第十六話 ちょっと恋の話
はるちゃんが家出をして四日目――。大学もしぃちゃんのアルバイトも休みなので、私たちは東京ドームの近くにあるショッピングモールへ買い物に出かけることにした。昨日はやっと梅雨らしい天気だったが、今日は晴れている。
「そういえばはるちゃんを入れた三人で休日に出かけるのは初めてだね」
「そうね、いつも私は地元の友達と遊んでいるから」
「椎名町の友達だね」
なんの抵抗もなく笑顔で「椎名町」と発言するしぃちゃん。
「休日はいつも二人で行動しているの?」
今日のはるちゃんはいつも肩にかけている重たいスポーツバックが無いので、身軽である。
「うん、そうだよ。この辺りはよくかっちゃんと来るんだ」
一人暮らしのしぃちゃんには東京での友達はまだ私たちしかいない。そのため私はしぃちゃんが喫茶店でアルバイトの日には地元の友達と会うか家族と過ごし、しぃちゃんが休みの日は二人で会うというパターンがほぼ決まっている。
「そうか……誰か男の人とラブラブデートっていうことは無いのか」
「残念だけど全くございません」
はるちゃんの妄想に早々と水を差す私。ラブラブデートが無いその理由はやっぱりこの名前だ。男の人からは笑いのネタ扱いで今まで最終的に彼女として見てくれた人なんていやしない……うん、最終的に。
「うーん、東京ではそういうことは無いなぁ」
しぃちゃんがそういうからはるちゃんの妄想炎がまたチロチロと復活した。
「おっと、しいちゃん「東京では」と言いましたか。つまり地元では……」
「高校の同級生だったんだけどね。向こうは仙台の大学で私は東京だからそれが原因ですれ違いになって別れちゃった」
しぃちゃんはかわいいし、米沢では「椎名町」なんて駅が東京にあることを知っている人はいないから、彼氏の一人や二人簡単だろうな……格闘技好きだけど。
「そっか、それは残念。でもしぃちゃんはすごくかわいいから東京でもすぐ彼氏ができると思うよ」
「そんなことは無いよ。でもありがとうはるちゃん」
照れる姿がまたかわいいしぃちゃん。しつこいようだがこれで格闘技好きじゃなければ完璧なはずだ。いや、一部の格闘技好きの男の人からは「ミス・パーフェクト」なのかもしれない。
「ところでそんなラブラブデートを熱望するはるちゃんは過去にそういった経験でも」
「人に名前を尋ねるのは自分から名乗るのが礼儀」だからはるちゃんにも過去の恋愛話を少しでもしてもらわなければ。しかしはるちゃんは階段を私たちより三段高いところに立ち、腰に手を当てて
「私は彼氏ができたことは一度も無いわ」
と自信たっぷりに宣言した。
「誇らしげに言うことじゃないでしょ」
はるちゃんは同性の私から見ても綺麗(顔も胸も)なのに。他人の恋愛には興味はあるけど自分は男の人に興味を持っていないのかな。
理由は分からないけどはるちゃんもラブラブな経験は無いわけだ。そういう私の場合は……、自分のことを考えるのはよそう。
「どうしたの?かっちゃん、いきなり考え込んで」
しぃちゃんが心配そうに私の顔を見る。
「いや、はるちゃんが彼氏いないのは男の人に興味が無いせいかなと思って」
私は考えていたことの半分を口に出すことで残りの半分を頭の中から追い出した。
「興味がないというか……。ダンスのほうが好きってことかな」
予想はあながちはずれではなかったみたいだ。
恋の話を適当に切り上げて私たちは買い物モードに突入した。気に入った服(そしてサイズの合う服)をとことん探し、見つけては試着しショッピングモールの中を二時間も歩き回ってやっとお気に入りの服を手に入れた。
服の入った紙袋を持ち東京ドームを右手に見ながらもと来た道――水道橋駅へと向かう。クリスタルポイントと呼ばれているところから階段を下りるとそこはアニメや漫画のキャラクターの衣装を着た人たちであふれていた。
「……何これ?さっき通ったときは誰もいなかったのに」
はるちゃんが人だかりを見て呆然とした。私たちはこの光景をすでに何度も見ている。
「遊園地のそばだからきっと何かのイベントがあるんだよ」
「いまだに何のイベントかは分からないけどね」
この集団の中には互いに写真を取り合っている人たちもいるので、私たちはなるべく撮影の邪魔にならないようにと人だかりを通り抜けた。
「ねぇ、しぃちゃんかっちゃん。トイレってどこある?」
人だかりが落ち着いたところではるちゃんが辺りを見回しながら私たちに尋ねた。
「ここを右に曲がって行くと黄色いビルがあるからその近くにあったと思うよ」
「ありがとう、荷物預かって」
よほど我慢していたのかはるちゃんは服の入った紙袋を置くとしぃちゃんが示した方向へと走っていった。そういえばあのショッピングモール、女性客が多いせいかトイレはものすごく混んでいたな。
「黄色いビルは競馬の馬券販売所だから怖いおじさんに気をつけてねー」
しぃちゃんがはるちゃんの背中に声をかける。いや、いくら競馬の馬券を売っているところ(ウィンズと呼ばれている)だからって必ず怖いおじさんがウロウロしているわけないと思うけど。
逆にしぃちゃんならあそこのおじさんたちにかわいがってもらえるかもしれない。「おじさんのアイドルしぃちゃん」か……。と思ってしぃちゃんの顔を見つめていると
「うん?かっちゃん、どうした」
と不思議がられたので、私は「アイドルしぃちゃん」の考えを打ち消してごまかした。
「ん、いや……、しぃちゃんの付き合っていた人ってやっぱり格闘技好きだったのかなって……」
こう発言した後で私はしまった、と思った。昔の彼氏のことを質問するなんて彼女の古傷に触れることではないのか。
ところがしぃちゃんは、「そうなのよー」と「元彼と格闘技と私」をテーマに熱くかたり始めた。専門用語がかなり出ていたのでよくわからなかったけど、しぃちゃんの格闘技好きは彼の影響ではないということ。(じゃあ一体何が原因だ)
あとしぃちゃんは「立ち技」中心の格闘技が好きで、彼は「総合系」の格闘技が好きという違いがあり、それが別れる原因の一因にもなったようだ。
話に一区切りついたところで、
「そういえばはるちゃん遅いね」
と黄色いビルの方向を見た。時計を見ると十五分ぐらい経っている。あそこのトイレが混んでいたらこのぐらいかかるかもしれないけど空いているならば少々長いトイレだ。
「ちょっと見に行こうか。はるちゃんはこの道しか知らないから行き違いにはならないだろうし」
「怖いおじさんにからまれているかもしれないしね」
またまたしぃちゃん冗談を。と思った私だったが、その予想は半分当たっていた。
はるちゃんはトイレの前で若い男の人三人と言い争いをしていた。たちの悪いナンパだと思ったがそれだけではなかった。
「どうした、はるちゃん!」
私たちが現れたのを見て男達のほうはテンションが高くなったらしい。
「ちょうどいいや、三対三で飯でも食いながら「鎌倉の課題」について話し合おうよ」
「いやよ、お父さんが毎年どんな問題出しているかなんて私に分かるわけ無いでしょ」
「じゃあなんとかして分かるようにして俺達に教えてくれよ」
「嫌だ、お父さんと私はなんも関係ないわよ!問題なんて知りたくも無いわ!!」
はるちゃんたちの様子を見て話している内容は大体読めた。おそらくこの男達、はるちゃんが伊井国教授の娘だと言うことをどこかで知り前期テストの課題を彼女から聞きだそうとしているのだろう。むかし中学校が舞台の学校モノのドラマでこういうシーンがあったけど、現実にこういうことがあるとは思っても見なかった。しかもいい大学生がそんなことを考えるなんて。
それによりによってはるちゃんがお父さんと喧嘩して家出中のときにそんな非常識なズルを彼女に持ちかけるなんて非常識に輪をかけて非常識だわ。
「関係ないわけないだろ、「鎌倉の娘」のくせに!」
男の一人がこう叫ぶと、はるちゃんの目がキッときつくなりわなわなと震えだした。「鎌倉の娘」は、はるちゃんが昔から気にしている言葉(私でいう「御徒町」だ)――。そして今の彼女にとって冗談でも一番聞きたくない言葉だ。
もう我慢ができない、ズルしようとした上に「鎌倉の娘」呼ばわりなんて、はるちゃんは好きで「鎌倉の娘」になったわけじゃないわよ!
それに女だからって男が脅せばなんでも言うこときくと思っているみたいだけど、そんなわけないじゃない、なめんじゃないわよ!
思い切りグーで「鎌倉の娘」と言った奴を殴ろうと右手を握り締めた瞬間、目の前をすっと何かがよぎり、同時に私の耳に「バチン」という大きな音が響いた。