145:夜は未だ明けず。されど白み始める。 ※
今回はサキ視点となります。
人を選ぶ描写がございます。
ご注意ください。
「ごめんなさい。私に出来るのはこれくらいだから……」
私が覚えている中で最も古い光景は、父に殴られる母の姿だった。
抵抗したわけじゃない。口答えしたわけじゃない。粗相したわけじゃない。
本当にただそこに居たからと言う理由で母は無表情のまま殴られていて、対する父は最初は怒った様子だったが、やがて嬉々とした様子で殴っていた。
もう潰されてしまった酒場の看板娘でしかなかった母に出来る事は、正妻様に私を託して、自分は父に媚びへつらって、少しでも周りへの被害を抑える事だけだった。
やがて二十五を過ぎ、一般的には若いけれど、父にしてみれば母は老いたからか、母は離れに捨て置かれるようになったが、その時には既に母は一日中、ただ呆けるようになっていた。
「もう貴方の御傍には居られません……」
私が覚えている中で最も衝撃的だった光景は、姉のように慕っていた侍女が父に穢される姿を見せられると言うものだった。
幸せそうだった。嬉しそうだった。楽しそうだった。
だから狙われた。義兄様の忠誠心を試すと父は言っていたが、その顔は喜色と獣欲に塗れた物で、私が知る限りで最も醜い表情だった。
義兄様も私も耐え忍ぶ他なかった。目は逸らさなかった。耳を塞がなかった。全てを覚えて薪とする事だけが出来る事だった。
義兄様の恋人だったはずのその人は事が終わった後、泣き叫び、狂い悲しんで。今は私の従兄弟を名乗っている男を産むと、世を儚んだ。
「貴方たちが……貴方たちだけが希望なのよ……」
それからも私たち三人兄妹の周囲では沢山の人が亡くなったり、傷つけられたり、壊されたりしていった。
正妻様は必死になって庇い、私たちを慈しむと共に真っ当な教育を施してくれたが、だからこそ囚われて、私たちの枷にされてしまった。
侍女が何人も穢された。騎士は冤罪で貶められた。文官たちは口を封じられた。魔術師たちは壊れるまで使われた。友人が、同志が、罪のない平民が消されていった。
それでも私たちは耐えた。
父を破滅させる。ただそれだけの為に。
「俺は宮廷魔術師になる。あっちでの準備をする」
「私は次期領主として、証拠を集めます」
「私は……」
だから、それぞれに出来る事を、表向きは父に従っているように見せながら続けていった。
私は貴族院で多くの事を学び、王城の魔術師として就任し、王城に居る父の味方を統括しているように見せつつ、適度に情報を流すことで遅延させた。
そんな中でドラゴンとの戦いが起こり……。
「顔に傷が残っただと。ならば教会に入れ。顔に傷がある女に価値などない」
私は父のこの言葉と共にトリニア教会に入れられる事になった。
この言葉を告げられた時、私の近くに居たジャン様は怒りの感情でその身を満たされていた。父の背後で聞いていた義兄様もその場で父を縊り殺しそうなほどに怒りの感情に満たされていた。
だが私は……不思議と冷え切っていた。自然と二人の心を操って落ち着かせていた。
此処で殺してしまった方が未来の被害は少なくなると分かっていても、父が隙を晒した貴重な機会であると分かっていても、私は止めてしまっていた。
この程度で殺してしまっては、気持ちが収まらない。もっと絶望的な状況に追い込んでやらなければ気が済まない。お前が築き上げた全てが壊れたのを目にしてから死ね。
復讐にあらず。恨みにあらず。ただただ、父の破滅が見たいと言う浅はかにしてどす黒い思い。
だが、私自身の偽らざる思いでもある。
それを認識したこの時。私は私の中にある父の血を最も強く感じた。
そして、それに抗う気も無かった。
私は間違いなく悪党外道の類であった。
「貴……様……」
「ごきげんよう。大丈夫です。貴方の仕事は引き継いであげますから」
だから躊躇わなかった。
私に迫って来た父の昔からの友人を一人、自殺に見せかけて縊り殺すことで、父が抱く歴史に名を残したいと言う思いに拍車をかけてやった。
父が浅はかにも抱いた王位簒奪の思いを叶えられる可能性があるように見せるべく、『ブラックハート』と言う組織を構築し、呪われた品を横流しした。
父の味方である事を装ってその懐に入り込み、入れ替わるように情報を持たせた下の義兄様を王都に逃がした。
私の本懐を遂げられるように。
「よいか。貴様に二つのレリックを貸し与えてやる。これを用いる事で、宮廷魔術師の連中を……そうだな。半分だ。半分でいいから仕留めて来い」
「わ、分かりました」
「安心しろ。守護のレリックがあれば、宮廷魔術師程度の攻撃が通る事はない。それはもう証明されている。そして、それに比肩する攻撃のレリックもあるのだから、当たりさえすれば宮廷魔術師などどうとでもなる」
そして今。
領都は王城と周辺領地の軍勢に囲まれている。
普通に考えれば絶体絶命の状況であるが、父はまだ何とかなると考えているようだった。
それは数年前に領都内で発見されたらしいレリックの力が絶対無敵な物であるように感じているからだろう。
「しかし、相手の一人、『闇軍の魔女』はトリニティアイだと聞きますが……」
「ふん。トリニティアイと言っても、所詮は小娘よ。対して我らが持つのは聖地トリニアにてその名を轟かせた聖アンザンシの作り上げた至宝だぞ。当たらなければ通用しないだろうが、当たりさえすればどちらが勝つかなど考えるまでもない」
「そ、そうでございますな。いや、義兄殿はご慧眼であらせられる」
「ふはははは、そうであろう。そうであろう」
だから、浅はかにも父の妹の婿……私から見れば叔父にあたる男にレリックを持たせ、使者として宮廷魔術師たちの所へ送り、殺害を試みるようだった。
本当に浅はかだ。
レリックの力は私も認めるところであるが、名剣を素人が振るったところで、素人には変わりないと言うのに。
でもそれでいい。
レリックを打ち破られる事で、父は窮地に陥る。
だがこれだけでは足りない。
直感だが、私はそのように感じた。
「……」
「御不満ですか? トレイタル様」
だから私は囁いてやった。
姉と慕ったあの人の血を継いでいるとは思えない。私よりも濃く父の血を継いでいると感じる。従兄弟を名乗る腹違いの弟に。
「では、貴方様も出られればよろしいのです」
「!?」
魔術を……『精神』属性だけでなく、つい最近に目覚めた第二属性『未明』も生かした。明かりの無い暗闇の中に一筋の光が差し込んだかのような印象を抱くように心を動かしてやる。
「いや駄目だ。勝手に出ては伯父様に迷惑が……」
「いいえ、これは必要な事です。確かにあのレリックがあれば、トレイタル様の御父上が傷つく事はないでしょう。ですが、最初の一撃で難を逃れた宮廷魔術師を、周囲に居る王城や周辺領地の有象無象共を狩るためには、別の力が必要になります」
「別の力……」
「将来、侯爵様の地位を継ぐのでしょう? それならば武功は少しでも多い事に越したことはありません。力を振るいたいのでしょう? 抵抗する者を殺すとなれば、抵抗しない者を狩るよりもより多くの満足感を得られるそうですよ」
「武功……満足感……」
「侯爵様に叱られたなら、その時は適当な者を……それこそ私が唆したのだと、責任を押し付ければよいのです。上手く行ったなら、その時は貴方様の手柄にしてしまえばいいのです。何も恐れる事など無いのですよ」
「……。ああそうだな。では、準備を整えてくるとしよう。ふふふ、貴族院の馬鹿教師共は認めなかったが、レリックさえあれば、俺様は開拓王にも並ぶ……いやそれ以上の力を持つのだと、見せつけてくれる!」
トレイタルがこっそりと部屋の外へと出て行く。
父も叔父もそれに気づいた様子は見せず、やがて二人の話は終わったのか、伯父だけが部屋の外へと出て行く。
周囲の者の中にはトレイタルの動きに気づいている者も居るだろうが、叱責されることを恐れて、誰も口を挟もうとは思わない。
そして私は表情に出さずに自己嫌悪する。
ああ本当に嫌だ。
ペラペラ、ペラペラと、思ってもいないような事が簡単に口から出て来る。
魔術も併用しているとは言え、語り掛けている相手が愚かとは言え、こんな簡単に人を操れてしまう。
私は自分が居る世界が、星明り一つない真っ暗闇の世界であるように感じずにはいられなかった。
「くくくくく、ははははは。はははははっ! 飛んで火にいる夏の虫とはこの事よなぁ! 此処で奴らをまとめて葬り去り! 愚かな王族を葬り去り! 我に刃向かう者どもも葬り去って! 我が王国……いや、帝国を築き上げるのだ! それで……それで我が名は未来永劫、人の世に刻まれる事となる! ふははははっ!!」
でもそんな私の世界にも、もう直ぐ、夜明けがやってくるはずだ。
陽が射した結果。私を含む全てが焼き尽くされたとしても、夜明けである事には違いなかった。
私はその時が来るのを今か今かと恋焦がれずにはいられなかった。
ちなみに、この時点ではサキは第二属性『未明』に目覚めた事をオルッカ(下の義兄)にしか話していません。
周囲には精神属性魔術で、サキの両目の目の色は同じである。と、誤認させています。
後、今話の内容があまりにもアレなので、10分後に二話目更新します。




