収穫祭の料理競いで優勝した下働きの私に、旅の商人が「一緒に屋台をやろう」と言い出した
収穫祭の朝、私は雇い主のバルドさんに、エプロンを取り上げられた。
「ノエラ、お前は下働きで十分だ。祭りの屋台は、息子のレドと常連の職人で回す。お前は裏の天幕で、芋の皮でも剥いてろ」
食堂「大鍋亭」の軒先には、もう祭りの提灯が並んでいる。一年で一番客が来る日。私はこの日のために、三か月前から献立を考えていた。なのに、出番なし。芋係。しかも大量の。
(下働きで十分、か。……まあ、言いたいことは分かるけど)
私は大鍋亭で働いて四年になる。仕込み、火加減、まかない。表に出るのはいつもバルドさんとレドで、私の名前が呼ばれることはない。客は店の看板につくのであって、私の腕につくのではない。バルドさんはそう言いたいのだろうし、私も長く、そう思ってきた。
「分かりました。芋、剥きます」
天幕の裏で芋の山に向き合って、十分。手が止まった。
嫌だな、と、思ったのだ。祭りの匂いがする。焼ける粉、甘い果実、香草。広場の方からは太鼓の音。私の料理を、今日、誰にも食べてもらえない。それが、思ったよりずっと嫌だった。
「剥くの、早いね」
声がした。振り向くと、食材を卸しに来る旅の商人、ユーリスが立っていた。籠いっぱいの香草と、見慣れない青い実を抱えている。
「……ユーリス。卸しなら表に」
「済ませた。バルドの旦那、今年は屋台の倍の食材を仕入れてたよ。あの量、レド君たちで回せるのかな」
「回せるんじゃないですか。私は下働きで十分だそうですから」
「へえ」
ユーリスは青い実を一粒、私の掌に乗せた。
「じゃあ聞くけど。その『下働き』が毎朝作る汁物、市場の連中が『大鍋亭の朝汁』って呼んで、開店前から並んでるの、知ってる?」
(……え)
「知らない、か。だろうね。あんたはいつも厨房の奥だもん」
ユーリスは広場を顎で指した。収穫祭の料理競い。今年は一般参加の屋台部門がある。出店料は、優勝賞金の十分の一。締め切りは、昼の鐘まで。
「あんたの分、立て替えておくよ。食材も、俺の売れ残りでよければ卸値でいい」
「なんで、そこまで」
「商売だよ。あんたの料理は、売れる。それに――」
彼は少し笑った。
「芋剥きにしておくのは、もったいない」
昼の鐘の前に、私は料理競いの屋台部門に名前を書いた。出店場所は広場の隅、小さな貸し屋台。看板もない。あるのはユーリスの売れ残りの食材と、私の四年間だ。
売れ残り、というのは謙遜で、実際は訳あり品だった。形の崩れた根菜、端の部分だけの塩漬け肉、熟しすぎた実。普通の屋台なら避ける。でも私は大鍋亭の厨房で、ずっと、そういうものと付き合ってきた。賄いも仕込みも、余りものを「ごちそう」に変えるのが私の仕事だったから。
作るのは一つに決めた。葉包み焼き。
麦粉の薄い生地で、刻んだ肉と根菜、香草を包み、大きな葡萄の葉で巻いて、炭火で蒸し焼きにする。食べ歩きができる。両手が空く。祭りの屋台に必要なのは、まずそれだ。
問題は味の決め手だった。大鍋亭の名物は濃い味付けの煮込みで、祭りの客は昼から晩まで食べ続ける。濃いだけでは、途中で飽きる。
ユーリスがくれた青い実――山葡萄の未熟果は、齧ると舌がしびれるほど酸っぱい。
(これ、そのままじゃ無理。でも、火を通して、蜂蜜と合わせたら……)
試しに少量を潰して、蜂蜜と塩と、ユーリスの香草を一摘み。舐めてみる。酸味が丸くなって、後から香りが立つ。肉の脂を切って、次の一口を誘う味になった。
「……いける」
隣で見ていたユーリスが、目を丸くした。
「その実、三年売れ残ってたんだよ。あんた、よく使う気になったね」
「だって、ここにあるもので勝負するしかないので」
「それが出来るのが、あんたの腕だって言ってるんだ」
(この人は、いつもこうだ。私が「誰でもできる」と思っていることを、「あんたの腕だ」と言い切る。……慣れない。少し、困る。悪い気は、しない)
昼過ぎ、屋台を開いた。最初のお客は、市場の八百屋のマレおばさんだった。
「あんた、大鍋亭の奥の子だね。朝汁の」
「え、知ってるんですか」
「知ってるも何も、あの汁が飲みたいから祭りの買い出しは大鍋亭の前に並ぶのさ。……あら、これ美味しいね。包み焼き、二つ包んで。孫にも食べさせる」
二人目、三人目。気づけば、私の小さな屋台の前に、人が立ち止まり始めていた。
鍛冶屋のトマは三つ買って、「大鍋亭の朝汁の味だ」と言った。花売りの姉妹は半分こして食べ、姉の方が「葉っぱまで美味しい」と妹に自慢した。市場の顔見知りが、次々に足を止める。
「考えてみればさ、大鍋亭で『今日は汁が美味いな』って日は、いつもあんたが奥にいた日だよ」
「冬の市じゃ、あんたの根菜の煮込み目当てに、わざわざ遠回りしたもんさ」
(……知らなかった。本当に、知らなかった)
看板の陰で四年。客の声は厨房には届かなかった。届いていたのは「下働き」という呼び方だけだった。でも、味の方は、ちゃんと届いていたらしい。届いて、覚えられていたらしい。
ユーリスが、試食用の小さな包み焼きを三つ、私の前に置いた。
「審査用に、もう一工夫いる。夕方までに客の腹は膨れる。審査員も同じだ。最後の一口が軽いやつが勝つ」
「じゃあ、ソースを二段にします。包みの中は濃いめ、外の葉には酸味のソースを薄く塗って、食べ終わりがさっぱりするように」
「……ほら、また出た」
「何がですか」
「その『審査員の腹具合まで読む』やつ。あんた、それ、誰にでもできることだと思ってるけど、四年現場にいなきゃできないやつだよ」
私はソースの仕込み直しに取りかかった。蜂蜜の量を減らし、青い実の酸味を立てる。葉に塗る分と、中に忍ばせる分。火加減は三度変えた。ユーリスは黙って、薪をくべ、実を潰し、私の指示で香草を刻んだ。旅の商人が、である。
「手伝わせて悪いですね。出店料、立て替えてもらった上に」
「いいんだよ。俺は投資してるんだ。……あんたが勝つ方にね」
気づけば屋台の前の列は、広場の石畳を半分横切る長さになっていた。私は列の人数を数えようとして、二十を超えたところでやめた。数えるより、焼く方が先だった。
審査は夕方だ。それまでの売れ行きと、審査員と観客の投票で決まる。私は包み焼きを作り続けた。生地を伸ばし、具を包み、葉で巻き、火にくべる。四年分の手つきが、体に染みている。
その間、広場の向こうの大鍋亭の屋台は、昼を過ぎたあたりから、少しずつ騒がしくなっていった。
注文の声。怒声。並んだ客が、一人、また一人と列を離れる。レドの焼く肉は焦げ、バルドさんの煮込みは、昼の分が早々に底をついたらしい。倍仕入れた食材は、厨房の中で手つかずに積まれていると、買い出しに来た常連さんが教えてくれた。
「旦那、祭りの注文、回ってないみたいだよ。夕方の祝宴の四十人前も受けてるのに」
(……四十人前。あれ、私が先月、献立まで組んだ分だ)
バルドさんは、私なしで回ると思ったのだ。看板があれば、誰が作っても同じだと。
私は手を止めなかった。今は、私の屋台のお客が先だ。
夕方、料理競いの審査が始まった。
審査員は三人。領主館の料理長、祭りの世話役の長老、そして今年は「客の代表」として市場の子どもたちが五人。評価は審査員の点数と、観客が一人一枚持つ投票の木札で決まる。
出場は六軒。最初の屋台は王都帰りの職人の店で、皿も盛り付けも見事だった。二軒目は毎年上位の菓子屋で、甘い香りに観客が沸いた。私は出番を待ちながら、手の汗をエプロンで拭った。
(私のは、見た目は地味だ。葉っぱの包みだ。……でも、味は。味だけは、負けないはず)
私の包み焼きは、最後から二番目に出た。
料理長が一口食べて、黙った。長老がもう一口。子どもたちの一人が叫んだ。
「これ、さっき屋台で食べたやつ! もう一個買ったもん!」
「ずるい、私まだ一個!」
「おかわりは審査の後!」
笑いが起きた。料理長が、ようやく口を開いた。
「……この酸味は、なんだね」
「山葡萄の未熟果です。蜂蜜と合わせて、ソースにしました」
「未熟果を。よく火入れの加減が分かったね。脂を消して、香草を立てる。祭りの食べ歩きで、最後まで飽きさせない設計だ」
彼は私の手元を見た。
「包む速さも、葉の巻きも、現場の人間の仕事だ。君はどこで働いて?」
「大鍋亭で、下働きをしています」
「下働き」
料理長は、向こうの大鍋亭の屋台を一瞥した。あちらでは今も、煙と怒声が上がっている。
「あの店は、宝を裏の天幕に置いていたわけだ」
投票の木札が、係の籠に集められていく。私の屋台番号の籠だけ、係が二回、籠を空にしに来た。木札の山は、数える係の手が追いつかないほどだった。後で聞いた話では、配られた木札は四百枚ほどで、私の籠にはその半分近くが集まっていたという。王都帰りの職人の店の、倍以上だった。
大鍋亭の屋台は、審査の間も休めなかった。列はとっくに消え、代わりに、昼に食事を待たされて帰った客が数人、代金のことで言い合っているのが見えた。倍仕入れた食材の山は、結局、火の通らないまま夕日を浴びていた。レドが炭に水をかける音が、広場にむなしく響いた。
「ノエラさん、さっきの包み焼き、晩ごはん用に包んでもらえる? 六つ」
「うちは十個。明日の朝、領主館の祝宴にも出したいって、料理長が」
「並ぶなら今のうちだって、市場の連中が!」
声、声、声。私は数を数えるのが、だんだん怖くなった。さっきまで「下働きで十分」と言われた人間が、祭りの広場で、行列の先頭に立っている。
結果発表。優勝は、私だった。
太鼓が鳴って、賞金の袋と、来年の収穫祭の屋台区画の権利証が渡された。権利証は、ただの紙切れだ。でもそれは、来年、私が自分の名前で屋台を出せる、ということだった。
(私の、名前で)
そのとき、群衆をかき分けて、バルドさんが来た。顔は真っ赤で、エプロンは煤だらけだった。
「ノエラ! 今すぐ店の屋台に戻れ! 祝宴の四十人前、このままじゃ落ちる! お前が組んだ献立だろう!」
「はい、組みました。でも私は今朝、下働きで十分だと言われて、屋台を外されました」
「あれは、あの、言葉のあやだ! 戻れば来年は――」
「バルドさん」
私は、四年で初めて、彼の言葉を遮った。
「来年は、私、自分の屋台を出します。……今日の祝宴の分は、困っているお客さんのためなら、手伝います。ただし、私の名前で、私の献立として、対価をいただきます」
広場が、ざわっとした。料理長が頷き、祝宴の四十人前は、その場で「優勝者ノエラへの依頼」として発注し直された。対価は、大鍋亭の屋台の今日の売り上げより、多かった。
バルドさんは何か言いかけて、結局、帽子を取ってうなだれた。彼の屋台の提灯は、祭りの夕暮れの中で、もう客を呼んでいなかった。
ざまあみろ、とは思わなかった。ただ、四年分の「下働き」が、今日、ちゃんと値段と名前を持った。それで十分だった。
祝宴の四十人前は、その夜のうちに領主館の厨房を借りて仕上げた。私が組んだ献立は私の頭の中にしかなかったが、それで十分だった。ユーリスが食材を運び、市場の姉妹が盛り付けを手伝い、料理長が火口を一つ空けてくれた。青い実のソースは祝宴の肉料理にも合い、長老が「来年の祭りの献立会議に、君も来なさい」と言った。
(下働きが、献立会議。……人生、何が起こるか分からないものだ)
大鍋亭の四十人前の材料費は、結局、バルドさんが祝宴側へ弁済することになったと、後から聞いた。私を外した判断の代金としては、高い勉強料だったと思う。でも同情はしなかった。厨房の人間を「誰でもいい部品」だと思えば、いつか必ず、こういう日が来るのだ。
祭りの片付けが終わる頃、ユーリスが私の屋台の前に来た。青い実の籠は、空になっていた。私のソースで使い切ったのだ。
「売れたよ、三年分の在庫が。あんたのおかげで」
「こちらこそ。立て替え、賞金から返します」
「返済はいい。その代わり、話を聞いて」
彼は真面目な顔で、私の貸し屋台の柱に手を置いた。
「俺は各地の祭りを回って食材を売ってる。でもずっと、思ってたんだ。売るだけじゃなくて、その土地の旨いものを、その場で料理にして出す屋台があれば、もっと面白いって。その料理人に、心当たりが一人いる」
「……私、ですか」
「あんた以外にいない。食材は俺が集める。道も、祭りの日程も、俺が繋ぐ。料理はあんた。屋台は共同経営。名前は二人で決める」
彼は少し照れたように、目を逸らした。
「相棒として、まず隣に立たせてほしい。それ以上のことは、道々、ゆっくり聞くから」
(ああ、この人は。最初からずっと、私の作るものを、ちゃんと見てくれていた人だ)
市場の朝の行列も、料理長の言葉も、木札の山も嬉しかった。でも今の言葉は、それらと少し違う場所に、すとんと落ちた。
「……条件が、あります」
「聞こう」
「献立は、私が決めます。あと、芋の皮剥きは、二人でやります」
「当たり前だ。あんたを下働きにする店主は、俺の屋台にはいない」
笑って、手を差し出した。私はその手を取った。炭と香草と、祭りの夜の匂いがした。
帰り際、ユーリスが屋台の柱に、仮の札を掛けた。私の名前と、彼の名前が、並べて書いてある。「名前は仮だよ。本決まりは、最初の旅の途中で、二人で決める」札は祭りの提灯の明かりに揺れて、なんだかもう、立派な看板みたいに見えた。
来月の祭りは、隣の谷の町で開かれる。私たちの屋台の、最初の旅先だ。
翌朝、祝宴の仕込みのために領主館の厨房へ行くと、料理長が私を名前で呼んだ。
「ノエラ君、昨日のソース、うちの若い衆に教えてやってくれないか。対価は別に払う」
「……はい。喜んで」
帰り道、市場のマレおばさんが私を見つけて、手を振った。
「ノエラ! 来年の祭りは、あんたの屋台に最初に並ぶからね!」
ノエラ。ノエラ。下働き、でも、奥の子、でもなく、ノエラ。
看板はまだない。名前もこれから決める。でも今度は、その看板に、私の名前も並ぶ。
それが、こんなに嬉しいことだなんて、今日の朝の私は知らなかった。




