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第二十話 再会の金曜日

「そんなに落ち込んでいたの?お父さん」

 ダンスサークルの部室ではるちゃんはいつものようにセミヌードを披露している。濡れタオルで汗をかいた体を拭きながら、次の授業に提出するレポートの内容と、伊井国教授ことお父さんの様子を聞いていた彼女だが、あまりの落ち込み様に手を止めた。

「そうなの、黒板に文字を書こうとしてもいつもより低いところに書いているのよ」

 「低い」ということを、しぃちゃんが言うと説得力が増すのはなんでだろう。

「お父さんが何を言っても、あまり刺激的過ぎることを言わないほうがいいと思うよ。はるちゃん」

 はるちゃんの行動次第で教授は倒れて入院の可能性も決してオーバーではない。

「……なんか嫌だな、私一人が悪者みたい。そりゃ私が家出したせいでやつれているのは分かっているけどさ」

 苛立ちを紛らすためタオルを持つ手を激しく動かすはるちゃん。

「遙、そんなにイライラしない。誰もあなたのせいとは言っていないでしょ」

 浅野先輩がはるちゃんのブラジャーを手に彼女を嗜める。はるちゃんはそれを受け取って胸に着けながら

「はい、分かりました先輩」

 と素直に反省の表情を見せた。基本的にはるちゃんは目上の人には素直だ、今までお父さんの言いなりになっていた影響だろうか。

「せんぱーい、次は休講だから練習しに来たよー」

 明石先輩が元気よく扉を開けて入ってきた。そして上半身はブラジャー以外まだ何もつけていないはるちゃんを見ると。

「ひょっとして、あともう少し早く来たら遙のヌードが見られた!?」

 と明るい笑顔でちょっと悔しそうな声を上げた。

「そんなに私の裸が見たかったんですか……、明石先輩」

 これから着ようとする服を片手に顔を少し赤らめてはるちゃんが呟く。うーんこういう雰囲気、私は初めてでちょっと困るぞ。

 明石先輩の明るい笑顔にさっと赤みが差す。

「ばっ……、何を言っているのよ。ドアに鍵がかかっていないのにヌードという危ないことをしていたのかと聞いているの」

 なんと部室のドアは誰もが開けられる状態だったのだ。明石先輩の言うことはもっともだ。そして鍵をかけ忘れたのは……。

「すいません、私が鍵をかけ忘れました」

 私は素直に部室の皆さん(といっても私を除いて四人だけど)に謝罪した。

「もう、かっちゃん。いくら女子ダンスの部室だからと言って、男の人が絶対入ってこないとは限らないんだから、気をつけてよね」

 はるちゃんには「遙」と呼び捨てにする明石先輩だけど、私としぃちゃんは同じ「まち」だから、あだ名で呼び分けている。浅野先輩も同じだ。

「すいません……」

 明石先輩の言うことがあまりにもごもっともなことなので、私は何も言い返せない。しかし、私の隣でその様子を見ていたしぃちゃんがある事実に気づいた。

「……でも明石先輩、今部室の扉開けっ放しですよ」

「うん、そう扉には気をつけてって……、えーっ!!」

 明石先輩だけでなくその場にいた全員がその事実に驚いた。現在部室の扉は鍵がかかっていないどころか、先ほど明石先輩が元気よく開けた状態そのままになっているのだ。つまり、この部屋の前を通った人は無料ではるちゃんのブラジャー姿が見られたということになる。

 明石先輩はまるで何事も無かったかのように元気に扉を閉めると、

「みんな、気をつけよう!」

 と、明るい笑顔で鍵をしっかりと閉めた。

「あのー、明石先輩……」

「うん、どうした遙」

 申し訳なさそうに尋ねるはるちゃんに、明石先輩は「ドアの突っ込みは受け付けないぞ」という明るい笑顔を向ける。

「鍵を閉めてもらったところで悪いのですが、私達そろそろ次の授業があるので、部室を出るんですけど……」

 はるちゃんはすっかり着替えと授業の準備を完了している状態である。

「真奈美……。今日の占いの順位、きっと悪いわよ」

 浅野先輩の厳しいツッコミが部室の外へ漏れることなく消えた。

 明石先輩のこの失態は後に「遥のブラジャー丸見え事件」としてサークル内にしばらくの間語り継がれるのだが、はるちゃんにとってはさっきまでの嫌な気分を解消してくれたという意味でよい出来事となった。


 二時間後――はるちゃんとお父さんこと伊井国教授は一週間ぶりの再会を果たした。私とはるちゃんが「御団子」に入ると、すでに伊井国教授は一番奥の席に座り、コーヒーを飲んでいた。

「遥……」

 はるちゃんの姿を見るや教授は立ち上がろとする。しかし、よろけて膝頭をテーブルの角に強かにぶつけてしまった。

 聞いている私までも痛くなりそうな鈍い音が店の中に響く。飲みかけのコーヒーが入ったカップが激しく揺れる。

「お父さん、大丈夫!」

 店でお父さんに会ったら、真っ先に自分の言いたいことを言う、と言っていたはるちゃんだったが、実際に出てきたのは自分のお父さんを気遣う言葉だった。

「いや大丈夫だ。すまない、遥……」

 教授はぶつけた膝をさすりながら、はるちゃんの助けを借りて席に戻る。その後はるちゃんは教授と向かいの席に座り、親子が向き合う形となった。私はその様子を見ながら隣のテーブルの席に座る。

 お客さんは私たちのほかに誰もいない。気を利かせてかマスターも奥の住まいに引っ込んでしまっている。しばらく無言の状態が続いた。しぃちゃんがはるちゃに水の入ったコップを持ってきてもその状況は変わることは無い。

 しぃちゃんは私のところにもお水を持ってきてくれた。小声で

「何か注文する?」

 とささやく。私はしぃちゃんの耳に顔を近づけて

「アイスココア」

 といつものメニューを頼んだ。

「遙……、どうしてもダンスがやりたいのか……」

 私の注文が耳に入るわけが無いのに、まるでそれをきっかけにしたかのように伊井国教授が口を開いた。

「そうよ、高校の時に私が本当にやりたいものはダンスだって分かったの」

 伊井国教授の弱弱しい声に合わせるように、穏やかにしかし意思ははっきりとはるちゃんは自分の気持ちを話す。

「ダンスなどと……そんな生活が安定しないものに興味を持つとは……。学者になって私のあとを継ぐのがお前にとって楽な道だというのは分かっているのか」

「学者だって安定している道かどうか分からないでしょ。教授になるまではものすごく大変だっていつも言っているじゃない。同じ苦労するならお父さんが勝手に決めた教授の道より、私が好きなダンスの道を選ぶわよ」

 自分の好きな道を否定されてしまったはるちゃんだが、それでも声を荒げることは無い。

「……そうか、お前はあくまでもダンスか……」

 そういうと教授は顔を両手で覆い大きくため息をついた。そしてまた無言の時間――。

「お母さんは……、元気にしているの」

 今度ははるちゃんが沈黙を破った。話題を少し逸らすことで、互い話しやすいようにしたのだろう。

「母さんか、受けたショックは私より向こうのほうが大きいようだ……」

 ものすごく落ち込んでいるように見える伊井国教授よりもはるちゃんのお母さんはさらに精神的ダメージを受けている。これを聞いたはるちゃんは動揺した。

「ねぇ、お父さん……どうしても私のダンスを許してくれないの」

「お前が一番苦労をしない道を進めと私は言っているのだ。それは私の後を継ぐことなのだ」

「どうしていつも「お前のため」なのよ!「お前のために後を継げ」って私のためにはならないわよ!結局は自分のためでしょ」

 ついにはるちゃんは大声を出してしまった。このまま昨日の嫌な予想が当たって話し合いは決裂しまうのか。

「私は私の幸せのために、私がそうしたいからダンスをやるの!私はもう「お前のため」とかいうお父さんの思う通りにはなりたくない」

「本当に私の勧める道は行かないんだな」

 弱弱しかった教授の口調が少し強くなる。

「そうよ、私は自分の道を行くの」

「本当にそれでいいのだな、この先苦労をする覚悟はあるのだな」

 決して大きな声ではないが、はるちゃんよりも迫力のある声で重大な問いを投げかけられたので、はるちゃんは一瞬戸惑ったが、両手の拳をぐっと握り締めると。

「覚悟なんて家出したときからとっくにあるわよ。私は自分の行きたい道を進むの、そのためなら一人暮らしをしても構わない!」

 お父さんの迫力(これが父親の威厳なのかな)に負けないようにと声を張り上げるはるちゃん。教授はその姿をじっと見つめていたが、右手の指で目頭を続いてこめかみを押さえて息をはくと、

「何も一人暮らしをすることは無い。お前は私と一緒に家に帰りなさい。そして、ダンスサークルに正式に入部の手続きを取りなさい」

 その言葉を聞き、しばらく何を言っているのかとはるちゃんは間の抜けた顔をしていたが、教授の言葉の意味をやっと理解すると、

「いいの……、本当に私ダンスやっていいの?」

「お前がやりたいのならやるがいい。ただし、私はダンスの世界は何も知らないから、お前を助けることもできないがそれでもいいか」

 はるちゃんは首を思い切り縦に振る。

「うん、大丈夫」

「そうか、私はそれだけが一つの気がかりだったのだ。お前が家を飛び出して最初は腹立たしかったが、時間がたつに連れ、「あいつも自分で自分の道を考えるようになったか」と嬉しく思えるようになった。しかし、それと同時にお前がこの先どれだけの苦労をするか、私はそれを見て何ができるかと考えると……とても苦しかった」

 教授がやつれた理由はそれだったのか、娘に逆らわれた悲しみよりも、これからの娘の将来を気遣ってやつれてしまうなんて……。

「お父さん……。そこまで心配すること無いのに……。私は大丈夫だから」

「うん、そうだな。お前ならきっと大丈夫だよな」

 はるちゃんが、お父さんの言いなりの道から離れたように、教授もはるちゃんから離れる時、いわゆる子離れの時が来たのだ。と私は思った。

「ただし条件が一つある。大学はちゃんと卒業してくれ。せっかく入った大学だ。大学の授業はダンスとは関係ないかもしれないが、お前の将来きっと何かの役に立つものが必ずあるはずだ」

「大丈夫、大学をやめるなんて考えていないわ。だって大学に入ったおかげで楽しい友達や先輩たちに会えたんだもん。ここでやめたらその人たちにも大学に入った私自身にも申し訳ないじゃない」

 はるちゃんのその言葉を聴くと、教授はと「うん、うん」とうなずいた。

 

「しぃちゃん、家に置いてある服は後でまた取りに来るから」

「うん、分かったちゃんと洗濯と、アイロンがけをしておくから」

「それじゃあお父さん、帰ろう」

 はるちゃんとお父さんは手をつなぎながら、店を後にした。

「しぃちゃん、かっちゃん。ほんとにありがとう」

 はるちゃんはお父さんと和解ができて本当に嬉しそうだ。きっと今夜は久々の親子水入らずなんだなぁ。

 そう思いながら、私は目の前のアイスココアのストローに口をつけた。


 その夜――。しぃちゃんからの電話に私は驚いて家を飛び出し、彼女の家へと走った。今回は肉じゃがも和菓子も持ってない。代わりに「日本史」用のノートが一冊。

「はるちゃん、またお父さんと喧嘩したの!?」

 そう叫びながら、部屋の中にいるはるちゃんを見ると……。何やらシャープペンシルを片手にレポート用紙とにらめっこしている。

「日本史のレポートを書くために暫く泊まるって」

 しぃちゃんがはるちゃんのレポートの妨げにならないように小声で私に説明した。

 親子で和解したとはいえ、教授と生徒との関係は別だ。日本史の授業に実は出席していないことがバレてしまったはるちゃんは、前期の課題として毎回出ていた私達よりも倍の量のレポートの提出を求められたのだ。この「レポート倍増」は伊井国教授が毎年出席率の悪い生徒に救済措置として出しているものであり、別に娘だからと言う区別はない。

「そのレポートがもとで喧嘩しちゃったの?」

 私の声にはるちゃんは気づいたのか私を見るなり。

「ノート貸して!」

 と、左手を長く伸ばした。

「別に喧嘩したわけではないのよ。日本史の教授であるお父さんのいる家で日本史のレポート書いているとなんか不公平な気がするからよ。その気になればお父さんに分からないこと質問できるんだもん。それが嫌だからまたしぃちゃんの家に来たの」

 親子でありながらも教授と生徒とのけじめははっきりとつけるはるちゃんと教授。喧嘩はしたけど、二人はやっぱり親子なんだなぁと私は思った。

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