3 消したい男
「あの子の父親がまっとうに生きているとは思えないのです。」
天川折姫がすべてをシークレットにして執筆活動だけに集中してきたのはどうやら、その父親に原因があるのだろうことはすぐに察することができた。
「名前は?」
「皆藤 渉。47になるはずです。」
「失礼かもしれないが、知り合ったきっかけや、別れたいきさつをお話いただけますか。」
「皆藤と付き合いがあったのは、私が25の頃です。2年付き合って、離れて、もう20年になります。」
「20年?」
「ええ、20年です。」
「娘がお腹にいるときに別れたのです。もっとも、気がつかなかったのですけど。妊娠している事に。」
「知っていたら、離れることはなかった?」
「いえ。別れたはずです。まちがいなく、離れましたわ。」
「その頃、元町にあるピアノバーで私はピアノを弾いていました。昼間は普通に仕事をしていたのです。仕事仲間となんとなく入った店がピアノバーで、店先でアルバイト募集の張り紙を見つけて。ずっと小さいころからピアノをやっていたので、やってみようかと思って。会社に内緒でアルバイトしたのです。そして、その店でバーテンをしていた皆藤と知り合いました。」
「なんていう店です?」
「ピアノバー・エンジェル」
「それで?」
「いつの間にか付き合うようになり、皆藤の自宅に行ったりするようにもなりました。優しいし。時折見せる寂しそうな影の部分も、当時の私にはとても魅力的に見えたのです。」
「魅力的ねぇ」
俺の言った言葉に、『バカだと言いたいのでしょ、どうせ。』と言った風に、天川折姫は続けた。
「ほんと、バカでした。自分にはない世界に生きていたのでしょうね、皆藤は。皆藤との世界に憧れてしまったのですよ。若かったのかもしれません。」
そこまで言うと、黒田が遮るように口をはさんだ。
「天川先生。辛いようなら、私から話しますよ。」
「あ、大丈夫よ。私からお話しします。もう、すべてご信頼申し上げるしか私には方法が無いのよ。だから、覚悟をして来ているから、大丈夫。」
――覚悟――
俺はその時、どれほどの覚悟なのかきいてみようじゃないか、と思ったのだった。
「そのうちに、だんだんと本性を見せ始めたのです。」
「本性?」
「そう、獣の本性です。」
「どんな?」
「相当お金に困っているようでした。ある日、『120万を用立ててくれないか』と言われ、ほっておけばいいのに、貸しました。」
「120万も貸した…」
「ええ。当時ピアノでアルバイトしているとは言え、単にOLだった私にとって120万円は大金でした。貯金半分、サラ金から半分借りて。大バカでした。」
「他にも貸した?」
「ま、2万くらいのお金を何度か。」
「全部でいくらくらい?」
「さあ、数えませんでしたから。」
「なぜ?」
「途中から、なんとなくわかったからです。」
「途中?」
「もっと早くに気が付くべきでした。でも、それくらい、好きだったと思ってください。本当に好きだったんです。」
「返してもらった?」
「いえ、そのままです。だって、どうでも良かったのですもの。」
「どうでも?」
「お金なんてどうでもいい。早く離れたい…ただ、それだけ。次から次へといろいろ起きるし。」
「それで別れた?」
「拳銃だ、クスリだなんだと関わりたくない話が度々出てくるようになりました。」
「拳銃…」
「ええ。」
「その話、警察にしました?」
「いえ。」
「なぜ?警察は20歳の娘が失踪したからと言ってすぐには動きません。事件性が無いと判断するから。男が居ると判断すれば、一緒に行動している、だから事件ではない、って思うわけですよ。もう少ししたら、帰ってくる。ってね。わかるでしょ、適当に楽しんだら帰ってくるから、とりあえず、しばらく様子を見よう、となるわけですよ。実際、家族が警察行っても、適当にあしらわれてしまう。まぁ、だからこそ、こっちはガキの失踪人捜索で忙しいわけなんだが。
でもね、可能性として、その父親が、拳銃だ、クスリだとやばいものに手をだしているのなら、すぐに動きますよ。重要犯罪ですからね。わかりますよね。本当に探しだしたいのなら、さっさとその話をするべきでしょ。」
ふうっっと長い息を吐きながら天川折姫は言葉をつづけた。
「拳銃も、クスリも皆藤が私に話をしただけで、それを持っているところを見たわけでも、使っているのを知っているわけでもないのです。警察に言うほどの事ではないのかもしれません。でも、関わるのはやめよう、そう決心したのです。強い意志をもって別れました。」
この時の天川折姫の瞳は子供を思い、何日も眠っていない、さっきまでの虚ろな表情とは違っていた。
「拳銃は、関西から貨物に張り付けて運ぶのだと言っていました。」
「貨物…」
「ええ、貨物のコンテナにガムテープか何かで貼り付けておくのだ、と。」
「クスリも同じように。」
「耳にしたのはそれだけです。でも、私にはリアルに想像できたのです。皆藤は長距離貨物のドライバーをしていた事もあったのです。目を瞑らなくても、皆藤がそのような事をしている様子が、私には本当にリアルに見えたのです。」
「他には?」
「皆藤と一緒に歩いていた時に、ブレーキもかけずに左折しようとしたタクシーがあったのです。」
「タクシーが?」
「ええ、私が歩を緩めて、立ち止った時、皆藤に怒鳴られました」
「なぜ?」
「当たれ、と言われたんです」
「当たれって、ケガするでしょ」
「あのスピードじゃ死ぬことなんてない。だから当たれと。その代わり…」
「代わりに、俺が金を取ってやる、と言ったのですね」
付き合った女の命さえ、金に換えようとする男。付き合ってゆくうちに本性を見せ始めた、ってことか。
そこまで云うと、黒田が言った。
「天川先生は皆藤渉と言う人物がお嬢さんの失踪に絡んでいるのではないか、とそれだけを心配しているのです。だから、ここにこうして…。」
「拳銃と、クスリと、20歳の娘の失踪ね。」
俺はこの時、こりゃまた厄介な仕事が廻って来たぞ、と思ったのだった。
「皆藤渉の住所とかわかります?」
俺が訊くと、天川折姫は用意してきたメモを一枚出したのだった。
――横浜市中区本牧Ⅹ―Ⅹ
皆藤 渉
「こりゃ、近いね。写真はある?」
「写真は別れた頃に全部処分しました。その住所は20年前に住んでいたところの住所です。忘れたかったのに、結局忘れられなくて。」
「本牧ね。調べておきますよ。」
俺が『調べておきます』と言った時、天川折姫の口元が少し緩んだように見えた。あれはいったい何だったのだろう。その緩みをほほ笑みと思ったのか、隣にいた黒田は言った。
「良かったですね。天川先生。とにかく、高山さんにお願いして、私もホッとしました。こんなときに何ですが、執筆も頼みますよ。」
「黒田さんったら、またお尻を叩く気ね…。」
「いやだなぁ。僕はお尻なんて叩いた事ないでしょう。天川先生は、いつも期限通りだし。締め切りに遅れたことなんて一度もない。編集者にとっちゃ、何よりもありがたい先生ですよ。」
「ほぉ、筆が早いのですか?」
と、言うと黒田が言った。
「いや、早いのなんのって。最近の先生は皆さん、ワープロお使いですが、天川先生は完璧なブラインドタッチだし。いや、見ていて惚れ惚れしますよ。とにかく、早い。」
「じゃあ、とにかく早く解決させて、次の作品を楽しみにしているファンに答えなければならないのが俺の仕事ってことだ。」
「そうですよ、頼みますよ。高山さん。」
「じゃ、天川さんを駐車場まで送ってきます。そしたらもう一度戻ってきますので。」
そう言うと、黒田はドアを開け、天川折姫をエスコートするかのようにドアの向こうに消えて行った。
「さてと、どうするかな…。」
娘の恋人からあたるか、母親の昔の男からあたるか…。それとも…。
そんな事をいろいろ考えているうち、どれくらい経っただろうか、黒田が事務所に戻ってきた。
「いやぁ、突然天川折姫を連れて来てしまって、すいません。」
黒田はそう言った。
「しかし、この辺りは小さい駐車場が多くって。天川折姫はマセラッティに乗っているんですけどね。なかなか入れやすいとこなくて大変でしたよ。」
「ああ、パーキングも無くなって、更地になって、結局そのままのところが多いのさ。不況ってことなんだろうね。」
「すいませんね。失踪人捜索ばかりで。」
「いや、久しぶりに血が騒いだよ。とにかく、ガキ、しかもチーマーだのなんだの、野郎ばっかりなんだ。」
「それにくらべりゃ、天川折姫は良い女でしょう。さっき、高山さんは、娘の事を『天が二物を与えちまった』って言いましたけど、天川折姫もまさにソレですよ。同じくらいの歳の作家は沢山いますけどね。本当の意味で、テレビに映したいのは天川折姫でしょう。品もあるし。」
「でも、本人が出たがらないんだろう。」
「ええ。どんなに説得してもだめ。」
「理由は?」
「え、理由?」
「そう。理由」
「僕は純粋に昔の男に関わりたくないだけだと思いますけど。露出が増えれば当然、娘の父親の目に留まることもあるでしょうし…。」
「それだけ?」
「え?」
「他には?」
「いや、それしか聞いていませんよ。もともと、天川先生は週文社の専属になる前から、ペンネームでいろいろ執筆していたようですけど、今のようにサスペンスを主流にしていたわけじゃないんですよ。言ってみれば、「社会派」ってやつです。その時折、世間を賑わすような、たとえば、「保育園の待機児童問題」「偽装請負」「早期退職」そんな社会面の記事のキーワードになるようなものをテーマにいろいろ書いていたんです。それが、うちで募集した『ミステリーロマン大賞』からは、そのキーワードにさらにミステリー色を鮮明にプラスしてブレイクした。以前の作品よりパワーアップして、読者に受け入れられましたけど、それからも一切テレビには出たがらない。
『私は描き手だから』と言うのですよ。文字を書くの「書き手」じゃなくて、自分が読者に届けるための鮮明なビジュアル、映像を映し出す「描き手」だと。描いている私が表に立つ必要はないのだと言って、結局今のスタイルに落ち着いています。」
「それほど、その昔の男、えっと、皆藤渉ってやつとは関わりたくない、ってことなんだろうか。」
「でしょうね。金づるにされたくないのでしょ。週文社としても、安心して執筆して欲しいので、そのあたりは全面的にフォローするつもりですし。今だって、ずいぶん気を使ってますよ。」
「仮にだけど。」
「なんです?」
「週文社関係者から、天川折姫の素性がその、皆藤渉に洩れている可能性は?」
「え、高山さん。勘弁してくださいよ。」
「だってよ、週文社しか知らないなら、そこから伝わったとしか思えないだろう。さっきの感じじゃ、天川折姫は、娘を連れだしたのは、皆藤だって思っている感じだったし。」
「あり得ないと信じたいですが。もしうちからだって言うのなら、知っているのは、私と、娘が失踪した日に原稿を取りに行った芝原。あとは、編集長の今野。あとは、重役連中ってとこですね。」
「そう。ま、調べさせてもらうよ。そのうちなんかわかるだろうし。」
「良かったですよ。そう言ってもらえて。経費関連はいつかのように1カ月でまとめて請求してください。えっと、着手金は50。娘の居所を突き止めて連れ戻した時点での成功報酬で250です。」
「おい、からかってるのか?」
何しろ、ガキを追いかけているのとはケタが1つ多かった。からかっているのか、と言ったあとで、そうか、天川折姫が俺に頼みたいのは、『娘の失踪』じゃなくて、『皆藤渉』の方なんだろうな、と思った。拳銃とクスリだものな。
「やばいことに関わっているかもしれません。何かまずい事が起きたら、即、警察に届けていただいて、高山さんは手を引いてください。それでも、成功報酬の半額は支払いますよ。」
「週文社が?」
「天川折姫が。ですよ。窓口は僕なんで、何かあったら連絡ください。次の締め切りが迫っているので、天川折姫は静かにさせてやってください。」
「わかった。」
「で、他に何かありますか?」
「娘だけど。」
「?」
「いや、いい。調べりゃわかるだろうから。何かあったら連絡するよ。そうそう、天川折姫のマセラッティは何色だい?」
「濃紺のガブリオレですよ、それが何か?」
「いや。ずいぶん派手な車に乗ってるんだな。と思ってね。」
「天川折姫ですからね。カローラじゃ話にならないじゃないですか。じゃ、着手金は今日中に天川折姫本人が振り込みますから。以前の口座で良いですか?」
「ああ。」
「よろしく頼みます。」