Starting Over-8
当時、世界を席巻していたネアルコ主流は『ナスルーラ系』であり、アメリカにおいてはその血を受けた『ボールドルーラー系』が全盛を誇っていた。
この頃、イギリスは、アメリカを競馬二流国と見下していた。そしてカナダはそれ以下の評価すらされない超後進国であった。
そのカナダの種牡馬ニアークティックは父ネアルコでありながら流行には程遠い水準級といった程度の種牡馬であった。しかし、その血統背景は父系と母系の中に、ネアルコ、ハイペリオンなどの、イギリスの名血が彩っていた。
このニアークティックを生産したのはE・P・テイラー。カナダの実業家で、厳しい気候風土が競馬発展とサラブレッドの質向上を長く疎外してきたカナダで本格的にサラブレッド生産に取り組んだ人物である。
このテイラーの手によって、ニアークティックは、ナタルマという牝馬と交配した。ナタルマの父はネイティブダンサー、母父にマームード。
そして生まれた馬こそ、サラブレッド史上最大級の成功をおさめることになるノーザンダンサーであった。
テシオとテイラーは事あるごとに比較されてきた。
もちろんそれはネアルコとノーザンダンサーという歴史的名馬を生産した偉業からくる事は大きいだろう。
だが二人の大きな共通点が、時代や国の違うテシオとテイラーを結び付けている。
それは『血の進化』と同時に『血の警告』を常に発信していたからだ。
ネアルコが『血の革命児』ならば、ノーザンダンサーこそ『血の警告の使者』であるのだ。
イギリスの偏った重度の近親繁殖を、イタリアの土で変換させたテシオ。
その血に再びイギリスは血眼になって飛びついた。
しかし近親繁殖の息詰まりは顕著に見え、ネアルコ系の発展は異系の血統が揃うアメリカでナスルーラや、後にアメリカで洗練されるロイヤルチャージャーなどで爆発的な拡大を広げることになる。
ロイヤルチャージャーに至っては、日本でも馴染み深いサンデーサイレンスやブライアンズタイムを子孫に持ち、今の日本競馬を支える結果にまでつながっている。
ネアルコの血が価値を一気に増して、血の行き先が迷路のような構図になっていた時代に、まるで『警笛を鳴らす』かのように現れたのがノーザンダンサーであったのだ。
2頭は種牡馬としての第一条件ともいえる競走馬としても超一流の成績を残している。
ネアルコは2歳の夏、三馬身差でデビューを飾り、7連勝とどれも楽勝だった。
3歳になっても楽勝の連続で、伊1000ギニーを6馬身差、つづく伊ダービーを大差で圧勝した。
同世代の馬はまったく相手にならず、古馬相手のミラノ大賞でも3馬身差の楽勝だった。
そして世界有数の国際レースだったフランスのパリ大賞に遠征。出走メンバーは英ダービー馬ボワルゼル、仏ダービー馬シラ、仏オークス馬フェリーらがいて相手に不足はなかった。
ネアルコはいつものように中団で待機してレースを進め、直線で騎手のムチが入ると放たれた矢のように先行馬を抜き去り、そのままゴールを駆け抜けた。
低レベルといわれていたイタリア産馬が、イギリスとフランスのダービー馬をひとまとめに負かしたのである。
「セントサイモンの再来だ!」
ネアルコのあまりの強さに英国紳士たちはそう叫んだのである。
ノーザンダンサーは、カナダでデビューし連勝。
アメリカに活躍の場を移して米三冠第一弾のケンタッキー・ダービーをレコード勝ち。
続くプリークネスステークスも楽勝。
「アメリカ史上9頭目の三冠馬は確実」
と言われていた。
しかしベルモンドステークスはまさかの3着と敗れてしまう。
だがカナダ産初のケンタッキー・ダービー馬として国民的英雄として凱旋帰国したノーザンダンサーは、カナダのダービーとも言うべきクイーンズ・プレートを圧勝。国民の祝福を受けた10日後に屈腱炎を発症し、引退となった。
ノーザンダンサーが種牡馬としてこの世に送り出した名馬は数知れず、代表的な馬には、英国三冠馬ニジンスキー(ラムタラの父)。リファール、サドラーズウェルズ、ダンジグ、ヌレイエフ・・・・猛烈な勢いで全世界のサラブレッドの血統を塗り替えていった・。
もうお気づきだろう。
牝系で爆発的な威力を見せていたセントサイモンの偉大な血はネアルコで限界点を迎えていたのである。
第二次世界大戦の戦火を見越したテシオは、ネアルコをイギリスに売却。もしテシオの手元で種牡馬になっていたら、敗戦国イタリアの犠牲になり、孫になるノーザンダンサーは生まれていなかったかもしれない。
そしてナスルーラが新たなネアルコの血の流れをアメリカに移し、直系種牡馬ではとくに「ボールドルーラー」「グレイソブリン」「ネヴァーベント」「レッドゴッド」の4系統を中心に発展させた。
異系の力でネアルコの限界点を越えたのである。
さらに新たなる使者ノーザンダンサーがナスルーラの破壊力をはるかに凌ぐ勢いで革命の嵐を起こし、現代のサラブレッドの血統を世界規模で塗り替えていった。
まさに限界点を通過点に変えたのだ。
テシオとテイラーという過去の偉人の理念はその当時の時代背景の先端をいく発想と試みであった。
そして現代のサラブレッド生産においても、2人が一番のテーマに掲げていた「仕上がりの速さ」いわゆる早熟馬へのこだわりは、現代も競馬界の象徴であるクラシック路線では重要な要素である。
3歳戦で産駒が華やかに活躍することが、成功への花道を歩んでいく傾向がある。
だがここに大きな落とし穴が潜んでいる。歴史は繰り返す。これが落とし穴の名前だ。
牝系にノーザンダンサーがひしめく日本の土壌で、サンデーサイレンスとブラアンズタイムが独占していた時代があった。
良血の牝馬が次々とロイヤルチャージャーを祖にもつ2頭の子を生み、同系の血統を有するGI馬が名を連ねていった。
そして現役時代を華々しい成績で終わらせた新たな種牡馬の血統もまた、サンデーサイレンスとブライアンズタイム産駒が多かった。
1800年代後半。セントサイモンの血が英国を独占し、サイアーランキングの上位をセントサイモン直系種牡馬が独占していた。
しかし20年後にはすべての馬の名前が消える。
これはまだイギリスが閉鎖的な生産をしていた頃の話であり、世界的な血の交流がなされていない時代の出来事である。
同一血統がお互いを潰しあう結果となった有名な事件であり、これまでこれを教訓に血の閉塞を危惧した生産者も多い。
この歴史が物語る危険性が、今の日本でもおこっているのだ。
顕著に表れているのがサンデーサイレンス直系馬であり、一時トップ10にいた種牡馬が続々と圏外にランクを落としている。
世界レベルまで日本の競走能力を上げたサンデーサイレンス。その進化の早さが、血の限界点までを一気に上り詰めてしまったのだ。
ノーザンダンサー系とのニックスでサンデーサイレンスに依存していた日本競馬は、日本生産のサラブレッド全体の限界点を迎え、同一系統種牡馬の生き残りをかけたサバイバルゲームとなったのだ。
ここでひとつの仮説をたててみたい。
血の限界点を超えるためには異系の血で再スタートする事が重要であると。
ブライアンズタイムの最高傑作といえば誰もが三冠馬ナリタブライアンと答えるのではないだろうか?
ブライアンズタイムが日本にきて初年度の産駒である。
意外にもブライアンズタイムとパシフィカスは全く異系でありこれがクロスではないニックスを生み出した結果に見える。
もちろん半兄にビワハヤヒデがいるように牝系の血の強さもあるだろう。
ナスルーラもそうだったように、血の限界点を超えるには異系による新たな血の行く先を作る必要があるのではないだろうか。