帝(讃良)に熱弁をふるう史。彼の深遠なる構想は先々成就するのか
「のう‥広瀬王よ‥、翌年からは、舎人皇子を出仕させて、そちを手伝わせたらどうじゃ」
「ははあ‥在りがたき幸せに存じます」
広瀬王は、舎人皇子が帝から敬遠されて居るので、
思わぬ事態に、小躍りして喜んだ。
「帝、しからば忍壁皇子様を、我が【律令】作成の寮にお出で願えませぬか」
藤原史は、【律】の無い
〈浄御原令〉を大幅な改正をして、小国ながら唐国(とうこく、現中国)に負けぬ
、【律令体制】を目論んでいた。
「そうじゃのう。そちが望むなら、それも良かろう。
のう‥広瀬王」
「はあ~吾は宜しゅ御座いますが、忍壁皇子様が何とおっしゃるか‥?」
「良いよい。忍壁もどうも古の事は疎(
うと)いようじゃ。それより律令の様な決め事を作る方が、皇子には向いて居る様な気がするわ。のう史」
史は、以前から忍壁皇子の事は、帝の云うように感じて居たらしく
「はあ‥我も帝がおっしゃるように感じて居りました
。是非とも忍壁皇子様にお出で願えたらと思うて居ります」
と、心配そうにしている広瀬王にも、声を掛けるように言った。
広瀬王は、この数年の皇子達の動揺を敏感に察していた。気の毒とは思うが自分の立場では致し方無い。
二年前川嶋皇子様も突然の解任で気を落とされたのか
、身罷って仕舞われた。忍壁の皇子様はそんな弱気では無いと思うが、一抹の不安は残る。
「ははあ‥お指示どうり宜しくご計らい下さいますよう」
と、頭を下げ、史にも眼で
忍壁皇子の事を宜しくと礼をして退座した。
「それで史、そちは、唐国を真似て律令を作ると言うが、大丈夫かえ」
広瀬王が去って、帝は少し緊張がほぐれたのか、肘掛けを引き寄せた。
史は、正面に移動して対座した。
「帝、今我国は大変な時期に入って居ります
。
三韓では、新羅が百済、高麗(
こま)を破り唐国をも追い出しました。此れからは、
新羅は体制が整えれば、我国には朝貢もしなく成るでしよう。
新羅の事は少し様子を見ることにしまして、要は我国が、どれ程偉大であるかの国づくりが肝要かと思うて居ります」
帝は、肘掛けを横に押して座り直した。
「妾も、それは考えて居る
。しかし婦人の身ではのう。それにそろそろ疲れも来て居るわ」
「帝、弱気なことでは困ります。軽皇子様が十五歳に成られるまでは、まだまだ気丈にお出であそばされ無ければ、我国はいつまで立っても、古のままです」
「十五歳でのう。軽に任せて大丈夫かえ」
「我が思いますのに、高市皇子様には後ろ楯が有りませぬ。すぐ、阿倍、丹比(
(たじひ)、大伴、石上(
いそのかみ)の連合が出来
、一気に争乱の種に成る気配です。長・弓削
(ゆげ)皇子様兄弟とて同じです。ただ、一番難儀なのは、舎人皇子様です」
「と云うと‥?」
「舎人皇子様が帝位に就いても、他の氏族は、暫く静観の体を決め込むでしょう。何故なら現政権の一番の勢力を誇っていからです。しかし、阿倍本家は、有間皇子様の一件以来低落し、氏族の一部の者が権勢を誇っている状況なれば、他の氏族はそこが狙い目と見て虎視眈々(こしたんたん)の構えに成るかと
」
「さすれば、阿倍家も容易成らざる状況じゃ」
少々、帝は史の術中に入っていくのを牽制した。
「いえ、それはあくまで、
帝が現帝位を放棄されました憶測故
。
それに、舎人皇子様は、そのような愚かな事をするような皇子様では在りませぬ
。舎人皇子様は、今までの動向を見ますに、只、兄皇子様達を慕い、世の動きの中で、自分の生き方を探ってお出での様でした。軽皇子様の良い後見役に成られると存じます。あくまで、
舎人皇子様を抑えられればの話で御座いますれば」
史は、そこまで云うと、
ほっと息を就いた。
成る程、この史の父の鎌足様が妾におっしゃっておつたわ。
[史は賢い子です。実は鏡
王姫(かがみのおおきみ、額田郡王姫ぬかたべのおうきみの姉)を帝(天智)から
お受け致しました時には、
姫は既に帝の御子を身籠って居りましたか。我は其を知った者が、いつ言朱
するやと恐れ、田辺大隅に史を預けました。皇女(ひめみこ、讃良姫)様から見れば弟皇子に御座ります。
大隅には、一生伝えては成らぬと申して有ります。陰ながら、皇女様のお役に立てるよう、史には申して有ります故、ご存分にお使いあすばすように]
鎌足は、それから幾日もせぬうちに身罷ってしもうたわ。
妾は藁をも掴む思いで、父帝(天智)を
言朱せよと命じた。
今又、妾が帝と為って側に仕えて居る。そして、父鎌足様が父帝にしたように
、帝(妾)を煽り立てるのか
親子揃ってそのような運命かのう。
帝(讃良)は、何か他人
事のように
、史が熱弁をふるう様を見て、弟が成長して、頼もしく見て居る姉のように眺めていた。




