という駅になることに気づいたようだが誰も笑わなかった。
男性陣の反応を見て、しぃちゃんやはるちゃんは気が楽になったようだ。(私が笑われたときのために臨戦態勢をとっていたからね)その後は男性陣と楽しくおしゃべりをし始めた。
私も警戒心を解いて話の輪に入った。履修している授業とか、実家のこととかいろんなことを話した。「合コン」という言葉にあまりいいイメージを持っていなかったけど、こういう楽しく話をするだけの「合コン」ならいいかもしれない。唯一気になったのは私の名前を呼ぶときに一度相手が何かを確認するようにして呼んでいることだが。
夕方になったので、さあお開きにしようかという雰囲気になったとき、君ヶ浜君が手を上げた。
「せっかくここまで盛り上がったんだから。二次会をやろうよ。今度はアルコール付で」
と、右手の指で円を作り、それを口元へ持っていく仕草をした。「アルコール付」の言葉といい、その仕草といい、要は「お酒を飲もう」である。彼はすでに何度もお酒を飲んでいるなと私は思う。
「そんな……私たちはみんな未成年でしょ」
しぃちゃんが困ったような声を上げる。
「私は明日で十九になるよ」
だからはるちゃん、十九は未成年だから。
「えーっ、特にそういうこと言わなければお店のほうも分からないだろう。なあ、長瀞」
「そうだよ。特に君ヶ浜は高校のときから大人に見られていたから大丈夫だって」
実際この二人は私の思ったとおり何度も居酒屋で飲んだことがあるそうだ。
「だけど今日は私がいるから無理だよ。だって今でも時々中学生に間違われるもん」
しぃちゃんが申し訳なさそうに俯きながら話す。確かにしぃちゃんは小さいけど……中学生はちょっとオーバーじゃない?
「……しょうがないなぁ。居酒屋はあきらめるとするか。おい片倉、お前の家大丈夫だよな」
「えっ、ああ……うちはいつでも大丈夫だけど」
居酒屋がダメなら誰かの家で酒を飲むつもりなのだろう。でもいきなり一人暮らしの男の人の家にお邪魔するのはちょっとガードが緩い気がするなぁ。
「こいつの実家は酒屋で、ビールや日本酒などいろんな種類の酒が揃っているんだ」
片倉君の家は実家なのか、じゃあちょっと安心かな。(ご家族の方がそのとき居れば、の話だけど)
「ちょっと両親に電話するから待ってて」
そう言うと、片倉君は電話を片手に席を立った。五分くらいして戻ってきた彼は
「大丈夫だって、母親がおつまみ代わりに手料理を作ってくれる、ってさ」
と、右手でOKのサインを作り私たちに見せた。
「いよっしゃ、久々に片倉の家で酒パーティーだ!」
男性陣はすっかり二次会を行う気でいる。私たちは彼らに聞こえないように小声でどうするか相談することにした。
「ねぇ、どうする」
「うーん、片倉君の実家だから大丈夫だと思うんだ」
しぃちゃんはどうやら行く気があるようだ。
「私は行くよ。一度でいいからお酒を飲んでみたかったんだ」
あのお父さんじゃ飲ませないよな……。そういう私はお父さんやお祖父ちゃんに勧められて酒を飲んだことが何度かある。吐いたり頭が痛くなったりという「酔った」状態になったことがないのは酒が強いせいなのだろうか。(まあ飲む量がほんの僅かってこともあるけど)
「二人が行くって言うなら……。私も行こうかな」
「よーし、じゃあ決まりね。女性陣全員行きまーす」
はるちゃんが元気よく手を上げる。こうして、初めての合コンはアルコール付きの二次会へと突入した。
片倉君の家は都営新宿線の森下駅から徒歩十分の所にある。家に入ると彼のお母さんがエプロン姿で迎えてくれた。
「あらあらようこそ。今夕ご飯作っているところだから上で待っててちょうだい」
商売をやっているせいかとても愛想のいい挨拶に私達女性陣はお辞儀しながら二階へと上がる。
「お酒は何飲む? よかったら店から持ってくるけど」
男性陣が階下から声をかける。すぐ側に店への入り口があるのか、一人は買い物カゴを持っていた。
「じゃあ山形の地酒をお願いします」
即答するしぃちゃんに私とはるちゃんは目を丸くした。
「しぃちゃんお酒飲んだことあるの!?」
「うん、あるよ。最初は料理に使うお酒の味見が目的だったんだけどね。そのうちこのお酒にある料理はなんだろう、って考えて飲むようになったよ」
しぃちゃんは将来小料理屋でも始める気なのだろうか。割烹着姿で木製のカウンターに立つしぃちゃん……。なかなか様になるな。
「でも東京に来てからお酒を飲むのは初めてだなー」
楽しさを体全体に表すしぃちゃんに対してはるちゃんは不安そうな顔をしている。一番お酒を飲むことに気合が入っていたのに、どうしたのだろう?
「しぃちゃん……酔って暴れることはないよね」
はるちゃんのこめかみから一筋の汗が流れるのが私には見えた。あのパンチ力を持つしぃちゃんが暴れたらこの家は地獄絵図と化すことは想像できる。
「うーん、記憶を無くしたことは何度かあるけど……。気がついたときはどこも壊れていなかったし、誰も怪我をしていなかったから、きっと大丈夫だよ」
いや、それは「大丈夫」という根拠になるのだろうか……。
いつまでも階段にいては話しづらいので、一抹の不安を感じながらも片倉君の部屋へと入った。中は綺麗に整頓されて壁にはボクシング選手のポスターが、しぃちゃんの部屋を男性版にしたという感じの部屋だ。あ、ぬいぐるみや料理の本は置いてないや。
「とりあえず座ろうか」
部屋の主がいないのに勝手に座るのも恐縮だが、はるちゃんに促されて私達は部屋の扉側に座る。窓の向こうは夜の始まりを告げる濃く青い空が広がっている。
「酒とつまみ持ってきたぞー」
買い物カゴにお酒とおつまみをたくさん入れて男性陣が部屋に入ってきた。円陣を組むように座り(私達が扉側なので、自然彼らは窓側になる)適当にお酒とおつまみを並べる。そのなかにはしぃちゃんご指名の山形の地酒「お船」があった。
「実家は山形の米沢、って言っていたからこれかな、と思って」
片倉君がしぃちゃんの前に「お船」を置くと、しぃちゃんは喜びの声を上げた。
「うわー、これだよー、私が初めて飲んだお酒は。ありがとう片倉君」
しぃちゃんの片倉君への友好度がアップしている。と、私は恋愛ゲームのような想像をしてみた。
「二人は何を飲むか分からなかったので、飲みやすいカクテルを持ってきた」
しぃちゃんに続いて片倉君は私達の前にカクテル酒の缶を置いた。ブドウ味のするお酒か……。
「初めて飲むお酒はオレンジ味か……」
はるちゃんが缶に書かれている絵や文字を物珍しそうに眺める。はるちゃんにとっては「お酒」は初めての体験なので、最初のお相手をよく知りたいのだろう。
気がついたら私とはるちゃん以外はいつでも飲める状態になっていた。私は慌ててプルタブを空ける。空気の抜ける音とともに泡が飛び出し、私の指を濡らす。
「それじゃあ、二次会よろしくっ、というのと、はるちゃんの誕生日の前祝ってことで乾杯!」
「かんぱーい」
君ヶ浜君が乾杯の音頭を取り二次会はスタートした。缶やコップがぶつかり合う中、片倉君のお母さんが肉と野菜の炒め物を大皿に入れて持って来た。
「さあさあ、みんな遠慮なく食べてちょうだい。ご飯がほしい人はたくさん用意してあるから言ってね」
片倉君が電話したのは一時間ぐらい前だ。急に友達がたくさん来てもこれだけのものを用意できるなんて。この家はもともと人を招待するのが好きなのだろうか。
そんなことを考えながら缶に口をつけて傾ける。泡のつぶつぶとした感触が口の中に広がりほんのりブドウの味が後から追いかけてくる。その後にやってくるアルコールの味。お父さん達に勧められて飲んでいる日本酒のアルコールより、その味は柔らかい。
「ねえかっちゃん、口の中がつぶつぶしていてオレンジの味がすーっと来て、とても甘くて美味しくて飲みやすいんだけど、後でちょっとした苦味が来てのどが熱くなるの。これがお酒っていうもの?」
はるちゃんが缶をゆらゆら揺らしながら小声で私に尋ねる。
「そう、それがお酒、というかアルコールの味だよ。確かに飲みやすいねこのお酒」
時々飲んでいる日本酒なんかちょっとずつ飲まないと、鼻がツーンとして、むせて思わず咳き込んでしまう。
「そうだよね、飲みやすいよね。私半分くらいぐっと飲んじゃった」
「ちょっとはるちゃん、飲みすぎだよ!」
私は驚いて声を上げる。それに気づいた男性陣が私達を見るが、
「何言っている、おか……いや、かっちゃん。まだ一杯目じゃないか」
長瀞君がなんでもないような言い方をする。確かにまだ一杯目だけど、初めてでいきなり缶(三五〇ミリリットル)の半分の量を一気に飲むのは危険じゃないのかなぁ。
「はるちゃん、一気に飲むと酔っ払っちゃうから、お酒は何か食べながら、少しずつ飲んでいくんだよ。そうすれば酔わないで楽しいお酒になるよ」
しぃちゃんが日本酒の注がれたコップを持ちながらはるちゃんに注意する。コップになみなみ注がれていた彼女の日本酒の減りは少ない。
「そうだよ、伊井国さん。最初はゆっくりと飲まないと、特にお腹が空いているときは酔いやすいから、今ならまだ間に合うから、いっぱい何か食べたほうがいいよ」
そう言って片倉君は炒め物を小皿によそってはるちゃんに渡した。箸を添えることも忘れていない。
「ありがとう、片倉君」
はるちゃんはにこにこの笑顔で小皿の炒め物を平らげるとまたお酒に口をつけた。
「このオレンジ本当に飲みやすいー」
ごくごくと喉を鳴らして飲む彼女。初めてなのにそんなペースで大丈夫なのだろうか。それとも酒に強い家系なのだろうか。
「いい飲みっぷりだねー」
「二杯目用意しておく?」
「お願いしまーす。今度は白ブドウ味で」
長瀞、君ヶ浜両氏に元気よく笑顔で答えるはるちゃん。すでに顔が赤くなっている。
「かっちゃん、なんかポーツと気持ちがよくなってきちゃった。これがお酒って言うものなのね」
「これがお酒?」と最初にはるちゃんが私に質問した時は、もう手遅れだった――。と、私が気づいたのはこの時だった。