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俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~  作者: パラレル・ゲーマー


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第23話 星4なのにTier2なんですか?

 木曜日の朝。


 昨夜、深夜のテンションで新しいキャラクター二人を引き当てた直哉は、興奮冷めやらぬまま眠りにつき、そしていつもより少しだけ早く目を覚ました。


 ベッドの上で上半身を起こすと、真っ先に視界の《因果集結クロニクル》のシステム画面を呼び出す。

 気になっていたのは、新しく増えた二人のメンバーだ。


 キャラクター一覧画面を開く。

 そこには、見慣れた三人に並んで、新しい二人の顔が追加されていた。


『★★★★★ 白峰レイジ Lv.1』

『★★★★ 御影千里 Lv.1』


 直哉の視線は、彼らのステータスの一番下の項目に注がれた。

 昨夜見た表示から、変わっていない。


『現地登録Tier:2』

『現地登録Tier:2』


 直哉は、一人で小さく頷いた。


(やっぱり、二人とも現地表記はTier2なんだよな……)


 彼は、スマートフォンの自分用メモを開き、これまでの記録を再確認した。


『セナ:現地表記3 / 八咫烏測定3』

『伊織:現地表記3 / 八咫烏測定3』

『エレノア:現地表記2 / 八咫烏測定2』


 これまでの三人は、全てこのゲームの現地表記と、現実の八咫烏の測定結果が見事に一致していた。


 今日、四人目と五人目の測定結果がどうなるか。

 直哉の心の中に、少しだけ期待と好奇心が湧いていた。


 もちろん、今日の測定に使うため、レイジと千里はすでに編成へ入れてある。

 三枠しかない以上、五人全員を同時に入れておくことはできないが、任務や用途に応じて組み替えればいい。


 昨日まで漠然と考えていただけだった『編成を選ぶ』という行為が、早くも現実のものになり始めていた。


 スマートフォンには、朝一番ですでに霧島からのメッセージが届いていた。


『昨夜ご報告いただいた白峰レイジさん、および御影千里さんについて。本日午前中から、八咫烏の施設にて能力測定を実施したいのですが、ご都合はいかがでしょうか』


 直哉は「いつでも大丈夫です」と即座に了承の返信を打った。

 昨日のオークション警備の翌日に、また八咫烏の施設へ呼び出しだ。


(なんか、最近普通に会社員より八咫烏のオフィスへ通勤してる回数多い気がするな……)


 そんな軽い感想を抱きながら、直哉は外出着に着替えた。

 もちろん、彼自身は八咫烏の正規職員ではない。あくまで登録能力者という扱いの外部協力者だ。だが、これだけ高頻度で顔を合わせていれば、少しだけ職場のような愛着が湧いてくるのも事実だった。


 ◆


 午前十時。


 直哉は、いつもの八咫烏の地下測定施設へと到着した。


 受付を済ませて奥へ進むと、いつものように霧島が待っていた。

 だが、今回は彼女の後ろに控えている測定担当の職員の数が、明らかにいつもより多い。機材も、見慣れない重厚なサーバーのようなものがいくつか増設されている。


 前回、エレノアの『時間停止』という規格外の能力を測定した際に、八咫烏の測定班はかなり肝を冷やしたのだろう。今回は最初から、あらゆる事態を想定して万全の態勢を敷いているらしい。


 霧島が直哉の顔を見て、一礼した。


「おはようございます、森川さん」


「おはようございます」


 霧島は、直哉の顔を見てから一拍置き、少しだけ真剣なトーンで言った。


「……まずは、白峰レイジさんの能力確認から始めましょう」


 直哉の内心が、クスッと笑った。


(千里の『40,000キロ』の件から逃げたな、霧島さん)


 もちろん、それを口に出してからかうようなことはしなかった。

 直哉は「分かりました」とだけ頷き、小会議室へと入った。


 まずは、恒例の事前の情報共有からだ。

 《因果集結クロニクル》のUI画面やプロフィールテキストは、直哉の視界にしか映らない。八咫烏側には見えないのだ。


 そのため、直哉が昨夜ゲーム画面で確認したプロフィールの内容を、口頭で説明していく。


「名前は、白峰レイジ。肩書きは《蒼律の執行官》。青白い法剣を使った高速の剣士タイプです」


「そして、彼の固有能力の名前は……《既判適応》といいます」


 霧島と、数名の測定担当職員たちが、手元のタブレットに一斉にメモを取る。


 直哉は、ゲーム内の説明文をできるだけ正確に読み上げた。


「一度、自分に対して攻撃または有害な干渉として成立した事象を、《判例》としてシステムに記録します。そして、同じ事象に対しては、以後完全に自動で対応し、有害な影響を無効化する能力です」


「ただし、未知の初回攻撃は防げず、普通にダメージを受けます。最初に受けた傷が治るわけでもありません。そして、獲得した判例は『戦闘が終了した時点』で全てリセットされます」


「最後に、必殺技は、保持している判例の種類が増えれば増えるほど、威力が上昇する仕様です」


 直哉の説明が終わった。


 小会議室に、数秒の重たい沈黙が落ちた。誰も喋らない。


 直哉が、少し不安になって口を開いた。


「……あの」


 測定担当のリーダー格の男性が、顔を上げて答えた。


「すみません。少々、頭の中で情報を整理していました」


 霧島が、ペンを置かずに鋭く質問した。


「森川さん。それは、『同じ技』に対してではなく、『同じ事象』に対して適応するのですね?」


 直哉は頷いた。


「はい。説明文には、明確にそう書いてあります」


「例えば、雷撃を一度その身で受ければ?」


「『雷』という事象そのものに対応するみたいです」


「では、別の雷撃能力者から、形状の違う雷の攻撃を受けても?」


「説明通りなら、たぶん効かないと思います」


 再び、会議室に深い沈黙が訪れた。


 測定担当の男性が、眼鏡のブリッジを押し上げながら呻くように言った。


「これは……対人戦を想定するなら、極めて厄介な能力ですね」


 直哉は身を乗り出した。


「やっぱりそう思います?」


「ええ。非常に厄介です。敵対する能力者からすれば、自分の攻撃手段を一種類見せるたびに、それが次から完全に通用しなくなる可能性があるということですから」


 ただし、担当者はすぐに冷静な補足を入れた。


「もちろん、最初の一撃で致命傷を負い、そのまま戦闘不能にされれば、適応する間もなく終わります。また、《判例》の区分がどこまで広く設定されているのかも未確認です。『熱』と『炎』は同じ事象として処理されるのか、などといった詳細な条件は、現時点では不明ですからね」


 八咫烏の人間は、直哉の言葉だけで能力を勝手に『無敵の万能』であると断定することはしない。あくまで慎重だった。


 ◆


 測定区画へと移動し、直哉は視界の編成画面から『白峰レイジ』を選択した。


『【CHARACTER CHANGE】』


 三十四歳の男性の身体が光に包まれ、一気に視点が高くなる。

 188センチという長身。黒と紺の豪奢な法服に身を包んだ、冷徹な執行官の姿。

 そして、彼の手には、鞘に収められた青白い光を帯びた法剣が握られている。


 視界の端には、現在のステータス。


『★★★★★ 白峰レイジ Lv.1』

『HP:3,980 / 3,980』


 ガラスの向こうの測定機器が、一斉にピーッと反応音を立てた。

 因果律改変反応の波形が、明確にモニターに表示される。


 霧島たちが、まずは最も重要な『魂の定数』の測定を開始した。


 数分後。


 測定担当者が、何度かモニターの数値を見直し、再測定を行い、そしてマイクのスイッチを入れた。


「測定、終了しました」


 直哉――レイジが、低く落ち着いた声で尋ねた。


「結果は?」


 担当者は、一拍置いてから告げた。


「白峰レイジさんの総合評価は――Tier2相当です」


 直哉の内心が、(よし。やっぱり一致した)と小さくガッツポーズをした。これで四人目の完全一致だ。


 だが、担当者はすぐに言葉を続けた。


「ただし。測定された数値は、Tier2の帯域の中でも、かなり高い領域を示しています」


 霧島も、手元の資料を見ながら同意した。


「ええ。少なくとも、現時点で我々が確認している森川さんの変身形態の中では、エレノアさんと並んで、明確に最高水準ですね」


 直哉の口から、疑問が漏れた。


「Tier1の領域には、届いていないのですね?」


「はい。魂の定数と総合的な因果改変規模としては、あくまでTier2です」


 ここは、八咫烏としての厳密な評価基準だ。


 だが、測定担当者が言葉を選ぶようにして付け加えた。


「ですが……《既判適応》という能力そのものの性質だけを抽出して評価するならば」


 彼はガラス越しのレイジを見つめた。


「Tier1能力者の資料にこの能力が記載されていたとしても、私は特に違和感を覚えません」


 直哉の内心が、(そんなに!?)と驚いた。

 だが、担当者はすぐに釘を刺した。


「能力の単純な強さや凶悪さと、Tierの階級は、完全にイコールではありませんからね」


 直哉は、最も気になっていたことを尋ねた。


「では、Tier1の能力者を相手にした場合でも、勝機はあり得るということでしょうか?」


 霧島が答えた。


「可能性がゼロとは言いません」


「ただし、Tier1の能力者が、最初の本気の一撃でレイジさんを完全に戦闘不能にすれば、適応する間もなくそこで終わります」


「……確かに」


「一方で。初撃をなんとか凌ぎ切り、その事象を《判例》として成立させることができた場合は……Tier1の能力者にとっても、非常に戦いづらい相手になるでしょう」


 つまり、Tier1相手に無条件で自動勝利できるわけではない。

 だが、相性と立ち回り次第では、Tier1の能力者ですら極めて対処しづらい能力なのだ。


 能力の性質上、いきなり高火力の攻撃能力などを撃ち込んで実験するわけにはいかない。

 まずは、安全な低出力の現象による適応の確認から始まった。


 測定設備に接続された、微弱な電気刺激を発生させる装置が用いられた。

 レイジの腕に電極パッドが取り付けられ、安全基準内の弱い電気が流される。


『バチッ』


 一回目。


 直哉の身体に、普通に電気が通る。


(痛っ)


 内心で小さく声を漏らす。


 視界の端のHP表示が変化した。


『HP:3,976 / 3,980』


 四ポイント。

 わずかなダメージではあるが、確かにHPが減っている。


 直哉は、その数値を口頭で報告した。


 その直後だった。


 直哉の意識の奥底で、カチャリと歯車が噛み合うような独特の感覚があった。

 同時に、視界の隅に極めてシンプルなシステムUIの文字が点灯した。


『《判例》登録:電気事象』


 直哉――レイジが、小さく頷いた。


「出ました」


 霧島がマイク越しに確認する。


「何がです?」


「《判例》がシステムに登録されたようです。区分は『電気』とのこと」


 職員たちが、一斉にコンソールの記録ボタンを叩いた。


「それでは、二回目を行います」


 担当者の合図と共に、先ほどと全く同じ出力の電気刺激がレイジの腕に流される。


 だが、今度は。

 直哉の身体には、一切の感覚がなかった。


「……来ましたか?」


 担当者が首を傾げる。


「すでに通電していますよ。メーターも上がっています」


 直哉は自分の腕を見た。


「全く、何の感覚もありません。痛みも痺れもゼロです」


 HPも確認する。


『HP:3,976 / 3,980』


 変化なし。


 身体の反射的なビクつきすら起きない。

 プロフィール通りの、完全な無効化だ。


「少し出力を上げます。波形も変えます」


 担当者が、安全域の範囲内で、先ほどよりも明確に強い電圧へと数値を引き上げた。

 バチバチという音が聞こえるほどの電流が流れる。


 それでも。


「……やはり、何も感じません」


 HPも、3,976のまま。


 担当者が、興奮したように報告を上げた。


「間違いありません。同一出力への単なる耐性獲得ではありません。発生のプロセスや電圧の条件を変更しても、全て『電気』という同一の判例として処理され、完全に無効化されています!」


 直哉の内心は、(マジで個別の『技』単位じゃないんだな……事象そのものをシャットアウトしてんのか)と、そのデタラメな性能に戦慄していた。


 次に、完全に別種類の、安全な刺激による実験が行われた。

 例えば、軽い熱を発生させるヒーターによる接触。


 一回目。

 普通に熱かった。


(熱っ!)


 つまり、「電気に適応したからといって、全てのダメージが無効化されるわけではない」。

 別の事象は、また別の初回の影響を受けなければ判例化されないのだ。


 ここで、測定担当たちも少しだけ安心したように息を吐いた。全てを無効化する完全無敵のバリアというわけではないからだ。


 ただし。


「『炎』と『熱』は同じ判例として処理されるのか」

「『毒』と『化学的な刺激』はどこまで同一扱いになるのか」

「『精神干渉』や『空間操作』の種類はどう分類されるのか」


 これらの判例分類の厳密な境界線については、今日は検証を行わなかった。

 命に関わる危険な実験になる可能性があるためだ。八咫烏はこれを、「今後の継続調査案件」として書類に記録した。


 ふと、霧島がマイク越しに尋ねてきた。


「森川さん。昨日の報告にありましたが……この能力は、『時間停止』という事象に対しても適応する可能性があるとお考えですか?」


 直哉は、レイジの口調フィルターを通した声で答えた。


「説明のテキストを文字通りに解釈するのであれば、その可能性は十分にあり得ると思われます」


 しかし。

 ここで、極めて物理的な問題が一つ発生する。


「ですが、霧島さん」


「はい?」


「私は、エレノアとレイジの二つの形態を同時に顕現させることはできません」


 直哉の身体は一つだ。一人で二人に変身して、自分で自分に時間停止をかけることは不可能なのだ。


「エレノアの時間停止を、レイジの適応能力の実験に使うことは物理的に不可能ですね」


 霧島も、あっさりとした声で返した。


「そうですね。私どもの方でも、今日すぐに安全に実験の協力を頼めるような、都合の良い時間停止の能力者は用意できません」


 よって、レイジが《時間停止》という事象に適応できるかどうかは、完全に未検証のまま保留となった。


 直哉の内心は、(もし今後、別の時間停止能力者と遭遇するようなことがあったら、その時に確認できる可能性はあるか……)と考えたが、当然ながら積極的に遭遇したい相手ではない。


 また、『現在の戦闘終了』というリセットの条件が、現実世界のどこからどこまでを指すのかも不明なままだ。試験を一時中断しただけで判例が消えるのかどうかも分からず、これも「継続検証」となった。


 測定担当のリーダーが、白峰レイジのデータを総括した。


「白峰レイジ。総合Tier2。ただし、Tier2帯の中でも最上級相当」

「高い基礎耐久力と高度な剣技。そして、《既判適応》による事象単位の完全対応」

「初回の未知事象に対して《既判適応》が働かないことが最大の弱点である一方、長期戦になればなるほど著しく有利になる」

「一部の対人性能においては、Tier1相手でも脅威になり得る」


 霧島が頷いた。


「Tier2の戦力としては、最上級相当の破格の存在と考えていいでしょう」


 直哉は、ガラスの向こうの霧島たちに向かって一礼した。


(星5は、やっぱり星5だな……)


 その圧倒的な性能に、直哉自身も舌を巻いていた。


 だが。

 霧島が、手元の資料を一枚めくって、少しだけ疲れたような声を出した。


「では次に……昨日ご報告いただいた、もうお一方。御影千里さんの測定をお願いします」


 直哉は、レイジの冷徹な声で応えた。


「……そちらの方が、色々と測るのが大変そうですね」


 霧島は、一拍置いてから、即答した。


「はい」


 それはもう、心底「大変だ」と言いたげな響きだった。


 ◆


 直哉は、レイジの変身を解除し、すぐに次のキャラクターへとチェンジした。


 光が収まり、160センチの女性の姿へと切り替わる。

 観測官の特殊な制服。腰には護身用の短銃。


 視界に表示されるステータス。


『★★★★ 御影千里 Lv.1』

『HP:1,780 / 1,780』


 先ほどのレイジの3,980と比べれば、数字の差は明白だった。


 測定室の空気が、先ほどまでの「最上級の剣士」のピリピリとしたものから、一気に非戦闘職の落ち着いたものへと変わった。


 直哉の内心は、(さっきまで188センチで長剣持ってたのに、落差がすごいな)と、視点の変化に戸惑っていた。


 まずは、お決まりの『魂の定数』の測定からだ。


 担当者がコンソールの数値を見る。

 そして、もう一度見直す。


 直哉――千里が尋ねた。


「……いかがですか?」


 担当者が、少しだけ信じられないといった顔で告げた。


「御影千里さんも――Tier2相当です」


 直哉は、黙り込んだ。


「…………」


 小会議室に、本日二度目の沈黙が落ちた。


 霧島が、怪訝そうに尋ねた。


「森川さん?」


 直哉は、静かに、しかし力強く言った。


「いえ」


 一拍置いて。


「こいつ、星4のキャラクターなんですけど」


 霧島は、深い溜息をついた。


「その『星の数』については、我々八咫烏の観測機器では評価基準が分かりませんので……」


「そうでした」


 セナ、伊織、エレノア、レイジ。そして今回の千里。

 現地Tierの表記と、八咫烏のTier測定結果。五人連続の完全一致。


 直哉の内心は、(もうこれ、ただの偶然の一致って言う方が無理あるだろ)と確信していた。

 だが、なぜ一致するのか、そのシステムの根源的な理由は依然として不明なままだ。


 測定担当者が、咳払いをして解説を始めた。


「身体能力と直接戦闘性能については、これまで確認している森川さんの戦闘向け形態より、明確に低いですね」


 千里の口から、淡々とした声が出力される。


「プロフィールの情報にも、直接戦闘は不得手であると記載されております」


「ですが」


 担当者の声が、一段階高くなった。ここからが本番だ。


「観測能力に限定した際の、因果律改変規模の反応が……異常なほどに大きいのです」


 いきなり、プロフィールに書かれていた『40,000km』という地球規模のテストを行うわけにはいかない。


 まずは、八咫烏側が事前に準備した遠隔地の協力施設を使ったテストから始まった。

 東京とは別の、地方支部の一室。

 向こうの職員が、窓のない密閉された部屋の机の上に、直哉には知らされていない複数の物品を配置する。カメラの映像は東京の監視室にも伏せられている。完全なブラインドテストだ。


 千里が、能力を使用する。


 直哉の意識が、肉体からフッと離れた。

 物理的な肉体そのものは、東京の測定室の椅子に座っている。

 だが、彼の視界は一瞬にして、遥か遠く離れた地方の施設内部へと完全に切り替わっていた。


 壁も、天井の厚さも、距離の遠さも、全く関係ない。


(うわ……)


 直哉は、初めて本格的に《天眼》を使用して、そのあまりにもクリアな視界に感動すら覚えていた。


 向こうの部屋の様子。

 金属製の机。パイプ椅子。白い壁。

 机の上に置かれた、茶色い封筒。トランプのカード。そして、小さな熊のぬいぐるみ。


 直哉が、それらの物品を順番に口頭で報告する。

 東京の監視室で、向こうの支部からの正解データと照合される。


 結果は。

 完全一致だった。


 霧島が、マイク越しに感嘆の声を漏らした。


「……本当に、見えているのですね」


 直哉も、正直に答えた。


「はい。見えている私自身も、今ちょっと引いてます」


 次は、地下や遮蔽物のテストだ。


 別施設の、地下深くに作られた鉄筋コンクリートの密閉室。普通の視線や赤外線カメラでは絶対に見えない場所だ。


 しかし、《天眼》にとってはそんな物理的な遮蔽はほぼ意味を持たなかった。

 直哉は、いとも容易くその内部の様子を正確に確認し、報告した。


 続いて、距離による劣化の検証。

 東京から。関東外。九州。沖縄。

 事前に調整済みの八咫烏の協力施設を、順番に観測していく。


 直哉は首を振った。


「……距離による見え方の違いは、全く変わりませんね」


「画質の低下や、ノイズの発生は?」


「一切感じません。隣の部屋を見ているのと同じ解像度です」


 少なくとも、日本列島を縦断する程度の距離規模では、距離による明確な能力の劣化は全くないということが証明された。


 担当者が、少しだけ残念そうに言った。


「森川さん。UIに表示されているという『最大四万キロメートル』という数値自体は、現在の我々の国内の設備だけでは、実証することができません」


 直哉は苦笑した。


「まあ、そうですよね」


 地球上で普通に検証できる距離のスケールを、大幅に超えてしまっているのだ。最大値そのものを正確に測定するには、国内施設だけではどうしようもない。


 だから、八咫烏の正式な測定記録としては、『日本国内規模の観測において距離減衰なし』『対象者のUI申告値:最大40,000km』として、分けて残されることになった。


 次に、『スキル2:《広域索引》』のテストが行われた。


 事前に同意を得た八咫烏の職員一名を検索対象にする。

 直哉は、その人物の顔と特徴を一度だけ直接目で見て確認した。

 その後、その人物は地下施設のどこか別の区画へ移動する。場所は直哉には秘密だ。


 千里が、スキルを発動する。


 《広域索引》。


 対象の外見と、先ほど直接観測した人物という条件を検索キーに設定する。


 直哉の意識の中で、膨大な施設内の空間情報が高速で処理され。

 そして、「その人物だけ」が、まるで検索エンジンの結果のように、視界の中にポツンとハイライトされて浮かび上がった。


「見つけました」


 直哉が場所を報告する。

 結果は、見事に一致した。


 さらに距離を伸ばし、別の地方支部にいる承認済みのテスト対象を、事前に写真と特徴のデータだけを与えて《広域索引》で探す。

 これも、数秒で発見し、場所が一致した。


 ただ、何でもかんでも全知全能で分かるわけではない。


 ここで、霧島が逆のテストを提案した。


「では、『東京都内にいる、黒い服を着た男性』という条件で検索してみてください」


 直哉は試してみた。

 だが、視界の中にノイズが走り、無数のターゲットが重なり合って、まともに一人を絞り込むことができなかった。


「無理ですね。条件に該当する候補が多すぎて、精度が大幅に低下して特定できません」


 プロフィールの説明通りだ。

 明確な検索キーが必要であり、万能の全知ではない。


 なお、この測定で使われた検索対象は、全て事前に同意と手続きを済ませた協力者だけだった。

 実在する事件の関係者や、八咫烏が現在追跡している人物を、単なる能力測定のためだけに勝手に検索対象へ指定することはしない。


 さらに、八咫烏側が用意した一部の特殊な『観測阻害設備』を使ったテストでは、映像がノイズでぼやけたり、完全に見えないブラックボックスの区画が存在することも確認された。


 担当者が頷く。


「こちらの防御手段は、正常に機能していますね」


 直哉の内心も、(よかった……)と安堵していた。地球上の全てのプライバシーが完全に裸になるわけではないのだ。


 そして、いよいよ最後のEXスキルの測定だ。


 《天眼全開・地平総覧》。


 ただし、当然ながら、初日から「四万キロ全域を無差別にスキャンしてこい」というような許可は八咫烏からは出ない。一般市民のプライバシーに対する重大な侵害になるからだ。


 そのため、八咫烏側が事前に準備した『複数の承認済みテスト対象』だけを検索条件に指定して行われた。


 日本国内の複数地点。

 北海道、東北、関東、中部、関西、九州、沖縄。

 各地の支部に分散して配置された、十二人の協力者たち。直哉には、その配置場所は完全に伏せられている。


 目標は、『《地平総覧》の一回の発動で、その全員を同時に抽出してマッピングできるか』。


 直哉は、深く息を吸い込んだ。


 千里の知覚が、東京の地下室から、日本列島全体へと大きく広がっていく。


 同時に。

 東京に残っている肉体側の、視覚、聴覚、そして身体の操作感覚が、急激に遠のいていくのを感じた。


(……うわ、きっつ)


 直哉の身体が、椅子の背もたれに深く沈み込む。

 霧島からのマイクの呼びかけに対しても、返事の反応が数秒遅れるようになる。

 プロフィールにあった通り、能力の処理に知覚の大半を持っていかれ、本体がほぼ無防備な状態になるのだ。


 数秒後。


 直哉の口から、重い声が出力された。


「……十二人。全員、見つけました」


 直哉は、頭の中に展開された日本地図のマッピングデータを、順番に読み上げていった。


 北海道の支部。東北の施設。関東。中部。関西。九州。沖縄。

 その全てが。

 八咫烏側が設定した正解のデータと、完全に一致していた。


 たった一回の広域検索で。

 日本列島全域に散らばったターゲットを、同時に特定したのだ。


 その瞬間。

 因果律改変反応を監視していた測定担当の職員の顔色が変わった。


「……ちょっと、待ってください」


 別の担当者も、慌てて隣の画面を覗き込む。

 キーボードを叩き、何度も再計算を行う。


 霧島が、少し焦ったような声で尋ねた。


「どうしました?」


 担当者が、慎重に報告した。


「御影千里さん本人の、魂の定数は、間違いなくTier2です」


「ええ。先ほど確認しましたね」


「ですが――」


 担当者は、モニターに表示された測定値を指差した。


「先ほど実施した、日本列島規模の《天眼全開・地平総覧》については。条件を限定した観測機能であることを考慮しても……今回確認できた範囲だけで」


 一拍置いて。


「観測という限定分野における因果律改変規模は、Tier1相当に達している可能性があります」


 直哉は、椅子の背もたれに沈み込んだまま、完全に沈黙した。


「…………」


 霧島が、マイク越しに声をかけた。


「……森川さん?」


 直哉は、重い口を開いて、今日二回目のお約束の台詞を放った。


「こいつ、星4なんですけど」


 霧島は、全く同じトーンで返した。


「先ほども伺いました」


 測定室に、シュールな笑いにも似た沈黙が流れた。


 ここは、八咫烏側も慎重に、そして丁寧に説明を行った。


「誤解しないでください。御影千里さんという存在そのものが、Tier1の階層へ変化しているわけではありません」


 直哉が首を傾げる。


「じゃあ、どういうことですか?」


「魂の定数という絶対値は、あくまでTier2です。ただ、あの《地平総覧》というスキルは、その用途を『遠隔観測』という一点へ、異常なまでに限定しています」


 担当者が解説を続ける。


 直接の戦闘能力は低い。

 発動中は本人がほぼ無防備になるという大きなリスク。

 明確な検索条件が必須。

 そして何より、その能力を物理的な破壊や攻撃といった『観測以外』の用途へ転用できないという、極端な限定。


「その代わりに。その強い制約の下で、『観測』という限定された分野に限って、今回の国内広域走査の時点ですでにTier1級の改変規模を実現していると考えられます」


 直哉は、少しだけ目を見開いた。


「じゃあ……プロフィールに書いてある、本当の最大四万キロまで広げた場合は?」


 担当者は首を振った。


「そこまでは分かりません」


「今回我々が実測したのは、あくまで日本列島規模です。最大四万キロメートルという表示そのものは未検証ですから、そこまで展開した場合の評価を推測で確定することはできません」


「なるほど……」


 つまり。


 最大値まで試してすらいない。


 それでも、国内規模の走査だけでTier1級の値が出た。


 直哉の内心に、新たな嫌な汗が滲んだ。


(……星4なんだよな、こいつ)


 直哉は、以前霧島から聞いた話を思い出した。


「能力の発動条件や制約を厳しく縛ることで、能力の出力そのものが強くなるって話……前に聞きましたけど」


「ええ。その極端な一例として説明が可能だと思います」


 ただし。


「なぜ、そこまで限定的な特化能力が生まれたのか、その詳細な原理については、まだ断定できません」


 《因果集結クロニクル》のキャラクターたちの出典世界や、そのシステムの全貌までが解明されたわけではないからだ。


 全ての測定が終了し、最終的な総評がまとめられた。


『白峰レイジ』

 総合Tier2。Tier2帯の最上級相当。

 高い基礎耐久力と、高度な剣技。

 《既判適応》による事象単位の完全対応能力。

 初回の未知事象が最大の弱点だが、長期戦や対人戦においては極めて強力。

 能力の性質だけを見れば、Tier1級であっても不自然ではない。


『御影千里』

 総合Tier2。

 直接の戦闘能力は低い。

 ただし、遠隔観測と索敵の性能は規格外。

 《天眼全開・地平総覧》は、今回確認された日本国内規模の広域走査の時点で、『観測能力』に限定してTier1級の改変規模を示した。

 UIに記載された最大40,000km展開時の評価については、未確認。


 直哉は、椅子に座ったまま一人で内心で突っ込んでいた。


(星5のレイジがヤバいのは分かるけど……星4の千里も、方向性が完全におかしいだろ、このゲーム)


 ◆


 千里の姿から元の三十四歳の直哉へと変身を解除し、小会議室の休憩スペースへと戻ってきた。

 さすがに《地平総覧》の直後なので、直哉の顔には少しだけ疲労の色が浮かんでいた。


 出されたスポーツドリンクを飲み干し、直哉は大きく息を吐いた。


「いやぁ……今日は色々とすごかったですね」


 向かいに座った霧島も、深く頷いた。


「ええ。私どもも、多くの新しいデータを得ることができました」


 そして。

 霧島は少しだけ間を置いて、真剣な顔で直哉を見た。


「森川さん」


「はい?」


「本日の測定結果を踏まえて。ここで一つ、八咫烏から森川さんに、ご相談があるのですが」


 直哉は首を傾げた。


「相談?」


 霧島は、姿勢を正して言った。


「週に一度ほど、こちらの八咫烏の施設に出向いていただき。『オペレーター業務』をお願いすることは可能でしょうか」


 直哉は、目を瞬かせた。


「…………」


「オペレーター?」


 霧島は、真面目なトーンで説明を続けた。


「はい。御影千里さんの《天眼》の能力を使用した、我々の遠隔観測および捜索支援の業務です」


 例えば。


 行方不明になった重要人物や能力者の捜索。

 危険な怪異事故現場の、突入前の状況確認。

 広大な異界領域の内部に取り残された、要救助者の位置特定。

 遠隔地の危険区域の安全確認。


 八咫烏が抱えている、そういった数多くの事案のサポートだ。

 ただし、直哉が好き勝手に人の家を覗いていいわけではない。正式な行政手続きを経た、承認済みの案件のみを対象とする。


 直哉は、戸惑いながら言った。


「……なんだか、随分と突然な話ですね」


 霧島は苦笑した。


「ええ。私も昨日までは、森川さんにこのようなお願いをするとは微塵も思っていませんでしたから」


 昨日まで、直哉自身が『御影千里』という形態を使うことすらできなかったのだから、当然だ。


 直哉は、純粋な疑問を口にした。


「でも、わざわざ俺に頼まなくても。八咫烏ほどの組織なら、他にも遠隔視の能力を持ってる人なんて、何人かいるんじゃないですか?」


 霧島は、少しだけ言い淀んだ。


「……実を言いますと。今回の千里さんのように、これほど広域で精密な遠隔視能力を持つ協力者が、現在の八咫烏にはいないのです」


「え?」


 直哉は驚いた。


「いないんですか?」


「いえ。類似した遠隔視や広域観測の能力を持つ能力者『そのもの』は、国内に存在していることは確認されています」


「じゃあ、その人たちに頼めばいいんじゃないですか?」


 霧島は、少しだけ言葉を選んで、渋い顔で言った。


「一応、類似の能力者はいるのですが……」


「はい」


「あいにく、その人物は、我々八咫烏に対しては『極めて非協力的』なスタンスを取っていまして」


 霧島の説明は、そこまでだった。


 直哉も、空気を読んで深く追求することはしなかった。


「ああ……なるほど。色々と大人の事情があるんですね」


 霧島は、話を本題へ戻した。


「もう一つ、既存の設備では代替できないという事情もあります」


「設備?」


「はい。八咫烏が各地で運用している因果律改変反応のセンサー網は、異常な反応が発生した地点や時刻、規模を把握するためのものです」


 霧島は、分かりやすく言葉を区切った。


「ですが、その反応を起こした人物が誰なのかを常に特定したり、建物の内部を直接見たり、既知の人物を全国から検索したりできる設備ではありません」


「ああ……」


 直哉にも、その違いはすぐに分かった。


 センサーは、何かが起きたことを検知する。


 千里は、その先を直接『見る』。


「《天眼》は、我々の既存の広域監視設備とは、そもそも用途の違う能力なんです」


 霧島は、直哉の持つ能力がいかに八咫烏にとって重要かを説明した。


「現状、我々が遠隔地の詳細な状況確認を必要とする場合。どうしても、現地支部の人間や実働の協力者を現場へ派遣し、直接確認してもらう必要があります」


「はい」


「ですが、千里さんの《天眼》があれば。人員を危険な現場へ直接入れる前に、安全な場所から内部の状況を確認できます」


 これは、人命救助の観点からも極めて大きい。


 いつ崩落するか分からない建物。

 強力な怪異が潜んでいる地下施設。

 行方不明者がどこに倒れているか。


 現場の救助隊が突入する前に、『どこに何がいるのか』『どの経路が使えるのか』を事前に把握できる可能性があるのだ。


 直哉は、深く納得した。


(ああ……)


 これまで、直哉自身が能力者としての仕事をする中で、「敵がどこにいるか分からない」「助ける相手がどこにいるか分からない」という情報の不足に、何度も苦労してきた。


 ならば、プロの行政組織が、喉から手が出るほどこの能力を欲しがる理由も痛いほど分かる。


 直哉は、一つだけ確認した。


「でも、これ……普通に他人の家の中とか、プライベートな空間も見えちゃいますよね?」


「はい」


「俺が勝手に色々探して、覗き見してもいいってことですか?」


「いいえ。絶対に許可しません」


 霧島は即答した。


「観測対象については、我々八咫烏側で事前に適法性と必要性を厳重に確認します。森川さんにお渡しするのは、承認済みの案件のリストだけです」


 対象の人物。目的。観測の範囲。必要な情報。

 全てが明確に指定される。直哉が暇つぶしで好き勝手に誰かを検索して覗き見るような、下世話な業務ではない。


 直哉は、昨夜読んだ千里のプロフィールの一文を思い出していた。


『見えることと、見てよいことは違います』


(ああ。千里の元の世界での仕事も、たぶんこういう厳格なルールの下での運用だったんだろうな)


 そう思えば、直哉にも倫理的な抵抗感は全くなかった。


 直哉は、具体的な勤務の条件を確認した。


「具体的には、どれくらいのペースで働く感じですか?」


 霧島は資料を取り出した。


「まずは試験的に、週に一回」


「はい」


「一回につき、三時間程度の業務時間を想定しています」


 直哉は頷いた。


「週一で、三時間」


 ここで、昨日から頭に引っかかっていた三枠編成のことも思い出す。


(週一で千里を使うなら、その日は千里を編成に入れてくればいいだけか)


 毎日固定する必要はない。

 仕事に合わせて編成を変える。


 昨日初めて突きつけられた『三枠しかない』という制限が、こういうところでも実際の仕事選びに関わってくるらしい。


「危険な現場へ直接行ったりすることは?」


「ありません。基本的には、こちらの八咫烏の施設内の安全な部屋で、オペレーターとして座っていただきます」


「戦闘は?」


「純粋な観測のオペレーター業務ですので、原則としてありません」


 直哉の内心が、(……おお?)と少しだけ色めき立った。


「三時間を超えて、めちゃくちゃ残業させられたりは?」


「案件の進行状況によって多少前後する可能性はありますが。原則として、予定された時間内に終了するようにスケジュールを組みます」


 さらに霧島は付け加えた。

 緊急対応の呼び出しは、今回の定期契約には含めない。もし深夜や休日に緊急の観測が必要になった場合は、別案件の依頼としてその都度相談する、と。


 直哉は、頭の中で条件を整理した。


 週一。一回三時間。

 完全屋内。安全。

 仕事の内容は明確。

 原則、残業なし。時間が来れば帰宅。


(…………)


(何これ。めちゃくちゃホワイトな職場環境じゃん)


 かつてのブラック企業での終わらないサービス残業を思い出し、直哉は少し感動すら覚えていた。


 そして、最も重要なポイント。


 直哉は、ちょっとだけ遠慮がちに尋ねた。


「ちなみに……そのオペレーター業務の報酬って、どれくらいなんでしょう?」


 霧島は、当然のように手元の資料の数字を見た。


「基本報酬は――」


「一回につき、百万円を予定しています」


 直哉の動きが、完全に止まった。


「…………」


 数秒後。

 直哉は、自分の耳を疑って聞き返した。


「今、一回って言いました?」


「はい」


「月給、じゃなくて?」


「一回の業務につき、百万円です」


「三時間座って見てるだけで?」


「はい。原則三時間程度の拘束で、百万円です」


 直哉は、再び沈黙した。


「…………」


 直哉の頭の中で、猛烈な勢いで電卓が弾かれる。


 一回、1,000,000円。

 週一回。一ヶ月で約四回の出勤。

 月収、400万円。


 もし、この仕事を一年間継続したら。

 五十二週として。


 年収、約5,200万円。


 直哉の顔面から、スッと表情が抜け落ちた。


(待って)

(この週三時間座ってるだけの仕事だけで、年収五千万超えるんだけど!?)


 直哉は、たまらず声を上げた。


「いくらなんでも、高すぎませんか!?」


 だが、霧島は即答で否定した。


「いいえ」


 直哉は、そこでふと以前の話を思い出した。


「あれ。でも前に、高額な報酬には色々と制限があるって聞きましたけど……これ、制度的に大丈夫なんですか?」


「問題ありません」


 霧島はすぐに説明した。


「以前問題になったのは、契約成立後にクライアント側が、不自然な高額の謝礼や成功報酬を恣意的に上乗せするケースです」


「今回の百万円は、業務内容、拘束時間、能力の希少性、想定される代替コストを事前に評価した上で設定する、正規の基本報酬です。契約時点から明記されますので、制度上の問題はありません」


「ああ、そういう違いか……」


 霧島は続けた。


「御影千里さんの能力を使用することで、我々が危険な現場への実働部隊の人員派遣を一回削減できるだけでも。それに伴う人件費、危険手当、移動コスト、現場の事後処理などの諸経費を考えれば、十分に採算が見合います」


 さらに、霧島は真剣な声で続けた。


「それに。救助案件であれば、これは単純な費用の問題でもありません」


 人命。

 対応までの初動の早さ。


 この能力なら、瓦礫のどこに人が埋まっているかを、現地の救助隊が闇雲に探し回る前に見つけられる可能性がある。


 だから、一回百万円という価格でも、八咫烏側には十分な価値があるのだ。


 直哉は、これまでの自分の仕事を思い返した。


 お嬢様の玲蘭の護衛。

 三日間泊まり込みで張り付き、Tier2の暗殺者と命懸けの死闘を演じ、ボロボロになって死にかけた。

 報酬は、確かに大きかった。


 それに対して、今回の仕事。


 安全な八咫烏の施設で、椅子に座る。

 三時間、遠くの景色を見る。

 報酬、百万円。


(…………)

(俺、現場で命懸けで剣振り回して戦ってる時より。安全な椅子に座って遠くを眺めてる時の方が、圧倒的に時給高くねえか?)


 直哉は、自分の能力者としてのアイデンティティが揺らぐような、地味なショックを受けていた。


 霧島が、契約書を取り出した。


「もちろん、いきなり長期の契約をお願いするつもりはありません」


 まずは、四週間。

 週一回で、合計四回の出勤。

 これを『試験運用期間』とする。双方に問題がなければ、その後、正式な継続を相談する形だという。


 直哉は頭の中で計算した。

 試験期間の一ヶ月だけで、四百万円の収入だ。


(お試しの試験期間で四百万……)


 直哉の会社員時代の金銭感覚は、もう完全に音を立てて崩壊していた。


 直哉は、念のための最後の確認をした。


「俺がこの仕事嫌になったら、四週間で辞めてもいいんですか?」


「もちろんです」


「本当に危険な現場には行かない?」


「はい」


「深夜の緊急呼び出しは、強制じゃない?」


「別途相談です。今回の契約の義務には含めません」


「俺が見る観測対象も、そちらでちゃんと合法的に確認済みの案件だけ?」


「はい」


 直哉は、息を吐いた。


「…………」


 もはや、断る理由が見当たらなかった。


「やります」


 霧島が、ホッとしたように頭を下げた。


「ありがとうございます。助かります」


 直哉も、深く頭を下げた。


「いや、むしろこっちからお願いします。一生ついていきます」


 こうして、契約書にサインが交わされた。


『《広域観測支援業務・試験運用契約》』

『試験期間:4週間(原則週1回)』

『一回3時間程度。基本報酬:1,000,000円/回』

『八咫烏指定施設内でのオペレーター業務。実戦参加なし』

『緊急対応:契約対象外。必要時は別途依頼』

『観測対象:八咫烏が事前承認した案件に限定』


 直哉は、何度その契約書を見返しても、「条件がおかしすぎるだろ」と笑うしかなかった。


 これで、直哉には新しい肩書きが増えた。

 八咫烏の正規職員ではない。だが、週に一回の『外部オペレーター契約』を持つことになった。


 警備員。

 異界の探索者。

 要人の護衛。


 そして今度は、広域観測オペレーター。


 ガチャで引いたキャラクターの能力によって、直哉の現実世界における『仕事の種類』そのものが、どんどん拡張されていく。


 ◆


 帰り際。


 霧島が言った。


「では、初回の業務は来週を予定しています」


「分かりました」


「具体的な観測案件のリストについては、当日こちらでご用意しておきます」


「了解です」


 直哉は、契約書のコピーをカバンにしまい、八咫烏の施設を後にした。


 帰り道。

 夕暮れの街を歩きながら、直哉はぼんやりとこの数日間のことを考えていた。


 昨日。

 怪盗ノクターンを追いかけて、地下の通路を全力で走った。


 少し前。

 暗殺者のノアに殺されかけ、玲蘭を守るためにボロボロになった。


 その極限の結果として、昨夜引いた二人の新キャラ。


 ★5の白峰レイジは、Tier2帯でも最上級相当と評価された、正面戦闘に極めて強いキャラクターだ。


 それなのに。

 実際に直哉の現実世界に『新しい安定した仕事』と『莫大な収入』を生み出してくれたのは。


 直接戦闘には向かない、サポート★4キャラである御影千里の方だった。


 直哉は、空を見上げて小さく笑った。


(ガチャのキャラクターって、やっぱりレアリティの星の数だけ見ても、何がどう役立つか全然分かんねえな)


 そして、もう一度頭の中で繰り返す。


 一回三時間。

 百万円。


(……いや)

(それにしても、やっぱり三時間で百万円は高すぎないか?)


 少しだけ冷静に考えてみたが。

 霧島の、「いいえ」と即答した顔を思い出す。


 直哉は、肩をすくめて独り言を呟いた。


「まあ、向こうが喜んで払ってくれるって言うなら、ありがたく貰っておくけどさ」


 彼の新しい『ホワイトすぎる副業』が、こうして一つ増えた。

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