血の宿命-1
1881年…1頭の名馬が誕生した。
10戦して不敗。
最後のレースでは二着に20馬身つけて『エクリプスの再来』と観衆を虜にした
『セントサイモン』。
種牡馬になり初産駒が3歳になった時、いきなり英リーディングサイアーに輝くと合計9回もその座に君臨する。明けても暮れても活躍するのはセントサイモンの仔ばかりだった。
「種牡馬には2種類ある。セントサイモンとそれ以外だ」
地味な傍流父系から突如として登場したたった1頭に、主流血統はことごとく駆逐され、1910年代の種牡馬ランキングのトップ10の半数をセントサイモン系の後継馬が独占。
『セントサイモン系でなければ種牡馬ではない』
そんな状況を作り出していた。
しかしそれは…父系の崩壊を暗示していたのだ。
1903年、23歳でブルードメアサイアー(母父)に輝く。これはセントサイモンが母系に入った時の爆発力を物語っている。
この母系に入っての優秀さがセントサイモン系崩壊の原因となるのであった。
当時まだ世界的な血の交流がなかった時代。イギリス内での地域的な生産であったため、セントサイモンの強い牝系と直系の種牡馬が乱立を極めたのだった。
1910年代のトップ10の半数を独占していたにもかかわらず、1930年代にはその名はほとんど消えてしまった。
そしてセントサイモン系は崩壊した…。
しかしセントサイモンの血が崩壊した訳ではない。
父系での影響力は失ったが、母系に入った時の絶大なる影響力を保ち続けて今もまだ生きているのだ。
世界的な血の交流がはじまり、セントサイモンの牝系は日本にもやって
来た。
《ダンスガール》
流星の系譜はこの馬から始まった。