夢の架け橋-2
「この大バカモノ!!!」
到着早々武田師の鉄拳が原の顔面に喰らわされた。
「先生すいません!!
オーナーすいません!!」
土下座の原。
「あ~ら。原くんは全然悪くないのよ~。
私が無理矢理連れて来たのだから~」
ふてぶてしく相羽のババァが言う。
このババァ…どんだけ心配したと思ってるんだ…!
「雅樹さん聞いて!
叔母さんがクールモアのジョン・ワグワー氏に…」
めちゃめちゃ怒っていた俺は瑶子の話など耳には入らず怒鳴っていた。
「相羽さんっ!!
どういうつもりなんだよ!!
海外連戦のドリームメーカーを勝手にこんな長旅させて!!
BCターフじゃ他馬と接触もしているんだ!!
それをレースが終わってすぐに…。
さぁ!説明してくれよ!納得できるように説明しろよ!!」
もうこんなにキレたのは生まれて初めてだ。
「コナンちゃんならとっても元気に海の旅を楽しんでいたわよ~」
!!
はい…もう血管のすべてがキレました…。
「いい加減にしろっ!!
まさかあんたドリームメーカーも【ユリノサンキュー】のように殺す気じゃないだろうな!?」
「ちょ…ちょっと!!雅樹さん言い過ぎよ!!」
瑶子が間に入ったが、俺の怒りはおさまらない。
すると突然武田師が口を開いた。
「ユリノサンキューを殺した責任は…わしにもあるだろう…」
!?
なんだよ突然…どう言う事だ…?
「ユリノサンキューの調教師は…武田先生よ…」
瑶子が静かに言った。
初耳だ…。
相羽のババァの声が響く。
「はいはい、みんなとりあえず座ったら?
…そうね…まずユリノサンキューの事件についてキチッとお話しなくちゃいけないわね」
ユリノサンキュー事件…相羽のババァと武田師しか知らない真実が語られようとしていた。
アイルランド一の豪華ホテルのスイートルーム。重苦しい空気が漂っていた。
「紛れもなくユリノサンキューはわしの管理馬だった…」
まずは武田師が口を開く。
俺は瑶子を見た。
「雅樹さんごめんなさい。隠すつもりじゃなかったのだけど、言いそびれちゃって…。
私も驚いたわ…まさかコナンが武田先生の厩舎に入るなんて…。」
うつ向いた瑶子。たしかに事前に知っていれば武田厩舎にドリームメーカーを入れなかっただろう。
「武田先生は悪くないわ~私がオーナーの権力を使って無理矢理走らせたのよ」
俺たちは相羽の次の言葉を待った。
「瑶子ちゃん?ユリノサンキューの父馬を覚えている?」
「ええ…もちろんよ…。ユリノシーザー。【ユリノ】初のGⅠ馬。
秋の天皇賞を勝ったのは私が小学生の時だったわ。」
瑶子の言葉に笑顔で頷いた相羽は再び話を続けた。
「種牡馬になったユリノシーザーはなかなかいい繁殖牝馬に恵まれなかったわ。
ちょうどその頃ね、ユリノを外国産馬メインに切り替えたのは。でもユリノシーザーの仔だけは購入し続けたわ。フフフフ…全然走らなかったけど。
どうしてもユリノシーザーの仔でもう一度GⅠを勝ちたかった私と主人は社来のタヌキオヤジに頭を下げて桜花賞馬のベルメールにユリノシーザーを付けてもらったの。かなりボラれたわフフフフ。
そうやって生まれたのがユリノサンキューなの。」
「2歳でデビューしたユリノサンキューは3連勝で朝日杯に挑んだわ。なかなか大きいレースじゃ勝ち切れなかった。
朝日杯を3着、弥生賞3着、皐月賞5着、青葉賞2着、ダービー10着。
すべてのレースを克明に覚えているわ。
…この頃…主人が末期の癌になっちゃってね。
私はこの時に決意したの…【サンキューと心中】しようってね。
主人にもう一度ユリノシーザーの雄志を見せてあげたかったから。どんな批判や中傷も受ける覚悟だったわ。
あとはみんなが知っての通り暮れの有馬まで計14戦走らせたわ。その内連闘が3回。
一年だけ…一年がんばってくれればと思っていたの。活躍しなくても翌年には私の乗馬クラブに入れるつもりだったわ。」
突然瑶子が口を挟んだ。
「そんな事…私は聞いてなかったわ…!」
「そりゃそうよ。瑶子ちゃんまで私と【心中】させる訳にはいかないわ。あなたには感謝しているのよ、体の自由を無くして、ろくに言葉も話せなくなった主人の世話をよくしてくれたものね~。」
再び瑶子が口を開く。
「じゃあ…あの時叔母さんはひとりですべて背負って戦っていたって事…?」
相羽は笑顔で頷き、
「結局…心中なんてかっこいい事言いながらサンキューだけが苦しい想いをして、私はちゃっかり元気に生きてしまっているけどね~」
次に武田師が続けた。
「相羽さんから【ご家庭の事情】を聞いて…わしはプロの判断ではなく、古い友人だったご主人へなんとかしてやりたかった…。
ここにいる原もよくわしに食ってかかってきよった。
うちのスタッフたちにも心に傷を作ってしまった…。
一番傷を負ったのは…原田くんの後に有馬で騎乗した…村木だろう…。」
え!?村木が!?
全然知らなかった…。
「あの有馬記念の事故以来…村木は平地を捨てて、障害一本になってしまった。
スピードに対する恐怖心との戦いの日々だった。もちろん克服はしたがな…」
なんなんだ…この展開は…!?
「先生!!なんであの時にちゃんと説明してくれなかったんスか!?」
原が武田師に詰め寄る。
「わしも心中するつもりだったからな。だが今も調教師を続けとる…。相羽さんがひとりで悪者になってくれたのだ…。
本当にサンキューには悪い事をした…」
武田師が答える。
ん?ちょっと待て…。さっきから話を聞いているが、盛り上がっているのは当事者ばかり。
部外者の俺ひとりだけ…なにも感じない。
だって結局、過酷なローテが引き金でユリノサンキューは命を落とした。家庭の事情だかなんだか知らないが犠牲になったユリノサンキューからすればいい迷惑だ。
この人たちが言う【心中】とは【命を落とす覚悟】ではなく、【立場を失う覚悟】なわけで実際命を削るのはユリノサンキューだけだ。
だから俺はまったく美談とは思えない。
だが…この空気でそんな事言えない。
瑶子は泣いているし、原も武田師に泣きすがっている。
「まぁあの事件以来、私は悪名高い女性馬主のレッテルを貼られて、だいぶ楽しい馬主生活になったわ。良識人でいるより悪者の方が気が楽だからフフフフ」
開き直ってんじゃん…。
なんだか安っぽいサスペンスドラマになってしまった。
「あっ!雅樹さん!
さっき言いかけたけど、インフェルノがもう一戦走る事になったのよ!!」
なにぃ!?
驚きの俺と武田師。
「叔母さんのおかげよ!」
笑顔に戻った瑶子。
「昔ジョン・ワグワーに大きな【貸し】があったから、一気に返してもらったわフフフフ」
さらに事の詳細を聞いて俺は驚き失神寸前に陥る。