Starting Over-3
野田ひまわりが札幌市内の病院に到着したのはレースが終わって5時間を経過した夜半過ぎだった。
埼玉県春日部市の実家でレースを見ていたひまわりは、婚約者である岡の惨事をテレビで見ていた。
救急車で運ばれていく岡の姿をみたひまわりは、取る物もとらず羽田空港へと向かい北へ向かう飛行機に飛び乗った。
兄に札幌に向かっているとメールをうった。病院の名だけ書かれたメールが兄から届いた。
病院に到着するとロビーでうなだれる兄の姿があった。
「お兄ちゃん!
あれからなんども電話したのに!なんで取らないのよ!」
静かな声ながら激しい怒りが感じられるひまわり。
「ああ・・・。ごめん・・・。」
兄はさらに静かな声で呟いた。
「恭ちゃんは?大丈夫なの?」
ひまわりはせかすように兄に詰め寄った。
兄は妹を静かに誘導して岡の元に案内した。
ひまわりが対面した愛する人は冷たくベッドに横たわっていた。
「恭ちゃん・・・?
うそ・・・・
そんな・・・!?」
ひまわりは岡の傍らに歩み寄り頬をそっとさわった。
顔をくしゃくしゃにさせて岡にすがり泣く妹の肩を兄はグッと抱いた。
しばらくして妹を岡の傍らに残し、野田新之助は廊下へと出た。
そこには岡の師匠である角井に深々と頭を下げる岡の母の姿があった。
角井は母の両肩を支え、今度は自分が頭を下げた。
野田はその光景を見ながら、その場に両膝をつき崩れ落ちた。
(なんで・・!!
なんでこんな事に・・・!!)
床に頭を打ち付けて号泣する野田。
その身体をグッと支えて立ち上がらせる2本の腕があった。
涙で滲んだ視界の中に、三田と美幸の姿が見えた。
4
夜間で無人のロビーに移動した3人。
「二人ともなんで?
今日は新潟だったんだろ?」
野田の問いに、
「お前が心配で飛んできたんだよ・・・。」
三田が言い、美幸が頷く。
「フフ・・・なんかびっくりする事の連続で、まさかすべて夢なんじゃないかって思っちゃうよ・・・。」
野田が少し笑みを浮かべて言った。
「新ちゃん・・・。」
美幸が涙を浮かべて呟いた。
「美幸。お前はひまわりちゃんの傍に行ってやれ。」
三田の有無を言わせないキツイ口調に、何かを察した美幸は無言で頷き席を外した。
二人が肩を並べて座り、しばらく無言の時間が流れた。ほんの1~2分が永遠に感じられる重苦しい空気。
「いつもオラになんかあると三田くんが駆けつけてくれるな~。」
その空気を嫌がった野田がおどけて言った。
「新之助・・・。今は二人だけだ。誰もいない。
俺たちは親友だろ?
一人きりで泣くんじゃねぇ!
俺がついててやるから思いっきり泣け。」
三田の言葉を聞いた瞬間、野田の感情は爆発した。
両手で顔を覆い、咽び泣く声を搾り出した。
「明日は結婚式だったんだ・・・!!
妹はウエディングドレスを着て、岡くんはタキシードを着て・・・!
妹がかわいそうだよ・・・!
いや・・・
それだけじゃない・・・
岡くんの事を・・・
本当の弟のように思っていたんだ!!
妹と結婚したいって言われたとき・・・本当に嬉しかった・・・!
なのに・・・
なんで・・・
うっ・・・ううう・・・」
野田の言葉を最後まで聞き終えた三田は静かに肩を組み、一緒に泣いた。
三田にとっても岡はGIで戦うライバルであると同時に、人懐っこい笑顔で近づいてくるかわいい後輩であった。
5
2日後、岡恭一郎の葬儀が行われた。
ごく限られた競馬関係者と身内のみでの密やかな式であった。
母めぐみは最後まで気丈に振る舞い、涙を見せることはなかった。
ひまわりもそんなめぐみの姿に影響されたのか、涙を流しながらも懸命に手伝いをしていた。
その夜、岡の実家で遺骨を前にひまわりとめぐみは葬儀の疲れを癒すように語らっていた。
「ひまわりちゃん、本当に助かったわ。ありがとう。」
めぐみの言葉にひまわりはうつむいて答えた。
「そんな・・・私なんて・・・。お母さんに比べたら・・・。」
そんなひまわりの姿を見ためぐみはすっと立ち上がり奥の部屋から何やらファイルのようなものを数冊もってきてひまわりの前に広げた。
不思議そうな顔をするひまわりにめぐみは、ファイルを開くように促した。
そこにはたくさんの馬券が綺麗に並べて綴られていた。
「このファイルの馬券はね、恭一郎の乗った馬の単勝馬券なの。
デビュー戦から、最期のレースまで全部。
毎週土日の朝に場外馬券売り場に行って1日分まとめて買ってくるの。
私の毎週末の日課。
中には1万円以上の当たり馬券もあるのよ。
おかしいでしょ?
でもこれが私が恭一郎への唯一できる恩返しだった・・・。
母子家庭で苦労させたから・・・。
恭一郎は経済的なことも考えて
15歳で自立を決意していたの。
私が世界で一番・・・愛する恭一郎のファンでいようと思って買い出した馬券なのよ。」
めぐみは話しながら泣いていた。
「お母さん・・・!」
ひまわりはめぐみを抱きしめ一緒に泣いた。
母親思いの優しい息子は、自分を世界一愛してくれた2人の女性をいつまでも天国から見守り続けるだろう。