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凄腕の毒使い、五歳児を拾う【短編】  作者: キタノユ


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第2話 森の出会い

 責務を果たし、隊を離れた仮面の男は、木々の間を滑るように進んでいた。

 やがて、男は森の奥深くに隠された小さく粗末な小屋へと降り立つ。


 引き戸を開け、静寂に満ちた土間に足を踏み入れると、ようやく息をついた。

 仮面を外し、腰の革帯にくくりつける。


 あらわになった素顔は、禍々《まがまが》しい仮面の印象とは裏腹に、涼やかな目元をした端正な顔立ちをしていた。

 年の頃は三十手前の、まだ青年と呼べる面持ちだ。


 男の名は、藍鬼らんき

 だがこれも、毒使いとしての仮の名である。


 藍鬼は腰に巻いた道具袋を解き、居間の板張りに腰を下ろした。

 懐から取り出したのは、砦の制圧に使用した毒針や、残った調合薬の小瓶たちだ。


 一つ一つの道具の状態を、丹念に確認していく。

 即効性の麻痺毒、幻覚を見せる香、体を弛緩させる神経毒。

 どれも自身で調合し、改良を重ねた一級品だ。


「……ふむ」

 針の一本に、微かな刃こぼれを見つけた。

 砥石を取り出し、丁寧に針を研ぎ始める。


 シャリ、シャリ、と微かな音が室内に響く。

 こうしていると、任務でたかぶった熱の余韻が、徐々に引いていく。


 ――ふと。


 森の気配が、変わった。

 鳥の声が止み、蟲の音が絶えた。


「ん?」

 研ぎ作業をしていた手が、止まる。


 遠くから、地鳴りのような咆哮が響いた。


「妖獣……この辺りの、ヌシか」

 藍鬼は顔を上げた。


 妖獣は、静かに喰らう。

 人や獲物に吼えかけることは、珍しい。


「喧嘩でも始まるか」

 別の獣や妖獣でも迷い込んで、縄張りを犯したか。

 触らぬ妖に何とやらを決め込もうと、藍鬼は再び砥石へ視線を戻しかけた、その時――


 二度目の咆哮が轟いた。


「……」

 藍鬼は視線を格子窓の外へ向けたまま、両手甲を締め直した。

 立ち上がり、腕と腰の刃物差しに苦無や針を差し直す。

 最後に仮面を再び装着し、小屋を飛び出した。


 気配の元へ疾駆する。

 森の木々が恐れをなしたように、ざわめいている。

 近づくにつれ、濃厚になる獣臭と、破壊の音。


 高枝を伝い、梢をかき分ける。

 目に飛び込んできたのは、灰色の小山だった。


 月明かりの下、巨大な猪が暴れている。

 真っ赤の充血した三つの眼――風貌の通り、三つ目猪と呼ばれる妖獣だ。


 その巨体の前で、小さな影が跳ねた。

「ガキ……?」

 幼い子供が、妖獣に正面から立ち向かっている。

 あろうことか小刀を振りかぶり、


「母さまを喰ったのか!!」


 絶叫と共に、細い腕を振り抜いた。

 放たれた刃が猪の三つの目、その中央に突き刺さる。


――ブゴォオオオオオオ!!!


 怒り狂った凄まじい咆哮が上がった。

 衝撃波が木々をなぎ倒し、子供の小さな体を切り裂き、吹き飛ばそうとしている。


「炎神・壁」


 判断するより早く、藍鬼の体は動いていた。空中に印を結ぶ。

 子供と妖獣の間に、真紅の炎の壁が出現。熱波の向こうで、猪が怯んだ。


「散」

 着地と同時に炎を消し去り、藍鬼は子供の前に立った。

 背中で庇った小さな気配が「え……っ」と息を呑む。


――ブルゥウウウウウ!!


 紅潮した針毛を逆立てた巨体が、突進してくる。

 藍鬼は背後の子供を小脇に抱え上げ、跳躍した。


「わ、わ!?」

 子供が暴れるが、構っている暇はない。

 大木の枝へ飛び移り、さらに頭上へ。

 眼下で、猪の鼻先が大木を横薙に、へし折っていく。


 空中で身をひるがえしながら、藍鬼は右手で革帯から一本の針を抜いた。


 狙うは、延髄えんずい

 猪が首を振り上げた一瞬の隙、急所の一点。

 藍鬼は子供を抱えたまま、利き手を振り抜いた。


――ブゴッ


 短い断末魔と共に、巨体がどうと崩れ落ちる。


 着地し、藍鬼は子供を地面に転がすように下ろす。


「え……え……?」

 尻餅をついた子供は呆然と、動かなくなった妖獣を見つめていた。


 泥と葉屑にまみれた子供の姿は、森の腐葉土から這い出した幼獣のようだ。

 闇色の髪は乱れ、継ぎ接ぎだらけの麻の着物はあちこちが破れている。

 痩せこけた頬や手足に、赤い線があちこちに走っていた。


「すごい、すごい! ね、ねえ、おじさん」

 子供が弾かれたように顔を上げ、藍鬼を見上げた。

 夜闇の中でもはっきりと分かるほど、黒曜こくようの瞳が爛々《らんらん》と輝き、あふれんばかりの好奇心でうるんでいる。


「どうやってあの妖獣を倒したの……!?」

 藍鬼の仮面を恐れるどころか、子供はズリズリと膝で地面を這い、藍鬼の足元へ詰め寄った。泥だらけの小さな指が、藍鬼の装束を躊躇ためらいなく鷲掴わしづかみにする。


「……おじさんは、やめろ」

 藍鬼は仮面の下で目をひそめ、足元にまとわりつく小さな生き物を見下ろした。

 小さく息を吐く。


 厄介なものを拾ってしまったかもしれない、と予感しながら。

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