序章 名前のない予感
序章 名前のない予感
僕の名前は――まあ、仮に「パパタロー」としておこう。年齢は50代。
都内の大企業に勤めている。名前を出せば誰もが知っている会社だ。
かつては「将来を嘱望された若手」と呼ばれた時期もあった。だが今は違う。
出世コースはとうに外れ、部下もいない名ばかりの管理職。
日々は、誰がやっても変わらない会議の調整と、形式的な報告書の確認に費やされている。
妻はパートに出ていて、子どもは大学生の娘と高校生の息子の二人。家族は平穏といえば平穏だが、会話は減り、同じ屋根の下にいても、それぞれが違う時間を生きているように感じる。
気づけば、誰からも必要とされていない。
職場では「ベテラン」としてそれなりに扱われるが、それは敬意ではなく、扱いやすさゆえのラベリングに過ぎない。家庭では空気のような存在。文句も言われない代わりに、期待もされていない。
僕という人間が“誰か”として見られることは、もう何年もなかった。
老いもまた、確実に迫ってきていた。階段を上がると息が切れ、肩は固まり、眼鏡をずらさないとスマホの文字すら見えない。鏡に映る顔は、知らないうちにすっかり疲れた中年男になっていた。
何も起きないまま、このまま老いていくのか――そう思ったとき、胸の奥で何かが音を立てた。
“男”として、もう一度誰かに必要とされたい。
そんな感情が、僕を「パパ活」という世界へ導いた。
最初は軽い興味だった。「若い女の子と食事できたらラッキー。できれば……それ以上のこともあるかもしれない」
そんな淡い期待が、心のどこかにあったのは否定できない。
若い女の子と触れ合う場として、まず思い浮かんだのは風俗だった。
でも、風俗のような“決まった関係”にはどうしても抵抗があった。
職場の若い子にちょっかいを出すなんて、もちろん論外。
そんなことをすれば、自分の人生そのものが壊れる。
だからこそ、匿名でつながれるSNSが、僕にはちょうどよく思えた。
普通の女の子と、たわいもない会話をしながら過ごせる時間――
それが、ちょっとした救いになるような気がしていた。
かつて若い頃、メル友掲示板や出会い系サイトに心をときめかせたことがある。今はその出会いの場が「X(旧Twitter)」になったというだけ。パパ活アプリは会費がかかるのでやめた。
試しに「#パパ活」「#P活」で検索すると、驚くほど多くのアカウントがヒットした。「大人NG」「健全のみ」「週1ごはん希望」……プロフィールの一言が、まるで信号のように整然と並んでいた。
一応、用語の整理をしておこう。
PJ:パパ活女子(P活女子)
P:パパ活男性
大人:体の関係あり
健全:体の関係なし。お茶や食事中心
プチ:軽めの大人(途中まで、など)
お手当:報酬。1万円を「1」、5千円なら「0.5」と表記される
「大人希望」「ホ別大人3」などと書かれたアカウントは避けた。初めから“そういう関係”を前提にしている感じが、どうしても引っかかった。代わりに、「健全希望」と書く子たちに惹かれた。仲良くなったら大人もありえるかも――そんな、段階を踏んだ関係の方が、僕には自然に思えた。そうしたアカウントの投稿には、素朴さや、まだ都会に染まりきっていない雰囲気があった。
僕の好みは、清楚で真面目そうな子。都会の夜をまだ知らないような、地方出身の女子大生。キラキラ系や港区女子には、僕の懐では到底太刀打ちできない。
試しに“Pアカウント”を作って何人かフォローしてみると、数日後にはDMが届き始めた。「こんにちは」「プロフ見て気になりました」――そんな他愛のないやりとりを続けるうち、ついに、一人の女の子と「お茶だけでも会いませんか?」という話になった。
画面越しの文字に、わずかな熱を感じた。それが現実になる――その瞬間、ふと、娘と同じくらいの年頃の女の子と本当に会うのだという事実が胸をよぎった。
ためらいがなかったわけじゃない。いや、正確には、ずっと考えないようにしてきた。それでも、指先は迷わず「会いましょう」と打ち込んでいた。
だが、それはまだ、この物語のほんの始まりに過ぎなかった。