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俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~  作者: パラレル・ゲーマー


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33/70

第33話 八咫烏では、俺はちゃんと一人でした

 翌週の月曜日。


 週末の土日は、直哉は珍しく何一つ事件や仕事に巻き込まれることなく、本当にただの平和な休日を過ごした。

 ゲームをして、昼まで寝て、少し買い物へ行き、夜は適当に動画を見る。

 霧島からの急な仕事の電話も鳴らなかった。


 直哉は、身体と精神の休息を十分に取ることができた。


 ただ。

 金曜日に、ノアとの電話で聞いた話だけは、ずっと直哉の頭の隅にこびりついて離れなかった。


『白峰レイジっていう、最近八咫烏経由の現場に出てきたTier2の男』

『鳴海伊織は、八咫烏の射撃支援で最近よく見かける凄腕の女狙撃手』


 能力者の裏社会では、少なくともレイジや伊織は、《ナオ》とは別の独立した能力者として認識されている。


 そこまではいい。


 直哉の内心は、ベッドの上でゴロゴロしながらずっと一つの疑問に囚われていた。


(……やっぱ、気になる)


(裏社会で噂になってるのは分かったけど。じゃあ、八咫烏の『内部』の登録や戸籍の扱いって、一体どうなってるんだ?)


 直哉は自分の能力のことを、霧島たち担当部署には説明している。

 だが、現場へ行くと、警察や他の八咫烏の職員たちからは、ごく普通に『白峰さん』『鳴海さん』『御影さん』と呼ばれているのだ。


(もしかして、行政の書類上でも、俺が五人くらいの別人として多重登録されてたりするんじゃないか……?)


 直哉は、自分の自己同一性がゲシュタルト崩壊を起こしそうになっていた。


 月曜の朝。

 直哉は、意を決してスマートフォンのメッセージアプリを開いた。


『霧島さん、今日少しお時間ありますか?』

『仕事じゃなくて、八咫烏での自分の登録関係について、どうしても確認したいことがあるんですが』


 送信して数分後。

 霧島から、すぐに簡潔な返信が届いた。


『承知しました。午前中でしたら、施設のオフィスにおりますので、いつでもどうぞ』


 直哉は、スマホを握りしめて小さくガッツポーズをした。


(よし。今日こそ、このモヤモヤをすっきりさせてやる)


 午前十時。

 いつもの、都内の八咫烏の地下施設へ到着した。


 受付で、IDを提示して本人確認を行う。


 今日は仕事の呼び出しではない。戦闘も、能力の測定もない。

 だから直哉は、《因果集結クロニクル》のキャラクターへは変身せず、ただの三十四歳の森川直哉という男の姿のままでやって来た。


 受付の職員が、直哉の顔を見て一礼した。


「森川さん、おはようございます」


 直哉も、普通に返す。


「おはようございます」


 直哉の内心は、どこかシュールな気分だった。


(今日は、ちゃんと俺だ)

(いや、別に毎日俺なんだけどさ)


 すでに、金曜日のノアの話のせいで、直哉の言語感覚と自己認識が少しおかしくなっていた。


 案内された小さな会議室。


 中には、霧島が一人で資料用のタブレット端末を見ながら待っていた。

 テーブルには、来客用のホットコーヒーが二つ置かれている。


「お待たせしました、森川さん」


「いえ、急にお時間いただいてすみません」


 直哉は、向かいの席に座り、コーヒーを一口飲んだ。


 少しだけ、最近の仕事や週末の平和な生活について雑談を交わした後。

 直哉は、真剣な顔で本題を切り出した。


「霧島さん」


「はい」


 直哉は、少しだけ言い淀んでから。


「ちょっと、ものすごく変な質問をしていいですか?」


 霧島は、眉をピクリと動かした。


「……内容によりますが。私がお答えできる範囲のことでしたら」


 直哉は、一拍置いて。

 自分が週末ずっと悩み続けていた、あの質問をぶつけた。


「俺って、八咫烏のシステムへの登録上……一体、何人いることになってますか?」


 霧島は。


「…………」


 完全に、言葉を失った。


 数秒の、重たい沈黙。

 霧島の表情が、困惑に染まっていた。


「……申し訳ありません」


 霧島が、少しだけ混乱したような声で言った。


「森川さんの、質問の意味をもう一度確認してもよろしいでしょうか」


 直哉の内心は、(そりゃそうなるよな!)と激しく同意していた。

 いきなり「俺は何人ですか?」などと聞かれたら、哲学的な問いかけか、多重人格を疑うしかない。


 直哉は、慌てて事情を説明した。


 金曜日に、ノア・ヴァレリウスと電話で話したこと。

 裏社会の噂では、白峰レイジが「最近八咫烏経由の現場に現れたTier2の剣士」として、完全に独立した一個人として噂になっていること。

 伊織も、最近よく見かける凄腕の女スナイパーとして別人扱いされていること。


 そして、直哉自身が現場で経験したこと。

「白峰さん」「鳴海さん」「御影さん」と、現場の警察や八咫烏の職員たちから、ごく普通にキャラクター名で呼ばれていること。


 直哉は、身を乗り出して言った。


「だからですね」


「八咫烏の内部の行政手続きとか書類上でも……もしかして、俺がキャラクターごとに五人くらいの別人として、多重に戸籍みたいなのが登録されてるんじゃないかって、不安になりまして……」


 霧島は、直哉の長い説明を聞き終えた。


 数秒間、彼女は静かにタブレットの画面を見つめていた。

 そして、小さく息を吐き出して。


「ご安心ください」


 と、ハッキリと言った。


 直哉は、息を呑んだ。


「はい」


 霧島は、直哉の目を真っ直ぐに見て告げた。


「森川直哉さんは、一名です」


 直哉は、心底ホッとした声で即答した。


「よかったぁぁぁぁぁっ!!!」


 直哉は、椅子に深く寄りかかって天井を仰いだ。


「ですよね!?」

「俺、ちゃんと人間として一人ですよね!?」


 霧島は、少し困ったような、苦笑交じりの顔になった。


「ええ。戸籍上も、我々八咫烏への能力者登録上も、森川直哉さんという人物は一名しか存在しませんよ」


 直哉の内心は、(自分が一人であることを確認して、当たり前のことでこんなに安心する日が来るとは思わなかった)と、深く安堵していた。


 だが。


 霧島が、言葉を区切って続けた。


「ただし」


 直哉の顔が、すぐに引き締まった。


「ですよね」


 何も裏の事情がないわけがないと、思っていた。


 霧島が、手元のタブレットを操作し、直哉の方へ向けた。

 ただし、画面の全ての機密情報をそのまま見せるのではなく、直哉に説明するための必要な情報だけをピックアップして表示してくれた。


「八咫烏の内部のデータベース上では。最も根本となる『登録主体』は、森川直哉さん。これ一つだけです」

「これが本体であり、森川さんは一名として扱われています」


「ですが」


 霧島が画面を指差す。


「その一つの登録情報に対して、現場で活動する際の『複数の運用時識別情報』が紐付けられている形になっています」


 画面には、このような制限付きの内部記録が表示されていた。


『登録主体:森川直哉』

『能力情報:※極秘・閲覧制限あり』

『確認済・運用形態:複数』


 そして、その下。


『東雲セナ 確認Tier:3』

『鳴海伊織 確認Tier:3』

『エレノア・ヴァイス 確認Tier:2』

『白峰レイジ 確認Tier:2』

『御影千里 確認Tier:2』


 直哉の口から、素の声が漏れた。


「うわ……」


 こうして一覧になって並べられているのを見ると、改めて自分の手札の異常さと、そのバリエーションの多さに引いてしまう。


 霧島は、その画面を指で叩いた。


「ここが重要です。この、森川さんの能力の全容と、それぞれの形態が紐付いているマスターデータを閲覧できる職員は……八咫烏の中でも、ごく一部の限られた人間に制限されています」


 直哉は驚いた。


「え?」


 霧島が、明確に説明してくれた。


「森川直哉という一人の人間が、一つの能力によって、複数の別々の人物へと身体ごと完全に変化する……という、この能力の根幹のシステムを知っているのは」


 霧島自身のような、直接の管理担当者。

 初期の能力測定や、定期的な再測定に直接関わった技術班の担当者。

 そして、登録や契約、あるいは重大な安全管理上、どうしても知る必要がある上位の管理者たちだけなのだという。


「それ以外の、現場で実働する一般の職員や、共同作戦を行う警察の隊員たちは、この事実を一切知りません」


 直哉は、ポカンと口を開けた。


「……マジで?」


 霧島は、静かに頷いた。


「はい」


 ここで、金曜日にノアが推測した内容が、八咫烏の正式な管理システムの仕様として完全に裏付けられた。


 直哉は、過去の現場を一つずつ確認していった。


「じゃあ……あの蛇神が降臨した時に一緒にいた、八咫烏の現場担当の人も」


「あの人も、白峰レイジの中身が、俺だって知らなかったんですか?」


 霧島は、淡々と答えた。


「基本的には、知りません」


 直哉は沈黙した。


「…………」


「木曜日に伊織の姿で行った、あの怪異の狙撃現場のスポッターの人たちは?」


「同様です。彼らは『鳴海伊織』という凄腕の狙撃手が派遣されてきた、としか認識していません」


 直哉は、少しだけ引っかかった。


「……千里の姿で入った、あのオペレーター室は?」


 あそこは、八咫烏の中枢の施設内だ。


「そこだけは少し違います。千里さんの場合は、特殊な運用試験であり、行政の効率化に直結する業務ですので。室内の責任者や一部の基幹職員には、事情を共有しています」


 だが。


「しかし、室内にいる全ての一般オペレーターや連絡担当の職員にまで、能力の全容を開示しているわけではありません」


 直哉は、完全に言葉を失った。


「…………」


「あいつ……ノアの推測、ほぼ全部正解だったのか……」


 霧島が、不思議そうに首を傾げた。


「ノア・ヴァレリウスさんのことですか?」


「はい。あいつ、金曜日の時点でこの仕組みの結論に辿り着いてました」


 直哉は、純粋な疑問を霧島にぶつけた。


「でも、なんでそこまで隠すんです?」


「俺が変身してるってことくらい、八咫烏の内部だったら、現場の職員に普通に共有してもよくないですか?」


 霧島は、八咫烏という行政組織の管理官としての、極めてドライで合理的な答えを返した。


「第一の理由は。単に、現場の業務において『その情報を共有する必要が全くないから』です」


 直哉は、拍子抜けした。


「……はい」


 やっぱり、そういうことか。


 霧島が解説する。


「蛇神の強制捜査の案件を例に挙げましょう」

「あの時、現場の職員が必要としていた情報は、何だと思いますか?」


 直哉は考えた。


「『白峰レイジ』という人物であること。Tier2の実力があること。近接戦闘が可能であること。《既判適応》という能力の概要。そして、彼が後詰め要員であること」


「その通りです」


 霧島が頷く。


「あの極限の現場において、『この白峰レイジという男は、普段は森川直哉という三十四歳の男性です。実は女スナイパーにも変身できます』という情報は……」


「怪異との戦闘において、一ミリの役にも立ちませんよね?」


 直哉は、ぐうの音も出なかった。


「昨日の狙撃現場ならどうでしょう」


「必要なのは、『鳴海伊織』というTier3の長距離射撃支援が可能な人物であること。そして、彼女のために射線を確保する必要があること。それだけです」


「彼女が森川さんであるという関係性を知る必要は、現場の討伐班には全くありません」


 霧島は、さらに二つ目の理由を挙げた。


「第二の理由は。森川さんのその『変身機構』そのものが、極めてセンシティブで重要な能力情報だからです」


 現場で全く必要もないのに、「この人物は、実は別人へ自由に変身できる能力者です」などと、面白半分に広範囲へ情報を共有する理由がどこにあるのか。

 無闇に情報を広げれば、それだけ外部へ情報が漏洩するリスクが跳ね上がるだけだ。


 直哉は、内心で深く納得していた。


(玲蘭に言われたのと同じだ)


『必要な人に、必要な情報だけを渡す』。


 あの時、彼女から受けた情報防衛の忠告が、八咫烏という組織の運用でもそのまま実践されているのだ。


 そして、霧島は極めて実務的な、三つ目の理由を付け加えた。


「それに」


「現場の極限状態で、188センチの長身の白峰さんに向かって、『森川さん!』と呼びかけるよりも」


「素直に、その姿である『白峰さん』と呼んだ方が、現場の識別上、圧倒的に明確で間違いが起きません」


 直哉は沈黙した。


「…………」


 確かに。


 あんな豪奢な法服を着た大男に向かって、突然「森川さん!」と呼ばれても。

 周囲の警官たちは「えっ、森川って誰!?」とパニックになるだけだろう。


 特に、直哉の能力セットはバリエーションが多すぎる。


 雷剣士。

 狙撃手。

 時止めメイド。

 適応剣士。

 観測官。


 見た目も、性別も、能力も全く違う。


 現場では、「現在、どの能力セットがそこにいるのか」を、そのキャラクター名で呼んだ方が、運用上圧倒的に分かりやすく、効率的なのだ。


 直哉は、一つだけ明確にしておきたかった。


「じゃあ……白峰レイジっていう、架空の戸籍とか、彼専用の全く別の登録番号が、行政上で勝手に作られちゃってるわけじゃ……」


 霧島は即答した。


「ありません」


「あくまで、彼らの名前は、森川直哉さんの能力運用上の『識別情報のタグ』に過ぎません」


 これを聞いて、直哉は心底安心した。


「でも」


 霧島が、少しだけ苦笑しながら付け加えた。


「現場の職員たちの多くは、彼らがそれぞれ完全に独立した『別人の能力者』だと、当然のように認識してしまっているでしょうね」


 直哉はため息をついた。


「ですよねー……」


 八咫烏が、「こいつらは絶対に別人です!」と意図的に虚偽の情報を流して騙しているわけではない。

 秘密工作でもなんでもない。


 ただ、『変身能力であることを、必要がないから教えていない』だけなのだ。

 現場にはキャラクター名で紹介される。

 外見も、性別も、能力も違う。


 その結果、誰も彼らが同一人物だとは夢にも思わないのだ。


 直哉は感心したように呟いた。


「情報隠蔽のやり方として、あまりにも自然で強すぎる……」


 直哉は、もう一つの疑問を投げかけた。


「じゃあ……《ナオ》って名前は、一体何なんですか?」


 霧島は、一発で回答した。


「森川さんの、対外的な『業務表示名――ハンドルネーム』です」


 玲蘭の護衛や、オークションの警備など。

 八咫烏を通した案件であっても、一般の依頼人や外部の人間に対して『森川直哉』という本名を晒したくない場合がある。


 その時に使うのが、この対外的な業務名義である《ナオ》なのだ。


 別の戸籍でもなければ、別の能力者登録でもない。


「最初にセナの姿で働いた時、外部の相手には《ナオ》と名乗りました。だからといって、『ナオ=東雲セナ』という一対一の正式登録でもありません」


 単に、その時セナの姿で《ナオ》を名乗っていただけだ。


「だから、先日のオークションのように。エレノアの姿であっても、《ナオ》という名義を使って業務を行うことがあります」


 つまり、《ナオ》というのは、変身先を跨いで使用できる、直哉の『仕事用の名刺』のようなものなのだ。


 直哉は、ようやく全てを理解した。


「なるほど」


 直哉の頭の中で、完全に三層構造のシステムが整理された。


 ①本人:森川直哉。

 ②業務名義:《ナオ》。

 ③形態識別タグ:セナ、伊織、エレノア、レイジ、千里。


 直哉は、頭を抱えて呻いた。


「ややこしっ!!」


 霧島は、冷静な正論で返した。


「森川さんの能力が、特殊すぎるからです」


 直哉は、ぐうの音も出なかった。


 直哉は、ノアから聞いたもう一つの噂について確認した。


「ちなみに。裏社会で、白峰レイジが『あいつ実質Tier1のバケモノなんじゃないか』って噂されてるらしいんですけど」


 霧島の表情が、一瞬だけ止まった。


「……こちらにも、その種の話はいくつか入ってきています」


 直哉は少し顔を引きつらせた。


「入ってるんだ……」


 霧島は、公式見解としてハッキリと告げた。


「白峰さん――森川さんの当該形態の正式な確認Tierは、あくまで『2』です」


 変わらない。

 蛇神を倒したからといって、それで魂の定数そのものが変化してTier1になるわけではないのだ。


「蛇神との相性が非常に良かったことは事実です。ですが、単発の戦闘結果と、魂の定数の格付けは別物です」


 直哉は頷いた。


「ですよね」


 ノアと全く同じ結論だった。


 ただ、霧島は少しだけ柔らかい声で付け加えた。


「ただ……現場で、あなたの働きが非常に高く評価されたこと自体は、紛れもない事実です」


「…………」


「報告書でも、白峰さんのその沈着冷静な態度と、圧倒的な戦闘能力について、かなり――」


 直哉は、顔を真っ赤にして両手で顔を覆った。


「霧島さん、すみません、それ以上は大丈夫です! もう言わないでください!」


 直哉の脳裏に、外面のレイジが涼しい顔で「当然のことをしたまでです」などとキザな台詞を吐いていた記憶が蘇り、死にたくなっていた。


(中身の俺は、十連分の石が出て狂喜乱舞してただけなのに……!!)


 面談が終了する前に。


 直哉は、先日の蛇神降臨事件の事後処理についても、軽く質問しておいた。


 霧島から、簡単な報告があった。


「崩落した地下区画ですが。警察、消防、八咫烏で合同捜索を行い、中心人物を含め、複数名を生存状態で確保しました」

「現在、警察と合同で厳重な取り調べを行っています」


 重傷者は出たが、死者は出ていないらしい。


 直哉は尋ねた。


「なんであいつら、蛇神なんかを無理やり降ろそうとしたんです?」


 霧島は首を振った。


「現在も捜査中ですが……現時点では、『警察に完全に追い詰められた末の、自暴自棄な無断降臨だった』という見方が強いです」


 彼ら自身も、あの強大な蛇神を完全に制御し、使役できるという確たる保証は全くなかったのだという。


 直哉は寒気を覚えた。


「やっぱり、操れる保証なんてなかったんですか?」


「はい」


 霧島は、冷徹な事実を告げた。


「怪異や神格を無理やり『降臨させる』ことと、降臨したその存在を『自分の意のままに支配する』ことは、全く別の技術ですから」


 直哉は内心で震えた。


(怖すぎるだろ……。本当に、自分たちもろとも全部巻き込んで道連れにするつもりだったんだ……)


 全ての確認が終わり、聞きたいことはほぼ終わった。


 直哉は一礼した。


「色々と教えていただき、ありがとうございました」


 席を立とうとした、その瞬間だった。


 直哉の胸元から、小さな銀色の札が、シャツの隙間からポロッと顔を出した。


「……あ」


 霧島が、それに気づいた。


「どうされました?」


 直哉は、首からその銀の札を取り出して見せた。


「そういえば、これも霧島さんに確認しておきたいことがあったんでした」


 それは、月曜日に浅草でノアと一緒に買った、六十八万円の呪物。

 《違和の銀牌》だ。


 認識や感覚へ外部からの不自然な干渉が入った場合、氷のように冷たくなって警告してくれるという優れものだ。


 霧島も、興味深そうに身を乗り出した。


「呪物ですか?」


「はい。幻術とかの認識干渉の警告をしてくれるアイテムです」


 直哉は、《違和の銀牌》の効果を霧島へ説明した。


 直哉は、自分の疑問を口にした。


「これ、月曜日にセナの姿の時に買ったんですよ」


「でも、よく考えたら。俺、《因クロ》の能力で別のキャラに変身したら、服とか装備まで全部システム側で書き換わるじゃないですか」


「はい」


「じゃあ、この銀牌をつけたまま別のキャラに変身したら……こいつ、どうなるんだろうって」


 直哉自身も、今までその点について、あまり深く気にしたことがなかった。


 スマートフォン。

 財布。

 家の鍵。

 身につけている小物。

 そして、変身中の服。


 自分という存在の、『どこまでが変身の対象――キャラクターのパーツ』であり、『どこからが外部から持ち込んだ物品』として判定されるのか。


 その明確な境界を、きちんと検証したことがなかったのだ。


 霧島も、ハッとした顔になった。


「……確かに。それは重要なポイントですね」


 八咫烏の管理側としても、これは非常に重要な検証事項だ。


 外部の装備品。

 呪物。

 通信機。

 位置情報の追跡装置。


 今後、直哉が現場でそういったものを利用する可能性は十分にある。


 霧島が、すぐに提案した。


「森川さん。よろしければ、今、施設内の安全な変身室で確認しておきましょう」


 直哉は頷いた。


「お願いします」


 ◆


 カメラが設置された、安全な個室の試験室。

 霧島はガラスの向こうからマイクで確認する。


 現在、直哉は三十四歳の男の姿だ。

 首には、先ほど取り出した《違和の銀牌》がかかっている。


 直哉は、銀牌を指で軽くつまんだ。


(これは、俺の服じゃない)

(外から、後付けで身につけている『装備品』だ)


 直哉は、その意識を強く持った。


「変身します」


『【CHARACTER CHANGE】』


 青白い光が弾ける。

 身体の骨格、身長、髪の長さ。

 そして、着ている服の全てが、東雲セナのものへと置換されていく。


 光が収まる。


 164センチの少女。

 濃紺の戦闘服。


 そして。


 セナの胸元には。


 銀色の鎖で繋がれた《違和の銀牌》が、そのままの形でしっかりと残っていた。


 直哉の口から、驚きの声が漏れる。


「……残ってる」


 霧島がマイク越しに答える。


『確認しました。映像にも映っています』


 直哉は、セナの姿でその銀牌を手に取ってみた。


 表面の微かな傷。

 鎖の手触り。

 重量感。


 何も変わっていない。


 少なくとも見た目上は、三十四歳の直哉が身につけていた『全く同じ銀牌』が、そのまま物理的に存在している。


 セナの変身を解除する。


 森川直哉に戻る。


 銀牌は、そのまま残っている。


「次、レイジに行ってみます」


『【CHARACTER CHANGE】』


 188センチ。

 白峰レイジ。


 服装は、重厚な法服へと全面的に変化する。


 だが。


 銀牌は、やはり首元に残ったままだった。


 サイズ感の違い。


 鎖の長さそのものは変化していないため、164センチのセナの時よりも、188センチのレイジの時の方が、銀牌の位置は胸元のかなり高い位置へと変わっている。


 直哉は確信した。


(これ、物自体は本当に変わらずに、物理的にずっとそこにあるんだな)


 直哉は、マイクに向かって尋ねた。


「霧島さん。これって、小物は変身の対象外としてシステムに処理されるってことですかね?」


 霧島は、慎重に答えた。


『その可能性は高いですが……』

『もう少しだけ、条件を変えて確認した方がよいでしょう』


 ここで、直哉はふと考えた。


 服は、変身する。


 銀牌は、変身しない。


 その違いは、なんだろう。


 大きさか?

 材質か?

 肌に直接触れているかどうかか?


 違う。


 直哉は、一つの仮説に思い至った。


(俺、最初から……この銀牌のことを、『服の一部』だとは思ってなかったな)


「……もしかして」


 霧島が尋ねる。


『何かお気づきですか?』


 直哉は、自分の仮説を口にした。


「俺自身が、『これは変身する物じゃない、外付けのアイテムだ』って思ってることが、重要なのかもしれません」


 自分。

 服。

 そして外部のアイテム。


 直哉の中では、


『身体+着ている服装』


 が、「キャラクターへと変わる自分自身」として無意識に認識されている。


 一方で。


 銀牌。

 スマートフォン。

 家の鍵。

 財布。


 そういったものは、「外から持ち込んでいる、自分とは別の物」として明確に認識しているのだ。


 追加の試験が行われた。


 ここで高価な呪物を使うわけにはいかないので、施設にある安価な布製のリストバンドが用いられた。


 試験A。


 リストバンドを腕につける。

 直哉は、「これは外から装備している小物だ」と強く意識する。


 変身。


 結果。


 リストバンドは残った。


 試験B。


 別の、全く同じリストバンドを腕につける。


 今度は、直哉はそれを「今自分が着ている服の一部だ」「袖口の装飾だ」と、強引に自分に思い込ませて意識を固定した。


 変身。


 青白い光。


 セナの姿になる。


 直哉が腕を見る。


 リストバンドは。


 消えていた。


 セナの濃紺の戦闘服と一緒に、変身対象として置換されてしまったのだ。


 解除して男に戻ると、元の服と一緒にリストバンドも戻ってきた。


 直哉は息を呑んだ。


「…………」


 霧島も、沈黙した。


「…………」


 少なくとも、今回の条件では。

 かなり明確な差が出た。


 単なる物理的な大きさの問題だけではない。


 少なくとも小物に関しては。


 直哉本人が、「これは変身対象に含まれる、自分の服装や装備の一部だ」と認識しているか。


 それとも、「変身対象から完全に外れた、外付けの物品だ」と認識しているか。


 その直哉の『主観的な認識』が、変身システムの境界線へと直接影響している可能性が極めて高い。


 直哉は、頭を抱えた。


「うわ……マジかよ」

「俺の認識依存かよ、このシステム」


 《因果集結クロニクル》。


 やはり、これはただの着せ替え魔法ではない。

 物理的な寸法や重量だけで、変身対象の境界が決まるような単純な仕組みではないらしい。


 ただし、霧島は冷静に制限も加えた。


「現時点で確認できたのは、あくまで『小物』についてだけです」


 これが重要だ。


 銃。

 防具。

 大型の機械装置。

 他人。

 乗り込んだ車。


 そういった巨大なものや複雑なものまで、同じ理屈で「これは外部アイテムだ」「これは服の一部だ」と認識するだけで、自由に除外や包含ができるかどうかは、全くの不明だ。


「安易に可能性を広げすぎるのは危険です。今日はここまでにしましょう」


 直哉も同意した。


 だが、現在の試験結果だけでも、直哉にとっては非常に有益な事実が一つ判明した。


 《違和の銀牌》。


 これを、「外付けの呪物であり、変身の対象外だ」と認識したまま装着していれば。


 変身先を跨いでも、同じ一個の銀牌をそのまま持ち越して使えるのだ。


 直哉は、一瞬考えた。


 そして、ゲーマーとしての一つの素直な感想が口から出た。


「じゃあ、この呪物」


「俺の手持ちの全キャラクターで、使い回せるってことですか?」


 霧島は頷いた。


「少なくとも、物理的な保持という観点からは、そう見えますね」


 直哉の内心は、


(よっしゃ!! 六十八万円のクソ高い装備だったけど、実質全キャラで共有できる共通装備じゃん!!)


 と、大歓喜していた。


 ただし、霧島は実務家として釘を刺した。


「同じ銀牌が物理的に残ることは確認できました。しかし、各キャラクターの形態に変化した状態でも、三十四歳の森川さんの時と全く同じように『認識干渉を警告する効果』が正常に発揮されるかどうかは、まだ未確認です」


「次回、安全な認識干渉のテスト環境を用意して、効果の確認も行っておきましょう」


 直哉は素直に頷いた。


「お願いします」


 今日はあくまで、物理的な保持の確認だけだ。


 直哉は内心で、


(これなら、スマホとか八咫烏の通信機も、持ったまま普通に変身して持ち込めるってことだな)


 と応用への可能性を感じていた。


 ただ、今までも無意識のうちに実質そうやって持ち込んでいた可能性は高い。

 今日はこれ以上深掘りするのはやめておいた。


 霧島は、タブレットに本日の新情報を記録した。


『変身対象の境界:本人の主観的認識の影響あり』

『小型外部物品:対象外として認識した場合、変身形態を跨いで物理的な保持が可能』


 あくまで暫定のデータだ。


 全ての確認と試験が終了した。


 直哉は、森川直哉の姿へと戻り、首元には《違和の銀牌》を下げたまま、休憩スペースで息をついた。


「今日は、かなり色々なことが分かりましたね」


 向かいに座る霧島も、頷いた。


「そうですね。我々としても、非常に有意義な確認ができました」


 直哉は、帰り支度をしながら、ふと思い出したように笑った。


「とりあえず」


「八咫烏の登録上は、俺はちゃんと人間として一人なんですよね?」


 霧島は、少しだけ面白そうに笑って答えた。


「はい」


「森川直哉さんは、最初から一名です」


 直哉は、心から安堵して言った。


「よかった……」


 霧島が、少しだけ首を傾げて言った。


「通常、我々管理側が、能力者のご本人に対して『あなたの登録人数は一人ですよ』と保証して安心させていただく機会など、めったにありませんが」


 直哉も笑った。


「俺も、生きてて『自分が何人いるか』なんて心配したの、今日が初めてですよ」


 八咫烏の施設を出て、最寄り駅へと向かう帰路。


 直哉の首元には《違和の銀牌》。

 ポケットにはスマートフォン。


 現在の姿は、三十四歳の森川直哉。


 直哉は、歩きながら今日の話を頭の中で整理した。


 八咫烏の管理上は、一人。

 現場の一般職員や警察からは、別人だと思われている。

 裏社会からは、複数の強力な能力者が新しく出てきたと思われている。

 自分自身は、一人。

 《因果集結クロニクル》のシステム上は、五キャラクター。


 直哉は、ため息をついた。


「…………」


「行政上は一人だってハッキリ分かったのに」


「なんか、状況が全然すっきりしねえな」


 直哉は一人で苦笑した。


 信号待ち。


 直哉は、胸元の服の上から、銀牌の硬い感触を軽く摘んだ。


 六十八万円の装備。

 変身しても残る。

 全キャラクターで使い回せそうだ。


 そして。


 直哉は、ふと嫌なことに気がついた。


(……これ、もし今後、ガチャを回してさらにキャラクターが増えたら)


(世間から見た『俺の人数』も、どんどん際限なく増え続けていくってことか……?)


 直哉の視界の右隅。

 そこには、あの限定バナーが光っている。


『★★★★★ 九条紫苑《宵刃の巫女》』

『★5キャラクター確定まで:20回以内』


 直哉は、無言でそのバナーを見つめた。


「…………」


 一拍置いて。


「……まあ、その問題は、実際に人数が増えてから考えるか」


 直哉は、三十四歳に思えない適当さで思考を放棄し、青に変わった横断歩道を歩き出した。

最後までお付き合いいただき感謝します。


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