第十三話 西郷さんと家出
毎週木曜日の夜八時――。この時間はテレビのチャンネル権をお父さんとお爺ちゃんに占領される。この時間帯にやる「大時代劇ドラマ」を楽しみにしいるのだ。
一年間続くというこの大掛かりな時代劇を二人は毎年一回も欠かさずに見る。どうしても無理なときは再放送あるいは録画で見るという徹底ぶりである。
その徹底さは主人公が二人の大嫌いな人物である今年も例外ではなかった。なんだかんだと文句を言いながら最後まで見る二人を見て、私は(文句を言わないか見ないかのどちらかにしろ!)と心の中で毒づいてしまう。
「土方、橋の下橋の下」
「ええいっ、幕府を守るといっておきながらこの役立たずぶりはなんだ」
今日の文句はめずらしく違う人物に向けられている。
「一体どうしたのよ。二人とも幕府側の人間に毒づくなんて」
私がこの番組に興味を持ったのをめずらしそうに眺めた後でお父さんが答えた。
「今土方が立っている橋の下に桂小五郎が変装して隠れているんだよ。それなのに新撰組の奴らときたらそこへは見向きもしないであっちへウロウロこっちへウロウロ」
今年の主人公は「桂小五郎」である。後に名乗った「木戸孝允」という名前のほうが知名度は高いだろうか。江戸幕府を倒し、明治維新の中心人物となった人である。
今日の放送は京都の河原町にて小五郎が新撰組に追われて絶体絶命のピンチに立たされるという回である。まさに正義のヒーローの危機!
ところが先祖が幕府に仕えていた私たち一家から見れば仇のようなものだ。テレビの中の話とはいえ、(もっともテレビの中の話だからかもしれない)仇が斬られる姿をみないと気がすまないらしい。
「ここでにっくきあいつを斬っておけば徳川の世はまだ続いたのに」
「そうだよな、親父。俺たちも武士であり続けていたのに」
すっかりお酒が入っている二人。文句も現実的ではない方向へと向かっている。
「そんなこと言ったってしょうがないじゃない。結局小五郎は斬られないんだから。もしここで小五郎が斬られていたら私は生まれていなかったかもしれないし」
「お前は夢のない、そして大げさなことを言うな」
少なくともさっきのお父さんたちよりはまともだと思うけど。
「そんなに桂小五郎が嫌いならどうして西郷さんは好きなのよ。小五郎と同じ幕府を倒した人間でしょ」
「ええいっ!何度も言わせるな。西郷さんは特別なのじゃ」
話が長くなるので代わりに私が説明すると、今から約百四十年前に起きた上野の戦争で当時御徒町にあった私たちのご先祖様の家は新政府軍の拠点として使われ、家の中はめちゃくちゃにされてしまったのだ。
これからどうしようと途方にくれながらご先祖様が家の中を片付けていたところに新政府軍の大将である西郷さんこと西郷隆盛がたまたま通りかかり、
「なんとひどいことでごわすか」
というようなこと(本当はもっと訛っていたらしい)を言って西郷さんは思わず目が潤んでしまった。
それを見たご先祖様は彼を慰めようと無事に残っていた和菓子(本来将軍様に献上するためのもの)を食べさせた。西郷さんはその美味しさに感動してうれし涙をながしたそうだ。
お腹一杯に和菓子を食べた彼は和菓子のお礼と自分の部下が家を壊した謝罪を兼ねてそのとき持っていたお金を全てご先祖様に与えて次のようなことを言った。
「侍の世はもう終わりでごわす。これからおはんらはこの和菓子を売って暮らしていくがよかでごわす」
西郷さんが持っていたお金はかなりの額だったそうで、おかげでご先祖様は今の場所へ家を建て、「和菓子を作れる武士」から本当の「和菓子屋」へと転身することができた。
「西郷さんは鹿児島に帰られた後も、ご先祖様にサツマイモとサトウキビを送り続け、この和菓子屋を支えてくださったのじゃ。だが……」
お爺ちゃんの話が「第二部・西郷さんの最期」へ移ろうとしたところで、私の携帯電話が鳴り出した。
「はーい、しぃちゃん」
『かっちゃん、大変だよ』
「えっ…!!」
しぃちゃんから話を聞き、電話を切った私はすぐに玄関へと向かう。
「ちょっと友達の家に言ってくる」
「真知、ちょっと待った!」
靴を履いたところで仁王立ちになったお爺ちゃんが待ったをかける。
「お爺ちゃん……なにか用?」
お爺ちゃんの顔はかなり真剣だ。恐々と私は尋ねる。
「その友達の故郷はどこだ?」
「はぁ!?」
しぃちゃんのアパートは「よみせ通り」の谷中側入り口のすぐそばにある。私の家から計ると約五分の距離だ。商店街のスピーカーから流れる演歌を聞きながら私は鍋と和菓子の包みを持ってしぃちゃんの部屋の前に立つ。
チャイムを鳴らすと中からしぃちゃんの「はーい」が聞こえ、しばらくしてドアが開きエプロン姿のしぃちゃんが登場した。
「かっちゃん、上がって」
「うん、お邪魔するよ。あっ、そうそうこれお母さんが「余り物だけど、どうぞ」って」
私はしぃちゃんに鍋を手渡した。
「うわーっ、肉じゃがだ。ありがとー」
「えっ、肉じゃが!?」
Tシャツにジャージという楽なかっこうをしたはるちゃんが奥の部屋からバタバタと出てきた。私はまるで夫婦の家にお邪魔する隣のおばさんのようだ。
「これから晩ごはんを作ろうと思っていたんだけど、助かったわ。かっちゃんも食べる?」
「いや、私はもうすでに家で食べてきているから……。あとこれもどうぞ」
と、和菓子の包みを二人に見せる。
「これって、かっちゃんの家のお菓子?悪いよ、こんなにもらって」
「お爺ちゃんの言うには「上杉は味方だったから是非受け取ってくれ」と……」
しぃちゃんの実家は山形県の米沢市にある。それを聞いたお爺ちゃんはなぜか上機嫌になり、自らお菓子を包んで私に預けたのだ。
「よく分からないけど頂くね。ありがとう」
はるちゃんしぃちゃんの後に続いて私はしぃちゃんの部屋に入った。ここに来るのは三回目だ。
しかし、この部屋の世界を見るといつも戸惑ってしまう。いかにも女の子らしいピンクや赤系の色を基調としたカーペットやカーテン・家具に囲まれた室内にところどころある格闘家のポスターやぬいぐるみがあるのだ。
しぃちゃんは毎日このぬいぐるみを抱いて寝るのだ。もしおとぎ話に出てくる白馬に乗った王子様が寝ている彼女にキスをしようした場合、このぬいぐるみを見てキスすることをためらってしまうだろう。(もっとも格闘技好きのしぃちゃんのことだから、寝込みにキスしようとする王子様の無事は保障できない)
そんな異色の世界に目が慣れたところでしぃちゃんが用意したオレンジ色の座布団に座った。
「しぃちゃんから聞いたときは「大変だ!」と思ったけど、元気そうでよかったよ。はるちゃん」
はるちゃんは家に帰った後、お父さんである伊井国教授にダンスのことをついに話したのだ。しかし大反対を受けてしまって喧嘩になってしまった。
「そんなにこの家が嫌ならば出て行くがいい!」
たぶんどこの家でも一度は必ず親のほうから出る台詞である。私の家では小さい頃はしょっちゅう出ていたな。今でもごくたまにあるけど。
しかし、はるちゃんの家ではこの台詞を言うのも聞くのも初めてだった。それを聞いたはるちゃんは「じゃあそうするわ!」と数日分の着替えをいつものスポーツバックに放り込んで家を飛び出した。
「いや、ここまで来たからにはとことんやらなきゃと思って。まず動かなきゃと思ったら飛び出していた」
そう言うはるちゃんに落ち込んでいる様子はない。
「そろそろご飯にしようか。かっちゃんも食べる」
しぃちゃんがお味噌汁の入った鍋を持ってきた。
「いや、私はもう家で食べてきたから」
「そっかー、商店街でメンチカツを買いすぎちゃったから一緒に食べようと思っていたんだけど」
キッチンにあるメンチカツの数を見るとどうやら商店街中のメンチカツを売っている全てのお店から買ってきたようだ。
「谷中銀座はメンチカツが有名だからね。肉じゃがは冷蔵庫で冷やしておいて明日の朝ごはんにするといいよ」
「うん、そうする。ありがとう」
というわけで夕ご飯を食べながらはるちゃんのこれからについて話し合うことになった。結論としては徹底抗戦である。お父さんがはるちゃんの主張(ダンスサークルに入ることとお父さんのあとを継がないことの二点)を受け入れない限りはるちゃんはしぃちゃんの家に居続けることと決まった。
しかしその条件としてしぃちゃんは、はるちゃんが履修している全ての授業に出席することを提示した。
「まだ何も決まっていないうちに、自らの将来を不利に追い込むことは無いと思うのよ」
大学の授業自体には抵抗はなかったので、はるちゃんはその条件を受け入れた。
「というわけで、今までの授業のプリントとノートのコピーをよろしくお願いします」
同学年同学部で同じクラスなので、予想していたが私としぃちゃんとはるちゃんが取っている授業はほとんど七割ほど同じであることが分かった。いつも嫌な授業になるとどこかへ行ってしまうので、彼女の履修スケジュールを全て把握してるわけではなかったのだ。
「もーう、はるちゃん。これで取っている授業が全く違っていたらどうするつもりだったのよ……」
「まあそんな全く違うってことは無いと思っていたけど、そのときはその時だなってね」
はるちゃんはへんなところで思い切りが強い。
この日は私もしぃちゃんの家へ泊まった。もうすぐ七月なせいか、タオルケット一枚でも寒くはない。
寒のことより私にはどうしても一つ気になる点があった。
「ねぇしぃちゃん。北ってどっち?」
「うん?北はあっちだけど、かっちゃんは北枕が気になる人?」
「それとも何かの風水の影響?」
はるちゃんは楽しそうに床を転げまわっている。タオルケットに巻かれている姿が少しセクシーだ。
「うーん、先祖代々からの家訓で私はご先祖様が住んでいたところへは足を向けて寝ていられないのよ」
将軍様が昔住んでいた江戸城はもちろん、徳川一門の御三家が住んでいた水戸・名古屋・和歌山の方向、さらには西郷さんのいた鹿児島へも(つまり北東から時計回りに南西まで)足を向けて寝ることは我が御徒家には許されないのだ。
「ご先祖様が北にも西にも住んでいたらどうするつもりだったの?」
「……そうじゃなかったからそんな家訓ができたんだよ」
どこへも足を向けずに立ったまま寝ろと言われてしまったらたまらないわ。
というわけで、私たちは仲良く北へ足を向けて眠りについた。