夢見る幼駒じゃいられない!-2
ダンスガールは仔出しはよくラストクロップとなったダンステリアまでに8頭の仔を生んだ。
その内、牡が6頭、牝が2頭。すべて親父の所有馬としてターフにデビューしている。
俺はすぐにノートパソコンを開きすべての馬を検索した。
走ってないね~…。
8頭中で重賞を勝ったのはダンステリアだけ。
内2頭は未出走で引退、3頭は未勝利、2頭はなんとか準オープンまで行った。
ダンスガールはダンステリアを生んだ後…すぐ隣の榊原牧場で余生を過ごしたらしい。
俺はダンスガール関連の親父の日記を見てひとつ疑問に思った。
ダンスガールが生んだ牡はおそらく見つからないだろう。子孫も残していないと断言できる。問題は2頭の牝馬。一頭はノーザンテーストとの間に生まれたダンステリアだが、もう一頭のカブラヤオーとの間に生まれたダンスサイトの所在だ。
流星の系譜はもうひとつの流れを生んでいるに違いない。
俺はさらに深くダンスサイトを検索した。
未勝利で競走生活を終えたダンスサイトは吉野善吉氏の社来ファームで繁殖生活に入っている。
ダンスサイトは6年間の繁殖生活でわずか4頭の牡しか残しておらず短い馬生を終わらせている。
その4頭の仔の内1頭に重賞馬がいた。
シンボリルドルフとの仔、東京新聞杯を勝ったシンフォニアだ。
シンフォニア…?
ん?
シンフォニアってあのシンフォニア!?
俺はこの馬をよく知っていた。
昔よく遊びに行った吉野3兄弟次男の克己さんのノーザンファームにいたアテ馬…
シンフォニアって名前だった…。
そして現在も現役のアテ馬稼業を勤んでいる。
ダンスガールから別れたダンステリア牝系は、ファンタジアから3頭の牝馬によって拡大を始めている。サンデーサイレンスの仔で1勝馬のファンタジーランド。アグネスタキオンの仔で未出走馬のサンバデルンバ。
そしてオペラハウスの仔で秋華賞馬シャイニングハート。
一方のダンスサイト牝系はシンフォニアがアテ馬であり血は途絶えた。
うちの牧場の歴史の中期からともに歩んで来たダンスガール系は二つの道に明暗を分ける事となったのだ。
日記には親父の構想も記されてある。
なぜダンスサイトを社来に渡したのか…それは【未来での融合】を狙ったのだ。
ダンスガールの2つに割れた牝系を将来またひとつに戻す…そのために社来にダンスサイト系の拡大を期待したのだろう。
もちろん時間のかかる作業が必要であり、本来ならこの夢は俺に引き継がれるはずであった。しかし親父から託される事なくダンステリアの写真の裏で眠り続けていた。
なぜ親父はこの夢を諦めなければならなかったのか?ダンスサイトの血をひく唯一の所在確認馬シンフォニアが種牡馬になれなかった時点でこの夢は幕を引いたのだ。
日記には親父がシンフォニアを買い取り自分で拡大をする計画もあったと書かれてある。
しかしうちの牧場にはシンフォニアを付けられる牝馬がいなかった。そう…ファンタジアを売らずに所有したうちの牧場は繁殖牝馬の大半を売らなければならなかった。
ダンスガールの父である英国三冠馬アラビアンナイトに憧れた親父の自ら構想した【黄金の血統】を諦めダンステリアの写真の裏に封印したのだった。
シンフォニアか…。
俺はある決意をしてノーザンファームに向かった。
克己さんに事情を説明し、うちの【アテ馬】としてシンフォニアを購入できた。間近で見たシンフォニアの額にある流星。まだ生きているダンスガールの血。
ダンスサイト系の血をまた蘇らせるためにはダンスサイトの血をひく牝馬を生産しなくてはならない。
来年の繁殖時期に、うちの定評価の繁殖牝馬数頭にシンフォニアを付けて後継馬を生んでもらおう。
もちろん【アテ馬】も兼業してもらうが。
1800年代後半に欧州から世界に一気に広がったセントサイモンの血は、英国三冠馬アラビアンナイトの体に流れ、その娘ダンスガールにノーザンタンサーを掛けたダンステリアと、8代前にセントサイモンが入り母系に同じく「セントサイモン3×4」の名種牡馬ファラリスの血を引くカブラヤオーを入れたダンスサイトに枝別れして更に進化していく。
もしこの2つの枝が再び将来ひとつになった時…そこには現代アメリカ競馬の真骨頂であるロイヤルチャージャーがさらに日本で進化したサンデーサイレンス系の血が加わる事になるだろう。
親父の構想…。結果が出るのは何年何十年後になるかわからないが、俺がきっちり継がしてもらいます。
俺の新たな夢として…。