……だけど、それでも……
「……そっか、中学生なんだね。僕は黒川葉雪、大学3年生です。よろしくね、宗良さん」
「うん、よろしくね、葉雪さん。それから、陽乃でいいよ」
「……えっ? でも、名前で呼ぶのはちょっと――」
「嫌なの?」
「……いや、嫌と言うわけでは……うん、分かった……陽乃、さん」
「ふふっ。別に、呼び捨てで良いんだけど……うん、まあいっか」
それから、ほどなくして。
公園のベンチにて、ほのぼのとそんなやり取りを交わす僕ら。……うーん、名前で呼ぶのは正直苦手なんだけど……なんか、せめてそう呼ばないと返事してくれなさそうな雰囲気だったので。
ともあれ、彼女――陽乃さんは、この辺りの公立校に通う中学生のようで。教えてくれた学校名に覚えがあるなと思ったら、配達中に通るあの中学だったようで。
ところで、そんな彼女がどうしてここにいたのかと言うと――果たして、ここ最近いつも僕の来る少しくらい前にコーヒーを置いててくれて、今日もそうしてくれていたのだけど……いつもの通り僕のいなくなったであろう頃に確認に来てみたら、なんとまだ未開封のコーヒーが置かれたままで。それで何かしらの事情でまだ来ていないと察し、新しく暖かいのを置くべく既に置いてあったコーヒーを回収していたところで、ちょうど僕が来てしまい……うん、ほんと間が悪くてごめんなさい。……ただ、それはそれとして――
「……ねえ、陽乃さん。どうして、いつも僕にコーヒーをくれたの?」
そう、さっそく本題へと入る。もちろん、雑談をしてからでも良かったんだけど、生憎のこと僕にそんな高等スキルは備わってないし……それに、どうしても先に聞いておきたかったから。
「……やっぱり、気持ち悪いよね?」
「あっ、いやそんなことない! その、何処の誰かも知らなかったし最初はちょっと怖かったけど……でも、嬉しかった」
「……なんで?」
「……そうだね、こう言うとこっちこそ気持ち悪いかもしれないけど……心が、伝わったからかな? このコーヒーから……この文字から、差し出してくれた人の心の暖かさが」
「……そう、なんだ」
すると、僕の言葉に呆気に取られたような表情で呟く陽乃さん。……まあ、そうなるよね。こんなこと、いきなり言われてもわけが分からないだろうし。
それでも、そう思った――いや、感じた。それが何故かと問われれば、上手く言語化は出来ないのがもどかしけど、それでも――
「……それで、理由なんだけど……貴方が、輝いてたから、かな」
「…………へっ?」
すると、不意に届いた思わぬ答えにポカンと呆気に取られる僕。……輝いてた? 僕が? いや、僕の人生にそんな瞬間は一度もない。自分で言っててちょっと虚しくなるけど、残念ながら僕の人生にそんな瞬間は一度もない。ひょっとして、他の誰かと間違って――
「……私、虐待を受けてたの。お母さんから」
「……っ!?」
そんな疑問の最中、不意に届いた衝撃の言葉。茫然とする僕に、彼女はポツリポツリと詳細を話し始める。幼少期にお父さまを病気で亡くし、その後ほどなくお母さまから暴力、ネグレクトなどの虐待を日常的に受けていたこと。そして、それが数年続いた後ようやく児童養護施設により保護――その後、それを知った父方のご祖父母が彼女を引き取り、現在は3人で住んでいるとのことで。
「……正直、苦しかった。あれ以降、私を大切に育ててくれたおじいちゃんとおばあちゃんには申し訳ないんだけど……それでも、生きててもしょうがないなんて思ってた。お父さんは死んじゃって、お母さんからは毎日のように虐待……なんで、私だけって……他の子達はみんな仲の良いお父さんとお母さんがいるのに、なんで私だけって思ってた」
「…………」
「……でも、そんなある日の朝……ふと、窓の外を見たら、貴方がいたの。しんしんと雪の降る寒空の下、懸命に自転車を押し進める貴方が。遠目からにも本当に辛そうで、それでも投げ出さないその姿に……私は、胸を打たれた。こんなに大変そうな人が、目の前にいる。なのに、なんで私は立ち止まってるんだろう。なんで、過去を言い訳に生きることを諦めてるんだろう、って」
「…………陽乃さん」
彼女の言葉を聞き終えた後、ややあってポツリと呟きを洩らす僕。……ただただ、申し訳なく思った。もちろん、分かった気になんてなっちゃいけない。彼女の苦痛は、彼女だけのもの――分かった気になんてなっちゃいけない。
……だけど、これだけは分かる。彼女よりも、僕の方が苦しい――なんて、そんなはずがないことは。……だけど――
「……あっ、言い忘れてたけど……ありがとね、葉雪さん。ありがとう、ってここにいつも書いててくれてたこと……すごく、すごく嬉しかった」
「……ううん、こちらこそ……こちらこそ、本当にありがとう、陽乃さん」
すると、メモ用紙を手に取り告げる陽乃さん。初めて見た、彼女の――きっと、心からのあどけない笑顔で。
彼女の苦痛は、彼女だけのもの――僕が、分かった気なんてなっちゃいけない。……だけど、それでも……こんな僕でも、少しでも……ほんの少しでも、苦しむ彼女が前を向く理由になっているのなら、僕は――




