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地元各局の速報が伝える状況を知らずに外出した真土は見事、不機嫌な四神に目を付けられてしまったらしい。彼らに散々追い回された挙句、四方を四神に囲まれ、成す術無し。
(まいったなぁ……オレ一人じゃもう、どーにもならん)
強いプレッシャーこそ感じるものの、四神は一向に襲ってくる気配がない。刺激せず上手くこの場をやり過ごす方法はないだろうか。真土は半分冷静な頭をなんとか動かし始めた。
その時、
――ブォロロロロォオォーン!
力強いエンジン音に振り返ると、この狭い道に一台の車が猛スピードで突っ込んで来る。あわや衝突という寸前に道を塞いでいた白虎は飛び退り、車は十字路の真土の前へと華麗にドリフト駐車を決めた。
「……は?」
突然のことに頭が追いつかないまま、真土は目の前の白い車をまじまじと見つめた。……いや、ただ車と言うには車体が長い。これは――
「白い……リムジン?」
真土の窮地に見事な走りで傷一つなく現れた謎のリムジンは、眩しい朝日を受け、まるでヒーローのようにキラリと輝いている。
「うわー、かっけぇー。初めて見たー……」
あまりの衝撃に、つい口を衝いた感想は自分でも呆れるほど棒読みになる。田舎者の自分がリムジンを生で見る日が来るとは思ってもみなかった真土は、手入れの行き届いたその美しい姿につい見入ってしまった。
「君っ!」
「ふぁ」
突然の声に現実に引き戻される。真土が気の抜けた情けない顔でリムジンの後部へ視線を流すと、開いた扉から、やたら爽やかな青年が身を乗り出していた。
「乗りたまえ! 早く!」
「!」
四神が唸り続ける中、真っすぐ届いた青年の通る声を受け、真土は直感のままリムジンに飛び乗った。
「出してくれ!」
真土の腕を引き扉を閉めると同時に青年が叫ぶと、それに応じリムジンは再び全速力で走り出した。今度は朱雀に向って突っ込んでいく。
「おわっ⁉」
ぶつかるという真土の不安も何のその。先程の白虎同様に、朱雀も華麗な動きでリムジンをひらりと躱し中空へと羽ばたいた。
四神の包囲を抜けたことを確認すると、青年は素早く黒く薄い正方形を車内に張り付けた。一見ただの黒い紙だが真土には見覚えがある。あれは『黒幕の札』。護符の一種だ。
「安心してくれ。この札でもう四神はこの車を追えなくなった。けど念のため、一度ここから距離を取るよ」
「あ……ああ」
青年の言葉に、真土は曖昧に頷いた。
黒幕の札には生き物の気配を区切る力があるとされる。だが、素人が適当に作った程度のモノであれば、四神程の力を持つ者の目を晦ますことなど到底できない。古から伝わる道具、作法、製法が必要だ。
紙の感じからして、この護符は最近作られたものだろう。札を張った彼、もしくは彼の関係者はその知識と技術を持っているということになる。
(勢いで乗っちゃったけど、何者なんだろ)
真土は疑問を持ちつつも、まあ、助けてくれたから悪い人間ではないのだろうと、隣に座る青年を窺う。彼は何やら手早く、タブレットからメールを送信しているようだ。
青年は真土以上に張り詰めていたらしく、タブレットを置いた後、念を入れるようにもう一度黒幕の札を強く押し付けると、ようやく「ふぅ……」と息を抜いた。
「……あの」
今なら良いだろうかと真土が声を掛けてみると、青年ははっとした顔で真土と視線を合わせた。
「ああ、何があったか説明しなければね。あの四神は先程、うちの研究施設から逃げ出したものなんだ。今、再捕獲のために動いているんだが、その前に君に絡んでしまったようで……迷惑をかけたね。本当にすまない」
青年は簡潔に説明すると、目を閉じ頭を下げる。ようやく状況を理解することができ納得した真土だったが、青年の言葉の一つが頭に引っ掛かる。
「『うちの』?」
「あ……自己紹介がまだだったか。ごめん、僕もあまり冷静ではなくて」
「いやっ、緊急事態だったし。原因が何であれ、助けてもらったのはオレっすから、全然」
反射的に返し、真土は両手と頭をぶんぶんと振る。いささかオーバーなリアクションをしてしまったかと思った真土だったが、青年は特に気にすることもなく、爽やかな外見によく合う爽やかな声と笑顔で名乗った。
「僕は有里園弥生。丘の上の歴史研究所の者だ」
弥生は言葉の挨拶と共に、流れるような動作で名刺を取り出し真土に差し出す。真土は人生初の名刺にオロオロしつつも、辛うじて平静を装いそれを受け取った。が、
「あ、有里園⁉ マジで? あの有名な……」
一拍遅れて脳に届いた名詞と、それが聞き違いではないと証明する名刺の文字列に、真土の薄っぺらな装いはあっさり剥がれ落ちる。声は裏返り、つい腰も浮かしかけてしまった。堪えられずそのまま勢い良く立ち上がっていたら、車の天井に頭を打ち付ける所だ。人様の車――しかも高級車で脳震盪など起こしては、申し訳ないにも程がある。
(うわ~、本物の御曹司じゃん。しかも有里園って!)
世事に疎い真土だが、興味の対象である有里園についてはもちろん知っている。
この辺りでは有名な有里園財閥は、昔から本業以外に、地元である本魔一帯の歴史研究にも力を入れている。所有する研究所には有力な歴史研究者が集まり、そこでは日々貴重な史料を基に研究が進められているという。
本魔の歴史を深く学びたい真土にとっては、有里園の研究所、中でも史料庫は死ぬまでに一度は入らせて頂きたい幻の聖地であり、また真土が興味を持つ大学の歴史教師も有里園の所属だと聞いている。
(まさか……運命の出会いってコレか?)
占いの『白馬の王子』が『白いリムジンに乗った弥生』だと考えれば辻褄は合う。予想外の憧れとの接近に、しかし今は舞い上がっている場合ではない。助けてもらった上これ程丁寧に名乗られたならば、こちらも名乗り返すのが礼儀だろう。
「あ……っと、オレはぁー……」
彼並みにエレガントには無理だが、少しでも格好良く自己紹介できないものかと真土は思考を巡らせる。使えそうな小道具はポケットの中の財布と生徒手帳くらいだ。
下らない見栄で相手を待たせる訳にはいかない。真土は勢いに任せ、思いついた自己紹介を決行した。
「本魔野東高校、二年B組、一条真土ですっ!」
ビシッ! という効果音が似合いそうな動きと共に、大真面目な表情で真土が突き出した物は警察手帳――の代わりの生徒手帳。様になっているかはともかく、あの一瞬で間違わずにプロフィール欄を開けたことだけは自分を褒めたい。
「…………」
弥生が動きを止め、瞬きを一回、二回。彼の反応に真土の顔色が悪くなり嫌な汗が出始めたところで、弥生は徐に口を開いた。
「一条君、刑事ドラマ好きなの?」
「いや、特には。ただ名刺はないし、他に良い自己紹介も思いつかなくて……」
やってしまって気まずくなり、真土は視線を斜め上に逃がしながら生徒手帳をポケットに戻した。この小道具さえなければ大スベリせずに済んだはずだ。持ってくるのは財布だけにすれば良かったなどと思考を飛ばし、現実逃避を試みる。
だがこれが怪我の功名だったらしい。弥生はまだ少し硬かった表情を緩め「あははっ」と楽し気に笑った。
「君、何だか愉快な人だな」
「あ……アリガトゴザイマス」
飾らない弥生の笑顔と誉め言葉に、真土もつられて照れ笑い。先程の自己紹介は及第点どころか満点だったと言えそうだ。
「ふふ、それに高二なら、僕と同い年だ」
「え、そっちも高二?」
外見から歳は近そうだと思ってはいたが、真土には真似できない大人びた振る舞いから、弥生の方が年上と見ていた。
「うん。本魔意思ヶ峰」
弥生が真土を真似てか、生徒手帳を印籠のように掲げる。意外とお茶目らしい。御曹司と言えど気楽に話せそうな空気感に、真土の口も自然と軽くなる。
「うわ、やっぱり意思ヶ峰かあ。有里園の歴史研究所からも近いもんな」
「え、よく知っているね。マイナーな研究所の場所なんて」
弥生が少し不思議そうに驚く。確かにまだ真土が歴史好きだということは伝えていなかった。名刺の時も、有名な有里園財閥の方に反応したと思われていたのだろう。
「……まあその、オレ、本魔の歴史に興味があって。正直今も、関係者に会えて舞い上がりそうなのを抑えてる感じ……です」
生まれ育った地元の歴史を知りたい。真土はその純粋な好奇心から本魔の歴史を学ぶことが好きなのだが、史料の少なさや知名度の低さから、学べる場所も機会もとても限られている。そんな本魔の歴史研究所の御曹司との出会いなど、真土の人生で指折りの僥倖である。
憧れ相手に少し照れながらも真土が内心まで正直に打ち明けると、今度は弥生が喜びの驚きを見せた。
「本当⁉ 嬉しいな。家族や仲間以外で、本魔の歴史のことを言ってくれた人は初めてだ」
御曹司と言えども、皆が実家の仕事や役割を好んでいる訳ではないだろう。しかし弥生は心から本魔の歴史を愛しているようだ。これなら互いに遠慮なく話せると、真土は尚更嬉しくなった。
「オレも都会来てから初めて、同世代に本魔の歴史って話題が通じたよ。うちの学校じゃ興味ある人には驚くほど出会わなくて……地元なのにな」
本魔一帯はその昔、独特な風習や伝統、その根幹となる古の業を持った一族や、一族を支える技能を持った人々が暮らしていたとされている。しかし彼らは、常に歴史の影に隠れるように生きてきたため、現代にその姿はほとんど伝わっていない。本魔の一族たちは時の流れとともに数を減らし、それに伴い居住範囲も減少。遺跡が眠るであろう広範囲は何も知られずに開拓され、今は現代風の街が広がるばかりだ。
「それから、実はオレもさ。結局受けなかったけど悩んだんだよ。意思ヶ峰」
本魔の名のつく高校は多いが、その中でも意思ヶ峰は町の中心部から少し離れた場所にある。聖地とも呼べる研究所の近くということで真土も受験を考えたが、今使っているアパートから遠く、交通の便もあまり良くないため諦めた……というのは建前で、苦手な英語が足を引っ張りまくり、合格ラインを考えると危うかったからだ。要するにただの学力不足である。
「もし行けてたら、オレら、一緒に授業受けてたのかな」
話が合う上に、あったかもしれない可能性を考えると、有里園だとか御曹司だとかは関係なく親しみが湧く。それは真土だけではなく弥生も同じだったようだ。
「うん。君にとってはとんだ不運だったろうけど、四神のおかげで君みたいな人と出会えて……不謹慎だけれど、僕は嬉しいな」
弥生が喜びの陰に申し訳なさを滲ませるが、真土からすれば気に病まれる理由はない。
「や、もうホント気にしないでくれよ。会えて嬉しいのはオレもだし、この通り無傷でピンピンだし。不運どころか幸運だって!」
「……ありがとう、一条君」
真土が全力で気にしていないことを伝えると、弥生も肩の荷が一つ下りたのだろう。今度こそ本当に嬉しそうに微笑んだ。
この勢いで伝えたいことは伝えてしまおうと、真土は続けて弥生に頼み事をすることに決めた。
「なあ、良かったらだけど、少しだけでも良いから研究の事聴かせてもらえないかな。本魔のこと、できるだけちゃんと知りたくてさ。勿論この件が落ち着いてからで良いんだけど……」
全力でグイグイ行きたい気持ちを抑え、真土はゆっくり考えながら言葉を送り出す。しかしそんな真土の気遣いは無用だったようだ。弥生は生き生きと瞳を輝かせ、とびきり晴れやかな声音で応えた。
「うん、僕の方こそ、ぜひ色々話させて欲しいよ。好きなことを話せて、それを楽しんでもらえるなら……ふふっ、こんなに嬉しいことはないからね」
「じゃあウィンウィンってことだな。良かった。それならオレも心置きなく質問しまくれそう」
「ああ、ドンと来てくれ」
弥生が、楽しさと知の自信を感じさせる笑顔で応える。すげえ楽しみにしてる、と返そうと思った真土だったが、
ぐぎぅうぅぅ~っう
「……あ」
腹の音に先を越された。高級車の中で響く空腹の訴えとは、こんなにわびしい気持ちになるのか。真土は何となく、肩身が狭くなった心地がした。
「……スンマセン」
「ふふっ。お腹減ってる? それじゃ、迷惑をかけたお詫びに、何か食事でも奢らせてくれないか? 店内に黒幕の札を持ち込めば安全だし、今君の食べたいものを」
小さくなっていた真土だったが、弥生の優しさと魅力的な提案に、きらりと目を輝かせる。
「え、マジで? 何でも良いの?」
「うん。遠慮はいらないよ」
朝食を食べ損ねた上、早朝の大激走までしていた真土は完全に腹ペコだったため、弥生の申し出を有難く受けることにした。
「それじゃあ……――」