朱-1
『さぁ皐月賞トライアル
弥生賞!16頭で行われます!
1番人気におされましたステージクロスはどのような走りを見せてくれるのか楽しみです!』
美幸はいつものように中団待機の作戦で挑むつもりだった。
『さぁゲートが開いて…
スタートしました!
1頭出遅れた!?
ステージクロスだ!!』
レース前から落ち着きのない様子だったステージクロスは見事に出遅れた。
『ステージクロスはシンガリからのスタートになりました…
場内ざわめきを聞きながら各馬スタンド前を通過します!』
決して美幸のミスではない。しかし普段はスタートがうまいステージクロスだけに美幸は焦りをみせた。
どうする!?
美幸はステージクロスをこのままシンガリから追い込ませる自身がなかった。
『ステージクロスが一気に馬群に追い付き集団の中程で落ち着きました…』
美幸は明らかに違和感を感じていた。
折り合っていない。
素直な気性のステージクロスが美幸の手綱を引っ張った。
『おっとステージクロス掛かったか!?
グングン前に出ていくぞ!!』
どうしたの!?
レースはすでに終盤。
修正するには遅すぎた。
『直線に入ってステージクロスは4番手!
これはキツイ!
これはキツイ!
1番人気ステージクロスは4着でゴール!
どうしたステージクロス…!?』
美幸にもわからなかった…。
引き揚げてきた美幸に坂田調教師の怒号が向けられた。
「馬から降りろ!
この馬鹿野郎っ!!!」
驚いた美幸は素早く下馬し、坂田に向き合った。
美幸はなぜ自分が怒られているのかが理解できなかった。
「おまえ…なぜ後ろから行かなかった!?」
普段からよく美幸に対して怒る坂田だか今日はいつもより増して感情的になっていた。
「いや…あの…差しの位置の方がステージクロスは勝てるかなって…」
美幸の言葉を聞いた坂田はさらに顔を真っ赤にした。
「違うだろ…!?
おまえは追い込ませる自信がなかったんだろっ!!」
もちろん美幸だって嘘をついたわけではない。ステージクロスの得意な位置で競馬をしたかったのは事実だ。
しかし追い込みに自信がなかったのも事実。
結果的に馬と折り合いを欠き、更に余計な脚を使う結果となってしまった。
坂田は美幸の胸ぐらを掴みグイっと引き寄せて、
「てめぇの都合で馬は走りゃしねーよ!!
いつまでそんな乗り方するつもりだっ!?」
このやりとりにヤジ馬も集まってきた。
帰り支度をしながら美幸は泣いていた。
負けたすべての責任が自分にあるとは思えなかった。
しかし坂田の口調からはそうであると取れた。
悔しくて涙が止まらない。
「嬢ちゃん、今日はまた派手に怒られとったの~」
突然声をかけてきたのは武田調教師だった。
「武田先生…教えていただけませんか…私のどこがいけなかったのですか!?
たしかに余計な脚を使ってしまいました…。
でも出遅れた以上、あの位置にあげたのに間違いがあったとは思えません!」
武田はフンと鼻を鳴らして椅子に座った。
「坂田くんは別におまえさんが無駄に脚を使った事を怒った訳ではないし、負けた事を攻めた訳ではないと思うぞ…」
美幸は武田の言いたい事が理解できなかった。
「おそらくワシでも坂田くんのように怒っただろう。まぁワシだったら怒鳴る前におまえさんをブン殴っておったがなハハハッハ」
更に美幸はわけがわからない。
「出遅れなんぞはどんな馬だってやるものだ。
もし逃げなければ勝てない馬なら出遅れた時には行くしかない。
しかしおまえさんの馬は後ろから行く馬だった。
シンガリから追って最後の脚に賭けられるだけの馬だろ?
しかしおまえさんは追い込みが苦手ときている。
出遅れたのだから負けた…プロの言い訳ではないな。
その上折り合いを欠いてまで位置を上げる必要はなかった。
おまえさんは自分の都合のいいレースをしてしまったのだ。
折り合いしか能のないおまえさんが、馬を忘れて自分に馬を合わさせたんだ。
そして負けた理由をすべて馬のせいにしよった。
出遅れたのだから、位置を上げた。そして折り合いを欠いたって。
しかしよく考えてみろ。
出遅れはしたが、馬はシンガリで気持ちよく走っておった。
それをおまえさんが無理矢理走らされたんだ。
結果的にあの馬の持ち味である末脚を一切使うことなく負けてしまった。
出遅れた以上、勝ったか負けたかはわからんが、結果は変わっていたかもしれん。
勝つ為の選択ではなく負けた時の理由を作ってしまったんだよおまえは。
なんのために坂田くんがいろんな厩舎に頭を下げて、追い込み馬の依頼をおまえに集めて乗せているのかわからんかの?」
武田調教師は禁煙のサインをチラッと見ながら煙草に火をつけた。
美幸は飲み終わった缶ジュースを灰皿代わりに差し出した。
「おまえさんは大事に育てられとる。
今日ほど真剣に怒った坂田くんは見たことないぞ。
いつもはおまえさんのやる気を促す叱咤だろうが、今日は坂田くん自身も悔しかったのだろう。
レースに負けた事ではなく、おまえさんが【逃げた】事がな。
いい師匠に当たったな。」
武田は空き缶に煙草を捨て立ち上がった。
「うちのドリームメーカーであんな乗り方しやがったらすぐにクビだぞ。」
立ち去る武田は、師匠の愛情を感じながら更に泣き出した美幸を見て嬉しく思った。
坂田調教師が騎手時代にとった天皇賞。武田厩舎の追い込み馬だった。
追い込みが苦手だった坂田は、毎日武田から怒られながら苦手を克服したのだ。
(やはりアイツの弟子だな。苦手なものまで同じとは…。
まだまだヒヨッコだが、熱い眼までそっくりだ。)
武田が去った後、美幸は坂田の元に向かって頭を下げた。